悪夢の最下層
自分を睨みつける漆黒の目。そこにあるのは殺意でも、憎しみでも、喜びでもなく、純粋な餌に対する眼差し。巨大な存在が今まさに、セティを喰らわんとしていた。
ーなっ!!???
大きく目を見開くセティ。
ーなんだよこいつっ!いや、今は早く逃げないとっ!
目の前で起こっていることに理解が追いつかない。考えることを一旦置き去りにして危機的状況に陥っているこの瞬間、この場から離れるために猛スピードで立ち上がり、地面を駆ける。ただ今は前へ前へと。
ドゴォンッ!
セティが後ろを振り向くと先程の竜がセティがいた場所に喰らいついていた。
グシャリ、グシャリ
走りながらその光景にゾッとする。自分がさっきまでいた地面が竜の歯型そっくりそのままなくなっているのだ。
ーふざけんなよっ!いきなり難易度が変わりすぎだろうが!しかも、何だここは……
愚痴りたくもなるセティ。11層にいたモンスターとはまるで迫力が違う。そして、モンスターの質もさることながら最も違うのは今いる場所である。11層まではたしかに迷宮にいたはずだ。しかしここは、
ーいつの間に外に出た?まさかっ!さっきの落とし穴は、強制退場の罠か!
そう、セティが迷宮の外と見間違うのも無理はない。空も、雲も、太陽も、木も、草もあるのだ。これを迷宮の中と思うのは一流の冒険者ですら難しいだろう。ましてや、ド素人のセティなら、気付くはずもない。
ー成る程!さっきの罠は俺が完全制覇することに恐れをなした迷宮が罠を作動し、迷宮外に転移。しかも確実に次がないようにと、高Levelモンスターがいる地帯に転移させるという念の入れよう。そこまで警戒されているとは、流石俺だ!
自己解決するセティ。この男の凄い所はどんな場面でも自分に都合の良い方に解決するその妄想力である。
グォォォン!
竜の咆哮。どうやら獲物を逃し、怒っているようだ。
ーいや、そんなことは置いといて、奴から逃げなければ。あの木の後ろに!
なんとか木陰に隠れるセティ。先程の竜はまだ探しており、危機を脱している訳ではない。
ーククッ。バカめ!この俺がそう簡単に捕まるかよ!
大木の陰に隠れながら竜を罵るセティ。傍から見ると、もの凄く格好悪い。
ギョロ
ーえっ…?
余裕をこいていたが、確実に竜と目が合うセティ。
ドスッ、ドスッ
確実に近づいてくる。
ー何でだっ!
見つかった理由が分からず、ゴシゴシと髪を掻き毟るセティ。そして気付く。自分の手に髪に、どろっとした粘液がついていることに。
ー気持ち悪っ!臭っ!まさかあいつの涎か!これで位置がばれたのか!
セティにあるまじき、推理力。そう竜は自分の涎の匂いを辿っているのだ。確実に仕留めるために、先ずは自分の匂いを餌に付けて、マーキングをする。
ークソッタレ!
再び、走り出すセティ。スピードだけは、B級と変わらないものの、ここは迷宮の深々層も深々層。今まで誰も踏み入れたことのない、岩の迷宮、その真の最下層である。セティを襲っていた竜は、一度獲物を取り逃がしたことから警戒を高め、猛スピードで迫ってくる。一瞬にして差を詰められ、セティが隠れている木々をなぎ倒しながら突貫してくる。
ーこのままじゃ追いつかれる!何とかしないとっ!
再び逃げるセティ。竜はその巨体に似合わないスピードでセティを追い詰めていく。そして木々を抜けた先でセティは驚愕する。
ー行き…止まり…
そう、木々を超えた先は大きな岩が積み重なっており、逃げ場がない状態であった。岩を登ろうにも、刺々しい岩でありとても登れそうにない。
ドゴォン!
木々が倒れる音。振り返れば竜が大きな口を開けながら涎を垂らしている。
ー追い詰められた!
完全にびびっているセティ。迎え撃つという選択肢が始めから消えている。対面する両者。まさに、蟻と象である。
ーヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!死にたくない!怖い!
最早セティには思考能力も残されていないようだ。そして竜は勢い良くセティに飛びかかってくる。余りのスピードと、思考能力の低下からセティの回避動作は遅れ、その場でしゃがみ込んだ。
ドゴォン!
もの凄い衝撃音と、砂煙が巻き起こる。
ーえっ?
恐る恐る顔を上げ見ると、竜は刺々しい岩山にその頭部を打ち付けており、クラクラとしていた。岩の棘が何個か、顔に突き刺さっており、その姿は、かなり痛々しい。
『……ハーハッハッハ!作戦通り!どうだこのノロマやろうが!この俺に歯向かうからそうなるんだよ!』
泣きながら逃げていたことの、一体何が作戦なのだろうか。直ぐに調子に乗るセティ。
『痛かろう!痛かろう!今からトドメを刺してやるよ!』
そう叫びながら走り、苦しむ竜の顔面目掛けて、透刃を突き立てる。
ボキッ
『どうだっ!くたばったか、俺は最強なん…へっ?』
竜の顔面に突き立てた透刃は見事に真っ二つに折れてしまった。理由は単純。単に敵が固すぎるのだ。
『なっ!えっ?』
あたふたするセティ。その間に、竜はようやく平静を取り戻す。
『まっ、待て!話せば分かる!』
トドメを刺そうとしていた人間と何を話し合うのか。
グオォォォン!
竜は完全に怒り狂っているようだ。
そして、セティに飛びかかって…
ドガァン!
ー!!???
セティに飛びかかってきた竜が目の前の刺々しい岩山に吹き飛ばされる。良く見ればそれは山ではなく、岩山を甲羅にした、亀であった。その大きさたるや、竜の何倍であろうか。比喩でなく、まるで山である。
運よく危機を脱したセティは
ーふぅ…これは夢だ、夢だ、夢なんだ…
夢の中で現実逃避をしていた。彼にとっては夢かもしれないが、ここは夢ではない。セティの悪夢はまだ終わらない。