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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

傾国

傾国3

作者: まめ

グロい表現や残酷な部分がありますので、苦手な方やお子様はご遠慮ください。

 とても不愉快な気分だ。何故だか分からないが、周囲がとにかく煩い。一つではない多数の音が激しく僕の耳を打ちつける。木の板が折れ曲がる時に鳴くような音。勢いよく駆ける馬車の車輪の音。遠い記憶の中にある暖炉の薪が炎で爆ぜたような音。そして人が叫ぶ声。しかも大勢だ。それぞれが大きな音を立てて一斉に耳に襲い掛かってくる。

 傾く一方の国政に比例してか、近頃のスラムはひっそりと静まり返っている。以前であれば酔っ払い共で騒がしかった夜も今や葬式のようだというのに。それが何故にこんなにも騒がしいのだろうか。

 僕は余りの煩さに沈んでいた意識が浮上していくのを感じた。それはうつらうつらとした朧げなものだった。そうして徐々にそれが鮮明になってくると、僕は自分の体が小刻みに揺れているのを覚えた。

 寒さでまだ震えているのだろうか。そう思ったが、それにしては先程よりも温かい。それに自分の体が揺れているのではなく、何やら触れている地面が揺れているような気がするのだ。

 これは一体どうなっているのだろうか。

 

「助けて。助けて。熱い、熱い、ああああ」


 不意に僕の意識はおぞましい声によって現実へと引き戻された。

 大きな音が聞こえる。この王都の門が開く際に鳴る、あの迫力のある太鼓の音に似た。けれどもそれのように美しい余韻のあるものではなく、何かが潰れているような短く響く恐ろしい音。尋常でない大きさのそれは僕に途轍もない恐怖を与えた。

 その余りの恐怖に僕は息を飲み、それまで閉じていた目を大きく開いた。するとそこは見慣れたアパートの一室ではなく見たことがない小さな部屋の中だった。その部屋は上下にガタガタと揺れ、僕から見える左側には小さな窓があるのか、それに合わせたであろうカーテンが付けられていた。

 ふと手に触れた触り心地の良い生地に気付き、それが何かを確かめようともう一度触ってみればそれは温かかった。

 人の足だ。

 僕は誰かの足の上に頭を乗せて寝ているのだと、この時になってようやく気付いた。意識を失う前に見知らぬ男に貰った上質なコートも掛けられている。ということはこの足の持ち主は、先程の男だろうか。


「ああ殿下。どこかお辛い所はございませんか?急に意識を無くされたものですから、お目覚めになるまでは心配を致しました」


 上の方からそう喜びに満ちた男の声が聞こえてきた。彼は真実に僕のことを心配していたようだ。右手で僕の左頬を撫でながら安堵の溜息を大きく吐き、その目には薄らと涙まで浮かべていた。

 このように心配をされることなど、いつ振りだろうか。母が病んでからは、久しく無かったはずだ。存外に自分は愛情に飢えていたらしい。男は見ず知らずの他人であるというのに。一体ここがどこで、自分はどうなっているのかさえも分からないというのに。そんなことは、どうでもよいと思うくらいにこのことが嬉しかった。その心地よさのあまり僕は再び目を瞑り、男の為すがままに身を任せた。

 もう何も考えたくない。

 生まれ育ったスラムで、この瞬間も惨たらしいことが行われていたというのに。愚かな僕は考えることを放棄した。あれ程心配していた母のことでさえ、この時の僕は欠片も思い出さなかった。

 暫くすると急に複数の馬が嘶き、揺れていた部屋は前に押し出されるような衝撃と共に止まった。それから男は彼のすぐ横にあった扉を僅かに開き、外にいるのだろう誰かに声をかけた。


「どうした」


「は、閣下。お二人ともお怪我はございませんか?ゴミが急に馬車の前に飛び出して参りました。今、片付けております」


 男の問い掛けに別の男の声がそう答えた。それにしてもゴミが飛び出して来るとは、まるでそれが生きているかのような言い方だ。


「大事ない。急ぐとはいえ、以後は気をつけよ」


「は、申し訳ございません」


「ご報告致します。ゴミの撤去が終了致しました」


 別の少し年若いような男のやや緊張した声が聞こえると、外にいる男がご苦労と声を掛けた。


「では閣下、殿下。今しばらくの間はご容赦頂きますよう」


「詮無い」


「は、有難う存じます」


 出発せよと外にいる男がそう言うと、再び部屋が揺れだした。

 今思えば、あの時の僕はそれを見なければよかったのに。考えることを放棄したというのに、僕はどうしても彼らの言うゴミが見たくなった。嫌な予感はずっとあった。

 僕は男の膝から頭を上げて体を起こし、丁度背後にあった窓のカーテンをめくって外を覗き見た。

 それは地獄のようだった。

 あらゆる建物は火を噴き上げて燃え、その中では黒い人影のようなものが踊っていた。視線を下に移せば真っ黒になった人のようなものが、縮こまった姿でいくつも落ちていた。中には皮膚が大きく膨れ上がり、至る所から血を流して倒れているものもあった。轟々と燃える炎のおかげで、夜だというのにそれは驚くほど鮮明に目に入った。


「…………あ。あ、あれ。あ、あれは、な、な、なに」


 喉が引きつり、声が上手く出なかった。僕は外から目を逸らさず、男にそう問いかけた。


「ああ、いけませんね殿下。ゴミなどご覧になっても楽しくはないでしょう?」


 男は僕が開いたカーテンを閉じ、僕の視界を遮ると何でもないようにそう言った。


「あ、あれ、人……」


「ゴミです殿下。あなたがご覧になる価値もない、詰まらないものです」


 人ではないのか。そう言おうとした僕の言葉を男は遮り、言い聞かすような口調で再度そう言った。穏やかな笑みを浮かべた彼のその表情に、僕は寒さを感じていないというのに肌が総毛立つのを覚えた。


「おや殿下。顔色がやはり良くありませんね。もう少しお休みになられたらどうです?」


 男はそう言うと僕の頭を再び彼の膝へと導いた。恐怖に固まった僕の体は、いとも簡単に倒れた。


「殿下。あなたは、何も考えなくてよいのです。ただ私のすることに身を任せていればいい」


 僕は目を閉じ、今度こそ考えることを放棄した。非力な自分が何かをしたところで、この男に全ては握りつぶされるのだろう。僕はそう確信し、自分は何も見なかった。そう思おうと決めた。所詮は僕も自己保身だけが大事な薄汚い人間だった。 



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