戦闘は藍色の憂い
長いこと同じ教室、同じメンバーで授業を受けている。
景色に新鮮味は無くなり、座席は暗黙の了解で固定されている。
話し声、物音、音、音、音。エンジン音、爆発音、脳内で生成された音、音。全ての音を山の静けさが包み、今日の平凡な授業の開始を予感させる。
ヒーローを目指す学生の一人。白井大海原は思った。
ヒーロー学校に入って数ヶ月。もう年を越さんとしているが、こんなにもヒーローとしての自覚が持てていない自分に、唖然とすることがある。
それは迷いだった。ヒーローとしての、いや、それ以前の迷いが出始めていた。
戸が開いて、教授が入ってきた。
本堂という初老の教授だ。
彼の後から、数人の青年が続いて入ってきた。
教授は教壇の横にその五人を立たせた。
「皆さんおはようございます。えー、今日は皆さんのために、現役の戦隊の方々が来てくれました」
こんなことは初めてだ。現役の戦隊ヒーローに会うこと自体、初めての経験だった。
無意識に生徒たちは姿勢を正し、死語はピタリと止んだ。
教壇の横に並んだのは男四人と女一人、歳は皆二十代前半から半ばに見える。彼らは、おそろいの派手なジャージを着ていた。
一番左端に立っている男が突然、スポーツマンらしい複式呼吸で自己紹介を始めた。
「俺はジャガイモ・イエローこと、相田ポテ斗だ!」
ポテ斗は胸の前でガッツポーズを決め、真っ直ぐな瞳で生徒と向かい合った。
ポテ斗の挨拶が終わると順番に、それぞれの挨拶をして行った。
「おいはサツマイモ・パープルこと、薩摩大吉でごわす!」
軽く180センチは超える大男だ。
「僕はサトイモ・グレーこと、佐藤ヌメ男です!」
好青年に見える男。
「俺はヤマイモ・ホワイトこと、山本ヌメ彦だよ!」
知的な感じの男。
「私はナガイモ・ザ・ホワイトこと、長山ヌメ美ですよ!」
気が強そうだが美しい女。
『我ら、五人揃って、ホクホク戦隊・芋レンジャー!』
耳をつんざくような合言葉を放ち、芋レンジャーは完璧なポーズを決めた。
芋レンジャーの一糸乱れぬ一連の動きを見守った生徒たちは、束の間沈黙した後に拍手をした。
白井は、「ホクホクって言うよりネバネバ系が多いな」と思いつつも、恥じらいを見せずに一連の動作を決めてみせる先輩たちに、格好の良い信念のようなものを感じた。
拍手は小さな波を越した後、やがて静まった。
「さて……。今日の授業は、せっかく現役の方が来てくれたので、リアルな現場の話を聞きましょうか」
教授がポテ斗にアイコンタクトを送った。
「まずはポテ斗君に、現場の厳しさや注意点を話してもらいたいと思います」
「はい。話しマス」
ポテ斗は誰にも聞こえない程度に、軽く咳払いした。
彼は、全く負い目なく、弱気も遠慮っ気もなく、まさに堂々たる態度でその話を始めた。
「戦闘の現場は、少しのミスが文字通りの命取りとなる。日々多くの戦隊が戦いに出向いて、少なからず何らかの傷を負って帰ってくるんだ。みんなも、厳しい訓練で怪我を負う事もあるだろう。訓練では怪我に対して、最低限のサポートがされているが、戦場ではそんなものは無い」
誰もが真剣に耳を傾け、頷いたりしている。
ポテ斗は続けた。
「しかし、ヒーローに怪我を嘆いている暇は無い。我々は正義の奴隷だ。ならば、あやふやな主人に従うな。己の正義を確固たる物にして、それを全うすることこそが、即ち自分を守ることに繋がるんだ。不要に揺らいだり躊躇してミスを犯さない為の、精神の礎となる。それはとても大事なことだ。例えば……」
ポテ斗は自らの言葉通り揺らぐことなく、真っ直ぐにメッセージを投げてきた。
白井は、これこそが自分が望んでいた授業なのではないかと、密かに心拍数を上げた。
「例えば、戦隊の特色は様々で、うちで言ったら芋を前面に押し出している。芋は俺たちの信念だ。芋を信じることが、俺たちの結束や強い精神を作り出している」
なるほど。戦隊物に与えられたそれぞれのテーマは、チームの結束をはかるために設定されているのかもしれない。白井はノートを取った。
ポテトの話は続いた。結束がいかに大事かについて、彼は話し続けた。
実のある授業だった。今まで、個々のスキル向上をメインに考えてきた生徒たちには、新しいアプローチだった。
ポテ斗の話がひと段落したところで、白井は手を上げた。
「はい」
ポテ斗は白井に気付くと、その真っ直ぐな目線を寄こした。
「そこの胸板の厚いきみ。なんだい?」
「私は白井大海原といいます。みなさんの芋を信じる心は、どうして養われているのでしょうか」
「そうだな。例えば」
ポテ斗は皮手袋を外して、中を乾かした。
「芋を使って、美味しい料理を作ることだね」
「ありがとうございます」
思った回答と違うな。と、白井は思った。
料理というものが、ヒーローのイメージに合わなかったのかもしれない。
しかし、男だから、ヒーローだからといって家事をしない時代は過ぎ去ったのだ。きっと、自分の考えがが古いのだろう。そう思い納得した。
白井はノートに、『料理』と記した。
「では、他に質問はありませんか?」
教授が機転を利かせた。
それにより、生徒による質問形式の授業となった。
数人が手を上げた。
「では、寸多橋くん」
「はい。あの~」
寸多橋は言った。
「あの~。みなさんは~。週に~。何回くらい戦っていますか~?」
サツマイモ・パープルこと、薩摩が答えた。
「月一くらいでごわす」
「ありがとうございま~す」
白井はそれを聞いて驚いた。案外暇な仕事なのかもしれない。
いや、しかし、それだけ戦闘というものがハードなのだろう。
そうだ。格闘家だって、年に何回も試合をしないが、普段は暇をしているわけじゃない。トレーニングをしなければならないから。きっと、ヒーローはもっとハードだ。そう、月一で命を張るなんてこと、普通の人間には出来っこない。月一が暇だなんて思ってしまって、俺は全く、恥ずかしい男だぜ。
「売れっ子の戦隊は、だいたい週一で戦っています」
教授が補足を入れた。
芋レンジャーの顔が曇った。
あ、そっか。なるほど。白井は思った。暇だから呼ばれたのかな。
「はい」
次の生徒が手を上げた。
教授が指す。
「必殺技とか見たいです!」
おおー。と声が上がった。
気落ちしていたレンジャー五人は一転、嬉しいような恥ずかしそうな顔をした。
「いやあ、でも、受け手が居ないとなかなか難しいな」
生徒たちは残念そうにしたが、自分がその技を受けようと名乗り出る勇気ある者は居なかった。
白井は、最も間近で必殺技を拝める機会を魅力に感じていた。実際、手を上げかけた。しかし、その前に山が動いた。
「私が受けよう……」
「きょ……教授!」
本堂ヤマブキ教授が、一歩前に進み出て、眼鏡を外した。
教授は眼鏡を教卓に置くと、「フン!」と一発気合を入れた。
「ブチブチブチブチー!」
スーツのボタンが飛び、その歳からは想像もできない胸筋と腹筋が露になった。
教授は徐にシャツを脱いだ。体には幾多の修羅場を記した生傷が走り、それは人間の肉体というよりも、強靭な獣の皮膚を思わせた。
「これでも訓練は絶やしちゃいないぞ。全力で来なさい」
白井は、教授が改造人間だと言う、先輩たちの冗談を思い出した。
勿論信じてはいなかったが、その肉体には信憑性があった。
「分かりました。本堂教授」
ポテ斗始め、五人が上半身裸の教授に向き合った。
「五分ほどお待ちを! 『変身!』」
ガラガラガラ! 芋レンジャーは勢い良く教室を出て行った。
――― 五分後。
「トウ!」
生徒たちが波打つ教授の肉体を見飽きた頃、芋レンジャーが帰ってきた。
コスチュームが戦闘服に変わっていた。
「お待たせしましたぜ」
リーダーのイエローが凛々しい態度で言い放つ。
「それでは早速食らえ! 芋レンジャースペシャルコンビネーション 『嘆衰華仏!!』」
あ……あの技は!
白井は噂に聞いたことがあった。レンジャーの中には、世にも恐ろしい技を使う戦隊がある。
その技を食らえば、仏であろうと嘆き、衰弱してゆくほどの恐ろしい必殺技だ、と……。
レンジャー五人はフォーメーションに着き、それでも堂々と構えている教授を取り囲んだ。
いよいよくるぞ! 緊張感が教室を包んだ。
「第一の地獄! 『ポテト岩!』」
ポテ斗が叫び、熱々のジャガイモを投げた。
「アチチアチチ……」
あっ、効いている! 教授が、手で芋をガードしながら熱がっている! スーツを脱いだのが裏目に出たな!
強靭な肉体だが、熱さに強いわけではないのだ!
それを見てレンジャーが畳み掛けた。
「第二の地獄! 『サツマグマ!』」
大吉が後ろに回り込み、教授の背中に熱々のサツマイモを塗りたくった。
「アーチチチチ!」
効いている!! スーツを脱いだことが裏目に出ている!!
教授は背中に手を回しながら小躍りをしている。
「第三の地獄! 『サトイモ剣山!』」
ヌメ男がサトイモをばら撒いた。
それを踏んだ教授は転倒した。
「ひゃっ!」
効いてる!
「第四の地獄! 『ヤマイモの金棒!』」
ヌメ彦が、転倒した教授の顔にヤマイモを振り下ろした。
「イッテッ!」
効いてる!!
「第五の地獄! 『ナガイモからの便り!』」
ヌメ美が、とろろを教授の顔にとろーんと垂らした。
「な、なんだこれは……。あ、痒い痒い!」
火傷に打撲に痒み……。教授は、こりゃたまらんと、上半身裸のまま教室を飛び出した。
芋レンジャーの完全勝利だ。五人の顔は達成感に満ちていた。
白井は、芋の恐怖をまざまざと思い知らされた。
教授の居なくなった教室で、無言のまましばし生徒とレンジャーが必殺技の余韻に浸っていた。
その時、
≪ポンポンポンポーン≫
緊急放送のチャイムが流れた。
「お知らせいたします。先ほど、午前十時半頃、『心中戦隊・スーパーメランコリー』の、五人の遺体が密閉された車内で発見されました。集団での中毒死と思われます。今までの活躍を称え、一分間の黙とうを行います。――黙とう」
みんなで黙とうを行った。
レンジャーも仁王立ちのままうつむき、黙とうをしていた。
静かな悲しみが、教室を包んだ。
しばらくすると、授業終了のチャイムが鳴り響いた。
白井は帰り支度をした。