昼休みは白き誘惑
昼休み――。
白井大海原が行く所も無く自動販売機と向かい合っていると、近くで妙に騒がしい一団がお喋りを白熱させていた。
妙に騒がしい一団というのは、とにかく目に付くものだ。どこかのネジやツマミがバカになっているのだろう。
そういった種類の大学生はとにかく声がデカい。まるで押し迫ってくるようだった。
白井はジュースを選びつつ、その声に意識を持って行かれた。
「とりあえず、みんなで食堂行きましょうよ」
女の声だ。甲高く、抑揚のある声。
この学校の食堂といえば、一階にある小ぢんまりした定食屋だけだった。
「そこで話をしましょうよ。解決策があるかもしれないし、いざとなったら先生にみんなで聞きに行ったりして」
「いや、良いんだよ、そんなに気を使ってもらわないでも。俺だってヘコんじゃいるけど、何もかも思い通りに行くなんてハナから思ってないから……」
一方で男の声は聞き取りにくかった。
気落ちしているのが伝わってきた。
「でも、こんなの酷い話じゃない」 と、別の女の声。「このままずっと暮らしていくわけでしょ?」
話が面白くなってきたかな。と、白井は思った。
彼は缶コーヒーの微糖かブラックで迷っているふりをしながら、自動販売機とにらめっこを続けた。
「ああ……。でも仕方ないよ。この道を選んだ時点で平穏な人生なんて望んで無いんだから」
「でも、よりによって先輩がこんな目に遭うなんて!」
「私の同級生も同じようなことで悩んでたわ。カレー以外食べられなくなったって言って……」
「カレーはおいしいじゃないですか!」
話しているのは四人、または五人か。
「まあ、おいしいけどね」
「食堂行って話しましょうよ……」
「俺は四番目の男だってことだよ。ハハ……」
「四番目じゃないですよ! どんなレンジャーに入ったって、最低でも二番になれると思います」
「ありがとう」
「帽子被っていれば平気かな?」
「食堂行きましょうよー」
「うん、行こうか」
「行こう」
「よん……足利君も一緒に来るでしょ?」
「今、四って言ったよね? 脳裏に刻み込まれすぎでしょ……」
「ごめん……」
「食堂のカレーって甘すぎて私はあまり――」
声は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
内容は大方察することが出来た。噂には聞いていたから。
白井はそのことについて考えながら、微糖の缶コーヒーを買い、その場を後にした。
・・・・・・・・・・
はなぶさヒーロー学園には、専門学校らしからぬ広大な土地がある。
しかしながら、土地のほとんどは手付かずの山。寮の近くに最近出来たコンビニが一件ある以外は、周辺には何も無いと言って良い。
男子生徒は全寮制であるため、課題の少ない休日には、街に出かけるため山を下りる生徒も多い。
が、街までの道程はちょっとした下山だ。街に下りたところで身銭など持ち合わせていないのに、みんな揃って山を下りようとする。そして、帰りは登山となるわけだった。
恵まれた土地を生かしたキャンパスの隅。白い石のベンチ。白井はそこに座り、コンビニのおにぎりを一人食べていた。
突き抜けるような空だ。青い空。コンビニのおにぎり。この二つがあれば、人生なんて容易い物だと、そう感じられた。
白井は思った。今頃さっきの奴らは、学食で少ない頭を突き合わせて苦悩を分かち合っていることだろう。いや、本当に苦悩して居るのはあの男だけかもしれない……。あの男、足利とやらは、何らかの方法で五レンジャーの内の四番手だと伝えられたわけだ。色で言えば、グリーンってところだろうか。ヒーローを夢見る者にとって、それは確かに辛い宣告に違いない。
白井はレンジャーの宿命に思いを馳せつつ、おにぎりを頬張った。
少し多く頬張りすぎた。傍からは不格好に見えていることだろう。「あらあの人、まるでハムスターだわ」。なんて思われちゃいないだろうか。
おにぎりをモグつきながら視線を気にし、周りを窺い見た。
向こうに女が見えた。
ジーンズに白いパーカーを着たショートカットの女は、青い空から落ちてきた雲の切れ端のようで美しかった。
白井はその姿に目を奪われた。
彼女は白井にとって知らない顔。恐らく上級生だった。ベンチに座り、スマートホンを一心に操作していた。俯きながらも、ここの環境を知り尽くしているといった具合に、時折吹く風を受け流していた。
心奪われた余りに油断して、もしくは風のいたずらが過ぎたばかりに。白井が剥がして横に置いておいたコンビニおにぎりの帯が突風に乗り、彼女に向かって一直線、飛んで行った。
白井が手を伸ばす間も無いまま、おにぎりの帯は、放り投げられたミミズのようにクネクネと中を舞って、ショートカットの女性のこめかみに張り付いた。
白井はすっくと立ち上がった。
女性は徐に、こめかみの帯を剥がした。帯を見て、白井の方を見て、足を揃えて立ち上がった。
彼女は白井の方に歩いて来た。張り詰めた雰囲気が、二人の間に流れた。
白井が後輩として怒鳴られる覚悟を決めた時、女性は帯を白井に差し出し、言った。
「赤飯にぎりを選ぶなんて、あなた、なかなかのおにぎり通ね」
白井は、ネチャついて飲み込み辛い赤飯にぎりを咀嚼しながら、帯を受け取り、言葉も無いままに彼女を見つめていた。
風が吹き、彼女の前髪がパラパラとなびいた。
その額には薄っすらと 『2』 の文字が浮かんでいた。