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空気のなかの自我  作者: 設楽七央


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夜更けの窓に貼りつく春の虫

夜になって窓の外を見ると、小さな虫がガラスに張りついている。冬のあいだはまったく見なかった存在が、ある日突然、こちら側に戻ってくる。春は音もなく、しかし確実に生態系を再起動する。


虫は光に集まる。室内灯という人工の太陽に引き寄せられ、ガラスという透明な壁に阻まれて、外と内の境界で足踏みする。彼らにとって窓は、空間の仕様書にないエラーだ。光は見えるのに、到達できない。


子どもの頃、夜の窓に集まる虫が怖かった。何十匹もの小さな影が動き回る光景は、世界の裏側から何かが侵入してくる予兆のようだった。今は、むしろ安心する。虫がいるという事実は、気温が上がり、土が動き、季節が正常に進行している証拠だからだ。


虫の影がカーテンに落ちる。小さな影は拡大され、奇妙な形になる。実体よりも影のほうが存在感を持つ。人間も、実体よりも影響のほうが大きい生き物だ。自分の影が誰かにどんな形で映っているかは、決して正確にはわからない。


外では、風が静かに吹いている。街の音は昼よりも減り、代わりに微細な生き物の活動音が増える。昼は人間の世界、夜はその他の生き物の世界。春の夜は、その権限移譲が少しずつ行われる時間帯だ。


窓に貼りついた虫は、しばらくすると飛び去り、また別の虫がやってくる。ログインとログアウトを繰り返すユーザーのように、境界面を行き来する。季節という巨大なサーバーに、無数の小さなクライアントが接続している。


ガラス越しに外を見ると、街灯の周りにも虫が集まっている。人工の星に群がる人工的な夜景。自然の夜空よりも、人間が作った光のほうが生物を支配する時代。都市は、新しい生態系の重力井戸だ。


夜更けの窓に貼りつく春の虫とは、季節が正式に運用開始したというステータス表示。私は今日、その小さな影の群れを眺めながら、自分の内部でも、冬のあいだ停止していたプロセスが、いくつ再起動したのかを、静かに確認していた。

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