間話 大倉碧という男について
守下優斗視点の中学時代の話。
守下優斗は、先週に突如として現れた隣の生徒会補佐の大倉碧という男の横顔をふと見た。
彼は綺麗な顔をしているが、その綺麗な顔をお構いなく崩してユーモアを飛ばしてくるので、大層周りから好かれていた。
クラスの違う守下でも、碧のことは軽くなら知っている。
彼は、勉学に関してはことさら飛び抜けており、模試で全国の猛者たちを軽々抑えてとんでもない順位をとっていたりもする。地頭がいいのだろう。もう一人の彼の幼馴染も有名な天才イケメンなのだが、何というか、碧と彼とでは、軽々しさが違う。
碧の苦心する顔など、守下は想像がつかなかった。
碧が書類作業の手を止めた。
すると、守下の方をいきなり向くのだから、碧を見ていた守下は慌てた。碧の眉が下がる。
「……ねえ守下。俺、要らなくない?この優秀な書類捌きメンツにおいて、俺の居る意味って…?」
「いや、要らないなんてことはないだろ…」
要らないなんてことは全くないが、教師が碧をわざわざ生徒会に投入する意味があったかと言えば疑問だ。生徒会メンバーだけでこれまで仕事を回せてきたのに、碧を生徒会補佐として寄越した理由が分からなかった。
「来海ちゃんとのハッピーライフが、こうして消えていっているかと思うと、悲しい……」
「来海ちゃん?」
「俺の幼馴染。宮野来海。めっちゃ可愛いよ、知らない?」
「ああ……宮野さん」
下の名前までは知らなかったが、守下も彼女の存在は認識していた。同じ中学生かと疑うほど、周りと一線を画す黒髪の正統派美少女。そのプロポーションは素晴らしい以外の何物でもなかった。
「へえ、幼馴染。てっきり大倉の幼馴染って、冷泉だけかと思ってた。今も宮野さんと仲良いのか?」
「あったりまえよ。なんてたって幼馴染!俺は前世で多分徳を積みまくったんだ。お陰であんな素敵な女の子と幼馴染という、最高の星のもとに生まれた!」
「ほーん」
「まあ………」
ーーーーーこの時の碧の表情を、高校生になった今も守下は忘れられずにいる。
碧は陰を落とした顔でボソリと、こう呟いたのだ。
「幼馴染じゃなかったら、俺なんか見向きもされてないかもしれないけどな………」
守下が碧の弱音を聞いたのは、これが最初で、最後だった。
******
季節は巡り、中学2年の10月。
相変わらず生徒会の補佐として入ってくれている碧は、人の懐に入るのが上手く、生徒会メンバーからも大層気に入られていた。
その様子を見て、軽く守下は尊敬の念を抱いていた。
そして10月といえば、守下たちの中学では文化祭があったため、現在、生徒会はその後始末に追われている最中だった。
守下は書記だが、文化祭の会計を担当していた。
各クラスや部活の予算を一括して管理し、それを表に纏めているところだった。
しかし、問題が起きた。
収支が合わないのである。
各クラスや部活に分配されて、使用された文化祭予算。そして全団体が、使った分の商品のレシートを生徒会に提出することが義務づけられていた。
つまり、全ての集まったレシートに書いてある金額の合計と、返ってきた残りの予算の金額を足すと、最初の金額の合計になる筈なのだがーーーーーーー
「合わない……?」
守下は、パソコンを打つ手を止めた。すぅ…と底冷えしていく感覚を覚えた。
何度、何度、計算し直しても合わない。
そんな。
会計に関わっているのは、生徒会の中でも自分1人だけーーーーー。
自分だけのミスだ。
しかも学校の金が相当数動いているため、これは大変な責任問題になるかもしれない。
ど、どうしたら……
自分が大変なことをしてしまったという事実に守下は恐れ、誰にも相談出来ず。
ただ合わない収支を、何度も計算し直すだけ。
そのうち、予算締切日がやって来たーーーーーー。
守下は自分の責任問題を、いよいよ教師たちに告白しなければいけなくなった。
タイムリミットは、夕方の6時。もう、時間がない。
放課後になり、守下は急いで生徒会室に向かった。
守下は、恐れた。考えた。
文化祭予算で収支が合わないなら、合わせよう。
万単位だが、数万。
自分のミスがバレないように、自分の懐から補填しようとーーーーーーーーー。
急ごう。
誰も居ないうちに、全て事を済ませなければいけない。
息を切らして、向かった先。
しかし、生徒会室には、もう既に碧が居た。
机に寄りかかっている、そのシルエットが差し込んだ夕日によって淡く浮かび上がっている。
碧は、よっ、と守下に片手を上げた。その反対側の手には、封筒が握られていた。
2枚の封筒。
「………お、大倉……」
「見つかったよ、やっと。なかなか尻尾出さなくてさ、アイツらには苦労させられたわ」
ひらひらと封筒を揺らす、碧。
一体何だろうと思っていると、その封筒の1つを手渡される。
「文化祭予算の、最後の未提出団体。サッカー部から、取り返して来た」
「サッカー…部?」
その単語に怪訝に思いつつ、守下は封筒の中身を取り出した。2万8900円。ちょうど収支が合わなかった文化祭予算の、不足分。
弾かれたように、守下は顔を上げた。
「どうしたんだコレ……?!それに、サッカー部はーーーー」
「文化祭予算が要らないと、文化祭予算案作成時に辞退していた団体。確か文化祭では、学校にある用具だけを使った企画をしてたな。だから守下は、彼らがこの予算を持っているのはおかしいって、言いたいんだろ?」
「あ、ああ……。サッカー部には、文化祭予算が最初から配分されてない…」
全てのクラスと部活に、文化祭予算が支給されている訳ではない。中には自ら辞退している団体もあり、サッカー部もその一例だった。
「そのシステムの隙を突かれた。文化祭予算回収時には、予算を貰った団体の数と、文化祭後に提出した団体の数が一致してるかどうかだけを重視している。いちいち金額まで確かめてたら、その場では時間がない。そして、各団体が提出する残りの予算、レシートを基にこの生徒会が収支を計算し、不正が疑われた団体に後日確認をする。だよな、守下」
「ああ」
碧は、頷き返す。
そして、ふぅ…と小さく息を吐き出した。
肩をすくめる。
「これもプレゼント」
「…?」
碧に手渡されたもう一枚の封筒も、開封して中身を取り出した。
そこに書かれた内容に、守下は先ほどよりも、大きく目を見開く。
「どうして……」
「無かったんだろ?団体ごとの文化祭予算の表。どの団体がどの金額の予算を受け取ったかが分からなかったから、守下はどの団体が不正しているかを確定させることが出来なかったと…」
その通りだった。この表さえあれば、レシートと照合して、どの団体が予算を不正使用しているかが明るみになったのに。
「どうして……」
「守下が決算表を提出してないから、つまり不正は確実にあったんだとすぐに分かった。加えて、守下なら不正を見つけ次第、直接その団体のもとに行くと思ってたから、おかしいとは思った。だから、文化祭予算の総計は分かってるけど、その配分を知らないんじゃないかって。だからその表が、何者かに消されている可能性を思いついた」
「……っ!」
まるで見透かされているようだ。
まったくその通りで、守下は文化祭予算の総計の額はパソコンに残っていたデータで知っていたものの、団体ごとの予算配分が記載されてあるデータがなく、収支は合わないのは分かっているのに、どの団体が不正しているかを確定させられなかった。
何者かが、データを消したーーーーーー。
その事実に、揺らぐ守下。
「予算の総計額だけ残してるのは、よく考えてる。収支が合わないと知った者は、予算を使った団体の中に不正した団体があるんだと疑うようになる。前提条件の誘導だ。本当は予算を貰った団体から、予算を使っていない団体…サッカー部に流れ込んだのに」
「……そんな、一体どこがサッカー部に…」
「茶道部だな。さっき俺も確認したけど、生徒会に提出してるレシートに書かれた金額と、事前に支給された予算の金額とに、ちょうど29800円の差がある」
「……一体、どうして……っていうか、この表はどうやって手に入れたんだ?もうどこにもデータ残ってなかっだろ」
「別でバックアップとっておいた。消されるかと思ってたら案の定」
「……!」
守下は驚いたが、碧は自分の行動に対して、何てことない顔をしている。それよりこの事態を憂いてる様子だった。
「…今回の件は、反生徒会派の仕業だ。うちの中学の生徒会は、絶大な権力を持ってる。そのことを快く思ってない生徒が一定数居るらしいーーーーーというのをサッカー部の1人に口を割らせておいた」
「割らせた?」
「ああ、気にしないでくれ。今後の立ち回りを教えてあげただけだ」
ひらひらと手を振る碧。
碧は、机から腰を浮かし、窓辺に移動した。
「…お、大倉」
「ん?」
「どうしてそんな…こと、してくれたんだ…?俺の思ってること全部読んで、サッカー部から金を取り返すのは、大変だっただろ…」
碧の背に問いかけた。口下手なせいで、まるで感謝しているつもりが、問い詰めるような口調になってしまった。
レモンイエローのカーテンが、舞い込んだ風で揺れる。刹那、碧の姿を隠した。
碧が、振り返る。
「……だって守下は、仲間だし、友達だし。そんな大した手間じゃないんだから、これくらい当然だろ?」
柔らかに微笑む。
綺麗な造形が、ややあと、守下を見て笑いかけていた。
時が止まったのかと錯覚させられるような、時間だった。
ストレートなその言葉。それを言葉だけで片付けない、裏打ちされた行動力。
「あ、ありがとう……大倉……」
「うん?どういたしまして…だけど、本当に大したことじゃないから気にしなくていいよ」
「いや……ありがとう」
碧のお陰で、窮地を救われたのだから。
自分は誰にも話せずにいたピンチに、気付いた上で手を差し伸べてくれたことが守下としては、何より嬉しかった。
自分からでは他人に素直に頼れる性格ではないのに、気にかけて欲しいという自己矛盾を、碧はいとも簡単に解決してくれた。
碧はもう一度微笑んで、それからふと表情を曇らせる。
「…今回の一件で、秋山先生が俺を生徒会補佐に無理矢理任命した理由がようやく分かった。秋山先生は、俺を使って学校の危険勢力を一掃しようってわけだ」
「……!いくら何でも、そんなの…」
「大袈裟だと、思うか?でも違う。今年はあの女がいる。しかも、俺たちの同学年だ。何をするか分かったもんじゃない」
碧は淡々と語る。
重大なことに触れているというのに、碧は飄々としていた。真面目な顔つきに反して、その軽やかな雰囲気の中に、「ああこの男なら上手くやるのだろう」という安心感があった。
「守下。今回のデータの欠落、生徒会の人間の仕業だ。正直、生徒会内部も警戒した方がいい」
「………っ、ああ」
薄々気付いていたが、碧に現実を突きつけられてしまった。軽いショックを覚えながら、守下は頷く。
学校の危険勢力ーーーーーーー。
守下には、全く実感が湧かなかった。
碧の立ち回りは、彼らを恐らく上回っているのだろうということくらい。
そして、大倉碧、彼はーーーーー最愛の幼馴染を傷付けられた報復として、のちに『二月事件』を引き起こすことになる。




