朝に並ぶ嘘のような光
カレンダーの最初のマス目が、やけに白く見える。年度、学年、会社、制度。多くのものが今日から切り替わるという社会的合意が、朝の空気に薄く溶けている。空は特別ではないのに、人間の側だけが「特別」を起動する。
エイプリルフールという言葉が、ニュースの隅で踊っている。嘘をついていい日。だが、大人になると嘘は常に混じっていることに気づく。履歴書の言葉遣い、挨拶の定型句、SNSの笑顔。今日は嘘が許される日ではなく、嘘が可視化される日なのかもしれない。
朝の光はやわらかく、まだ冬の名残を含んでいる。けれど、空気は確実に軽くなっている。コートの内側に閉じ込めていた体温が、外気に少しずつ漏れ出す。身体が季節に開放される速度は、暦よりも遅い。
子どもの頃、四月一日はクラス替えの日だった。教室の空気、席順表、知らない名前。新しい世界に強制ログインさせられる感覚。期待よりも、まず不安が先に立った。四月の光は明るいのに、心は薄暗かった。
街では、新しいスーツの人が歩いている。まだ身体に馴染んでいない布が、少し硬く見える。新品の制服、新品の名刺、新品の肩書き。人間は四月に「新品」をまとって社会に再接続される。まるでソフトウェアの初期化儀式。
桜は少しずつ咲き進んでいる。昨日よりも花が増え、枝の色が薄くなる。花は嘘をつかない。人の区切りや制度とは無関係に、ただ内部の温度と日照に従って開く。その無関心さが、四月の嘘っぽさを際立たせる。
窓辺でコーヒーを飲みながら、朝の光を見る。光は何も宣言せず、ただ存在する。新年度も、新生活も、光には関係ない。人間だけが、自分で設定した更新日に意味を見出して騒ぐ。
四月一日の朝とは、社会的フィクションが一斉に再生されるリリース日。私は今日、その嘘のように明るい光の中で、更新された世界にログインするより先に、更新されない自分の内部仕様書を、静かに読み返していた。




