惨事の真実
憎き人間の前での命乞い。自分たちに暴虐の限りを尽くした人間がいつか再び襲ってくるかもしれない。そして、何も出来なかった頃の無力な自分と決別し、二度と最愛の家族を失わない為に、自分を鍛え抜いてきた。気付けば生き残りの鬼族の中でも、五指の実力に数えられるまでになった。その自分をも超える程の天賦の才能を持つ、かけがえのない弟の成長を楽しみに暮らしていた。
ー何一つ、通じなかったっ…!強過ぎる。
目の前の状況に絶望するアイラ。最愛の家族の首筋には、冷たく暗い死を標榜させる剣が添えられている。その鈍く光る剣は、抵抗する気力を急速に失わせる程の、残酷な光を放っていた。しかし、諦める訳にはいかない。屈辱だろうが、惨めだろうが、譲れない大切なものがある。
『命乞いは、愚かだと分かっている…!私は殺されても良い!だが、弟は、グランだけはっ!お願いします…たずけてくださいっ!』
そこにある感情はただ一つ。宝物だけは、絶対に助ける。
何がどうして、遥か奈落の底の格下であるセティに、ここまでの勘違いを抱けるのだろうか?時は数十秒前に遡る。
ーーーーー
セティが、何としてでも切り抜けると強い覚悟を決めた時、感情の機微に聡いアイラ達は、雰囲気が変わったセティを見て、臨戦態勢に入ったと勘違いした。
『『ッッ!?』』
ー何が、話し合いだ。あの表情!完全に殺る気じゃないか。だから、人間などは信じられないっ!
歯噛みしながら、身構えるアイラ。
その際発せられた落ち葉を踏みしめる音は静寂の中良く響き、セティにとって、数秒後の自分の無残な姿を想像させるに難くなかった。そう、彼はアイラが身構えたのを攻撃の合図と捉えたのである。
ーヤバいッ!いきなり攻撃か!?
謝罪の前に先手を打たれる。これだけは、あってはならないことである。ー自分が言わなければ、謝罪すらしなかったーそんな悪評が立てば、たちまち信用を失う。何としてでも避けなければならない。とりあえず行動だけでも示さんとばかりに、慌てて、セティは直立し、目を瞑る。そして、深呼吸を行う。
ー構えもしないとはっ!いや、油断は出来ない!
直立した動作をセティの攻撃体制と誤認したアイラ。
ー『『先手は打たせない!』』
奇しくも二人の考えは同じ。相手より先に動く、先手必勝である。そして早かったのは目にも止まらぬ速さで、セティに詰め寄るアイラであった。
ークッ、本当に構えない気か!?舐めるなっ!
繰り出すは、魔力を込めた左手の突き。もともと魔力操作に長け、力も強い種族、その中で五指に数えられる実力者が繰り出す攻撃は、AAA級冒険者ですら怖じ気づくだろう。
ー殺った!
ーすみませんでしたっ!
勢い良くお辞儀をするセティ。
ブォッ
アイラの渾身の一撃は空を切る。
ー馬鹿な!避けられた!?
理解が追いつかない。確実に動きを捉えた筈だった。タイミング的にも避けられる余地はなかった。何より敵は自分すら視認していなかった。だが結果として、無情にも空を切る自分の左手。驚くのも束の間、
ゴンッ
あまりの風圧に驚いたセティ。勢い良く、頭を振り上げたその場所には、アイラの左肘があった。
『ぐっ!』
アイラに訪れるは衝撃もさることながら左手全体に尋常じゃない程の痺れが走る。
思いもよらない、完全に無防備な場所にクリーンヒット。そう、全力で頭を振り上げたセティの頭部は見事アイラの左肘の尺骨神経にダメージを、与えたのだ。
肘などを座っている椅子などにぶつけると電流が走ったような痛みに襲われる。それは尺骨神経という神経を圧迫するために起こるが、そのかなり酷いような状況である。
『か、雷魔法かッ!?』
余りの痺れに魔法を使われたと錯覚してしまう程である。当然ただの頭の振り上げだけなら、身体能力に優れた鬼族に対し、それ程の痺れは出ない筈だ。しかし、今のセティの髪の毛には黒岩竜の涎に守られた、防御力がある。左肘というピンポイントの場所にその堅さが一気に押し寄せれば、流石の鬼族もダメージを受ける。
『姉さんっ!!お前ぇっ!』
苦しそうな姉の姿を目の当たりにし、温厚なグランは切れた。優しくて、強くて、自分を可愛がってくれる、そんな大好きな、大切な姉が目の前で苦しんでいる。そんなこと許せる筈がない。危機を救おうと、怒りに身をまかせ駆け出す。五指に数えられる程の実力を持つ姉をして、天賦の才を持つと言わしめるグラン。そのスピードたるや、セティと同じ位の背丈とは思えない程である。そして、セティの頭目掛けて渾身の一撃を放つ。スピードだけでなく、威力も十分過ぎる。600程度の防御力しかないセティでは、受けるどころか被弾箇所が吹き飛ぶ程の攻撃である。
ーゔぅっ!あ、アタマが…クラクラする…
衝撃の為に身体がふらついたセティは、なんとか転倒しまいと、左手を伸ばして運良くアイラの右腕を掴む。
『なっ!?』
未だ左手の痺れはとれぬ状況で、セティに右手を掴まれるアイラ。
勢い良く引っ張られた次の瞬間
ドゴンッ
鈍い音とともにアイラの右手に激痛が走る。
『ッ!?』
『えっ!?…ね、ねえ…さん!?』
痛みを堪えながら確認すれば最愛の弟が驚愕の顔をしている。そう、姉を助けようとした弟の攻撃は、タイミング悪くセティによって引っ張られた姉の右手にクリーンヒットするのである。左手は痺れ、右手は物理的なダメージ。少なくとも、数秒が命を左右する死闘では、致命的過ぎる。
ーやられたっ!これで、両手を潰された。グランは…駄目だわ。私に攻撃を当てたことで完全に戦意が失われている。この人間…強過ぎる!
セティにとっても衝撃の連続である。頭に加えて、グランの攻撃の余波が左手を襲ったからだ。かなりの衝撃だったのか、左手が痺れる。
ーヤバいッ!頭がクラクラする、左手も痺れる…回復薬が欲しい!
何が起きているのか、訳が分からないセティ。何でも良いからとにかく回復薬を見つけようと魔法の袋を探す。
ーあった!流石は俺だ、一瞬で必要なアイテムを探せるとは!運が良いのは伊達じゃないな!
しかしそれは魔法瓶などではなく、昨日格好良いからと購入した、貴族などが儀礼用に使う細身の剣を模したもの、その持ち手であった。勢い良く抜き出した剣は、鞘から抜けきれていないものの、丁度グランの首筋に当たっている。セティが、漸く目の前の惨事に気付いた時にはもう遅い。
止まらない勘違い、それは悪夢の続きか。