覚悟
『待てっ!』
突如木陰から発せられる声。威圧的でもなく、怯えている声でもない、強い意志が宿っているかのような美しい声が聞こえた。勿論、セティにはそんな心の機微の乗る声に気付く訳もなく、
ーなっ!!??なんだとー!緊急事態発生!!
パニクッていた。
元々セティの妄想から始まった一人芝居。自分以外、誰かいるなんて想定していなかった。にも関わらず誰かがいる。それだけでも驚きなのに、更に彼を驚愕と恐怖に陥れたのは声を発したであろう人物の姿である。
ークッ!何なんだあの、毒々しい真っ赤な髪色は!?いや、髪色もだが、あの角はなんだ?ヤバいぞっ!人間じゃない!あれではまるで…
『鬼……』
『『ッッ!?』』
ーーーーー
『鬼……』
ーッ!?この少年…やはり只者ではない。人間世界では滅びている筈の鬼族を知っているとは!鬼族が滅びたとされてから、数十年が経過している…にも関わらず一見して種族を迷いなく言い当てるとは!此処まで人間の身で降りてくる程の実力だ。見た目は度外視しなければならない!大丈夫…!グランあなただけは絶対に守るから!
勘違いにより、更に警戒心を上げるアイラ。セティの実力さえ看破出来れば後は良しなのだが、やはり人生とは難しい。
ーーーーー
ーやべ、声に出しちまった…。なんか、鬼気迫る顔つきだぞ。ヤバいな、完全に怒ってる!
焦るセティ。そして、彼女達が現れた方向を見て気付いてしまう。
ー武器がない……。詰んだ…
始めから詰みの状況であったのだが。それは置いておき。そう今のセティは完全なる無手である。武器もなければ、防具は涎という意味不明な装備。頼みの武器は魔法の袋の中だが、この状況下手に動けば一巻の終わり。
ーいや、待てよ!?此処は夢の世界、そして設定は異世界ファンタジー!当然、人以外の種族がいても不思議ではない。いやこの場所のモンスター共の異常度を見るに、此処はもしかするとこいつらの縄張りかもしれん!!となれば、先程の迷宮の罠を仕掛けたのもこいつらと考えるのが妥当!!迷宮に侵入した人間を強制転移させ、身包みを剥ぎ、無抵抗な冒険者を嬲り殺す、凶悪な種族!こいつらの髪色は、今までの冒険者の返り血!おっさん狩りなんて生易しいものじゃねぇ、ガチでサイコな種族!なんて奴等なんだっ!!
なんて奴なんだお前は。前半までは辛うじて良いが、後半は完全なる被害妄想である。こんな奴がいるからこそ、差別や偏見がなくならない。まさに典型的なクズ人間である。
ーくそっ!武器を奪われなければ!?卑怯だぞ!
そもそも、武器を失ったのは彼女等の所為ではなく、お前の落ち度であろう。どさくさに紛れて責任転嫁も甚だしい。
ー血に飢えた種族…創造主であろうが、俺がステータス通りの実力という仕様なら勝ち目はない。仕方ない…この場は何としてでもきりぬける!!
セティも、純度100%の妄想に向かい強い意志を宿す。
互いの決意は固まった、向かい合う両者。距離はそれ程離れていない。緊張感が辺りを包み込む。
ーーーーー
『『ッッ!?』』
人間の空気が変わった、仕掛けるつもりかっ!?
身構えるアイラ。
ガサッ
足下の落ち葉が静寂の場に響き渡る。
ーーーーー
ガサッ
目の前の恐怖の対象が身構える。その際発せられた落ち葉を踏みしめる音は、数秒後の自分の無残な姿を想像させるに難くなかった。
ーヤバいッ!いきなり攻撃か!?
慌てて、セティは直立する。
ー見よっ!まずは底辺サラリーマンの百八番を!
目をつむり深呼吸を行う。瞬間、セティは思い切り頭を下げる。なんと洗練された所作であろうか。普段からいかにこの動作を行っているかが分かる。いや、滑らか過ぎて逆に怖い。
ブオッ
突如頭部に物凄い風が巻き起こる。
ーなっ!?何だ!
勢い良く、頭を振り上げるセティ、その瞬間頭部に尋常じゃない程の衝撃と鈍い音が
ゴンッ
『ーーッ!?』
『ーーん!!』
頭への衝撃が強過ぎて、何かが聞こえるがそれどころではないセティ。
ーゔぅっ!あ、アタマが…クラクラする…
衝撃の為に身体がふらつくセティ。人間の反射なのであろう、転倒しようとする時には何もないと分かっていても何かに手を伸ばしたくなる。咄嗟に左手で何かにしがみつこうと手を伸ばすセティ。すると、ある筈がないのにそこにしがみつく柔らかい何かがある。まさに藁を掴む勢いで右足を前に出し、左手で何かを引き寄せながら何とか踏みとどまろうとする。次の瞬間、
ドンッ
今度は左手に物凄い衝撃が訪れる。
ーヤバいッ!頭がクラクラする、左手も痺れる…回復薬が欲しい!
目を瞑りながら右手で右腰につけている魔法の袋の中を探すセティ。
ーあった!流石は俺だ、一瞬で必要なアイテムを探せるとは!運が良いのは伊達じゃないな!
セティは筒状の魔法瓶を手の感触で探し当て、右手で抜き出す!
『命乞いは、愚かだと分かっている…!私は殺されても良い!だが、弟は、グランだけはっ!お願いします…たずけてくださいっ!』
セティが目を開けると、自分の左手で、先程の女の右手を掴み関節を決めている状態で、かつ右手には、昨日購入した予備の剣が、鬼の少年の首筋にあてられていた。鬼の少年は顔面蒼白しており、女は、涙を流している。
ーふぅ…一体何時になれば、ゲームオーバーになるんだ
この出会いが後に鬼族の運命を変えることになるとは未だ誰も知らない。