罪を背負う者
バレンタイン闘争が無事に終結して、1週間。
感情が目まぐるしかったそれまでが嘘のように、それは穏やかな1週間だった。
部活が休みの日に、放課後に俺の部屋に来海が来て。
約束していたピエール=メルエルのチョコを来海に味わってもらい、彼女が幸せそうな顔をしているのを横から鑑賞し。
気持ちが昂って思わず腰に手を回してハグをかましてしまい、来海が真っ赤になり。
しかも、来海にしてはおっちょこちょいで唇にチョコを付けていたものだから。
かの有名な文豪が『文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします』という手紙を贈った気持ちが、すごくよく分かった。
食べたかった。
何が、とは言わんが察しろ。
誰が変態だ、誰が。
仕方なかろうて。
学校も、比較的穏やかだった。
もう終業式ということで、クラスがお別れに嘆いていたけれど。
那須は『2年は宮野さんと同じクラス大倉とは違うクラス宮野さんと同じクラス大倉とは違うクラス』とかいう、俺に対して火力高めの呪文をぶつぶつと唱えながら、廊下を歩いて俺を思いっきり睨みつけていた。
遠回しに俺と来海を違うクラスに引き離そうとしているのが、許しがたかった。
理事長の息子は『くるあおも、お泊まり、キスマ、完了ということは次はキッッスだぁぁー!!想像しただけで糖分過多ぁぁー!!俺は逝くー!!ドュフフ!』とかいうイケメンのくせに気持ち悪い笑みを浮かべていたので、彼方へ飛ばしといた。
来海のことを想像しただけで、万死に値する。ふざけるな、来海で妄想するな。俺の彼女じゃい。
………と、まあこんな次第に平穏(?)だった。
そしてーーー、
終業式も終わり、今日から春休みだ。
来海が桜井さんと遊んで来るとのことだったので、俺は真っ直ぐ帰宅していた。クラスの連中にカラオケに誘われたが、音痴に人権がなさそうだったから、断ってしまった。
そんな時、あの男から電話が掛かってきた。狙ったようなタイミングだ。
………もしかして、こっちの情報が筒抜けなのでは?などという妙な不安を覚えさせてくる。
俺は、電話を取った。
「……もしもし」
『やあ、アオ。定例の近況報告だよ』
「いらんが?」
『つれないことを言うねぇ。まあ、確かに特筆すべきはないけれど。こちらは、いつも通り婚約者と犬猿の仲さ。昨日はパーティーで酒のグラスを間違えて酔った婚約者に絡まれて、朝まで耐え忍んだや』
「………。お前の"犬猿の仲"とやらは、定義がおかしいらしい」
『そんなことはないさ。なかなか拷問だったよ。彼女の元に、早く白馬の王子でも来てくれたらどんなに嬉しいか!』
「よし分かった。通話切るぞ。何で俺がお前の惚気を聞かなくちゃならん」
『………ごめんごめーん。本題じゃないから……』
陽飛は、電話口で軽やかな笑いを転がした。
それでこの男は人生の大半を許されてきたのだから、すごいなと思う。陽飛だけが、なせる技だ。俺も含めて、「仕方ないな」と思わされる。
『…………来海とは、その後どう?』
陽飛にしては珍しく、僅かに硬い声だった。
そのせいで、俺も刹那、反応が遅れた。
『クルミを更生させるべきだと思うよーーー』
日本を発つ前、陽飛はそう言い残していた。
それが、コイツからの宿題だった。
「……別に、いつも通りだ。来海とは、順調。諸々のバレンタインの誤解もとけたし。芥川龍之介先生の気持ちが分かった、ってくらいだな」
『……ああ、『お菓子なら食べちゃいたい』ってヤツね。冗談はよしてくれ。アオの場合はクルミがお菓子じゃなくても食べたいだろう?』
「……電話、切ろうか?」
『………俺はただ真実に忠実なだけだよ』
「なおさら悪い!」
『君がクルミ限定の変態なのは、昔からだろう?中学まで隠してたつもりだろうけれど、バレバレ。クルミが鈍感なだけ』
「………何だ?お前は、俺の変態性についてでも議論したいのか?」
『それこそ、冗談はよしてくれ』
これがきっと、互いの本心を口にする前のワンクッションなのは、俺も陽飛も、分かっていた。
どちらが言い出すかと思っていると、こう言う時はやはり陽飛の方だった。
『前に俺が言ったこと。クルミを更生させる気は、アオはないんだね?』
「ないよ。更生と言う方が間違ってる。それに……もし更生するとしたら、俺の方だ。だけど、俺は今更このスタンスを変えるつもりは、ない」
変えられない。
だって、俺は手放せない。
陽飛が、溜め息を吐いた。それは呆れた含みではなく、重責を背負った者の合間のひと休憩だった。
『分かった。……じゃあ、その言葉は取り消す。どっちにしろ、あまり期待してなかったんだ。それはいい。だけど、君は自分の考えを変えた方がいい』
「俺の、考え?」
「アオ。君の考えを変えなくては、この先…いずれ君は抱えきれなくなる。クルミのことさえも。だから、頼むから、……あの1週間を罪だと思うのは、もうやめて欲しいんだ』
ーーーあの1週間。
陽飛が何を指しているのかは、聞くまでもなかった。
俺が来海に対して、罪を重ねた日々。
そしてーーーー来海はそのことを知らない。
俺が抱えた、彼女への最大の秘密。
そして、罪。
「違う……。アレは、罪だ。たとえ来海が赦してくれたとしても、俺自身が赦せない。俺があの日壊してしまったものは、もう戻って来ない……」
『違う、違うんだアオ。罪じゃない。罪なんかじゃない。アレを罪だと言うのは、君の認識の問題だよ。誰も罪だなんて思わない。君は間違ってない』
「いいや……あんなやり方、俺が間違っていた。もっと、上手くやれたはずなんだよ……」
『アオ。……君は、一生このままクルミに負い目を感じながら生きていくのか?そんなの無理に決まってる。先に君の精神の限界が来る」
いいや。
皮肉なことに、俺の精神を支えているのは彼女の存在だ。
俺は彼女に負い目を感じながら、彼女によって生かされる。……こんな皮肉が、俺の根底を形作っているのだ。
「……無理だよ。今更考えを変えるほうが、よほど俺の精神にくる」
もう深いとこまで、その考えは俺に浸透してるんだから。
『でも………』
幼馴染の男は、なかなか納得してくれない。
だけど、簡単だ。
コイツにこう言えばいいのだ、そう。
「それでも駄目ならお前が助けてくれるーーーそういう約束じゃなかったか?頼りにしてる。お前が居るから、俺だってそう心配してないんだ」
『…………っ、それは、そうだけど、…でも』
「お前との約束は守る。……今は、この答えじゃ駄目か?」
今、というモラトリアムをつける。
陽飛を納得させるためだ。
だけど、本当は一生…考えを変えるつもりはない。
こういう時、自分はよく頭が回る。
その場限りで、その場凌ぎの、相手を誘導する詭弁が、するすると自分の口から出て行くのだ。
電話口を静かだった。
僅かに、息が上下する音だけが聞こえていた。
でも、堕ちた。
『……分かった。今は、ね。君とクルミの恋人関係が安定したら、また話すよ。だけど、俺の考えは変わらない。……君が負い目に感じる必要なんて、ない』
じゃあまた連絡する、と陽飛は、通話を終えた。
画面が切り替わったスマホを机に伏せて、俺は椅子に背を預けた。それから、天井をぼう、と見上げていた。
そのうち、しばらくして、通知音が鳴った。
スマホを裏返すと、彼女からの連絡だった。
彼女とのトーク画面を開くと、動画が送られてきていた。桜井さんと一緒に、共通の好きなものであるパンケーキを食べに行ったらしい。
『見て〜』
『これ、すごいの!』
動画を再生すると、パンケーキが2つ。
『せーのっ』という掛け声とともに、動画の端に映った手が、器を傾けてチョコレートソースを掛けた。
パンケーキの上の卵形のチョコのようなものは、みるみる崩れ落ちていって、中から冷気が出てくる。
その白い煙がたなびいてそのうち消えると、可愛いクマのお菓子が手を振っていた。
俺は、微笑んだ。
彼女が俺と共有したいと思ってくれた日常が、たまらなく嬉しかった。
『可愛いサプライズだな』
そう送ると、すぐに彼女から返信が返ってくる。
『そう、可愛いくて食べられないの。でもこのクマちゃんは、チョコなの。どうしよう?』
俺は小さく声を出して笑った。
彼女が困っている様子が容易に想像がついた。
彼女が罪悪感を持ちつつ、結局食べてしまうのも。
美味しくて、何だかまた申し訳なくなるのも。
そんな彼女の姿が、目に浮かぶ。
恐らく……彼女に他に彼氏が居たと知った時が、最後の俺の更生のチャンスだったんだと思う。
俺が彼女から離れてしまえば、きっと上手くいく。
でも、俺はこの日常をーーーー手放せない。
第三章も残すところあと1話。




