悪夢はまだまだ続く
『おいっ!クソガキがっ!聞いてんのか!?』
恰幅の良いスキンヘッドの、いかにも柄の悪そうな男が、セティを怒鳴りつける。その形相は凄まじく、目が血走っている。その手は、彼の得物である、両刃の斧の持ち手にかかっており、セティを激しく威嚇する。
対する少年はどこ吹く風。全く気にも止めておらず、これだけの怒声を、完全に無視を決めこんでいるあたり、余程の度胸があると言えるだろう。周りの人間は気が気でないようだ。
『おいおい…グロックの野郎、完全に切れてやがる。あの少年ヤバイんじゃねぇか!?』
『ぁあ…あいつこの間も気に入らない新人C級冒険者を半殺しにしたみたいだ。』
『助けねぇのかよ!?お前昔冒険者だったんだろ!?』
『まさかっ!C級成り立てとはいえ、中堅冒険者をボコボコに出来るんだぞ!万年D級の俺なんかが、刃向かうなんて命がいくつあっても足りねぇよ。』
『でも、まだ子どもだぞ』
『なら、お前が助けにいけよ。あのガキも喧嘩を吹っかけた相手が悪いんだ…この世界は弱肉強食なんだし…』
『くそっ!こんな時に限ってギルド職員が不在なんて。』
あちらこちらで聞こえる会話。しかし、誰しもが助けにいこうとしない。いや出来ないのだ。それだけ、C級冒険者のグロックは性質が悪い。
一体何故こうなったのか。時は少し前に遡る。
ーーーー
ーやっちまったな。
ギルドに着いたは良いがその登場の仕方が酷すぎた。遅刻の上に、転倒しなかったものの、随分恥ずかしいポーズをとっている。そして、充血し、瞼が若干腫れているティアリスの姿が。
ーははっ、目が逝ってるな…これから遅刻の俺を責めることを考え、相当気持ちが昂ぶっているらしい。不味いな…これは言い訳も聞く耳持たずだぞ。周りを見渡すセティ。冒険者であろう人達の視線を一手に引き受けている。誰もが驚きの目をしている。
ーこのサディスト女はやはり、有名人だったか…。皆恐れをなして固まっているじゃないか。いや…考えるのは後だ。先ずは、何とか気持ちを落ち着かせないと…
『(気分は)大丈夫ですか?遅くなって申し訳ありませんでした。』
出来るだけ、刺激しないようティアリスに言葉をかける。その声は優しく、透き通るような声でありセティの容姿もあって、さながら王子様のようである。
『セ、セティ…』
心なしか声が上擦っている。
ーヤバイな、くそっ!どうする…この状況は非常に危険だ。大衆の面前で、子どもに罵られるおっさん、鮮烈な冒険者デビューにも程があるだろう…考えるんだ…でないと、こっちまで、変態リックの仲間入りしてしまう。いや、あいつはまだ良い。顔面偏差値が高い。まだ許されるだろう。しかし、俺はどうだ。低身長のブサメン。確実に変態以上の尾ビレがつく。
思考の海に潜るセティ。しかしその内容は、遅刻の言い訳と、どうティアリスに怒鳴られないようにするかという、自己保身である。
『グッ、…ソッタレ!』
セティが考えごとをしているその横で、巨漢の男がギルドの床で苦しそうに臥していた。そしておもむろに立ち上がる。
『この、クソガキがぁっ!!舐めた真似しやがって、いい度胸してるじゃねぇか!!』
かなりの剣幕でセティに向かって怒鳴り散らす。しかし、セティは今それどころではないため全く気付いてもいない。
『お、おい、あの少年正気か!グロックに対して喧嘩ふっかけやがった!』
一人の冒険者が言葉を発した瞬間に、それが引き金となり場の静寂が一転混乱の渦中となった。
『あぁ、でもあの少年も只者じゃねぇ。』
『確かに!グロックは実力で言えばB級に近いC級冒険者。単なる奇襲や、攻撃ならなんてことないはずだ。あの少年、扉で強打をさせた後、バランスを崩したグロックの鳩尾に正拳突き、なんて早業だ。恐らく武闘家のジョブについてやがる。』
セティを心配する声と、その早業を賞賛する声がチラホラ聞こえる。
誰もがセティの次なる一手を見守っていた。そして再び、場に静寂が訪れる。最初に口火をきったのは
『セ、セティ…』
ティアリスであった。
ー本気で不味いな。上擦った声で、しかも、泣きそうになってるとは…
泣きながら罵られたなんて日には、速攻で街から追放だぞ。いや、最悪捕まるな。仕方ない、サディストの女は大体にして心配されたり、褒められることを苦手とする、それは嫌いなんじゃなく、慣れていないからだ。つまり本来的には、嬉しいはず!癪に障るが、背に腹は変えられん。
『ティアリスさん、そんな(目つきが逝ってる)顔をしないでください。可愛い顔が台無しですよ。昨日のような大輪の笑顔を見せてください。私はその明るい笑顔が見たいです。』
ー自分で言ってて気持ち悪。おっさんが15歳やそこらの女子にこんなこと言うのは、この世界では大丈夫……だよな?
全く酷いセティである。
『……
ぇっ!??』
一瞬の間をおいて、言われたことを理解し、顔が赤くなるティアリス。
逆効果かっ!今にも、噴火しそうじゃねぇか!?こんな時にアーデルが居ないとは。使えねぇゴリラだ!
元はセティの責任である。自分のことは棚に上げ人を非難することが得意な器の小さい男である。
『ふざけるなっ!』
今の一連を見ていたグロックは怒り狂っていた。それもそのはずである。自分を奇襲したのが、まだ小さい少年でもあり、尚且つ自分を歯牙にもかけず、呑気に気障な言葉を発している。暗に自分など眼中に無いと言われているような気がして、余計に火に油を注ぐかの如く憤っていた。周りの冒険者達もこれには驚きである。あのグロックを完全に無視している。少なくともこの場にいる人では出来ないことだ。
『おいっ!クソガキがっ!聞いてんのか!?』
そして、冒頭に話しは戻る。
ーーー
ーなんて、災難なんだ。これが冒険者デビュー初日とは。この後、どの面下げて冒険者登録するんだ。これこそが、このガキの真の狙いか。やはり恐ろしい。
いつまで経ってもその勘違いに気づかないセティ。鈍感な男である。
ーこうなったら、何とかしてこの場所からでも、連れ出さないと。罵倒されるのは甘んじるとして、この大衆の面前だけは勘弁願いたい。
『ガ『ティアリスさん。一度ここから出ましょう。今は、(アーデルさんやリックさんもいないので)用がないですから』ッ!!?』
ー『ガキが聞いてるのかっ?』
そう言おうとした矢先、セティに被せられた。それだけに飽き足らず、『用がない』と完全に無視をされた。そもそも我慢する気もなかったが、今ので限界を超えた。
『ガキがッ!!』
グロックは両手で斧の柄を持ち、セティ目掛けて一直線に振り下ろす!
そのスピードたるや流石はC級といったところか。
『セティ!!』
ティアリスが、その声を荒げる。セティの命が今まさに目の前で消えようとしている。そんなこと許されない。しかし、身体が動かない。
ーヤバイッ!サディスト女も我慢の限界か!強引だが、引き摺ってでも来てもらう!
セティも多勢の目の前で怒鳴り散らされるのは勘弁したい。ティアリスの元へ寄ろうと、一歩前に出る。
ドガンッ
凄まじいスピードと巨体の体重が乗った斧は、軽々しく今までセティがいたギルドの床をぶち抜いた。
『『『なっ!!!??』』』
誰もが驚愕する。セティがグロックの攻撃を見向きもせずに躱したのである。
これにはグロックも驚いた。
ーバカなッ!こんなガキが俺の攻撃を!?クソが!
すぐさま次なる攻撃に転じようとするも、深々と床に刺さる斧は中々抜けない。
ーんっ?なんか後ろで凄い音が。
気になって振り向ことするセティ、しかし運悪く床の木片に足を取られて体勢を崩す。
ーなっ!こんな所に木が!?こけるっ!間に合えっ!
体勢を整えようと振り向き様に右手で肩にかけている透刃に手をかけるセティ。そして、床に突き刺して何とか踏み留まろうと目論むも、何故か振り向いた目の前には巨漢の大男が、床の斧を抜こうと中腰になっている。その目線は丁度セティの背丈と同じ位である。
ーあっ!?何だこの、筋肉ハゲは!?
その風貌に何処か、アーデルを垣間見るセティ。
ーあのゴリラが居ればこんなことには!許さん!
頭の中で何故か八つ当たりし、表情も怒りが見られる。可哀想なアーデルである。
ーいや、今はそれどころじゃ!
流石に剣は危ないと、咄嗟に空いている左手で、床に手をつこうとするが、目の前の男の顎にクリーンヒットする。未だ体勢が定まらないセティ。そして、
ザクッ
倒れた男の首筋、僅か数センチの所に透刃が突き刺さる。
沈黙が場を支配する。誰もがセティから目が離せない。
『そこまでだっ!』
不意によく通る女性の声が聞こえる。
目を向けると、ギルド職員用の通用口に人が立っていた。一人は、誰もが振り向く程の金髪の美女。もう一人は、筋骨隆々のアーデル位の年齢の男。
ーもう、嫌だこの夢…
セティの悪夢はまだまだ続く。