五
翌朝、ルシェの朝はフルルを大声で呼びつけることから始まりました。
「今日はリリィのおばあさまの家へ行く日なのに、着ていく服が見当たらないの」
「……ですから、昨日申し上げたではないですか。脇机の上に置いておくようにと」
今日もルシェの笑顔に振り回されそうなフルルの吐息が、朝日とともに伝わってきそうです。
「ノーツさんのお話しをしていたかしら? すっかり忘れちゃったみたい」
リリィというのはアーツに花冠をさし出した娘です。
リリィが幼い頃、庭園で子供たちに昔語りを聞かせるグラバーという老人がおりました。
まだ、フルルがルシェの相手に大半の時間を費やしていた頃です。
よちよち歩きだったリリィは、どの子供よりもグラバーに懐いたのでした。
いつしか、おばあちゃまと呼ぶようになり、花冠の編み方も教わります。グラバーの昔語りを聞きながら花冠を編むのが常でした。
そうして五年。
歳月はグラバーを老いさせ、リリィを成長させました。
やがてグラバーは家の外へ歩くことが難儀になり、屋敷へ来ることが出来なくなったのです。
そこでルシェがリリィに勧めたのが、グラバーに花冠を届けることでした。
たまにルシェも一緒にグラバーの家を訪れます。今日はちょうどその日なのでした。もちろんフルルもお供します。この日だけ、ルシェはいつもより少し短く歩きやすい洋服を着るのでした。
フルルが〈本日のお召しもの〉をそっとドアの隙間から差し入れます。それを受け取ったルシェに名案が浮かんだようでした。
「ねえ、フルル。ノーツさんも誘ったらどうかしら? ずっと屋敷の中だけじゃ退屈なんじゃないかしら」
それにはフルルも同意したのでした。
「そうですね。庭園ばかりで過ごされて、塞ぎの虫に取りつかれているのかもしれませんね」
フルルには昨夜のアーツがそのように見えていたのでしょう。
フルルは早速アーツを誘いに出向き、ルシェは着替えにとりかかるのでした。
朝食の席でルシェを見たルシファは、グラバーへの手土産と、お菓子の準備をはじめます。
「母様、今日はノーツさんもお誘いするの。だからいつもより少し多めにしていただける?」
「あらあら、それは楽しそうだこと。それで、何人の方がご一緒されるのかしら?」
聞かれてルシェは思い至ったようです。ノーツと一緒の旅人たちから流れてくるのは、両親やフルルから常に感じていたものと似ていたのです。そうして考えれば、ノーツが一人でルシェたちと出かけるとは限らないのでした。
「母様は情読みの力がないのにどうしてわかるのかしら?」
ルシファはそんなルシェを、あら? っという目で見たのでした。
リリィが今朝作った何個もの花冠を腕に巻きつけて、ルシェはリリィと手をつないで歩いています。フルルはさりげなく一歩後ろから二人を見守るようについていきます。その後ろにはアーツとアバン、さらに後ろに二人の護衛兵もおりました。
道ですれ違う人々は二人の少女とフルルの姿は見慣れていましたが、美しい青年と、長いあごひげの厳つい外見のアバンを、物珍しそうに眺めているようでした。
人々から流れ込んでくる奇妙という感情にルシェは耐えきれなくなったのか、クスクス、クスクスと声と肩を震わせてしまったのでした。
ルシェはヨークスと一緒にお城へも出かけていました。そこで様々な稀な人や、知恵者たちから、情読みの力について学んでいたのです。
『人の心はいくつもの感情が重なり合っており、その時、一番強い感情が流れてくる。負の感情も善の感情も、一つだけではなく複雑に絡まりあっている。時には本人さえ気づかず隠れているものが淀みを作ることもあるのだ』
知恵者に教えられ、ルシェは感情の意味が理解できさえすれば、楽しむことも出来たのでした。
「ルシェ様、おばあちゃまはびっくりしないかな? 知らない人が大勢で」
ルシェに対しリリィはどこか心配そうでした。
「だいじょうぶ。私がお話しするから。昔語りを聞いてくれる人がたくさんで、きっとお喜びになるはずよ」
ルシェはそういうとくるりと後ろを振り返り、アーツ一行に笑いかけました。
アーツは突然向けられた花のような笑顔を見ると、ぴくりと片眉をひきつらせました。それに気づいたアバンは顔をしかめることも、ルシェに笑い返すことも出来ず、こっそりとアーツの来ている上着を後ろから引っ張ったのでした。
そうこうしているうちに一行はグラバーの家に着きました。
「おばあちゃまー、今日はルシェ様もご一緒よ」
リリィはそう大声をあげながら、服の下から一本のカギを取り出しドアを開けたのです。
丸太を重ねたような造りの家のドアを開けると、お茶の香りがふわ~り、外にもれだしました。
リリィとルシェは中からの返事を待つこともなく、どんどん入っていきます。その後ろでフルルが、アーツたちに言いました。
「グラバー様はお足が丈夫ではないので、お出迎えは出来ないのです。少しの間、お待ち願えますでしょうか」
フルルはそうとだけ言い残し、やはり、ルシェたち同様に中へ入っていきました。
やがて呼ばれて家に入ったアーツは、いくつものお茶の香りで咽そうになり、白い布で口を覆い目に涙をにじませました。
お茶だと思った香りの正体はリリィが作った無数の花冠でした。
寝台の周囲には真新しい花冠がいくつも置いてあります。壁には乾ききって色のくすんだ花冠が整然と掛けられています。その中間――色が変わりはじめ、まだ湿りが残ったものは、食台や窓辺に並べられています。リリィは毎日グラバーに花冠を届けていたのでしょう。
「さあ、お掛けなさい。旅の方々が来られるのは初めてです」
様々な花の香が充満した部屋の中から、低く鈍い声が聞こえました。
若干顔をしかめ気味のアーツたちが、声に誘われ入った部屋の中心に大きな木のテーブルがありました。そこにはフルルとリリィが人数分の器を並べ、真ん中に置かれた大皿に、ルシファが持たせたお菓子や果物がつまれていたのです。
部屋の奥では、木目で出来た大きな揺り椅子に小さな老婆が座っていたのでした。