その人間は…②
張り詰めた空気が辺りを包み込む。人間に強く深い怨みを持つ鬼族と、己を世界の創造主と信じて疑わない人間との邂逅である。
ー『レヴィン!!??どうなってるんだよ!説明してくれよッ!おい、レヴィン!』
ゴリュウは最早訳が分からないと言った様子で、必死に鬼族の頭脳へと問い掛ける。それでも、レヴィンからの返答はない。思わず彼の肩を揺さぶる。
ーアイリス様ッ、一体!?首鬼の名の下での発言をされるとは、何か私たちの預かり知らぬ何かがあるということなのですか!?
レヴィンも訳が分からないと言った様相である。
ー『くっ!ゴリュウ、貴方の馬鹿力で掴まないでくださいッ!』
ゴリュウの手を離そうとするも微動だにしない。
ー『レヴィンッ!教えてくれよッ!』
元来考えることが苦手であった彼からすれば、今の状況を分析することすら出来ない。頼みのレヴィンに縋るも、その彼ですら掴めていないのだ。
セティに危害を加えてはならない。これは只の命令ではない。鬼族の生き残りは凡そ500名程度。トップの長をはじめ、その下には十鬼老と呼ばれる最高の議決機関が存在する。十鬼老の役割は、鬼族としての方針や、決め事の制定など所謂、政に関する事項である。それらとは別に、長直属の執行部隊が存在する。それが五鬼神であり長の意見を伺えない緊急を要する事態などは、五鬼神が長に代わり事態を収拾する。アイリスが発した「五鬼神が首鬼の名の下」とは、いわば長に代わり発令をしたということと同義である。当然無闇やたらに使えるものでもなく、発責は全て五鬼神が負うことになる。間違っていましたでは勿論収まることもなく、責任者の重い処罰もあり得るのだ。そんな重大な命令を課した、しかも「人間を攻撃せよ」ではなく「人間を傷つけるな」である。レヴィンやゴリュウが驚くのも無理はない。
『アイラ、グラン先ずは無事で何よりでした。』
アイリスが優しくそして心の底から安堵した表情で二人に話しかける。その顔は、大切な親友とその家族を心配する、一人の少女であり、そこには種族など関係がない。
『アイリス…私は、わたしはッ!』
それは安堵なのか、何も出来なかった自分への怒りなのか、顔を赤らめ涙を浮かべ親友の名前を呼ぶ。その先の言葉は出ず、整理出来ない感情が彼女を襲っている。
ーおいおい。感情的な女だと思ってはいたが、まさか…
何やら不穏な結論を出そうとしているセティ。流石の彼でも直ぐにそう帰結しないと信じたい。
『大丈夫ですよ。もう大丈夫ですからね。』
優しく微笑む親友を見て、感極まったのだろう、アイリスに抱きつくアイラ。死を怖がらない者など早々いない。鬼族の為とは言え、絶対的強者を前にして一度は死を覚悟した。大丈夫だと分かった瞬間様々な感情が込み上げてきたのだ。
ーはいっ!ビンゴ!まさか、そっちの気があるとはな 。まぁ、この世の創造主たるセティ様は寛大だ。愛の形とは沢山あるものだからな!
この男は感動的な場面で意味不明な解釈を行う。しかも、その表情は完全なる上から目線であり、かなりむかつく。
『姉さん…アイリス様…』
何とも気の抜けたポーッとした表情のグラン、二人の感動シーンに見惚れているようだ。
ーおいおい、このガキはガキでそんな二人を見て恍惚の表情を浮かべるとは、随分な趣味をお持ちのようだ。
失礼極まりないセティ。その捻じ曲がった性格は一生治らないだろう。
『『アイリス様…(何とお優しい)』』
レヴィンとゴリュウは、アイリスのその深い慈愛の心に心打たれているようである。皆アイリスを崇拝しているが故のことであり、勿論セティが妄想するような想いは抱いていない。
ージーザス!
セティが目にしたのはゴリュウがレヴィンの肩を掴み、レヴィンがその手を離そうとゴリュウの手を握っている場面。既に彼等の手に力などは入っていないので、その手の重なり具合はごく自然である。
ーおいおい、こっちはキングゴリラとホスト野郎の組み合わせかよ。どうなってるんだよ鬼族は!ってか、この夢の世界にはまともな奴はいねーのかよ!
哀れアイラ、グラン、レヴィンにゴリュウ。セティの一度した格付けはひっくり返ることはない。彼等は、ティアリスやリックと同様に、言われのない扱いをセティから受けることになってしまった。
ーまともそうなのは、この女か…。そういや、髪の色が違う。さっきの話し方や様付けなところを聞くに、こいつが鬼族のトップっぽいな。見た目若いのに白髪とか…そりゃあ、部下がこんなに問題ありゃ苦労も絶えないよな。やはり真面目な程損をするのはどの世界でも変わらんか。
凡そ常人では考えつきもしない思考。しかし、全く間違っていないのだからこれがまた彼の勘違いに拍車をかける。
セティにゆっくりと近づくアイリス。彼に危害を加えないよう命令した彼女でさえ若干の緊張があるのか、最大限の警戒をしながら歩み寄る。ある程度の冒険者であれば彼女の身のこなしはまさに一流の戦士のそれであることが分かる。しかしセティには分かる筈もなく、
ー何か歩き方変じゃね?そうか…心労か…心中察するよ白髪さんよ。
ーまるで隙だらけですね。いえ…あえて見せているのでしょうか。何れにしても五鬼神の内、四鬼に囲まれたこの状況で、緊張や焦りが一切見えない。敵対しても、切り抜ける自身があるということ。
中途半端な実力を持っていれば看破されていたであろう。彼もまた鬼族の実力を図ることすら出来ないレベル。互いの底を知らぬことが、結果として血生臭い帰結を避けていることとなっている。
『私の名前はアイリス・アークグランツと申します。貴方のお名前は?』
ーへぇ、流石は若白髪だな。殊勝な心がけじゃないか。伊達に苦労してないな!
一体何様なんだ、お前は。セティは何処までも自分を貫く。しかしその貫き方は相手に対して多大に失礼である。
『私はセティ・フォン・シュバルツダンケルハイトと申します。お会い出来て光栄です。』
セティが名前を言い終えた瞬間、一気に緊張が高まった。それは、セティが貴族であるということを明かしたからだ。鬼族の大半は王族や貴族による鬼狩りによってその命を落とし、奴隷となってきた。鬼の角には、人間の寿命や身体能力を著しく伸ばすという迷信が信じられてきたからだ。だからこそ、セティの名前を聞き、彼等の憎悪の心が呼び起こされたのだ。
ーレヴィンやゴリュウの殺気もまるで気に止めていない…大した人間ですね。
『…セティ様ですね。私もお会い出来て光栄です。先ほど言っておられたこと…詳しくお聞かせいただいてもよろしいですか?』
仲間達の感情の高まりに気付きつつもアイリスだけは、冷静にセティに問い掛ける。
ーん?詳しく教えてくださいセティ様だって?何をだ?
自分の発言にまるで責任を持たない男が彼である。どうしようもない。しかも、そんな聞き方をしていない。完全な妄想である。
ーこいつが、聞きたいこと…。あー成る程ね。救うってことか。確かにな、ヒステリック女に、姉とその上司の恋愛事情に興奮するませガキに、キング筋肉ゴリラとホスト野郎に囲まれてたんじゃ救われたくもなるよな。悩み過ぎて、白髪になるなんて不憫ではある。俺に危害を加えるなっていうのも、まさに藁をも掴む思いだったんだろう。本人達の目の前で言うとか…
セティの脳内変換も大概にしなければない。何故そのような結論になるのか、彼は何か重大な脳の病に罹患しているのではないか。
ー運が良いよ、白髪リス!俺に救いを求めるとは君は誇って良い!
まさに泥舟に乗船するとはこのことだろう。しかも、泥舟から近付いてきて、自信満々に沈没させようとする。厄介極まりない奴である。おまけに変なあだ名までつけている。
『その前に、お聞きしたいことがあります。』
真剣な表情のセティ。彼の放つ偽りのオーラは何故か凄みを持っている。
ーッ!急に纏う空気が変わった。やはり、今までの弛緩した雰囲気は意図的に作り出したもの…!
アイリスだけでなく、レヴィン達もセティの真剣な表情と空気に緊張感が高まる。
ー私は、五鬼神の首鬼として確かめなければならない。この者が…
『…どうぞ。』
一瞬の間をおいてアイリスは答える。
ーどうやら、迷っているようだな。この若白髪、優柔不断かつ、周りに流されやすい女と見た。しかし、そんな自分を変えたい、救われたいと俺に助けを求めてきた。いいね〜、この世界での優劣順位をしっかり分かっているじゃないか!鬼族だろうが、この世界で出逢った誰よりも、評価が高いぞ。ずばり解決してやるから、レアアイテムをしっかりと寄越せよ。
まさに煩悩の塊。そして、果てしなく頂上からの目線。こんな奴が選ばれし人間などあってはならない。そんな世界は滅びた方がマシである。
『(貴女は)今を捨てる覚悟はありますか?』
セティの勘違いが鬼族をどう変えるのか、まだ誰にも分からない。