前編
丸は根無し草であった。
だから、どこにだって行けた。
近頃はどこでも戦や小競り合いがあるから、足軽として雇われ雑用をしたり、荷運びをしたり、と仕事には困らなかった。多少、命の危険はあったけれど。
丸は生来の器用さを活かし、時には忍の真似事をすることだってあった。
しかし、今は都の喧騒とは無縁の、のどかな田舎にいる。往来を大勢の町人や商人が行き交う、活気のある城下町とは違って、牛や馬や鶏がそこらを我が物顔で闊歩する、どのつく田舎だ。
金さえ払えばなんでもする、という評判がた立ち、お得意様も増え、実入りが良かった城下町での生活を捨ててまで、この辺鄙田舎までやって来たのは、女性問題のためだった。
どこの生まれとも分からぬわりに丸は見目が良かった。ちょっと小綺麗にして微笑みかければ道行く女達が頬を染める程度には。
でもまさか、お得意様のひとりが溺愛している娘御にまで惚れられてしまうとは思わなかった。
「娘に色目を使いおって!」と激怒したお得意様から逃げ出して、丸は仕事があるかどうかも怪しい、この田舎にやって来ざるを得なかったのだ。
城下町にいたころの危険だけれど、実入りの良い仕事はないだろうが、野良仕事でも厨仕事でもなんでもやってやるぞ! そうやって生きてきたんだから! と己を奮い立たせ、あちこち駆けずり回って日銭を稼いでいた丸を、ある日上等な衣を着た市女笠の女が訪ねて来た。
「ぜひとも貴方様にお頼み申したい仕事があるのです。どうか、私の主人様にお会いしてくださいませ」
にこりと「以前の仕事振りを聞いて貴方様こそが相応しいと思いましたので」と笑う女に、これは大人しくついて行くか、さもなくば今すぐ逃げたほうがよさそうだ、と直感した丸の勘は正しかった。
「とりあえずお話だけでも。前金はこのくらいでいかがでしょう」
「伺います!」
ずしりと重い布袋を両手に抱いて、丸はおとなしく女のあとをついていった。
***
女はミツノと名乗った。
ずしりと重かった前金に釣られて連れて行かれたのはミツノの勤め先であった。周囲に比類できるものない大きな屋敷は、この田舎一帯を治めている豪族のものである。
以前に見た都の城よりは見劣りするが、それを補うかの如く庭が広い。厩があり、倉も建っていて、成功報酬の額がどれほどのものになるのか、考えるだけで胸が踊るようだ。
というか、そうやって金のことを考えていないと、にこにこと笑っているだけのミツノに感じている不穏に負けて逃げ出してしまいそうだった。
「楽になさってください、丸様。姫さまは口調が乱れているくらいのことを咎めたりはなさりませんから。
ねえ、姫さま?」
話しを振られた姫がこくり、と肯く。丸はできるだけ姫のほうを見ないようにするしかない。
ついて行った先は屋敷の母屋ではなく、庭に案内されることもなく、離れと思しきこぢんまりとした庵に通された丸はいきなりミツノの主人と対面することになり、さすがにうろたえた。
女の主人――姫は扇で隠していてもわかるほどの美貌を丸に晒していた。
普通、高貴な女性と御簾や几帳もなしに丸が対面することはない。稀に好奇心の旺盛な女が御簾の隙間から衣の裾か、髪の先がちらりと見せるくらいだ。ほとんどの女は丸の来訪を知らされていないか、屋敷の奥に引っ込んでいる。
だいたい、丸の依頼者は男がばかりで、いつも丸は庭に通され、平服し、高欄の向こうにいる依頼者の顔もまともに見ないことのほうが多かった。
とあるお得意様なんかは丸をいたく気に入り座敷にあげてくれたりもしたが――その先の悲劇を頭から振り払う。
兎にも角にも無礼があってはならぬ、と平身低頭した丸の頭を上げさせたのはミツノで、依頼内容を説明したのもミツノだった。
「俺……いえ、わたくしが姫様のお相手役ですか?」
「左様です。姫様は御覧の通りお美しいでしょう?」
ミツノの言葉にとまどいながらも肯くと、我がことのようにミツノは
「そうでしょう! そうでしょう!」
と喜び、喜色満面になって語りだした。
「見目麗しく、そのうえ心根もお美しい姫さまには、どこから聞きつけたものか、そりゃもう求婚の文が履いて捨てるほど、焼いて捨てるほど届きました。
あちらこちらの殿方から
「是非、我が妻に!」
「いや、私の妻に!」
「私こそが貴女に相応しい!」
などと仰っしゃり、屋敷の外に列をなすほどにございました。
おおかたは旦那様が追い払っていましたけれどね。文のほうは焚き付けにさせていただきました。お芋が美味しく煮えましたよ。
姫さまは波風立たぬよう、
「申し訳ありません。わたくしには心に決めたお方がいるのです……」
とすべての求婚をお断り申し上げて参りました。
ですが、はいそうですか、といかぬのが人間でございます。
数多の求婚者どもの中でも、ひときわしつっこいやつがおりまして」
求婚者どもって言った。どもって。しつっこいって。
だいぶ怒りとか苛立ちとか煩わしさとか鬱憤が溜まっていると見た。
「姫さまの相手をひと目見たい、相手を確かめぬことには諦めきれぬ、とそれはもうしつっこくて、しつっこくて。まるで長年蓄積された煤汚れの如きしつこさでございまして。
というわけで、お相手を仕立てることにいたしました」
本当に心に決めた相手がいる、とかではないらしい。
「それで、なんでその相手がわたくしなんです?」
「ふふ、お楽に、と申しましたのに。ねえ、姫さま?」
こくり、と再び姫が肯く。
これは命令だな、と丸は仕方なくあぐらをかく。
それで良いのです、とばかりにミツノが肯いた。
「顔が良いからです」
「顔が良いから」
鸚鵡返しに言う丸へミツノが笑みを深める。
「貴方様は流れ者で、なのに城下町の有力者にお目見えできる程度には腕が良く、そして一人娘が惚れて貴方となら家を出ても良いと言い出す程に顔が良い。田舎の芋男共には到底太刀打ちできません。
そして何より、金で動くのが良い。手切れ金をもらってすぐにこんな辺鄙な田舎に来るのですもの。依頼主はさぞ安心なさったことでしょうねえ」
「……お褒めに与り光栄の至りです」
丸は背筋をゾクゾクと震えさせた。
いったいどこまで己の過去を調べているのやら。
金はあればあるほどいい。いいが、前金に釣られてのこのことこのミツノのあとを着いてきたのは失敗だったのかもしれぬ。
「ふふふ、そのように固くならないでくださいまし。わたくしは貴方の過去を他言いたしませんし、もちろん、貴方も姫さまのことは他言無用でございますよ」
「それは、もちろん承知しているが……。
俺なんかが姫様のお相手が務まるとは思えんが?」
「あらまあ、貴方は姫さまの想い人役でございますよ。あくまで姫さまが片恋している、という体でございます。そこは勘違いなさらぬように。
顔だけは良い、風が吹けば飛ぶような軽薄な男に姫さまは弄ばれ、思わせぶりな態度を取られた果に男は行方も告げずに姿を消すのです。
哀れ、傷心の姫さまは恋などもう懲り懲りと引きこもり、生涯独り身をお貫きになる――。
ああ、なんて美しい物語なのでしょう――。
これで面倒な求婚など切って捨てることができます」
「なるほど、いい考えだな」
丸は感心半分、呆れ半分で褒める。
よよ、と鳴き真似をしたミツノは芝居がかった動きだったが、なかなか様になっていた。
するりと役者から使用人の顔へと変容したミツノがお粗末様でございます、と頭を下げた。
「しかし、ミツノ殿の考えは分かったが、そんなに上手くいくもんかねえ。
時期だって合ってないだろう? 俺はついこの間この辺に来たばかりで、姫さまの想い人とは合致しないと思うんだが」
丸のもっともな言い分に、ミツノは自信満々に肯いて見せる。
「いきますとも。そこはわたくしの腕の見せ所というものです。
あちらこちらに引張り蛸、様々なお館に務めた実績のあります歴戦の兵、凄腕使用人のわたくしにかかればお茶の子さいさい、朝餉前でございますとも」
丸は自分で言うんだ、と少し遠い目になる。
ミツノの後ろで姫がくすくすと笑いを押し殺している。
「でもさあ、どうするよ、姫さまが俺にうっかり惚れでもしたら」
こちらから断るのは難しい。だから、先方に考えなおしてもらえないかな、というのが半分。
万が一の予防線を張るため、というのがもう半分。
意地の悪い男の顔で笑った丸に、しかしミツノは澄ました顔であっさりと答える。
「それは天地がひっくり返ってもありえません。
本人を目の前にしてそういう軽口を叩くようなお方は姫さまの好みから遠く外れておりますし。
そうですよね、姫様?」
「そうだな。もうちょっと配慮のあるやつのほうが好みだな」
初めて言葉を発した姫様はなかなか転婆な物言いをした。
檜扇はいつの間にやら床に投げ出され、行儀悪く片膝を立て、寝かせたほうの足に肘を立てて、丸を興味津々といった様子で見ている。
衣の袖が下がって肘が視えているし、裾からは素足が覗いており、姫にあるまじき格好である。
しかし、丸は目に入ってしまった素足と腕を見ておや、と違和感を覚えた。
「姫、あんたもしかして……いや、なんでもない」
浮かんだ疑念がぽろりと口から出てしまったが、すぐに閉じる。
女とは思えぬ筋張った手足であろうと、少し発育が良いだけの女子だろう。
たまにそういう益荒男顔負けの女子も世にいるものだ。見た場所は主に戦場で、逞しい体躯に相応しいこわぃ……厳つぃ……凛々しい顔つきをしていらっしゃったが。
数多の男から求婚される姫だ、まさか男なんてことはなかろう。
そんな丸の様子を見て機嫌を悪くするどころか、ミツノも姫もにんまりと笑い合う。
丸はもういよいよ裸足で逃げ出したくなった。
「へえ、勘もいいし、それを口に出さないだけの分別もあるのか。いい者を雇ったな、ミツノ」
「お褒めに預かり光栄にございます、姫さま。
危機管理は少々足りぬようですが、そこはわたくしがお力添えいたしましょう」
二人から返ってきたのは否定ではなく、肯定であった。なんと噂になるほどの美姫は男であった。
なんてこった。こんなに長くて美しい黒髪なのに。
「あの~、やっぱりこの仕事お断りしようかな~……なんて思っちゃったりなんかして……」
「ああ、言い忘れておりましたが」
丸は息を呑んだ。目の前にいるミツノはただ笑ってこちらを見ているだけだというのに。
けして逆らうことのできない圧力が丸を包んでいる。
「姫さまは由あってこの格好をしておられます。
当然、今、貴方様が気付かれたことも他言無用でございます。
他言すればどうなかるかなど……勘の良い貴方様にならお分かりになるでしょう?
そして、今更断れるとでもお思いで?」
丸はしおしおと肩を落とした。
ミツノはただの女だ。そう見える。腕力体力など比べるまでもなく丸が勝っているだろう。
だが、逆らうなんて気は微塵も起こらなかった。
懐にしまい込んだ前金がずしりと重く、身動きできそうもない。
「どうりで金払いが良いと思った……」
「ふふふ、お気付きになれてようございました」
受け取ったときにちらりと見た布袋の中身はしばらく遊んで暮らせるだけの額が入っていた。
うますぎる話にはやはり裏があるものだ。あの場で走って逃げれば良かった、と丸は今更ながらに後悔しつつ、ミツノと姫に頭を下げた。
「謹んでお受けいたします……」
「これからはうますぎる話には気をつけることだな」
「肝に銘じます……」
明朗快活に笑う絶世の美姫、改め、美少年はもうおしとやかな姫には見えなかった。
「私は夜澄という。今日からよろしくな、丸」
「はい、夜澄様……」
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