憧れの彼女
プロローグ
「竹下くん」
隣の席の少女が席を立ち、頬にかかる黒髪を右手ではらいながら話しかけてきた。
「……鏡さんだっけ。鏡喩子さん」
この高校、すごく不思議な私立土瑠素学園一年C組に転校してきてまだ二日目。
教科書とノートは一通り揃えたものの、友達はいない。学内マップも把握していない。そんな新参者の僕に、授業終了後、気安く話しかけてくれる唯一のクラスメートが彼女だった。
彼女こと鏡喩子。
喩子と書いてゆずと読む。
僕の隣の変な名前のクラス委員長。
銀縁眼鏡の下、目を細めて笑みながら。
雪肌に真ん丸小顔、眼鏡に黒髪ツインテール。
決して自己主張が強くなく整った顔立ち。
何か話すたび、頬にぷにゅっと現れるえくぼがはっとするほどキュートで。
背は低いけど胸はよく成長しているD。
ぎゅっと濃縮されたフルーツにも似た。
席が隣だから好意で接してくれているのだろうけど。
そんなクラス委員長が笑顔をほころばせ
「三限の英語のプリント訳途中からだから、きみ、分かんないでしょ!! あたしのノート貸してあげよっか?」
と早口でまくし立ててきて。
「うん。お願い」
席を立っている彼女に、椅子に座ったままの僕が顔を上げて言うと。
「いいよぉ」
その白い頬にえくぼがぷにっと凹むのを間近で見せられて。
ドキリ。美少女にえくぼとか何この完璧さ?
ああ。その豊かな胸の膨らみが、彼女を見上げる位置にいる僕の視界に鎮座ましましていて。
まるで撹拌された乳の海から現れた天使のような……この学校に来たのも、きっと神様のお導きか何かか?
などと、今後のラブ&ハッピーな高校生活を夢想してしまうバカがここにいる、そんな放課後。
「おけぃ♪」
と、彼女が鞄から何かを取り出してきて。
「それって……もしかして……?」
僕は、ふと怪訝な顔を作った。
なんで、彼女がそんなの持ってるんだ……?
それは、表紙に変なキャラクターがいくつも書かれたノートだった。
そのキャラというのが、知らない人が(いや、知ってる僕でも)見たら「げげっ」と言ってしまいそうな代物で。
いきなりだが、それらをここで紹介しよう。
一.ウッキー・マウス&ウキキー・マウス
顔と不釣合いに目と耳と出っ歯が異様に大きく、棘付きの棍棒を振り上げるネズミのカップル。
二.ウナルド・ダック
某ロボットアニメキャラが着ていたような肌にぴちっとフィットした服に身を包み、グラサンをしてベレー帽を被り、巨大な浣腸器を持ったアヒル。
三. ヴァンヴィ
きらきらと引きつったサディスティックなお目々に、西洋騎士みたいな甲冑を着用。二本足で歩く鹿。右手に長槍、左手に盾を持つという武闘派鹿娘。
四・クマのブービー
宇宙服を着て自転車に跨り、赤地に黄色い目玉がデザインされた旗を背に差し、クレーターがあるどこかの惑星上を走る、片目に眼帯をした星のクマさん。
五.不思議のイタッチィ
「知恵」とか「勝利」と書かれた実が成る生命の樹を登る、耳と目鼻口、顔の各パーツが大きい妖怪もどきな赤いいたち。
こんな変キャラたちが勢揃いだ。
何を目指しているのかどれもよく分からない(特に二と三な)ブキュート動物のオンパレードである。
「きみってデスネーファンだったんだ?」
と僕が問えば、何か文句でもあるの? とでも言いたげに(でも、さほど威圧的にでもなく)、くりっとした両眼をしばたかせてこくん。
「ほら。ウッキーって超可愛いじゃん? それにウナルドって目がチャーミングで萌えるしぃ」
あの出っ歯のどこが?
あのやぶにらみのどこに?
……マジかよ。こんな純粋そうな眼鏡っ娘が……デスネーかよ……。うちのギャル姉と同じ趣味……?
ってことは、この清楚風クラス委員長も、この学園の他の連中と一緒の変わり者ってことなのか……?
ところで、デスネーというのは?
あの女子に人気の可愛い系キャラの代名詞的存在ディズネーの海賊版だ。というか、何がどうしてそうなったのか理解しがたいZ級バッタモンである。
本家ディズネーキャラとは似ても似つかわない代物で、いまだかつて盗作騒ぎなどは起こったことがないレベルの。
元は、匿名の絵師が雑誌に描いたパロディだった。
その描いた当人が不明なため、著作権がなかった。そのため、漫画やゲーム、Tシャツデザイン等にからかい半分で無制限に流用される羽目になり、地味にグローバルに普及してしまった。こんな変キャラたちでも、今や各国に数少なきファンを有し、ここ日本にも密かなブーム到来中というわけだ。
と言っても、こんなの知ってる人間って、ごくわずかだけど。
――なんで僕が知ってるかって?
前述のとおりだ。
うちのギャル姉(二十歳・専門学校生。一見遊んでる風だが意外とまじめな、垂れ目&アヒル唇茶髪ロング。隠れ巨乳でもあり、それを指摘すると「あんた、おっぱいが大きいあたしのことをバカだと思ってるでしょ!?」とか毎度屁理屈にもなってないことを言って殴ってくるから、それは間違っても口にしないようにしている。別に巨乳とは関係なく、僕が姉をバカだと思ってはいるのは内緒だけど)もデスネーファンだからだ。
デスネーのポスターを部屋に貼ってるって、前に言ってた。
それも、ウッキーとウキキーが二匹で棘付棍棒を構え、今にもバトル気むんむんって感じのやつを。
なんで、あんなものが好きなのか?
しかも、よりによってあんなポスターが。
我が姉ながら理解に苦しむ。
でも、クラス委員長も好きなんだよな。
女子ってたまに、男にはさっぱり理解できぬものを愛好する癖があるから、その一つだと思えば納得できないこともないけど。
「あ。そうだ。鏡さん、今日一緒に帰らない? 確か上向に住んでるんだよね? 方向一緒だし。僕、飯尾手だから」
「ありがとう。お誘いは嬉しいけど、今日は好きなバンドのライブが東京であって、それに行くから」
「そうなんだ。じゃ、しょうがない。また明日にでも。あ、僕、ちょっとトイレに行きたくなってきた。寄ってくる」
「竹下くん、じゃあね。ライブの会場時間に間に合いたいから、あたしもう行くよ!!」
そう言ってセーラー服の彼女が、机の上の鞄を肩にかけ、ぱっと走り出す。
他にも帰宅しようと席でがやがややっている生徒たちを尻目に、一目散に教室を駆け抜けていき。
彼女から借りたノートを鞄に仕舞い、ややして僕も席を立つ。
戻ってくるから鞄はいっか。手ぶらで教室を出て、トイレを目指す。
廊下に出たら、走り去っていったクラス委員長はすでに姿が見えなかった。
帰り支度中の生徒たちも、まだ一人も出ていない。
その誰もいない廊下を。
しゅおおおおおう……!!
そこには風一つ吹いてなかったのに、なぜかその時、何処からかそんな音が聞こえてきたのだ。
なんの音かは不明。スプレー缶から化学薬品が噴霧されるような、かまいたちが辺りを走るような。
耳鳴りでもしたのか!? と一瞬いぶかったけど、原因は特定できない。
後になって思えば、この学園内の不穏すぎる気配を僕の第六感が察知していたのかもしれない。と言えるのだが、その時は一寸繭に包まれたようで。
教室内で束の間、喩子さんとのやり取りに素敵な時間を過ごしたのに、廊下に出るなり、こんな怪しい雰囲気。
この学園ってやっぱ変だ。
昨日に続き今日もこれから、何か信じられいことが起こりそうな気がする。というか、絶対起こる。いやな寒感にドキドキしながら、僕はトイレに向かった。