その人間は…③
鬼族は、その身体能力や魔力の高さ、血を浴びせたような髪色、禍々しい角というその外見のため、古来より人間達に恐れられてきた。それでも、鬼と人、いやその他種族は互いに尊重し、共存を図ってきた。歴史の中では、人間と異種族の交わりも確認されている。しかしいつからか、人は狭い土地を求めて権力争いを始めた。そして、人間同士が始める戦争に否応なく異種族は巻き込まれていったのだ。異種族と相対した人間からすれば、威力の高い魔法や、圧倒的身体能力を持つ異種族を恐れ、羨み、そして憎んだ。自分達があの力を使うことが出来たなら負けることはなかった、家族を奪ったあいつらにあの力で復讐が出来れば、もっと効率良く領土を拡大出来る。人間は満足を知らない生き物である。そして一度憧れを抱いたなら、それを手に入れようとする。中には、手段を選ばずに残虐な方法で…。単体では、異種族に敵わなくても、騙し、罠をはり、嵌め、集団で単体を攻撃するのであれば、異種族といえども敵ではない。また、幼い子どもや、年老いた者、病気の者なども人間の標的となった。そうして人間による人間のための、暴虐が繰り広げられていった。森人の原始魔法から独自に体系化された新生魔法、鬼族の身体能力向上魔法、鳥人族の飛行魔法、土人の鍛治技術など、数えきれない程の何かを奪い、人間は進化を続けてきた。その頃には、人間同士だけでなく、異種族が住む領域まで領土を拡大しようと戦争を繰り返してきた。争いを好まない種族などは早々に、人間の前から姿を消した。
何よりも種族としての伝統と誇りを重んじる鬼族もその歴史の中で幾度となく、人間と争い、そして傷ついてきた。仲間の死を、誇りを穢された鬼族達の猛攻は激しく、戦争は泥沼化した。しかし、先代の長が、これ以上の争いは何ら益はないと、安住の地を求め、迷宮、しかも人間世界で言うところの八大迷宮と呼ばれる場所を選んだ。普通の迷宮であれば、容易く人間に踏破されてしまう。八大迷宮であれば、人間が踏破することすら難しい。それは難易度もそうだが、人間は迷宮伝説の迷宮を、単に100層を超える迷宮と取り違えているからだ。人間世界では、八大迷宮の内の一つを攻略していることとなっているが、それは真実ではない。八大迷宮は枝分かれした魔核が多数存在し、人間は、それを迷宮の核そのものと見なしている。実際は、枝葉に別れた複雑かつ難解な正しいルートを歩かねば、最下層まで辿り着くことは出来ないのだ。魔力を感知することに優れ、圧倒的身体能力を誇る鬼族でさえ、年単位でこの場所に至ったのだ。人間との戦争に多大なる犠牲を費やした鬼族の大半は、言わば逃げの選択肢とも呼べる迷宮への避難は、鬼族の誇りと仲間の死を無駄にすることだと反発をした。それでも、これ以上の犠牲を出さぬ為に、迷宮へと歩を進めることを断行した。だからこそ、今の暮らしを捨てることなど出来る筈もない。多大な犠牲に上に成り立っているのだから。
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『今を捨てる覚悟はありますか?』
ーまっどうせ、そんなことは出来る訳がない、って言うだろうな。
冷たい風が舞う。セティが放った言葉は、アイリスに重くのしかかる。しかし、現実にはその言葉には何ら重みなどない。
『今(平和な暮らし)を捨てる…?そんなこと出来る訳が…!』
ここまで冷静だったアイリスが強い口調で答える。鬼族が血を流して漸く得た暮らし。それを手放すことは、犠牲となった仲間達への冒涜である。
ー予想通り過ぎて、拍子抜け過ぎるわ。君の言っていることはつまり、何も変えたくない、と言っていることと同じ。自分は努力をせず、何ら犠牲を払わずに救われたいなど、笑止千万!自己啓発本を読んだり、それ関連のセミナーに出て、分かったつもりになり、結局何ら行動を変えず、あれは自分に合わない、効果がない等と言う奴と何ら変わらんのだよ!自分を変えるには、自信の努力が不可欠なのだよ、白髪リス君!
その努力を一切辞め、夢に夢を見出すお前だけには言われたくない。
『そうですか…(自分を変えたい、救われたいという)想いは、その程度ということですね。』
ー流されやすいが、意識だけは高い系のなんちゃっての君にとっては効果抜群の言葉を投下してあげよう。さぁ、喰いつき給え!
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『そうですか…(鬼族を救いたいという)想いは、その程度ということですね。』
五鬼神のトップとして、誰よりも鬼族の繁栄を願ってきた。その自負がある。だからこそ、セティの言葉は激しくアイリスを侵す毒となる。当然、その毒を許容出来る訳がない。セティに反論をしようとした矢先、
『ふざけるなッ!アイリス様の(鬼族を想う)想いがその程度だとッ!?人間のお前何ぞに何が分かる。アイリス様、何故、こんな人間の為に、首鬼の発令を!俺がこの人間を殺しちまえば、まだ間に合う!』
自らが敬愛する存在を貶されゴリュウは激しい怒りを露わにした。しかし、タイミングとしては最悪。アイリスがセティが放った毒を取り除く、唯一の機会を、その想い故に奪ってしまったのだから。
ーちっ、このキングゴリラがっ!今言い所なんだよっ、邪魔すんなや!自分の依存先を失わないための抵抗とは、脳みそまで筋肉で出来た正真正銘の害!
セティは心の中で散々ゴリュウを貶しながら、視線すら彼に向けずアイリスに語りかける。
『残念ですね。あくまでも、覚悟を確認したかっただけなのですが。それすらないとは…そして…』
やれやれどうしようもないな、と言った感じでセティは目を閉じる。
ー大体、あのキングゴリラ、殺すだと、この創造主様をか?誰に向かって言ってやがるんだ。こうなったら徹底的にいたぶってやるよ!
セティの自分を歯牙にも掛けない態度、そして更にアイリスへの侮辱を重ねる憎き人間に、遂にゴリュウの怒りが頂点に達し、ブチ切れる。もともと、頭で考えることが苦手な彼にとって言葉による駆け引きなどは無縁。怒りに身を任せ、その巨体からは想像できないスピードでセティに肉薄する。
ーさて、どうやって口撃してやろうか?こういう、筋肉馬鹿は存外プライドが高く、自分の非を追求されることに弱い。
目を瞑ったまま最低なことを考えながら、思考を巡らす。異世界で定番の気配が察知出来るといった特殊な能力を持っていない普通の感覚のセティからすれば、当然ながら目を閉じていれば、一体何が起きているかも想像できない。間違いなく、死は近づいているが、気付きもしない。
『待ちなさいッ!?ゴリュウ!!』
『ッ!?』
思考の海に飛び込んでいたレヴィンは隣にいるゴリュウの反応に追い付くことが出来なかった。アイリスもセティの言葉の毒により反応することが出来なかった。呼びかけも虚しく、ゴリュウは渾身の一撃を放つため、セティの身体以上に太い腕を振り上げ、そして一気に振り下ろす。
ーそうだ!こいつら鬼にとって、人間は許せない悪そのもの。それを上手いこと利用すれば! どうせ、数多のイベント中の一つ。しかも序章も序章!大したアイテムが貰えないのは分かりきってる!だったら、とことん勇者を突き通してやるよ!
最低最悪の思考回路。彼の全ての考えに共通するのは「我欲」、他からすればたまったものじゃない。
『くたば『そして、都合が悪くなれば、暴力を誇示する。これでは、貴方達、鬼族に蹂躙の限りを尽くした、人間と一体何が違うんだっ!
私が信じている貴方達は、人間のように愚かではない。優しくて(知らないが)、聡明で(多分)、何よりも気高い(そんな気がする)それが鬼族じゃないのか!!(そんなこと微塵も思ってないが)私を傷つけることで、貴方達の大切な誇りを守ることが出来るならそれで構わないっ!』ッ!?』
『くたばれ、人間が』、目の前にいる人間を殺そうと、繰り出した拳を間一髪で止めるゴリュウ。憎しみの対象である筈の人間と同じことをしている、セティの言葉は確かに理性を忘れた彼の心に届いた。しかし、それ以上に彼の心を掻き乱したのは、セティの自を犠牲にしてまでも、鬼族の誇りを守ろうとしたその行為である。ゴリュウは愚直ではあるが、鬼族を心から愛しているからこそ彼らの誇りを穢す真似だけは出来ないのだ。だからこそ、人間が自信を犠牲にしてまで鬼族の誇りを守ることが信じられなかった。そして、それは彼に限ったことではない
ー避ける気配も、魔力で身体を強化している訳でもなかった。ゴリュウが攻撃を止めなければ、あの人間は確実に死んでいた!そんなっ!?人間が自分の命よりも、鬼族の誇りをとるなんてっ!!何なのですか、この人間は…
レヴィンは驚愕の表情を浮かべる。あり得ないことが起きている。鬼族の頭脳たる彼でさえ、思考停止に陥っている。
ー情けない…結局は私の覚悟が足りなかったということ。あの人間を心の底で認めたくない気持ちがあったのかもしれません…最早確認するまでもありません。この方こそが、古より鬼族に伝わる…。まさか人間がそうだとは。いえ、人間だからこそかもしれませんね…。
アイリスは、セティに対し膝をつき頭を下げた。
『お会い出来て光栄です、導きの使者よ』
ー決まったな!俺って最高に格好良いな!
今だに目を閉じたまま悦に浸っているセティ。こうして歴史は動き出す。