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夢国伊予咲の証言

人物名は普通には読めないとこだけかな振っておきます笑

伊予が27の時、彼の2人の弟子は国から追われる存在だった。そしてその時、2人の逃亡を幇助した人物がいた。それは、彼の親友の弟子であった。



それは小宵暦にして緑英47年、5月9日のことであった。

「リオ、東に燐敏(りんびん)を感じるわ。」

リオ・マーノは濃い水色の瞳をすっと閉じて、兵士たちの持つ戦闘エネルギーの源である『棺』から発せられる気のようなものーー燐敏を感知する。数百…いや、千は超えているであろう軍兵がこちらに向かってきているのが分かる。

早く移動しなければ、とリオは左手に携えた剣を強く握りしめ、傍らに座り込んでいる恋人に手を差し出した。

「立てるか?」

「うん…」

膨らんだお腹をさすりながら、草本(くさもと)桜里(おうり)は返事をする。立ち上がろうとした桜里だが、激しい陣痛がきたらしく、顔を顰めた。ひどく汗をかいている。

「桜里…もう少しの辛抱だ。そろそろ翠莱が来る頃だからな。」

桜里は黙って頷く。余裕のなさが窺える。今まで、2人で逃げ延びてきた。かけがえのない3人目の命を抱きながら…。

リオは桜里の辛そうな姿を見て決断をした。もう逃げることはやめようと。

「少し西に行けば、開けた土地がある…。そこで待ち伏せしよう。」

唐突な言葉に桜里は驚いてリオの顔を仰ぎ見た。

「大丈夫だ、俺が食い止めてみせる。お前はその子を…絶対に守り通せよ。」

リオの真っ直ぐな目を見て桜里は少し安心したように微笑んだ。2人とも思うところは同じであると、口に出さずとも感じられる何かに、奇妙な安らぎを覚える。

なんとしても、この子だけはー。2人が思うのはただ一重にそれだけだ。

リオは彼女をそっと抱き寄せ、その温もりを肌に記憶した。

その時、ザッという風音とともに、少年のような姿の少女が現れた。彼女・桔城(けつじょう)翠莱(すいら)は彼らの同期にしてチームメイトである。

「水を差してすまないね。」

「翠莱…!」

桜里はお腹が苦しいのも構わずに翠莱に駆け寄って抱きついた。身長はあまり違わないが、まだ11歳の翠莱の身体はその身長に不釣り合いな華奢さである。

「ランラン、ごめんね…。」

もともと桜里はチームメイトを巻き込むことを極端に嫌っていた。いつもだったらその呼び方を控えめに制する翠莱であるが、桜里の抱きしめる腕の力と膨らんだお腹の感覚に切実さを感じずにはいられなかった。

「君のためなら何でもする。」

翠莱のその言葉が本心だと知っているから、桜里は愛おしそうにそのままぎゅっと目を瞑った。

リオはその絵面に何となく複雑な気分を抱きつつも、黙ってそれを見ていた。

翠莱が桜里の身体をそっと離すと再び陣痛の波が来たのか、桜里が再び苦しそうな表情をした。「行くぞ」とリオは桜里の肩を抱いて歩き出した。翠莱もその後に続いた。

西に暫く歩くと、確かに急に開けた場所に出た。戦場にはもってこいの場所だろう。この頃には、桜里は歩くのも困難になってきていた。

「翠莱、桜里を頼んだ。」

リオはそう言い残し、2人を内側に入れた頑丈な膜状の結界を作り始めた。戦闘員の持つ特殊な能力の一つである。翠莱もまたその内側に結界を築く。これで外からは中の様子が見えない。続いて翠莱は出産の準備に取り掛かった。もういつ生まれてもおかしくはない。

桜里の出産が始まるのと、東軍との戦闘開始はほぼ同時であった。



何度も何度も、吹き飛ばされた身体は結界にぶつかって、それでも何度でも、リオは立ち上がった。後ろから桜里の苦しそうな喘ぎ声が聞こえる。もう無理だと思いたくなるその時に、その声が何度でも勇気を奮わせる。手にした長剣をぎゅっと握り直し、ぐっと膝に力を入れて…

「うおおおあああああああああっ!」

猛く吼えたリオの気迫に気圧された東軍兵を叩き斬っていく。

結界には手を出させない、絶対にーー。リオは再び真っ直ぐ前に切っ先を向けたが、あまりに敵の数が多い。おまけにこちらは1人だ。いくら何でも分が悪い。リオは口内の血を吐き捨てると、また結界に近付く兵士をなぎ払っていく。荒い息がこだまして、肺が苦しい。懸命に剣を振るったが、一瞬の隙につけこまれ脇腹を大きく抉られた。ドプッと自身の血が溢れ出すのが分かる。さらにその間に殴打をくらって張り倒され、こめかみを切った。ギラついた刃が見える。ああ、もう無理かもしれないーー今度こそそう思った時、それはそこにいた皆の耳に届いた。

赤子の、懸命に生きようとする産声が、リオにもそこにいた東軍兵にも一瞬戦いを忘れさせた。鼓膜を震わせて泣き続ける声、それだけが本当に唯一つ、この戦場に与えられた希望であった。その希望が、リオをもう一度立ち上がらせるのだ。



「生まれたよ、桜里君。」

結界の中、産声に安心したように、桜里は少し微笑んで見せた。

「男の子だ。」

翠莱は抱き上げた赤子をそっと桜里の目の前に差し出す。

「男の子…か。」

桜里はゆっくりと目を閉じ、そして強い意志を湛えてもう一度目を開けた。

青里(あおり)…青里がいいわ。」

「青里…君。」

きれいな蒼色の瞳をした赤子を覗き込みながら翠莱は呟いた。すると今度は、桜里が苦しげに言葉を紡いだ。

「翠莱…この子を連れて逃げて。」

その言葉を、覚悟していなかった訳ではない。それに、もし彼女も連れて行ったとしたって、リオを見捨てることになるのは分かっているし、自分が逃げ切れるとも知れない。リオと共闘するにしても、今の桜里の体力を慮れば、母子を安全な場所まで逃がすことができるとも思わない。つまり、翠莱に残された選択は一択だ。それでも、彼女は迷いを捨てられなかった。動けない翠莱の腕に、やつれた顔で桜里は赤子を抱かせる。

「行って、翠莱。」

桜里は長期の逃亡生活でボロボロの姿になりながらも、尚も凛とした美しさで翠莱を諭した。

バンッと大きな音がして、そちらに目を向ければ、リオが血まみれの身体を結界に打ち付けられた姿が目に入る。その背中は、再びフラリと立ち上がる。

「行って!早くっ!」

桜里の必死な叫び声に気圧される。翠莱は赤子をぎゅっと胸に抱き、神速と謳われるその足で結界から飛び出した。

リオは、その後も1時間程ねばり、結界を守り続けた。ようやく2人が捕らえられたのは、あたりに広がる血溜まりが夕焼けに照らされる頃であった。



夢国(ゆめぐに)先生!」

城の下で掠れた声を振り絞って叫ぶのが聞こえたのは、午前10時頃のことであったと思う。

「夢国先生!お願いします!助けて下さいっ!…助けて下さいっ…夢国先生っ…!」

その悲痛な叫び声に、伊予こと伊予咲(いよさく)は急いで表に出た。

そこには、びっくりするほどボロボロになった弟子のチームメイトの姿があった。片膝をついたまま、立ち上がることは出来なそうである。

「翠莱…!?」

「先生…っこの子を…」

胸に大切に抱いていた毛布のくるみを翠莱がこちらに差し出す。誰の子かなど、聞くまでもなかった。

「お願いします、この子を、匿って下さい…!」

それまで精巧な人形のようだと内心思っていたほどに無表情であることの多い彼女の、そんなにも切なる表情に、伊予は驚きを隠せなかった。

「当然だ、翠莱、俺の…弟子の子を、よくここまで連れて来てくれた。」

翠莱は地面に視線を向けて「身に余ります」とだけ言った。実は、既にリオと桜里が捕縛されたことは情報として伊予の元に入ってきていた。だが、このタイミングで彼女に告げられることではない。

「侑!赤子を頼む!」

玄関から出てきた妻の侑に赤子の処置を任せる。幼い我が子の影千代(かげちよ)は玄関の引き戸の後ろからこっそりこっちを伺っている。

改めて視線を戻すと、翠莱はボロボロだった。大きな外傷はないものの、至る所に小さな傷を負い、全身土埃にすすけ、明らかに体重が落ちている。掠れた喉からヒューヒューという音と共に、荒い吐息が続く。

「9日に…生まれました。名は青里、です。」

つまり、丸3日経っている。彼女は3日3晩飲まず食わず、一時も休むことなく走り通して、追手を振り切り命からがらここまで逃げて来たのだ。以前から華奢であったが、更に3,4キロは痩せたように見える。たったの1滴の水すら含まなかった喉は灼けるように渇き、言葉を発すのもギリギリの状態だ。

「赤子には…草の滴を時折飲ませました。脱水症状などになっていなければ良いのですが…。」

「それより自分の心配をしろ。すぐに処置を…」

伊予の言葉は彼の後ろに現れた人間によって遮られた。

「なっさけねーなぁ、翠莱。」

その声に条件反射のように見開かれた翠莱の目が仁王立ちの男に向けられる。

「…師匠っ…」

風苒(ふうぜん)(あきら)は、その前日から夢国の城に泊まっていたのだ。伊予はこの時は偶然だと思っていたが、今思えば彰は分かっていたのかもしれない。

「俺の弟子ともあろーものが、こんなボロッボロになって、なっさけねぇ。」

「…っ…すみません…」

いつもだったら反抗するところだが、翠莱は悔しさを滲ませた表情で、小さな掠れ声で一言だけ謝った。

「おい彰、そんなこと言ってる場合じゃっ…」

伊予が口を挟もうとするのを彰は制して言った。

「リオと桜里は赤ん坊が生まれた後、捕縛された。」

「彰!」

翠莱は大きな目を更に見開き、そしてそのまま視線をストンと下に落として、言葉を失ってしまった。

「大事なもんを守れねぇのは、お前が弱ぇからだ。」

そんな翠莱に対して、彰は平然とそう言った。いつもは威厳など欠片もなくヘラヘラしている男だが、この日は厳しい表情をしていた。

「強くなるために、今何をすべきか。それだけを考えろ。考えて、行動して、結果で見せてみろよ。」

淡々と言う彰を睨むように、翠莱は鋭い視線を送る。だがそれは敵意ではなく、負い目なのだと、伊予にも分かった。

「…リオと桜里君を、助けに行きます。」

「バカ、そんな身体でっ…」

片膝をついたままだった翠莱が立ち上がろうとしたので伊予は慌てて止めようとしたが、次の瞬間翠莱の身体がぐらっと揺れた。伊予が咄嗟に支えに入ろうと思った時にはもう既に、翠莱の身体は彰の腕の中にあった。急に立ち上がろうとしたショックか、元々限界だったのだろう、翠莱は気を失っていた。顔色がひどく悪く、苦しそうに眉根を寄せて浅い呼吸を繰り返している。

「…んとに、こんなボロボロになりやがって…」

彰は小さな声でそう呟いた。翠莱を両腕に抱き上げて城の中へと入っていく。両の腕にすっぽり収まる翠莱の華奢さと以前以上の軽さに彰は驚いた。熱で火照った身体は服越しでも熱い。

「バカが…。」

抱き上げた腕にぎゅっと力を込めて彰は小さく言った。

「影、お前は彰の方手伝ってこい。空き部屋に案内して布団敷くくらいは出来るだろ?」

そわそわしている幼い息子にそう言うと、待ってましたとばかりに影は彰の入っていった廊下の方へ消えた。

「さてと。」

伊予は一つ吐息をつくと、この城を守護するための結界を張るという自分の仕事を始めた。リオと桜里が捕まった時点で赤子まで追う必要はないであろうが、念には念をいれようものだ。

彰の過剰なまでの厳しさは、長い年月を共にしてきた友人である伊予にも理解しがたいものであった。今回のような厳しさだけでなく、ちょっと意地悪なことを言ってみたり、それも翠莱に対してだけである。弟子に対して、そんな風に接するような男だっただろうか。なんとなくの違和感が伊予の心中を支配する。また、翠莱のショックを受けた表情や、悔しそうな表情も思い出される。他の人の前では基本的にいつも飄々としている彼女が、彰に対してだけは感情を露わにするのだ。変わった師弟だと、伊予はぼんやり思った。



翠莱が目を覚ましたのは明け方頃のことだった。暗い部屋の中、枕元の灯篭

だけが温かいオレンジ色で周囲を照らしている。左側に人の気配を感じながら、翠莱はゆっくりと瞼を押し上げた。

「おう、やっと気付いたか。」

「師匠…。」

翠莱はまだぼんやりとする意識の中で、彰の大きな手が頬を撫でているのが分かる。

「今は…」

「あぁ、4時くらいかな。」

午前4時ということは、翠莱がここに着いてから18時間近くが経っていることになる。その間この人はずっと様子を見ていてくれたのだろうか。

「水飲むか?」

そう言って彰は水の入ったグラスを差し出した。翠莱は黙ったまま少し上体を起こしてそれを飲む。

「まぁ点滴とかうったから、大丈夫だとは思うけど。」

翠莱は尚も黙ったまま、グラスを脇に置いた。

「青里は元気みたいだぜ。」

「…そうですか。」

彼女は特に感想を言わないが、言葉と共に漏らした吐息は安堵の色を帯びている。

「ほんと無茶すんなお前。」

ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて彰が言う。

「余計なお世話です。」

ようやく普段らしい返答をして、翠莱は顔を背けた。

「まぁ、そーゆーのは…、悪くないんじゃねーの。」

彰はさらっとそう言いのけ、翠莱はその意外な言葉に横たわったまま彰を振り向く。

「てかお前今細すぎ。もっと筋力つけねーといつまで経っても新技完成しねーぞ。」

「あと少しで完成しますよ。」

翠莱はムッとしたように言った。最近開発中の新しい走法の話である。後にその新技『春風』で彼女は神風翠莱として国内外に広く恐れられる存在となるのだ。

「兎も角お前はもちっと寝ろ。」

その言葉に、翠莱は再び瞼を閉じた。

穏やかな寝息が聞こえる頃になって、彰はふうっと溜息をついた。

少し乱れた布団をかけ直そうとすると、ふと彼女の白い首筋や鎖骨が淡い橙色に照らされているのが目に入る。

「これはやべーな…」

苦笑を混えるように小さく呟くと、彰は緩慢な動作で枕元に手をつき、そのまま身を屈める。そしてゆっくりとごく自然に、彼は翠莱の額にキスを落とした。

名残惜しそうに唇を離すと、はっとしたように彰は距離を取り、少し紅く染めた頬を掻きながら「何やってんだ俺は…」と呟いた。その後は、彼は何事もなかったかのようにまた平然と、穏やかに眠る弟子の傍らに座していた。



伊予は、それを襖の隙間から見ていた。というより、見てしまったと言った方が正しい。偶然に彼は翠莱の様子を見に来たのであるが、2人が言葉を交わしている中に何故だか割って入り込んではいけないような気がして、タイミングを計っていたのである。そういった気まずさのようなものを感じさせる微妙な雰囲気がこの2人にはあるのだ。

そして、伊予はようやく、この師弟に感じていた違和感に納得する答えを見つけたのである。この2人は師弟であるし、それ以上の決定的な関係などあくまで何も持たない。それは真実である。だが、この2人の持つ関係性を形容する時に、その関係性は師弟と呼ぶよりも、他の何かに近いものなのではないかと。恐らく本人達さえも全く気付いていない、その感情はーー。

恋だったのではないかと。

彼はそれに気づいた時、妙に腑に落ちたというか、ストンと何かが収まるべきところへ収まったような心地がしたのである。

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