七
グラバーが話し終えると、静かに静かに時間だけが流れていきました。誰も声を出しませんが、誰もが何かを考えているようでした。
グラバーの座った揺り椅子が、きぃきぃと低く響いているだけです。
アーツはじっと目を閉じ、がっちり腕を組み、アバンは厳つい顔をさらにしかめておりました。
やがてアーツが組んでいた腕を解き、遠慮がちにグラバーに向かって聞きました。
「グラバー様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか? この昔語りにはどのような意味合いがございますのでしょう?」
グラバーは揺り椅子をゆっくり鳴らしながら、閉じていた目を開き、冷めてしまったお茶で喉を潤すと、アーツを見たのです。
「昔語りは昔語りです。意味などない余興なのでございます。子どもたちがヨークス様の屋敷で暇を余さないように、私が勝手に作り上げたものばかりなのですよ。どこか気になったところがありましたか?」
アーツは言いよどみ、しかし、聞かずにはいられなかったのでしょう。
「気になったというか……なぜ、陽は月を、一緒に話していたかった月と、刻をずらすことにしたのだろうかと。月が満足したなら、また、ともに並んでおれば良かったのではと、そう思ったのです」
「おやおや、そうでしたか。昔語りは聞いた人の気持ちで、いかようにも変えることが出来ます。ノーツさんだったかしらね? あなたはあなたの昔語りを作ればよいのです。常に陽と月が並んでいる世界の昔語りがよいなら、そういうお話にして誰かに語れば、あなたの昔語りが生まれるのです。わたしは陽と月が刻をずらす話にしたかっただけ。そう、それだけなのですよ。陽と月が同時に浮かぶ世界さえ、本当にあったかどうかもわからないのですから」
それに納得したのかしなかったのか、アーツは再び腕を固く組み、無言の中に沈んでいったのでした。
「さて、次は何の話をしようかねぇ?」
無音の空気を破ったのは、やはり、しわがれ声でした。それに鈴のような声が即座に答えます。
「お空のお話の次だから、お山か海のお話がいい!」
リリィの要求はどこまでも果てそうにありません。
「おばあさま、お疲れになったんじゃない? 今日は途中のお茶も飲んでなかったわ。今日はこのお話だけでお止めになった方がいいんじゃないかしら?」
はしゃぐリリィをたしなめたのはルシェでした。
「なぁに、話すだけで疲れるもんかね。足腰が弱ったって、わたしは口だけは変わらず元気なんですよ。お屋敷じゃ何度でもいくらでも昔語りをしていたじゃないですか。今日は久々に聞き手が多くて、口がよくまわりました」
グラバーは目元をほころばせましたが、「けど、確かに少し疲れたかもしれません……」と、ルシェに答えた後、そっと目を閉じたのでした。
ルシェに流れてきたグラバーの感情は、満ち足りた安堵でした。その安堵の中に、わずかな寂しさが見え隠れしているようにルシェは感じたようでした。
ルシェは自身が抱いたことがある感情と似たものは、小さな波でもすぐにそれとわかるのです。グラバーから流れる寂しさは、なんとも切なさを帯びた寂しさでした。初めてアーツを見た時の孤独をまとった寂しさとは少し違った寂しさでした。
やがて、フルルが適度な熱さのお茶を、グラバーの器にいれかえて差しのべました。
「グラバーさん、今の昔語りを語り唄にしてもよいでしょうか? 私があなたに変わって子どもらに聞かせましょう」
グラバーは器を受け取り、すう、っと口をすぼめ一口飲んで、満足そうに微笑みました。
「ええ、ええ、そうしておくれ。お屋敷で子どもたちの笑い声を聞くのが、楽しみだったばあさんからの、土産代わりになるだろう。お前の唄で紡がれたならきっと子どもたちも、喜んで聞き入ってくれるだろうからね」
「では、今日はここまでにいたしましょう。語り唄の歌詞、それに陽と月、星の絵がここに浮かんでおります。忘れないうちにお屋敷へ戻ろうと思います」
フルルはそうして自分の頭をちょんとつついて見せたのです。
「そうね、今日はそうしなさい。ああ、そうそう、流れる雲と、寝ころんで月と星を見る子どもの絵も描くといいでしょう」
「はい、そうします。この昔語りには数枚の絵が必要なようですが、なにやら楽しみになっております」
二人はそんなやりとりをしながら微笑みあったのです。
そうと決まれば、早速器を片づけはじめるフルルでした。
器はどれも使い古されてはいても、欠けてはおりません。ただ砂のような色ばかりで、模様すらも描かれていませんでした。
フルルの手元を見ていたルシェは、ふっと部屋の中を見渡していたのです。
部屋にある色はリリィが届けた花冠だけで、家具は素の木目一色です。しかも壁一面の花冠は色あせているのでした。
「ねえ、リリィ、花冠もいいけど、切りたてのお花を活けた方が長持ちするんじゃないかしら?」
グラバーが花冠を捨てようとしないのは、リリィの心根への配慮というのは明らかです。
そうとは情読みの力を使わずとも明らかでしたが、言わずにはいられないというように、ルシェは恐る恐るリリィとグラバーを交互に、瞳に映しました。
リリィはきょとんと小首をかしげてグラバーを見つめます。そのリリィをブラバーは胸元へを引き寄せただけでした。
「そうそう、私、綺麗な花壺を持って……」
ルシェはそう言いかけてやめたのです。グラバーがルシェに向かい小さく首を横に振ったからでした。
同時に棘を持つ花を摘む時、棘が指に刺さったような鋭い情を、一瞬感じたのでした。
情が誰から流れてきたのか、なぜなのかがわからず、ルシェが情読みの力を集中させるため、鈍く瞳を光らせようとした時でした。
「リリィ、お前はどうするね? 一緒に横になって昔語りを聞くなら、残ってもいいんだよ?」
グラバーの一言で、ルシェにたしなめられ、お楽しみがなくなったリリィの曇っていた顔が、瞬座に輝きました。
「ルシェ様、そうしてもよろしくて?!」
リリィの甲高い期待に満ちた声で、ルシェの集中が霧散したかのように。
「もちろんよ。帰りにフルルがリリィの家へ寄って伝えてくれるでしょう。お母さんが迎えに来るまで、おばあさまと一緒にいるといいわ」
今流れ込んでくるグラバーの感情を、誰よりも紛らせることが出来るであろう存在に向かって、ルシェはそう答えたのです。