崩れゆく祈り
風が、夜の森を裂くように吹き抜けた。
診療所の窓がカタカタと震え、灯したランプの炎が不安げに揺れる。
「また、風……強くなってきたね」
リナが呟くと、カイは無言でカーテンを引き、外を見た。
森の向こう――遠くで、黒い霧が渦を巻いている。
「これはただの天候じゃない。封印が……緩んでる」
カイの声に、レオが顔を上げた。
「まさか、あの噂……“森の主”が?」
空気が一瞬にして重くなる。
ミナが不安げにリナの腕を掴んだ。
「ねぇ、どうするの? 避難したほうが――」
リナは首を横に振った。
「この村を見捨てるわけにはいかない。
ここには、助けを待ってる人がいるの」
その声は震えていなかった。
むしろ、静かで、強い。
あの日――もうひとりの“リナ”に言われた言葉が胸の奥で響いていた。
『誰かを救いたいという願いが、あなたを導いたの』
彼女は診療所の奥の棚を開け、包帯と薬をかき集める。
「レオ、物資を。ミナは子どもたちを安全な場所へ。
カイは……外の様子を見てきて」
「危険だ。お前こそ――」
「わかってる。でも、行かなきゃ」
リナの目に宿る決意を見て、カイはそれ以上何も言わなかった。
ただ短くうなずき、剣を握りしめて外へ出る。
*
嵐が吹き荒れる中、リナは村人たちを診療所に避難させていた。
泣きじゃくる子ども、怯える老人。
その一人ひとりの手を取りながら、リナは笑顔を作った。
「大丈夫。ここにいる限り、安全だから」
――ほんとうは、自分だって怖い。
けれど、誰かの痛みに触れた瞬間、恐怖は小さくなっていく。
そのとき、ドアが激しく叩かれた。
「リナ! 開けろ!」
カイの声だった。
扉を開くと、全身泥まみれのカイが倒れ込むように入ってくる。
「カイ!?」
「……来る、奴が……封印が、完全に……」
言葉を言い終える前に、地響きが鳴った。
診療所の窓が粉々に砕け、冷たい風とともに“闇”が吹き込む。
外には、巨大な黒い影。
その中央に――仮面をつけた人影が立っていた。
「……やはり、お前たちだったか」
低く響く声に、リナは息をのむ。
仮面の下から覗く目。どこかで見たことがある。
「あなた……まさか……!」
仮面の人物はゆっくりと笑った。
「リナ。君がこの世界に来た理由――それを知りたくはないか?」
その瞬間、リナの胸の奥で“オルゴールの旋律”が鳴った。
断片だった記憶が、ひとつに繋がり始める。
視界が揺れ、過去と現在が重なり合う――。
風が止み、世界が静止した。
カイがリナを抱き寄せ、震える声で言う。
「リナ、忘れるな。俺たちは……一人じゃない」
その言葉に、リナの瞳が揺れる。
彼の腕の中で、彼女は小さく頷いた。
そして、心の奥で誓う。
「もう逃げない。今度こそ、誰かを救うために」
外では、仮面の影が微笑んでいた。
夜明け前――祈りの鐘が、崩れ落ちる音がした。




