ありがとう。付き合ってくれて。
「倉木くん、 ごめんね。 これでも悩んだんだけどさ。 私やっぱりお付き合いは出来ない」
3 回目のデートだった。
「でもさ、 デート楽しいって言ってくれたじゃん。 何で?」
「私さ‥‥‥人のこと好きになったことないんだよね。 変わってるって思うかもしれないけど」
「‥‥もう帰るから」
「うん」
最後の焼肉デート。 割り勘をして端数を僕が払った。
***
齋藤は笑顔が可愛いと評判だった。 性格は優しい印象で話し方はまったりしていた。 僕らは共に大学2年生で、同じ読書サークルに入っていた。 サークルの活動は、所属メンバーが同じ作品を読んで感想を言い合い、 意見の違いや共通の考えなどをまとめて、学部の掲示板に掲載するという、自己満足な内容だった。
いつもとは趣向の異なる美術雑誌がテーマになった時、 僕と彼女の考えが一致したことがあった。 それをきっかけに僕は齋藤をデートに誘うことになる。
読書サークルは月に1回、全体会議が開催される。1年生から3年生まで原則全員が参加。4年生は自由参加だ。会議室を借りて、掲示板に載せる話を3年のサークル代表が決定していく。大体16人くらいが円になって、あーだこーだ話して、いつも2時間以内には全てがまとまっていた。
「倉木と齋藤のミロのヴィーナスに対する意見が一致してるなぁ。 〈腕が無いことでこの作品は完成している。 初めから腕は無かったんじゃないか〉 ねぇ。 雑誌にはリンゴを持ってたんじゃないかって書いてあったけど」サークル代表が後頭部の刈り上げをジョリジョリ撫でながら、メンバーに問いかける。今日の分け目が気に入らないのか、前髪を神経質にチラチラ見ている。
「僕は感想文にも書きましたけど、 腕が無い方が美しくて普遍的な感じがします。 特定の思想がないから全ての人に受け入れられます。 作者はそれを意図していたんだと思います」僕は今回の意見に自信を持っていた。絶対に採用されたい。その上で皆んなの感想がもらえたら最高なのだが。
「私も同じです 」齋藤が端的に答えた。『同じ』としか答えないなんて、本当に同じなのだろうか?
「なるほどねぇ。 面白いと思うし、2人がそう言うならこの意見も載せておくね」代表は、ホワイトボードに箇条書きされた『・ミロのヴィーナス』に赤ペンで丸をつけた。あっさり終わってしまい、深く議論が出来なかったことに、僕はガッカリしていた。
***
ある日、 人当たりの良い齋藤が大学の学食で1人で牛丼を食べていた。 寂しくないんだな。 やっぱり齋藤は僕と同じ種類の人間なのかな。
「ねぇ、 横いい?」声の掛け方はこれで良いのだろうか。キモいと思われなければ良いのだが。
「あ、 倉木くん、 いいよー」振り返った瞬間、ポニーテールが元気良く跳ねたみたいだった。凄く自然で爽やかな返事だった。やっぱり齋藤は人当たりが良い。 僕は焼き魚定食を手に座った。
「齋藤はミロのヴィーナス好き?」僕は魚から骨を丁寧に除きながら訊ねた。
「大好きだよ。 大傑作だよね」米をモゴモゴ頬張りながら、器用に答える。彼女はおてんばなのかもしれない。
「どこら辺が好きなの?」魚をひと口。
「腕が無いところ。 未完成がすきなの」齋藤は箸を指揮者のように動かしたが、何か宙に書いたのか、よく分からない。少しお下品だ。
「未完成かー、 サグラダファミリアとか?」米をひと口。
「あれはちょっと違うかな。 んー、 未完成っていうか、 満たされてないっていうか、 言葉にすると難しいかな」齋藤の言っていることが、分かるような分からないような、むず痒さがある。
「日光東照宮はわざと柱を一本逆さまにして未完成にしてるけど、 そういうのは?」味噌汁をひと口。
「それもなんか違うかな。 メッセージがあるじゃん。 メッセージが無いのが好きなの。 例えば事故で腕がなくなった人の像を作ったとしてそれはミロのヴィーナスと同じではないでしょ?事故っていう痛ましいメッセージがくっ付いてるから。 私は何も伝えてこないけど存在感のある物がいいの」 齋藤の表情には、上手く言語化できた満足感が滲み出ていた。
「それって見つけるの難しいかもね」僕はニヤけてしまうのを必死で抑える。人間っていうのは、複雑なのだ。
「廃墟とかも好きだよ 」齋藤はニヤリと笑った。
「え、廃墟ってメッセージ強くない!?」びっくりしてしまった。僕の世界観には無いアイデアだ。
「そうかな?」齋藤は味噌汁を一気に飲み干した。
僕と齋藤は似ている。 そんな気がする。
***
「お待たせー 」
齋藤が待ち合わせ時間より少し早く駅前のコンビニに着いた。 彼女は登山でも行きそうな、動きやすそうな服装だった。 僕は全然待ってないけど 『お待たせー』が素敵な言葉だと思った。 今日は齋藤が廃墟を写真に収めるところを連れてってもらう。 デートではない。
電車移動120分、 バス移動40分。 移動中に少しは話したがほとんどの時間をスマホを見て過ごした。 気の利いた話は僕には出来ないから、スマホで上手に写真を撮る方法などを見ていた。
バスは周りに何もない緑の中で止まった。 ここが最寄りのバス停らしい。 すっかり田舎に来てしまった。 齋藤は下車するや否や、軽い足取りでぐんぐん進んでいく。
バス停からどれくらい歩いただろうか。
「はぁはぁ、 いい運動になるね。 いつもこんなに遠いの?」日頃の運動不足のつけが来たようだ。
「これくらいなら普通かな。 自然の中歩くのも、たまにはいいでしょ?」涼しい顔で齋藤は歩いている。読書サークルには勿体無い健脚だ。
「‥‥‥」僕は返事に困って黙ってしまった。 怒らせてしまっただろうか。
森と言って差し支えない自然の中、緩やかな坂道を歩く。今は誰も使っていないであろう、舗装された一本道はここで行き止まりのようだ。
「着いたよ」
目の前にはコンクリートで作られた大きな家があった。 蔦が壁中を這って倒木が窓を突き破り玄関の扉は外れていた。
「ここ別荘だったんだって。 かっこいいよね〜」齋藤は目を輝かせて、うっとりしている。本物のマニアだ。
「こんな本格的な廃墟初めて見た」僕は久しぶりに非日常を味わっている。でも5分も眺めればお腹いっぱいだろう。
「よし、 写真撮っていこうか」
パシャパシャ
齋藤は一眼レフを使って、慣れた様子で廃墟の外観を撮影していく。 だんだんテンションが上がってきたのか、 地面に這いつくばって、見上げるように撮ったりしていた。 登山でも行くのかという服装だった理由がよく分かる。
「本当に廃墟好きなんだね」僕の一言は、彼女の集中力の前では無言に等しかった。
僕は廃墟とマジになっている齋藤が入る構図で、1枚写真を撮った。スマホで。 僕の本日の仕事はこれで終了した。
「どう?いい写真撮れた?お昼にしよっか」そう言うと、齋藤はスタスタと壊れた玄関の中に入っていく。
「待って、 中で食べるの?」僕の正義が警鐘を鳴らしている。
「うん。 いつもそうしてるの」齋藤はキョトンとしている。
何だろう。神を信じてはいないが、神に試されている感じだ。幼稚園児が『パパよりママが良い』とパパに言うような、無知故の無邪気な悪を僕は体験しているのかもしれない。
「さすがにダメでしょ。 これ不法侵入とかじゃないの?」
後で調べたらやっぱり法に触れていた。 こんな大胆なことをする人だと思いもしなかった。 齋藤は、僕の助言を無視して 、1 人で中に入ってしまったので渋々僕もついていった。
「家具とかは無いんだね〜。嬉しいな〜」すっからかんの別荘の中で齋藤はパンを頬張っている。
「見つかったらどうすんだよ。 おっかないよ」僕はおにぎりを頬張る。
「倉木くんってビビりだったんだね。 何でも分かってるみたいな顔してるから肝が据わってるんだと思ってた」齋藤は夢中で室内を観察しているからなのか、妙に棒読みで無感情に僕を煽ってきた。
「ビビりじゃねーよ。法を破ることに抵抗があるんだ」僕は真逆に、感情を込めて否定した。
「まぁ玄関も元々壊れてるし。 私だって、何か壊して入ったことはないから、いいんじゃん」齋藤は僕の目をじっと見て言った。彼女は人に訴えかける圧を自在に操っているようだった。
それでも不法だ。 僕はムッとしながら2個目のおにぎりを食べる。 齋藤は室内も撮影し始めた。
「木が突き刺さってるとか最高かよ」崩壊した窓を撮る。
「室内の写真は不法侵入の証拠になるぞ。 自分で証拠増やしてどうすんだよ」 辛うじて指摘をしてはいるが、この状況の何が人の迷惑になるのか、僕にも分からなくなっていた。
「撮らなきゃ来た意味ないじゃん。 私の趣味だ。 口出しすんな」
優しい口調で辛口なこと言いやがる。 もう好き勝手やらせることにした。 どうせ廃墟に付き合うことは今日限りでないんだ。
集合場所に再び帰って来たのは夜の7時だった。 齋藤はすごく満足しているようだった。 何やら上を見上げている。
「見て。 三日月。 私、 三日月も好きだよ。 残念ながら三日月には意味があるけどさ」 この子、急にロマンチックなことを言うんだな。だけど‥‥
「意味があるからミロのヴィーナスとは違う」
「そう。 話が戻っちゃったね。 あれは特別だから」 齋藤の瞳に、三日月の光がキラリと反射している。
「齋藤、 今度デートして」僕は真っ直ぐ彼女を見つめた。デートの誘い方は、これで合ってるのだろうか。
「えっ、 倉木くん私のこと好きだったの?」齋藤は驚きで、埴輪のような顔をした。面白い。不意打ちだと人はこうなるのだろうか。
「分かんない」つい彼女の瞳から目を逸らす。
「そうか、 分かんないね。 いいよ」齋藤は器の大きな人なのかもしれない。
***
僕は家の近くの本屋でアルバイトをしている。小さな書店で、出版不況の影響もあり、お客さんはあまり来ない。 僕は先輩と無駄話をするのが日課だった。
「村田さん、 デートってどうすればいいんですか?」僕たちはレジを挟んで雑談を始めた。
「へっ?急にどうしたの?」村田さんは別の大学の3年生で、新潟出身。僕の兄貴分といったところだ。
「この前同じサークルの子をデートに誘ったんです。 でもどこ行くとか何話すとか困ったなって」明らかにお客様の出入の邪魔になる場所で、僕は兄貴からの助言を待っていた。
「あーそー。 最初は食事だけでいいんじゃない?学生なんだから高く無いとこで、 ファミレスとかさ」 村田さんは、店名の入ったセロハンテープを数センチ切って、人差し指に貼った。
「初回でファミレスは高校生までじゃないですか?」確かテレビでそんなこと言ってたな、と仕入れたばかりの知識を引用した。
「そうなの?俺高2の時しか彼女いなかったからなぁ 」と言って、セロハンテープを剥がして、指紋ゲット〜、とふざける兄貴。
「えー、 村田さんモテないんですね、 ドンマイです。 学生時代お祭り男だったんじゃないんですか?」僕は内心、指紋をゲットする男がモテるはずがないと悟っていた。
「まぁ怖い物なしの時も、確かにあったんだけどね。 じゃあ焼肉屋でどう?」村田さんは、モテるとかモテないとか、あんまり気にしてない様子だった。妙に子どもっぽいというか、それ故の優しさがあり、珍しい人柄だった。
「あーいいかもです」あまり深く考えず返事をした。
***
齋藤との初デートは焼肉屋になった。 村田さん曰く、 周りが賑やかだけど、話がじっくり出来るところがいいとのことだった。 メニューを見て気付いたが、ここはホルモン専門の焼肉屋らしい。 どうやら七輪で焼くタイプの昔ながらな店だ。
「わぁホルモンばっかりだ。 齋藤ホルモンいける?」僕は煙だらけの店内に圧倒されている。
「ホルモン大好物だよ」齋藤は無邪気な笑顔を見せた。話してみないと、分からないことがたくさんある。ちなみに僕はホルモンは好きでも嫌いでもない。
「このホルモン5種盛りにしようよ。 あとビール。」齋藤がテンポ良くメニューを決めてくれる。
「いいよ。 あとは肉っぽいのほしいからカシラもいい?」僕は内臓ばかり食べるのは飽きると思って、唯一肉っぽい部位を選んだ。
「倉木くん、ナイス!じゃ、頼むね!すいませーーん!」齋藤はビシッと挙手して、店員を呼んだ。
聞いたことのない大声の齋藤にびっくりしてしまう。 僕はこの人のことを何も知らないのにデートに誘ってしまったんだ。
注文が終わり、 やっと話せる空気になった。のだが‥‥
「失礼しました!!!」奥の席で店員が謝っている。Tシャツを腕まくりした、筋肉隆々の店長が、店員を睨んでいる。僕は自分のバイト先がここじゃなくて良かったと本気で思った。
「倉木くんが選んだ店賑やかでいいね」齋藤はキラリと歯が見えるくらい笑顔になった。人それぞれ考えることは違うもんだな。
「それはそうとさ、 前話したことの続きしない?」ビールをひと口飲んで、僕は本題に入ろうとした。
「何だっけ?」齋藤はお通しのオイキムチをバリバリ食べている。
「三日月は不完全だから好きなんでしょ?」僕の一言に空気が悪くなった気がした。
「あー、 そこにこだわってるのか。‥‥そうだよ。 でも三日月には宗教的な意味とか、他にも色々あるからメッセージが強すぎる。 だから私からすると残念。 ただ美しい存在であってほしかったから」齋藤は、不満でもありそうな感じで話した。彼女にとっても大事な話ではないのか。
「廃墟はどう?」少しテーマをずらす。
「廃墟に人が住んでるんなら意味はある。 でも私たちが見た空っぽの廃墟には意味はない。 ただ朽ちて無意味な姿になる。 そこが美しいんだよ」齋藤は少し元気を取り戻したようだ。まさか女性の扱いがこんなに難しいとは。
「三日月は分かるんだけど、 廃墟が難しいな。 人が住んでた場所が朽ちること自体に僕はドラマを感じる。 つまりメッセージを感じるんだ。 だから三日月と廃墟は同じだと思う」 僕はオイキムチを口に入れた。結構、辛い。
「それを言っちゃうとミロのヴィーナスも同じにならない?」齋藤は首を傾げた。ポニーテールもつられて揺れる。
「えっ」ビールをひと口、ゴクリと飲み込む。
「たとえミロのヴィーナスが腕が無い状態が完成形だとして、 倉木くんの言うドラマってやつだと人々は人間の腕が無いことにドラマを感じるはずでしょ。 そうなれば私たちが信じるヴィーナスの価値は崩れる」 齋藤は敏腕弁護士の如く、僕の発言を論破した。
「すいません、前失礼しまーす!」七輪が目の前に置かれ、「こちら5種盛りでーす!」とホルモンがやって来た。
「うぅ。 僕は何が言いたかったんだろうね」ぐうの音も出なかった。今はただただ炭が熱くて、喉が渇いた。
「とりあえず、 ホルモン焼こっか」僕の気持ちを知ってか知らずか、齋藤は白くてフニャフニャの何かを網の上に載せた。ジューと音を立てて、縮こまるホルモンを見ると、焼肉でよく使われる『肉を育てる』という表現が、いかに的を射ているかよく分かった。
僕らは黙々とホルモンを食べた。 焼き始めたら腹が減ってしまって難しい話などどうでも良くなった。
「ここのホルモンめっちゃ美味しいね」
「齋藤が喜んでくれて嬉しいよ。 カシラもイケてるよ」
ほとんどの話が食事についてでお互いの深い話とかは全然出来なかった。 会計は6:4で6僕が払った。 食事を済ませたら、そのまま現地解散した。 今日を機にホルモンが好物になった。
後日、 大学で齋藤を見かけたので僕から声をかけると彼女は嬉しそうに応えてくれた。 僕に対しての印象は悪くないようだ。 しかしサークルでは必要以上に話すことはなかった。 他の人たちに色々詮索されても困るという共通の認識が働いたからだと思う。 やはり僕たちは似た者同士なのだと思う。
***
2度目のデートの日が来た。 村田さん曰く、 親密になるには同じ鍋をつつくことが大事とのことで、しゃぶしゃぶ屋にやって来た。ファミレスのような店内で、個室ではなかったが、話は捗るだろう。
「しゃぶしゃぶ久しぶりだなー。 いいとこついてくるね」今日も齋藤は機嫌良さそうだ。
「いいとこだったか、 良かった。 僕デート経験なかったから、大丈夫か心配だったんだよね」 いつの間にか、そんなことも齋藤に話せるようになった。
「マジ?前回が初めてだったの?どうりでホルモンの話ばっかりだったわけだ」 齋藤は納得の上、回想しているようだ。うんうん頷いている。
まさか1度目のデートに不満があったとは気づかなかった。 今日は上手に進行しないと。
「廃墟は次どんなとこ行くの?」運ばれて来た豚肉をしゃぶしゃぶしながら齋藤の趣味の話を聞いてみる。
「夏休みになったら新潟まで行っちゃおうかな。 現地までの交通手段あるか微妙なんだけど、 最悪タクシーで行っちゃう 」齋藤はレタスをしゃぶしゃぶして、ゴマだれで食べた。
「新幹線代だけでも結構するよね。 本格的に好きなんだね」 肉は大したことないが、ぽん酢がかなり美味いことに衝撃が走る。
「SNSのフォロワーが私の投稿を待ってるからね。 もちろん合法な写真しか載せてないよ」
「すげー。 捕まんないでね」
「フフッ捕まんないよ。 罰金なんかびた一文払う気ないし、 危ないことする気はないよ」
良い感じで世間話出来た。調子に乗った僕はスマホで撮った例の写真を思い出した。
「これ見てよ。 あの時の写真」
朽ちた別荘の前で、うつ伏せになり、スナイパーのように一眼レフを構える、齋藤の写真を見せた。
「私やばっ!こんなの撮ってたの?」齋藤はちょっと飛び跳ねるように大きなリアクションをとった。
「いい写真じゃない?お気に入りだよ 」僕は本当にお気に入り登録していた。
「人からこう見えるんだね。 夢中だから気づかなかった。 確かに面白いけど」小学生が昆虫図鑑を眺めるように、自分の写真を物珍しそうに見る齋藤。だがそのページには、タガメの裏側でも載っているのか?
「あれ?ごめん、 消した方がいい?」僕の目は泳いだ。また失敗だったのだろうか。
「何言ってんの折角の記念じゃん、 とっといて。 他人に見せたらキレるから」 真っ直ぐこちらを見つめて、キレるというより、プンプンといった感じだった。
齋藤と話をするようになって、まだ日は浅いが、意外な一面だらけで、一緒にいて楽しかった。 まったりした声とは真逆のサバサバした性格が面白いと思った。 本当に付き合うことになるかもしれないと本気で思っていた。 会計はいつも通り6:4で払った。
しゃぶしゃぶ後はサークルで会うと向こうから声をかけてくれた。 僕は齋藤の対応が嬉しかった。 思ったよりもずっと話しやすくてやっぱり自分と似ているんじゃないかと考えていた。 またデートに誘わなければいけない。 ただもう少し金を増やしたかった。
***
初めて日雇いのバイトに申し込んだ。 都内のオフィスでデスクの配置換えを行うらしい。降りたことのない駅から、ビル群を地図アプリを見ながら通り抜ける。 集合場所のコンビニの前では、タバコを吸う集団がいた。 髪がボサボサで明らかに風呂に入ってない&服洗濯してないって感じの、黒ずんだ50代くらいの男たちが6人タバコを吸い、 僕と同年代くらいの男が1人、離れて立っていた。
黒ずんだ男たちの歯が所々抜けているのを見て僕は歯磨きの大切さを胸に刻んだ。 集合時間になると小型バスが止まり、 僕らは誘導されるまま乗り込んだ。 大した説明のないままビルの前に下ろされ、 インテリが働いてそうな会社の綺麗なエレベーターに乗せられた。
4階に着くと、30代くらいの正社員らしき男がやっと指示を出してくれた。 4階と3階のデスクを入れ替えるようだ。 なぜそんな事をするのだろう。 無駄なことをするのが好きなのか、 金に余裕があるのか、 思いつきなのか、 不思議だがその不思議を口に出して良いような雰囲気ではなかった。
パソコンも書類も何も無い空っぽのデスクを次々に運んだ。 デスクは荷物用エレベーターに乗せられ運ばれていたが、 やがてエレベーターの前にデスクが溜まるようになると僕たちはやることが無くなった。 先ほどの30代くらいの社員はいない。
「早く指示くれないと何も出来ないよなぁ 」
「何かやることないの?」
愚痴をこぼしながら、黒ずんだ男たちは、だんだん一箇所に集まってきた。男たちの中でもリーダー格の人物は、次の指示の催促を、その場にいた若い社員にするのだが、彼には指示を出す権限が無いため、オロオロするだけだった。すると下っ端の後ろから、この仕事の責任者らしき人が来た。 その男は淡々と4人3階へ行くよう指示を出した。 誰が行ってもいいのに、黒ずんだ男たちは誰が行くか話し合いをしている。
日雇いのバイトってどれもこんな感じなのかな。 僕はこのバイトに関わる人物の名前を誰一人知らない。 自己紹介なんて存在しなかった。 この仕事に名前なんか必要ないんだ。 知らない人たちで集まって、 いかに時間をかけないで指示された仕事をするか。 闇バイトってこんな感じなのかな。
僕は3階に来て運ばれた抜け殻のデスクを綺麗に配置していた。 こんな綺麗なオフィスで給料良さそうな会社に、バイトとはいえあいつらが入って良いのか?お世辞にも清潔とは言えない彼らが運んだこのデスクで明日から仕事をするんだろ?僕の中にある差別の意識が膨らんでいく。
パシャ
「誰だ!?写真撮ったの!」偉くなさそうな社員が声を上げる。
「すいません隠れてメール見ようとしたら、間違えて写真アプリついてたみたいで 」僕の心臓は50m走ったみたいに稼働していた。
「君、 仕事中はスマホ切ってくれないか。 給料出さないよ!」社員の追及は甘かった。
「すいません!切ります!」
心臓が口から飛び出そうだ。気付いたら写真を撮っていた。 自分でも驚いた。 齋藤にあんなに注意してたのに。 でもなんとか切り抜けた。 良い手土産が出来た。
***
3回目のデートはまた焼肉になってしまった。 個室で話したいと思ったら近くのチェーン店の焼肉屋しか思い付かなかった。
「個室でじっくり話しましょうやってこと?」齋藤は割り箸の袋で折り紙をして、箸置きを作った。いつもならそんなことしないのに。
「まぁ、 そんな感じです」女性は何を考えてるのか分からない、と箸置きを見て思った。
そして僕はホルモン屋にはなかった牛タンとカルビを頼んで、早速手土産の話を始めた。
「デートの資金貯めるのに日雇いのバイトしたんだけどさ。 綺麗なオフィスに僕みたいな学生の小銭稼ぎと命懸けの汚いおっさん、 おっさん達より若いスーツ着た社員がいて、 空のデスクを4階と3階で無意味に交換してたんだよ。 その光景がさ、 ものすごくメッセージを伝えて来てると思ったんだよね。 僕たちの敬愛する ミロのヴィーナスの真逆だよ。 我慢できずに写真撮っちゃってさ、 これなんだけど」
齋藤は写真を見てくれた。 なんかあんまり楽しそうじゃない。 いや、 キレていた。
「なんで倉木くんはヴィーナスの話ばかりするの?」齋藤は割り箸を強く握り締め、眉間に皺を寄せた。
「共通の話題だし‥‥‥ 」僕は視線を網に向ける。
「にしてもしつこくない?」かなり強い語気で発せられた言葉が僕に突き刺さる。
「僕には大事なことだったから。 確認したかったんだ。 ごめん」頭が真っ白になった。
ジュー、ジュー
焼肉はあんまり美味しくなかった。 ホルモンじゃないのに噛みきれなくて、諦めて飲み込むことが何度かあった。今日は何も上手くいかない気がする。
「さっきの写真、 言いたいことは何となく分かるよ。 世の中の皮肉って感じ。 ある意味アートだと思う。 でも気分は良くないから消しても良いんじゃん?」あれだけ怒っても、写真の感想をくれる優しさに、僕は救われた。
「そっか、 面白いと思ったんだけど」肉を噛み切る力と同様にデートを楽しむ余裕も残っていない。
「あと人が沢山いるのにリスクをとって写真撮るなんてバカすぎ。 倉木くん思ったよりバカ丸出し」僕の馬鹿な行動は、齋藤の考えるセーフラインも超えていたようだ。
「それは反省してる」
今日は何も上手くいかない。 知りたいことが見えてこない。
「倉木くん、 ごめんね。 これでも悩んだんだけどさ。 私やっぱりお付き合いは出来ない」
急な展開だった。 まさか今日ここまで話を詰められるなんて。 ここからが本題だ。
「でもさ、 デート楽しいって言ってくれたじゃん。 何で?」
自分から誘っておいて簡単に受け入れるのは妙だから言葉を繕う。 僕が知りたいのは断る理由だ。
「私さ‥‥‥人のこと好きになったことないんだよね。 変わってるって思うかもしれないけど。」
ほらねっ!
「やっぱりそうなんだね!僕もなんだよ!ごめん黙ってて。 あと試すようなことして」 僕は急激に元気になった。この瞬間をどれほど待ち望んでいたか。
「え?何言ってるか分かんない」 網に残っている肉がコゲている。
「だから僕も人を好きになったことなかったの!ミロのヴィーナスの話を聞いて齋藤も僕と同じなんじゃないかなって気がついてさ。 結構センシティブな話じゃんか。 だからこうやってデートして確かめてたんだ。 思った通りだったよ!」
「待てよ!人を好きになったことないっていうのは倉木くんを傷つけずに確実に振るために話した嘘だから!私は単純に君とは付き合いたくないと思っただけだよ!一緒なんかじゃねーよ!」
「えっ!?」
お互いに異なる理由で動揺している。 地獄のような時間が流れ僕は涙を流した。
「やっと理解者が現れたと思ったのに‥‥‥」網の上の肉は、水分も油も焼き切れて、炭になっていた。
「疲れた。 何これ。 もう帰るから」怒りと呆れに襲われて、齋藤には疲労だけが残った。
「うん 」
最後の焼肉デート。 割り勘をして端数を僕が払った。
***
「もしもし、 電話出てくれてありがとう」
「そういうことは言えるんだね、嘘つきにも。 むしろ嘘つきだから言えるのかな?何で翌日に電話かけてこれるの?異常な感覚をお持ちなの?私のこと好きじゃないならストーカーとは言わないのかもしれないけど 」
「まだ聞きたいことがあって。 ごめんね」
「用件は何?」
「何でメッセージの無いものが好きなのに読書サークルに入ってたの?」
「またそういう感じか。 本は意味がなけりゃつまんないでしょ。 逆に意味がないけどかっこいい物には崇高な力を感じる。 本にはそれを求めてないってだけ。 倉木くんはなんで読書サークルなの?」
「本には恋愛の話も多いでしょ?僕はそれを勉強したかった。 色んな人の話を聞いたら自分も変われると思ったんだ」
「ほんとに好きって気持ち分かんないの?可哀想だね。 でも人の気持ちが分かんないわけではないじゃん?サークルでの感想文とか他の人より感受性高いなって思うことあるし」
「ミロのヴィーナスに対する気持ちが好きってことなのかな?」
「えっ!?物に愛が芽生えてるってこと?本当か分からないけどテレビでエッフェル塔と結婚した女性がいるって聞いたことはあるけど 」
「よく分からない。 ヴィーナスにキスをしたいとは思わない」
「じゃあ別の何かだと思う。 メッセージ無いのがいいんだよね?空っぽの人間だったら好きになるってことじゃない?でもそんな人いないか」
「最近は生涯独身の人って増えてるって言うじゃん?僕みたいな人たちなのかな?」
「倉木くんは極端だねー。 中にはいるかもだけど、 人間色々だから。 だから倉木くんも分からないんなら無理して人を好きになろうとしなくていいんだよ。 たぶん」
「でも僕の生きづらさの根幹だからそんな簡単に開き直れないけど、‥‥確かにそうだね」
「マジで分かんないんだね。 やっと信じれたわ。 人間の姿した可哀想なモンスターだったんだね。 じゃあミロのヴィーナスの話が一致したからってなんで私まで人を好きになれないモンスターになるわけ?」
「何を美しいと思うか。 その価値観と視点が一緒だったから他の部分も一緒だと思ってしまいました。 ごめんなさい」
「極端だねー。 そんなに単純な方程式じゃないよ、 他人を理解するって。 このまま放置はできないわ。 私の好きな本の名言を君に贈るからそれを毎日唱えなさい 」
「え、 なんだろ」
「『この世界の戦いを終わらせるためには妥協をしなくてはならない。 線引き、 ルール、 知識、 信条他にも無数に存在する無知を私たちは紐解き合い理解をしていく。 その理解こそが愛であり、 理解出来なかったところを受け入れることも愛なんだ。』って大好きな漫画に書いてあった」
「んーーーー。 微妙」
「えっ!超かっこいいじゃん!折角教えてあげたのにムカつくー!」
「何で電話出てくれたの?」
「泣いてたじゃん。 訳ありかなって後々考えてたの」
「あのさ、 齋藤。 僕たち友達ではあるよね?」
「確認下手くそかよ。 不器用が極まってるわ。 しょうがねーな、 いいよ。 でも倉木くんに友情がわかるのかな?」
「えっと友情は‥‥‥ダイジョウブダトオモウ 」
「自信ねーのかよ!『友達』 って言ってみな、 モンスター!」
「 『ト・モ・ダ・チ』 」
「そういうコントは出来んのかよ、 複雑だなぁ。 まぁ大事な秘密知っちゃったから今日から友達として付き合ってやろう。 可哀想だし。 もう元気出しな」
そうか、 自分なりに頑張って生きてきたが、 これからは可哀想なモンスターとして見られるのか。 別に構わないか。事実だしその方が吹っ切れて過ごしやすいかもしれない。 願った結果にはならなかったな。でも正直に話して良かったんじゃないかな。 そうだ、齋藤をデートに誘って良かったよ。 おかげで僕の中の戦いが一旦終わった。
「齋藤、 ありがとう。 僕なんかに付き合ってくれて。」
最後まで読んで頂きありがとうございました。
ラストで結ばれてめでたし、みたいな結末じゃなくて申し訳ないです。タイトル見て恋愛ものだと思っていた方は怒ってるでしょうか?
私は今回の作品でも生きづらさを中心に描いてしまいました。自分が幸せじゃないからかもしれません。
冒頭の会話の意味が後になって分かる、みたいなことをやってみたくて、こんな感じで仕上がりました。
楽しんで頂けてたら嬉しいです。
ではまた!