初恋は乳白色の微笑み
「ちょっと買い物に付き合ってくれない?」
学校の廊下で頼まれ、週末、白井大海原は、近藤と買い物に行く約束をした。
「服でも買うのか?」
近藤は「まあ、そんな感じ」と返事をして、しかし何を買うのかまでは教えてくれなかった。
白井は携帯電話にメモを残し、パンパンに張った膀胱を解放するために、急いでトイレに向かった。
……
日曜はいい天気で、しかし翌日からは雨の予報だった。
たまに吹く風はヒンヤリとして、次の風が来るのを心待ちにさせた。
山を下り、コンビニで近藤を待った。
丁度、大して見たくも無いグラビアを見ているところで肩を叩かれ、振り返ると近藤がいた。
「そいつが好きなの?」
彼女は言った。
「いや、そうでも無いよ」
「へえ。乳がでかいのが好きなの?」
「そんなことは無いよ」
「『そんなことは無いよ』って言いながら私の乳をチラ見してんじゃないよ」
「ごめん」
「あ、そいつも来たんだ」
近藤は白井の横でゲーム雑誌を立ち読みしている青木を見て言った。
「ああ、暇だって言うから……」
「この男苦手なのよね。根暗だし。まあ別に良いけど。じゃあ、行きましょうか。何か買うの?」
「いや、買わないよ。青木、行こう」
白井は、青木の肩を叩いて促した。
青木には、近藤が自分をディスったのがバッチリ聞こえていた。しかし、いかにも雑誌に没頭していたようなふりをして見せ、二人に続いてコンビニを出た。
駅前の繁華街に来るとビルと車と信号機がキラキラと目に付いて、人間の価値は随分ちっぽけな物に思えた。
都会とも田舎とも言えないこの地区では、賑わっているところとそうでないところの差が激しく、この繁華街も少し外れると全く様子が変わってしまう。大量の車も魔法のように消えてしまう。
三人は駅前を歩いていた。
白井は青木が付いて来ていることを確認しながら、近藤の愚痴に付き合っていた。
近藤は「これだけ毎日運動しているのに太っている」ということを、ルームシェアしている女の子のせいにしていた。
「スナック菓子ばっか買った来るからね。あの子」
「食べなきゃいいじゃないか」
「いやいや、あったら食べちゃうでしょ」
「そんなもんかな」
「うん」
「でも、そんなに太ってないよ」
「そんなにってことは、多少は太ってるってこでしょ」
「いや……ただ、多少の肉は打撃を吸収してくれるからさ。ヒーローとしても悪くないことだよ」
「あいつガリガリじゃない」
近藤は青木を親指で差した。
「まあね」
「あんた、怪人の打撃で死ぬってよ」
「え、なに?」 青木はとぼけた返事をした。
「ガリ男が。聞こえてたくせに……」
近藤は呟きながら、急に歩く方向を変え、駅から大通りを挟んだ向かいの百貨店に入った。
三人は本屋に向かった。この百貨店には、かなり大きな本屋が入っている。
文具、一般書、漫画・参考書で階が分かれていて、近藤は一般書の階をズンズンと進んで行った。
「探してる本でもあるのか?」
白井が近藤に聞いた。
「ここ何屋だと思ってんの?」
近藤は尤もな返答をした。
彼女は言った。
「あれだったら、好きなとこ行ってていいよ。ほらあそこ、巨乳が歩いてるわよ」
「ホントだ」
「『ホントだ』じゃねえよ」
「俺、漫画見てくるね」 青木が言った。
「行ってらっしゃい。あんたは?」
「俺は雑誌でも見てるよ」
「終わったら呼ぶわ」
それで、三人は別れた。
白井は文庫本を見て、雑誌コーナーに行って、ファッション誌音楽誌スポーツ誌と見て回ったが、直ぐに飽きた。
フロアをぶらつきながら青木か近藤を探していた。多くの人が行き来していた。
こんな時代にも、紙媒体は見捨てられていない。古い物が即ち良い物だとは思わないが、そんなに悪いわけでも無いってことだ。客たちは誰かの渾身の作品を握り締めていた。
近藤を見つけた。芸能・カルチャーのコーナーに居た。
白井は声を掛けた。
「なに見てるんだ?」
「え? ああ。ね。ちょっと……」
近藤が手にしているのは、若手俳優の写真集だった。題名には 『木巣 眠兎1st写真集 ~君の恋人に、変身!~』 とあった。
今話題になっている、戦隊物俳優の名前だった。彼はこれ以上ない乳白色の歯と、見栄えのする肉体を露わにしていた。
「この俳優が好きなのか」
「いや、好きじゃないけどね……」
「そうなの?」
「まあ、社会勉強にどうかなと思って……」
その時だった。
「あ、じゃあそれいいですか?」
白井の横から声がして、髪の長い女が顔を覗かせた。
二十代そこそこで、地味をひとかたまりにしたような女だった。
「それ、欲しいんすけど……」
近藤は突然現れた女を、訝しげに見やった。
「え、誰あなた。ちょっと待って」
「買わないんですよね。 よっしゃ、じゃあ私が買いますので……」
「いやいや、好きじゃないって言っただけで、買わないとは言ってないから、マジで」
写真集は最後の一冊だ。
謎の女は手を伸ばし、写真集を受け取ろうとしたが、近藤は絶妙な距離感でそれをかわしていた。
「あれだから、買うやつだから」
近藤は言った。
女は食い下がった。
「でも好きじゃないって。私は大ファンだから、熱意が買いたい気持ちは強いですし、好きじゃない人に買われたら眠兎さんが可哀想だし」
「違う違う、あの……。頼まれたやつだから」
「誰にですか?」
「姉に」
「何でお姉さんはファンなのに自分で買わないんですか?」
「あのー……。刑務所に入ってるから」
近藤が意地でも手放さないので、女は不満そうにしながらも、諦めて去った。
後には無表情の男と女が残った。
白井は言った。
「それ、買うの?」
近藤は言った。
「買うけど」
それで、二人はレジに向かった。
近藤はレジで写真集を出し、自分の財布を取り出して、中を見て、白井のほうを振り向いて、言った。
「ごめん。お金貸して……」
「いいよ」
会計を終えて、青木を迎えに行った。
青木は、可愛らしい女の子が表紙の漫画本を二冊持っていて、付録付きか無しかで迷っていた。
近藤が急かすと、焦った様子で青木は、付録付きの方を買った。
三人でどこかで食事でもしようかという話をしながら、百貨店を出た。
青木が用があるというので、家電量販店に寄った。
家電量販店のでかいテレビを見ると、ワイドショーがやっていた。
丁度芸能のニュースがやっていて、スタジオでは良い大人が寄り集まって他人の恋愛に上気していた。
薄汚れた赤い字でテロップが出ていた。
『人気俳優〝木巣 眠兎〟堂々交際宣言!』
青木がゲームとパソコンのパーツを買い、電気店を出た。
三人でカレー屋に入って、汗だくで食事を済ませた。
帰りにコンビニに寄ると、近藤は買ったばかりの写真集を店外のゴミ箱に捨てた。
白井は何か声を掛けてやろうと思ったが、特に言葉が浮かばなかったのでやめた。
近藤と別れ、青木と共に、寮までの山道を登った。
半ば辺りで遠くから大きな地響きが届き、足を止めた。
今日は多分、山の向こう側で、巨大ロボが巨大怪人をやっつけているのだろう。