思い出は真紅の黄昏
白井大海原が授業を終え、寮に帰ろうというとき、一階のホールで、軽音楽部が練習しているのに遭遇した。
この学校では、3人以上で同好会が作れ、6人以上で活動のレポートを出せば部やサークルが作れる。
軽音楽部は6人の部活動グループだった。
通り際にホールを覗き見ると、見た目の冴えない面子が半円を組んで座っている。
その中で唯一異彩を放つ、髪の毛ガッチガチ、メイクバッチバチ、ピアスブッスブスの伊達男が、半円に座るメンバーと後輩たちの前に立ち、ミーティングを行っていた。
白井は立ち止まった。あの伊達男に見覚えがあったからだ。
しばらく扉の前に立ち、彼は考え込んだ。生誕以来の思い出を引っくり返した。
それで白井は、やっと思い出した。
男は、子供の頃近所に住んでいたお兄さんだった。
懐かしき、うんこまんじゅう兄さんだったのだ……。
…………
「うんこまんじゅう兄さーん! 助けてー!」
野良犬100匹に囲まれ、幼き俺は、泣きながらその名前を叫んでいた。
「うんこまんじゅう兄さーん!」
「呼んだか!」
見ると、うんまん兄さんは中華鍋とおたまを持って、悪魔の野良犬たちに対峙していた。
俺にはその姿が輝いて見えたものだ。
「食らいたまえ!」
兄さんはおたまをサッと振った。
おたまからは、キラキラ光る熱々の餡が四方八方に撒かれた。
うんまん兄さんの実家は、中華料理屋だったのだ。
「クゥーン、クゥーン・・・」
野良犬は尻尾を巻いて逃げ出した。
「馬鹿め!」 兄さんは叫んだ。「今度白井っぴに吠え掛かってみろ! いつでも餡かけにしてやる!」
餡かけにしてやるー!やるーやるーやるーやるー……
…………
白井っぴこと白井大海原は、その思い出と共に当時のことを思い出した。
かなり詳細に映る思い出だった。
うんまん兄さんの男らしい横顔。短パンに白いTシャツ。黒光りする中華鍋。そう、あれは夏の日だった。その夏の日に、白井はヒーローを志したのだった。
まさかこんなところで会えるとは……。
白井は出入り口の横に隠れるようにして、中の様子を窺った。
盗み聞きで聞きえた限り、ホールで軽音楽部は、新しいバンド名を考えているようだった。
「今度はヒーローらしく、正義や愛のある名前にしようと思う」
うんまん兄さんは言った。
「案があればドンドン言って欲しい。俺が書き出していくから」
ホワイトボードには、『お豆腐イーター』という文字にバッテンがされていた。
『お豆腐イーター』が、以前のバンド名だったのだろう。
「ハイ!」
長髪茶髪の男が手を上げた。
「はい、ゴッド。何かある?」
「ポップコーンカウボーイズってのはどうでしょうか」
「なるほど」
うんまんは、ホワイトボードに『ポップコーンカウボーイズ』と書き込んだ。
「他には?」
「ハイ!」
「はい、メヌエット」
「優しさとは、って言うのはどうでしょう」
「斬新だね」
ホワイトボードに『優しさとは……』と書き加えられた。
その後はなかなか苦戦した。
ピンと張り詰めた空気が、ホールを包み込んでいた。
それでも、たまに部員がおずおずと手を上げて案を出して行った。
出た案を、うんまんはホワイトボードに纏めて行った。
『YUZUREシルバーシーツ』
『腸まで届くよ乳酸菌』
『自然リスペクツ』
『スポーツマンイズNOエロティックマン』
『木漏れ日鬼ごっこ』
『高崎まで寝過ごし退社』
『MINOMUSHI』
幾つかの候補が出され、さてここから意見を纏めようという段になった。
……
「新しいバンド名は『木漏れ日鬼ごっこ』に決定しました」
疎らな拍手が起きた。
白井は、もう聞くべきことは無いと思い、その場を去ろうとした。
そのとき、
「きみ!」
背中から声がした。うんまん兄さんの声だった。
白井は思わず振り返った。
「きみ……」
白井は隠れるのをやめ、うんまんに向き合った。
うんまんは言った。
「あ、きみじゃなくて、その後ろのきみ!」
白井は後ろを振り返り、見た。
ガリガリで歯の出た男が立っていた。
「きみは個性的な顔立ちをしているなあ。あーはははは!」
白井は、唖然としている個性的な顔立ちの男を残し、早足で去った。
妙に恥ずかしかった。恥ずべき事など何も無いはずなのに……。
学校を出ようという時になって、うんまんの本名が雲河万次郎であることを思い出した。
母親が 「あの子とだけは遊んじゃダメよ」 と釘を刺して来ていたことも思い出した。
白井は、今週末には漫画を買いに街に出ようという決心をして、寮に戻った。
空はいつもより深く、赤く、燃えていた。