恋文は枯れ草色の拘束
「ちょっと……」
帰り支度をする白井を呼び止めたのは、近藤(魯李珍)灰子だった。
「ビックリした。なに?」
白井は彼女の方に向き直った。
近藤は何かを疑っているような、もしくは見下しているような表情をしていた。
しかしそれはいつものことで、本当に見下しているわけではない。
白井はそんな彼女に対し、外面的な印象にに囚われないようにと心がけていたが、だからと言って好印象に変わるわけでも無かった。
ところがこのとき、近藤の表情や態度はどこか虚ろで、無意識に服の裾に付いた無意味なボタンをいじくり回したりしていた。
「なんだよ?」
「なんでもないけどね。暇でしょ?」
「まあ、そうだな」
「哀れね。この2メガバイトの肉団子が」
「え?」
「しかし、もしもあんたが哀れな2メガバイトだとしても、ただの肉団子じゃないってことは認めなければならないわよね……」
「そうか。ありがとう」
「2メガらしい答えね。ところで、あんた本当にヒーローを目指してるの? 本気で?」
「ああ、そうだよ」
「へー。ちゃんちゃら可笑しいわ。ところで、この『ちゃんちゃら』ってどんな意味か知ってる?」
「知らないな」
「私も知らない」
「そうか……。で、何か用?」
「何か用って? 用があるから話しかけたんでしょ? それとも、私は無駄口聞いちゃいけないっていうの?」
「いや、そういう意味じゃ……」
「全く、この少しの回り道も許さない遊び心の無さが、この国の男の文化的未熟さを見事に証明してるわよね。国会議員は原則女にするべきだわ。日本の政治は武力より交渉力や決断力が必要なんだから、あんな肥えた二世坊ちゃん議員たちをのさばらせて置いてもこっちの迷惑ってもんよ。ところで、ラブレターもらったから付いてきてくれない?」
「え? なに?」
近藤はポケットから便箋を取り出した。
「これもらったから……」
彼女の手は力が入り過ぎ、便箋は“くの字”に歪んでいた。
白井は、こんな風に用事を切り出し方をされたのが初めてで、便箋を見たまま返答に詰まってしまった。
「この二世議員が!」
業を煮やして、近藤が声を上げた。
白井は面食らって、何とか言ってなだめなければ思ったが、近藤はいつに無く取り乱していた。
外で白井を待っていた青木が教室に戻ってきた。
「どうしたんだよ」
「いや、近藤が……」
「チクってんじゃねえぞこの豚高出身が!」
「そう怒るなよ。手紙見せてみなよ」
「手紙って?」
「近藤がもらったって……」
気付くと、近藤は手紙を丸めてゴミ箱に投げ入れていたので、白井はそいつを取りに行った。
「読むよ?」
席に戻ると、白井は青木と一緒にそいつを広げて見た。
手紙は汚い手書きで、こんな内容だった。
『Diar ロイちゃんへ・・・
こんにちは。あ、こんばんはかな? テヘへ。ブヒブヒ!
突然ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。
もういっそのこと踏んでください……。
僕は、しがない浪人生です。本当です。
間違っても怪人じゃありません。
ただの、恋する浪人生です……。
僕はこれまで、ロイちゃんのことを想いながら手紙を千三百通ほど書きましたが、
勇気が無くて出せませんでした。
でも保管してあるから、要望が有れば全部送ります!
ちり紙にでもしてもらえたら、ペンダコを破裂させた甲斐があるってものですブヒ……。
本題ですが、僕はロイちゃんに一目惚れをしました。
ハートが荒縄で縛りつけられた思いです。
僕たちはお似合いカップルになれると確信しています。
今はダメでも、必ずロイちゃんの気に入る男になります。
むしろ調教してください!
決して怪人ではありませんが、並の人間共よりはタフな自信がありますので……。
今日の午後五時に、ケツ岩の前で待ってます。
ただの、しがない浪人生より。』
「どう思う?」
近藤が後ろから感想を聞いた。
「怪人っぽいね……」
青木が答えた。
白井も同じ感想だった。
「こういうのって、無視して良いもんなの?」
「そうだな……。とりあえず、見に行ってみようか」
「ケツ岩って南門から真っ直ぐ行ったところの岩だよね?」
「ああ」白井はバッグを持って立ち上がった。「とりあえずさ、近藤。俺たちが、こいつがどんな奴なのか先に見てくるよ。怪人だったら罠かもしれないし……。ここで待ってて」
そう言って、白井は手紙を近藤に返した。
近藤は手紙をゴミ箱に捨てた。
「じゃあ、お願い」
彼女は言った。
……
もうじき五時になろうとしていた。
白井と青木の二人は南門から出て、町を見渡せる急勾配な丘を抜けて、ケツ岩の付近まで来た。
黄色い空が、全ての些細な草花をロマンティックに染めている。風が山を揺らす。
白井は、尻の形をした大きな岩が見える手前の角で、青木を静止した。
雑多な草と樫の木。そこから覗くと、確かに岩の前には誰か立っていた。
「何も知らないふりして、あいつの前を通り過ぎてみようか?」
白井の提案に、青木は黙って頷いた。
二人で、何気なく歩き始めた。
五十メートル先、大柄な男が立っているのが見えた。
あいつ、裸なのかな? 白井は、そう思った。
彼はこのときになって、黙ったまま並んで歩く自分と青木がとても不自然なんじゃないかと気付いたが、今更引き返すことも出来ず、黙々と歩き続けた。
岩の近くまで来た。
そいつの前を通り過ぎようとした。
歩いているときから……いや、手紙を見たときから感付いていたが、その男は怪人だった。豚の容姿をした怪人だった。
その異様な姿を目にしてしまったら、無視して通り過ぎるのは容易じゃなかった。
怪人は背丈二メートル近く、恰幅の良い腹を曝け出し、体を縄で縛られていた。
縄は怪人の体を締め付け、手足を拘束していた。
「あの、大丈夫ですか・・・?」
思わず、白井は声を掛けた。
怪人は白井を無視した。
「怪人の方ですよね」
「……」
怪人は口を開かない。
「ハムか何かの怪人なのかな」
青木が言った。
「ああ、なるほど……。すみません、ちょっと失礼……」
白井は携帯電話を取り出し、怪人の写真を撮った。どんな男だったか、近藤に見せてあげないといけない。
「撮るなブヒー!」
怪人は白井たちを威嚇した。
しかし彼は縄で拘束されているので、ぴょんぴょん跳ぶ以外に出来ることはなかった。
白井は数枚写真を撮り、満足すると青木に言った。
「じゃあ、行こうか」
「そうだね……」
白井と青木は、近藤に結果を報告するため、学校へ戻ろうとした。
「あ、待って」
「うん?」
何かを思いついた様子の青木がケツ岩の方へ引き返した。
彼は無抵抗の怪人を押して倒すと、そのままゴロゴロ転がして丘から落とした。
「景観を損ねるからね」
転がってゆく豚を見ながら、白井は、青木って案外残酷な奴なのかもしれないと思った。
空は赤黒く変わり、いつもと同じ夜が訪れようとしていた。