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  四

 一行が充てがわれた部屋は二部屋でした。

 旅人を装っていたのですから、異議の申し立てなど出来ず、アーツはアバンと一室で起居し、他の護衛兵は四人で一部屋を使っておりました。

 アーツたちはアバンを頭に行商をしながら、国々をまわっているのだとヨークスたちに説明していたのです。旅の途中で耳にしたサラエの庭園の、側近くまで来たついでに立ち寄ったのだとも。

 また、兵たちはアバンからアーツの名を、ノーツと改め、旅人らしく呼び捨てるよう強く言いつけられました。

「似た韻を持てば呼び違いもごまかせましょう」

 アバンの苦策にアーツも兵もようやく慣れてきた頃でした。屋敷での初晩は明るく闇夜を照らしていた月が、一筋の欠片のように細くなっておりました。

 屋敷中が眠りにつつまれた夜更け、アーツはむくりと起き上がると、部屋を出たのでした。 

 ですが、部屋からひっそりと忍ぶように出て行ったアーツの気配に、気づかぬアバンではありません。アバンは何事かとこっそりとアーツの後を追ったのです。

 庭園は深い闇に覆われておりました。新月すら見えない雲にかくれた、そんな闇夜でした。


「ルシェさま……あなたはいつもお幸せそうだ」

 アーツは陽の下で見たルシェの姿を思い出し、独りつぶやきながら、芝草のあたりをじっと眺めています。数え切れない陽菜の花で、花束を作っていたルシェが、笑いかける姿を思い浮かべてでもいるように。

 アーツは本来の背の高さまで闇にかくれてしまったかのように、しゃがみこみ背を丸めていたのでした。


 ――そういうアーツさんはだいぶお疲れがとれたようにみえますよ……


 誰もいないはずの闇の中にある芝草から、ルシェの声が聞こえた気がして、アーツはほう、っと、息を吐き出しました。 


 その時です。

 アーツの耳がカサリという衣擦れのような音を捉えました。驚いたように後ろを振り返ったアーツ。顔の見えない人影は片手に小さな灯火を持っておりました。

「ノーツさん、このような時間に何をしておられるのです」

 闇の中から聞こえてきたのは、聞きなれた涼やかな声でした。

「フルル様……私は……」

 アーツは相手がフルルと知り、少しだけほっとしたようでもありながら、返答に戸惑いの色がにじみます。

「いえ、とがめているのではありません。ノーツさんのように眠れぬ旅人は多いのです。私はそのような方から旅のお話しを、伺うことが好きなのです」

 フルルはアーツの傍らに立つと灯火をアーツの足元に置き、香る草の上に腰を下ろしたのです。

「旅のはな……し、ですか」

 それに応えられるような話題など、アーツは持っていません。ナーラの皇子であることを隠し、名前をノーツと偽っているくらいなのです。旅といっても常時兵に守られ国境までは馬に跨って、兵に手綱をひかれるままに進んできただけだったのですから。

 寡黙の殻に閉じこもるようにアーツは口をつぐんでしまったのです。


 フルルはその先を急かすそぶりはせず、やがて小声で闇にとけ込むような旋律を、口ずさみだしました。

 その声音と旋律がアーツの耳奥から胸の中へ、ゆっくりと沁みわたっていったようです。

 歌に聞き惚れていたアーツは、ほとりと一言、「ルシェ様はなぜ、いつも……」そうもらしてしまったのでした。


 途端にフルルの旋律はぴたりと止みました。

「お嬢様がどうかしたのですか? まさか、何かお気に障るようなことでもいわれたとか!」

 飛ぶ矢のように素早いフルルの反応、声の高さに、驚いたのはアーツの方でした。

「いや、そうではない。違うのじゃ、そういうことではない……のですが……」

 つい皇子の口調になってしまったアーツの語尾が、しりつぼみに小さくなっていきます。

「ま、まあ、たまに、お嬢様はたまに爆弾のような行動や失言をなさることがありますがけしてけして悪気があるわけではないのです」

 アーツの様子をどう受け止めたのか、フルルは必死の早口です。

 ルシェは他国の王をおばかさんと一蹴する娘なのです。付き合いの浅い旅人に粗相があったのかと、フルルは慌てたのでしょう。

「そういうことはありません。いえ、そうではなくルシェ様は、なぜいつもあのように朗らかに過ごしているのかと、ええ、それを考えていただけです」

 フルルの慌て様がアーツを落ち着かせたのでしょうか。今度は皇子口調も隠せたようでした。

「そうでしたか。ですが、お嬢様はお喜びでした。こちらにいらした頃はお淋しそうなお顔だったノーツさんが、最近はよくお笑いになるのだと。先程お休みになる前も、それは嬉しそうにそう言われておられました」

 もちろんフルルはルシェの力を知っていたのでしょうが、それを話すことはしません。

「ルシェ様がそのようなことを……です、か」

 アーツの胸に何やら波打つ熱が生じたようでした。

「フルル様、他には、他にもルシェ様は私のことを何か言っておられましたか?」

 アーツはそう意気込むと、詰め寄るようにフルルの華奢な肩を掴み、揺らしました。フルルは呆気にとられたようにアーツを凝視してしまったのでした。


「ノーツ、ノーツ! このような時間に何をしておるのだ!」

 そこに割って入った声はアバンでした。アバンはフルルが置いた灯火に向かって、真っ直ぐ駆け寄ってきました。

「申し訳ございませぬ、フルル様。この若造がなにやら無礼な事をいたしたようで」

 アバンはそう言いざまにアーツの腕を力いっぱいに引き、立ちあがらせたのでした。

「いいえ、私たちはただ旅の話をしていただけですので」

 アバンはフルルの引き留めに、「すみませなんだ、失礼いたします」そう一礼するなり、アーツを引きずるようにその場から立ち去っていきました。


「ノーツさんは何を聞きたかったのだろう……?」

 芝生に取り残されたフルルはそう首をひねってから、ルシェの部屋の隣室へと帰っていったのです。

 

 やがて居室へ戻ったアーツとアバン。

「皇子、もしや、あなた様は本気でルシェ嬢のことを……」

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