後編
それから丸は住み込みの下働きとして屋敷に雇われた。
仕事は離れにいる夜澄の身の回りをミツノと一緒に世話すること。給金は悪くなかった。
衣食住を世話してもらって、そのうえで件の『姫の片恋相手』としての報酬もあるのだから、しばらく暮らしに困ることはないだろう。
母屋に呼ばれることは滅多となく、他の使用人たちも離れに近寄らぬため、丸はだいぶん砕けた――というより、崩れた態度で夜澄に接していた。
姫としての演技をしていないときの夜澄は年相応の子どもで、よく笑い、よく食べ、丸がかつて暮らしていた都のことをあれこれと聞きたがった。
姫と暮らしてきたというわりには裁縫も達者で、小さな竈も離れに設えてあるため、食事もミツノの交代で作り合っているという。
豪族に産まれた子どものわりになかなかどうして、たくましい様子だった。
おそらく、夜澄が姫のふりをしているのと関係しているのだろうが、丸は詳しいことを利かなかった。
踏み込む一線を間違えないのも、仕事には大事なことなのだ。
そう弁えていた丸だったが、ミツノのほうはお構いなしに屋敷の内情をこれでもかとぶち撒けてきた。勘弁してほしい。
丸の慌てぶりが楽しいのと、ようやく愚痴を言える相手ができたのが嬉しいらしいが、丸には迷惑な話だった。
夜澄は正妻の子であるが、次子であった。
当主は側室とその子である長男を眼に入れても痛くないほどにかわいがっており、溺愛していると言っても過言ではないらしい。
正室は政略結婚で嫁いできたのだが、その後に正室の両親が亡くなったことで後ろ盾が無くなり、正室のものになるはずの遺産がそっくり当主のものになったというのだから、きな臭い。
どうせ正室様のご両親を殺したのも当主だろう、とはミツノの段である。
さて、政略結婚で嫁いできたというのに、後ろ盾の実家を無くしてしまった正室がどうなったかといえば火を見るよりも明らかで、当然、当主には冷遇された。
当主がそうすれば、当主の怒りを買いたくない使用人たちもそれに習う他なく、正室はあれよあれよと言う間に離れに追いやられ、側室が母屋で正室面でいるという。
「私は当時からいる使用人から話を聞いただけですけれど、もう腹立たしくて!」
普段からは考えられない荒い所作で茶器を床に叩きつけるミツノに酒でも呑んでいるのか? と丸も出された器を傾けたが、酒ではなくただの白湯であった。
「ええ……? 酒でもないのにこんなんになるの……?」
「ミツノはいつもこうなんだ」
小袖に半袴の姿で、垂髪だった長い黒髪を後頭部でまとめて束ねた夜澄が涼しい顔で白湯を飲む。
離れの姫様には茶葉だってもったいない、ということらしい。
そっかー、いつもかー、と丸もそれに習う。
「溺愛している女の子どもを跡取りにしたいんだから、次子とはいえ正妻の子が男子だと、ほら、いろいろ問題が出てくるだろ?」
「それはまあ、確かに」
その問題は主に当主や側室側の問題であって、夜澄のせいではないだろうに。
「自分の子を殺されては構わん、と母様は産まれたおれを女子だと言って守ってくださった」
そう言って笑う夜澄に悲壮感などは微塵も感じなかったが、その夜、愚痴り足りなかったミツノに晩酌に誘われた。ちなみに拒否権はない。
茶器の中身は今度は正真正銘の酒だった。
「あんなんでも姫さまのお父上ですから? 姫さまの手前、控えてましたけれど? 本当に非道いんですよ、あのボンクラ。色に狂って眼を曇らせている奴とか手に負えねーんですよ。
甘やかされて育ったあのご長男様がこの家を背負っていけると本気で思っていらっしゃるんですかね? 思ってるんでしょうねー! 代替わりしたらすーぐ傾きますよ!
どーでもいい女が生んだどーでもいい子どもなんかのために用意する持参金がもったいねーとか思ってるくせ、持参金を用意できないとか思われくないし、だからといって姫さまがちょっとでもいい目を見そうな持参金がなくても構わないってやつの言う通りにもしたくないし。
面目大事の見栄っ張りの小心者の狭量の阿呆助なのです。屑で馬鹿者でうつけの間抜けなのです。
姫さまが死ぬまで飼い殺しにする気満々ですよね、アレは。
いっそ姫さまが死んでくれたら楽なのに〜とか思ってますよ、アレは。
だから姫さまの母上とその乳母がお亡くなりになったあとに、素性もろくに調べずにぽっと出の私を姫さま付きの使用人にしちゃうわけで。
ッカ~~~~! 地獄へ落ちろ!」
聞けば効くほど酷い内情である。
ミツノが夜澄の使用人になるまで生きていたのが奇跡とすら思えてくる。
「宴席の鉄だしで母屋に行ったときに、『美人薄命って言うからな』って笑ってたクソオヤジに殺意を覚えましたもの、私。拳を収めておくのにどれだけ苦労したことか」
「わはは、殴りかからなかったのは偉い。なら当主殿と側室殿は万年生きるに違いないないな」
「おほほ、たしかに。憎まれっ子世に憚ると言いますものね」
濁り酒を飲み干し、杯を乾かした丸にミツノが注いでくれる。
盛大に愚痴って、酒を呑んで、少しは溜飲が下がったようだった。
「夜澄の女房があんたになったのは不幸中の幸いだったな。
あんたは仕事をさぼるどころか、熱心に面倒を見ているのだから」
「――ええ。姫さまのお噂は私がお世話をするようになってから加速しましたからね」
「あんたも噂の一因だったんかい」
「姫さまの髪の手入れが楽しくて、つい。だって本当に長くて黒くて良い髪なのですもの」
濁り酒の入った徳利がすっかり軽くなったころ、ぽつりとミツノがこぼした。
「私が姫さまになぜ男の格好をしているのですか、とお尋ねしたら、あの方、喜んだのですよ?
『母様が言ってたんだ、お前が何を言わずともそうと気付く人ならぜったいあなたの味方になってくれますから頼りなさいって』言われるですよ? 『私のことをよく見ていた証拠だから』って。
な~んてことをまっすぐな眼で言われちゃ「違います」なんて言えないでしょう?!」
「わかる~。めっちゃわかる~。かわいげっていいうの? ああいう純真さを武器にされたら勝てねえもん。御母上すげえ分かってるよ~~」
よよよ、と泣き崩れる振りをしたミツノに丸がうんうんと同意を返す。
「勝てませんよね~。私たちのような薄汚れた存在は。
「いや、ちょっと勘の鋭い者なら誰でも分かります」なんて言えないですよね~」
「うんうん……って俺は確かに薄汚れてますけども。もしやミツノさんもいろいろやってきました?」
「ほほほ。できる使用人には秘密が多いものですよ」
ミツノがあからさまにごまかしたので、藪から蛇でも出てきたらたまったもんじゃない、と丸は黙って最後の酒を飲み干した。
そのうちに、男装――もとの男子の格好をした夜澄と狩りをしたり、釣りをしたり、町へ出かけて買い物をするようになった。
産まれてこの方、屋敷を出たことがなかったという夜澄は眼を輝かせて、あれはなんだ、これはなんだと質問を浴びせてくる。
質問責めになった丸は疲労させられたが、子守を頼まれたときのことを思い出して、律儀に教えてやった。
弟ができた気分で、楽しかったのもあった。
馬に乗りたい、といった夜澄に付き合って遠乗りに出て、翌日ひどい筋肉痛に呻く夜澄をミツノと一緒になって笑ったり(後日、笑った罰として甘味を作らされた。ミツノは作らなかった。解せぬ)、剣術を教えてくれと言った夜澄を裏山で容赦なく打ちのめして、ミツノに拳骨をいただいたり(頭が割れ得るかと思った)、と悪くない日々が続いた。
物心つくころには独りで生きてきた丸にとって一番心穏やかで、賑やかで、楽しい時間だった。
このままここにいられたら、と思ってしまうほどに。
しかし、丸はもともと姿を消すために雇われた『姫の片恋相手』だ。
いずれ近い内にこの屋敷を出て、いずこかに流れて行かなくてはならない。
そして、その日はやってきた。
丸の思っていたのとは違う形で。
それは春告鳥が春を連れてきてから数日後のことだった。
明後日には春の宴が催されると触れが出ていて、屋敷中が浮き足立ち、冬の間は離れにこもりっぱしで、もっぱら暇だと言ってばかりの夜澄に
「そんなに暇なら藁でも編んでいなさい!」
とミツノが大量に稲藁を渡してきて、ひぃひぃ言いながら夜澄がすべて縄や草履などに変えて(丸は編み方を教えてやったし、もちろん手伝わされた)、もうしばらく藁は見たくない、と愚痴った翌日である。
夜澄が寝入って、丸も寝ようと灯台の火を消そうとしていたときだった。
気付けばミツノが戸を開けて立っていた。物音は少しもしなかったし、気配だって微塵も感じなかった。
丸はおれ、上手くやってきたと思ってたけどこれから始末されるのかしらん、と覚悟を早々に決めた。
「丸様」
「はい」
「明日、消えて欲しいのです」
「なんでもしますから殺さないでください……」
丸の流れるような謝罪と土下座に、ミツノは眼を丸くしたあと、ややあってから吹き出し、声を抑えて笑い出した。
体をくの字に曲げたその様は、いっそ笑い転げたほうが楽であろうに、夜澄が寝ているがゆえの配慮であろう。
「ふ、ふ、ふ……。私の言葉足らずでございました。申し訳ありません。
明日の夜、厨仕事を頼まれているでしょう? それを抜けて巳の刻にこっそりと――宴の最中ですから人が来るなどありえませんでしょうが――姫さまのところへ。
姫さまと駆け落ちしてくださいませ。
明日の夜、報酬の残りと、私の自由になる金子もすべてお渡しいたしますので」
「駆け落ちって……消えるのは俺だけのはずだろ?」
ジジ……、と灯台の芯が焼け焦げる音がいやに耳についた。
もしや、夜澄が男と勘付かれでもしたのか――
疑問を投げつつも、丸の手はしっかりと馬の場所や警邏の人員や時間帯が書かれた文を受け取り、懐にしまう。
ミツノは笑った。
今まで見てきたミツノの笑い顔の中で一等嬉しそうな表情だった。
「実は、姫さまがご自身でお決めになられたのです。
この屋敷に自分を偽り姫としていれば衣食住すべて満ち足りたまま死ぬまで生きてゆけるけれど、自分は自由に生きたいと。
私に手入れされたきれいな手などいらない。貴方のような荒れた、無骨な手になりたいと。自分の力で生きていきたいのだそうです。
まったくもう。私が普段どれだけ心血をそそいで姫さまの手指や髪の手入れをしていると思っていらっしゃるのかしら!」
「仕様人殿の心、姫知らずだな」
「ええ、本当に」
憤慨したふりで頬を膨らませて見せたミツノは、しかしすぐに破顔する。
嬉しくて嬉しくて仕方がないのだという顔をする。
「ですが、それで良いのでございます。それが、良いのでございます」
一度見たら忘れるほうが難しいと感じる、そんな笑みだった。
***
翌日の晩。
屋敷は宴で盛り上がっていた。
太鼓や笛の音が風にのって母屋から離れた場所にまでかすかに聞こえてきていた。
前夜にミツノにもらった文に書いてあった通りに人の眼を盗み、屋敷を抜け出した丸は、夜澄とともに用意されていた馬が繋がれた場所へと歩みを進めていた。
丸の背には薬で眠った夜澄が背負われている。
明日、すべてのあらましを知った夜澄は泣くだろうか、怒るだろうか。
丸はミツノに渡された金子の重さをいちいち感じながらひたすらに歩いていた。
「どうか、姫さまのことをお頼み申し上げます」
ミツノに深々と頭を下げて渡されたのは、思っていた以上に重い布袋と、眠っている夜澄だった。
夜澄の長かった髪はすっかり短くなって、丸と同じように髷を結っている。装いも丸と似たりよったりの麻の小袖と袴で、高貴な生まれとは思われないだろう。顔の良さは似ているから、丸の兄弟と言っても通るかもしれなかった。
もう元服も間近だろうに、寝てしまうなんて幼子のようだ、と笑いながら丸は夜澄を背負ったのだ。
両手が塞がった丸の懐にぎゅうと、布袋が押し込まれる。
ずしりと重かった。
「これが後金と、わたくしが自由にできる金子のすべてでございます。
報酬は貴方様のもの。あとの金子は姫さまのためにお使いになってくださいね」
「わかった。おい夜澄、起きろ~、自分で歩け~」
幼子にするように揺すって起こそうとすればミツノに止められた。
「薬で眠らせましたから、明日までは起きませんよ」
「……? なにを」
「ここには決して戻りませぬよう。
今夜、あと数刻もしないうちに屋敷に野盗共が押し入ります。
男は皆殺し、女は犯したあとに殺す、畜生にも劣る、血も涙もない者共です。
酒にも食べ物にも薬を盛りましたので、じき宴も終わりましょう。
警邏の者達にも盛りましたから、姫さまも貴方様も追われることはございません。
離れの姫さまと貴方さまの痕跡は私が消しておきます」
「なんで、そんなことを、いや、そんなことどうでもいいから、行くぞ、早く逃げねえと」
「いいえ」
丸の言葉は毅然と拒否された。
ミツノの眼は静かだった。
まるで風のない日に見た、新月の夜の湖のようだった。
「……ミツノ殿は、いっしょに来ないのか」
「私は引き込み役でございます」
丸は理解などしたくなかった。
けれど、すぐに分かってしまう。
どんな堅固な砦であろうとも、内側から鍵を開ければ容易く開く。
「今までたくさんのお屋敷で働いて参りました」
ミツノが両の手を見下ろした。
言わずとも分かってしまった。きっと、ミツノの眼に映るその両手は血に塗れている。
「夜澄なら、それでもいっしょに行こうと……言うかもしれないぞ」
「そうかもしれませんね。おやさしい方ですもの」
ですが、とミツノは泣き笑う寸前の表情で夜澄を見つめた。
その眼は眩しいものを見る眼で、丸にはミツノの気持ちが痛いほどに分かる。
「姫さまにどのように言われても、姫さまのご家族の命を奪う手伝いをした私が共に行けるはずもございません」
「それくら構わんだろ。血しかつながってない、夜澄を厄介者扱いしてきた奴らだぞ。
それに、今からならいっしょに逃げられる――」
丸は口を噤むしかなかった。
顔を見れば分かってしまう。どれだけ丸が言葉を重ねても、ミツノの心を動かせやしないだろう。
ミツノの考えを変えるには夜澄の言葉が必要だが――夜澄は眠っている。
万一にも心変わりしないように、夜澄を眠らせたのだ、と合点がいって、丸は唇を噛んだ。
その唇にミツノが触れる。丸と同じような、荒れた指だった。働き者の手だった。
悔しさを噛みしめることすら許してくれないミツノを丸は睨んだ。睨むことしかできなかった。
「どうか、お体に気をつけてお過ごしくださいまし。
私のことなど忘れてお幸せに、とお伝えくださいませ」
丁寧な所作で、夜澄が頭を垂れる。
夜澄の長い黒髪を抱きしめながら、晴れ晴れと笑う。
ミツノと一緒にいけるのは、夜澄の黒髪だけらしい。美しく長い髪が、今は少しだけ憎たらしく思えた。
「私も姫さまに習って、自由を掴むために戦をしたいと思います」
それが最後だった。
夜澄を背負って、振り向かずに丸は歩く。
用意されていた馬は立派なあの屋敷の中で一番の馬と、その馬と一番仲の良い、賢い馬だった。
荷物を一方の馬にくりつけ、丸は良馬に夜澄と共に乗る。
賢馬はおとなしく、引かれるままついてきた。
ゆっくりではあったが、進めば進むほど屋敷の宴の気配は薄れていく。
月のない、物騒な夜だったが、丸は夜目が利くし、気配に聡い馬たちのおかげで丸達は順調に進んでいく。
馬たちがふいに耳を震わせ、後方を気にしたように足を止めかけたが、丸は馬たちをなだめて先を促した。
夜澄はすうすうと穏やかに寝息を立てている。
結わった髪も短く、化粧もなく、袴姿の夜澄を絶世の美姫などと言う者はもういまい。噂になった美姫は今夜、ミツノと共に死んだのだ。
明日、目覚めた夜澄は泣くだろう。
あの屋敷で唯一心を許していた存在を失って。
ミツノのもとに戻りたいと喚いて暴れるかもしれない。
それを考えると今から気が重かった。
だが、夜澄を説き伏せて、進まねばならない。
ミツノに頭を下げられ、頼まれたのだから。
渡された金子が懐にずしりと重かった。
「まったく、どうりで多すぎると思ったんだ……」
せっかくの忠告が無駄になっちまったぞ、と丸はもう届かない相手に愚痴を吐いた。
評価、ブクマ、感想に誤字報告ありがとうございます。
とても嬉しいです。励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします!




