ジャングルは深緑の伝説 後編
「ムムム、あれはなんだ……!?」
サバイバル探検も数時間が経過した。
山岡は道中で何かを発見する度、わざわざ確認をしに寄って行った。
「これは、地底コンビニのレジ袋かもしれないなあ~」
ビニール袋を摘まみあげてしみじみと言う山岡に、もう生徒たちは返事をしなかった。
山岡がゴミ類に興味を示すのはもう何度目かわからない。反応しても実のある答えは返ってこないし、先の見えないトレッキングに心底疲れていた。
「地底の謎は、深まるばかりだなあ~」
山岡は遠い目で、この大自然を見透かすような表情を見せた。
彼は伝説のヒーローだった。総怪人討伐数でも、歴代一位の数を誇る。ピーク時の握力は90㎏。垂直跳びは2メートルを記録していた。
山岡はたまに、その辺の草花を摘んでむしゃむしゃ食べ始めたりもした。急にハッハッハと笑って、草花の毒が効いたのかもと疑わせたが、誰よりも力強くズンズンと歩を進めていた。
不思議な感覚が、白井らを襲っていた。まるで、同じ場所をグルグル回っているようだ。
その感覚に襲われる度、精神的な疲労は蓄積されて行った。
名もわからぬ草木が、一行を何重にも包み込んでいた。
物音がした。白井は立ち止まり、草木の茂みをよーく見た。
大きな黒い影がある。数秒間観察した。黒い影が、ゆらりと動いた。
「先生……」白井は言った。「あれ、熊では……」
その声に、他の生徒は凍りついた。
山岡はムムッと唸りながら引き返してきた。
のっそりと、熊が近づいてきた。間違いない。もう十メートル先に迫っている。一歩一歩近付くごとに、熊はムクムクと巨大になって行く。
白井は考えた。ここに揃う面々は、ヒーロー候補生十数人。巨大熊相手でも退治は可能だろう。しかし、みんな疲れ果てているし、皆無傷と言うわけには行かないだろう。
白井はやはり、伝説のヒーローに判断を託そうと思った。
山岡を見た。
山岡は、その場に座禅を組んで瞑想していた。
「先生……」白井は言った。
しかしその瞑想は海のように深く、白井のような新人ヒーローの声が届くことは無かった。
「先生……」
白井は諦め、他の参加生徒を見て言った。
「俺が囮になる。何とかする」
皆は、驚きのような、引き止めるような仕草を見せた。しかし、自分こそがと名乗り出られる者はいなかった。
白井は自分の命を樹海に放り投げ、巨大な熊に対峙した。
この決断に勇気なんて概念は無かった。やるかやらないか、スイッチのON・OFFに似た決断だった。
熊を正面にした白井は、今までに経験の無い力差を感じた。持って生まれたエネルギーが圧倒的に違うのだ。信じられなかった。こんなエネルギーを抱えて、しかも生きているなんて!
後ろに下がろうとする足を踏ん張り、瞑想中の山岡を確認し、考え、考え……走り出した。
間違っても転ばないことに気をつけながら走っていると、百人前の肉をうねらせながら、熊が追ってきた。
向こうのほうが速い。一目瞭然だった。
白井は止まった。実のところ、無策だった。
すぐに、熊が恐ろしいスピードで飛び掛ってきた。正拳突きの一発でも食らわせてやろうと思ったのに、頭から胸にかけてが自然に後方に引っ張られた。防衛本能って奴が働いたのだ。
白井が倒れこむのと同時に、熊の手が白井を取り押さえようと伸びてきた。いやな獣のにおいがした。奴の、横隔膜の振動が響いた。
倒れこむと草露の湿り気を感じる間もなく、白井は、腕で熊手をブロックした。車が降ってきたかのような重量感に、肩の関節が軋んだ。
セオリーも何も無かった。授業で習ったことなど頭に無かった。子供のような本能的なやりかたで、白井は熊の腹を精一杯蹴り上げた。
しかしこいつは効果があった。熊は自分が走ってきた勢いのままバランスを失い地面を転がって、肩が木の幹にかすった。おじさんが躓いて転んだみたいに、滑稽な姿を見せた。
起き上がると、熊は振り向きもせずに木々の奥に消えて行った。人間にしてやられたた恥が、彼の何かを奪い去っていったのだ。
白井が立ち上がり、一息つこうとしたその時、
「喝ーーーッ!!」
背後から、気合の乗った咆哮が轟き、白井の体を通り抜けて行った。
鼓膜が破れたかと思った。身体が小刻みに震えた。
血の気の引いたまま、心配で引き返してきた皆と合流した。細かい葉や土が、襟元から服の中に入って気持ち悪かった。
生徒たちは山岡の喝に驚嘆し、自然と拍手が湧いた。
一つの奇跡を目の当たりにした雰囲気だった。
白井は、どうしていいか分からなかった。
「白井も凄かったよ」
そんな声も聞かれた。
しかし、妙な敗北感に苛まれていた。感情が宙に浮いていた。
彼はその後の財宝探索を、最後尾から付いて歩いた。
近藤が言った。
「さっきの巴投げ、凄かったよ」
「ありがとう」
何度も何度も、熊の件を考えながら歩いた。どうしても腑に落ちなかった。
もうどれくらい歩いただろう。木漏れ日は色濃さを増している。休憩中の間食だけでは腹も持たない。
幻想的な景色の中で、一同は悟りのような物を開きそうになっていた。
最初は地底人どうこうとやかましかった山岡も、たまに 「これは地底人の足跡かもしれないなあ~」 などと呟くだけで、基本的にはGPSを確認しながら黙々と進んだ。
ずっと森だった。ずっと森だったのに、急に湖に出た。予兆が何も無く、誰かがポンと置いたみたいに湖が現れた。
それは小さな湖。反射光が目に突き刺さった。
「ここか……。ここが、伝説の湖。『地底から湧き湖』か!」
山岡が言った。
「辺りを探索しろ!」
生徒たちが辺りを探索すると、小さな祠を見つけた。古臭く、胡散臭い祠だった。
「いやいや、ねえ~。これが地底人の宝物庫に違いないよ。人間が地中に何かを隠すように、地底人は地上に庫を設けるんだろうねえ」
皆集まったところで、山岡がそれを開けた。
辛い探検の集大成が、この祠に詰まっているのだ。皆、固唾を飲んだ。
扉が開かれた。
中は……空っぽだった。
生徒たちからは、落胆の溜息が漏れた。
「はっ! なんだこれは!!」
しかしその時、山岡が叫んだ。
彼はGPSの液晶画面を、驚愕の眼差しで見ていた。
画面を生徒たちに向けてかざした。
「これは……地底人からのメッセージなのか!」
白井他、生徒たちはその画面を見た。
GPSの液晶画面には、ルートを辿った赤いラインで、『誠』 と言う文字が描かれていた。
探検は終わった。
一同、暗くなる前に帰った。




