聖女 VS 魔王②
ゼロ距離から魔王にぶち込む、旧聖女の聖杖を使った全身全霊の――
「ステ――――ッ?」
前後左右、どこに魔王が逃げようとしても私は当てられる自信があった。
だけど、そのとき、魔王は飛んだ。跳んだのではなく、飛んだのだ。
剣に固定された膝から下を自ら切り離し、片脚の魔王はその翼で高く高く飛翔した。
「わっはっは、お主はちょっと強すぎる。意味が分からぬ。我には無理! なんでそんな強いの?」
魔王が闇の翼でばっさばっさと滞空しながら、言い下す。
「だがどうだ、この高度差ならば、お主の魔法は選択肢が少なかろう。であれば、対応は容易いな」
「は? 逃げるんですか?」
「逃げぬ。というよりも逃げられぬ〈契約〉ではないか。だから我は、最悪お主が寿命で死ぬまで、この高さに避難していようと思うのだ。短命種よ。もっとも、我の手駒がお主を殺す方が、流石に早いと思うがな。ほうら、そのうち森の火が消える。さすれば魔術師どもがお主を狩りに行くぞ」
「ステラ」
試しにステラを撃ってみたけれど、真上に向けたその直線的な攻撃は軽く片手でいなされてしまった。
「………………」
…………………………。
「……………………」
え、待って。
ん?
だめだ、頭が追い付いていない。
は?
いや。
「………………………………」
は?
……これ勝ち筋なくないか?
いくつかシミュレーションしてみたけれど、どれも有効打になるとは思えなかった。
え……。
こんなしょうもない負け方をするの? いや、なにか手は……。
メイかロス先生の風魔法で打ち上げてもらうとか?
「上!」とエルミナの声。
強大な闇が、泥の塊のように降り注いできた。
「ッ――――」
少し、二の腕のあたりが触れてしまった。
闇に削り取られて、左上腕から下がぼとりと床に落ちる。
それは構わない。
元々魔王相手に四肢が全部残るなんて楽観はしていない。
だけど、旧聖女の聖杖が削り取られてしまった。
さらに上空から雨のように闇が降り注ぐ。
ヒカリの傘で、ギリギリそれを打ち消し続ける。
あれ、やばい。本当に負けるかも。
「わっはっは。百馬身の範囲から上空を排除しなかったお主の咎よ。我はお主の頭上に掲げられた墓標である」
「エルミナ、アイデアある!?」
全てを出し尽くして疲労困憊のエルミナに気を遣っている場合じゃない。
「お待ちなさい。えー、竜のウロコの部屋はどうですの?」
「百馬身よりは絶対遠い。ほかァ?」
「お待ちなさい。えー、レイを呼んできて地面を上げてもらうとか」
「確かに、百馬身以内から呼んでこっちに来てもらえればいいんですよね。お願いできますか?」
「まったく人使いの荒い……行ってきますわ」
エルミナが動こうとするその頭上から、小粒の闇が雹のように降り注ぎ、足元を融かしていく。その場から一歩も動くことができない。
「わっはっは、行かせるわけがなかろう」
屋根と天井のほとんどはもうとっくに〝削り取られて〟してしまっている。
状況を整理しよう。
魔王は今、上空で傷を癒している。
癒しながらも、その地の利で容易く我々を攻撃できる。一方で我々の直線的にならざるを得ない攻撃は、魔王まで届かない。共闘者を呼びに行くこともできない。
魔法陣での角度をつけた攻撃も、高度差の前にはあまり意味がない。
魔王の頭上に魔法陣を開く?
無理。全然届かない。
というかそこまで考慮して魔王は高度を維持している。
「動くだけで死にそうですが、それでも覚悟の上でレイを呼びに行かなくてはなりませんわね……」
「――っ、エルミナッ、上ッ!」
超特大の闇が、さながら夜の帳のようにエルミナの頭上に降り注ぐ。
それは、逃げようも、防ぎようもない大きさの闇の波だった。
「エルミ――ナ――――ッ!」
水たまりを気付かずに踏んだみたいに、闇が飛沫となって床上に弾ける。
それをエルミナはもろに食らってしまった……。
「どうして……」とエルミナの声。
良かった、生きている。
エルミナの上で、宰相が魔王の闇によってその存在の大半を削り取られていた。
「きみたちを祝福する。どうか健やかに、幸せに――――」
とだけ言葉を残して、そのまま存在ごと消滅してしまった。
「お父様っ!」
「なるほど、それが〈呪い〉というやつか。最期に親らしい矜持を見せたではないか。良かったなあ、正しく死ねて。あやつの友として、お主を誇りに思うぞ」
なんて魔王は煽っているが、正直私たちに感傷の暇なんて微塵もない。
今エルミナが助かったからといって、事態は何一つ好転していない。
可能な限り魔王から離れる? いやでも魔王を視認できる位置にいないと、いつ闇魔法が天井から襲ってくるかを把握できない。今よりも悪い状況になると思う。それよりはまだ、カトレア卿が剣聖一位を倒して戻ってくると信じて時間を稼ぐ方が現実味がある。
「どうだ、聖女。契約するか、おん? お主がここで自害するのであれば、我は地上に降りてエルミナと戦うことを約束するぞ」
王妃を人質に取る?…………それはあり!!!!
王妃が死ぬとき、〈契約〉によりそれは〝斬首〟でないといけないはずだ。
仮に魔王の闇魔法が王妃を巻き添えに殺してしまったなら、それは魔王の契約違反になるのではないか?
「エルミナ、王妃を盾にしてください! 魔王は闇魔法を撃てないはず!」
「うむ、賢いよ」
エルミナの保護よりも早く魔王が滑空するように降りてきて、王妃を抱き上げ、そのまま上空に連れ去ってしまった。
「……~~ッ!」
「わはは、魔王とは姫をさらうものであるらしいからな! そもそも我の〈契約〉であるぞ。気付かぬわけがなかろう」
ちくしょうがっ。今の、今の魔王の行動は予測可能だったはずだ。魔王が気付いていようとも、絶対に王妃を回収に降りてくるタイミングはあったのだ。今しか聖魔法を当てる機会はなかった。なぜ、なぜ私はこんなにも愚かなのか。くそくそくそくそくそがっ。
やばい。本当に負ける。
死力を尽くした真っ向勝負ならともかく、こんなしょうもないことで?
頭上から、闇の霧雨が降り注ぐ。
エルミナと合流し、聖魔法の傘を作る。
こんなの、私たちの魔力が持つはずがない。
悔しい。
思いつかない思いつかない思いつかない。
悔しい悔しい悔しい悔しい。
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい。
愚かさだ。私は自分の愚かさに負ける。
本当に本当に悔しい。
光の傘が削れていく。
ゆっくり紅茶を飲みながら、丸一日かけて考えられるのなら打開策を思いつけるかもしれない。
だけどこの、一瞬でも気を抜いたら体中に穴が開いて死ぬ、あるいはもう間もなくそれすらできなくなるという状況で、焦りばかりが頭の中を走り回る。
私の頭じゃだめだ。
ユナちゃんならどうするか考えろ。
……………………!
「マユナ!」
マユナを召喚して、胴体の下に避難する。
魔物に闇魔法は入らない。闇雨に対する屋根になってくれる。
「よい機転だぞ」
魔王から降り注ぐ闇の性質が変わった。
ゆっくりと粘性を持ったハチミツのような闇が空から垂れてくる。
それは床に溜まり、徐々にフロア全体に広がっていく。
その先端に触れた宰相の死体が、ゆっくりと消失していく。
「わっはっは、我はお主らの死だ。上からか下からか、死に方のみを選ばせてやる」
闇が迫ってくる。
………………完全に詰んだ。
悔しいな。
戦える魔力はまだ残ってるのにな。
まだ全然やれるのにな。
「……最期に幸せなキスでもします?」
ギリギリのところで闇をせき止めてくれているマユナにもたれかかりながら言ってみる。
「馬鹿なことおっしゃらないでくださるぅ? あなたと口づけを交わすくらいなら、シチューでも舐めた方がましですわ。……魔王!」とエルミナが声を張り上げる。「お望みの契約があるならおっしゃりなさい」
「この期に及んであるわけがなかろう、そんなもの! だが、うむ。そうだなあ。我は人間の言うところの愛を、慈愛を理解しておる。お主らが殺し合いをしてどちらか片方だけが生き残ったのなら、この雨だけは止めてやろう」
私もエルミナも、この契約で勝ち筋が生まれるかどうかを考えた。
「…………どうします?」
エルミナが尋ねる。
今の状況よりは少しはマシになるかもしれない。
だけど――。
それを受け入れるということは、エルミナと出会い、たくさんの冒険をしながら歩んできたこの人生に対する、唯一の冒涜であるように感じられた。
だから――。
これは確実に合理的な回答ではないけれど――。
「一緒に死んでくれますか?」
「よくってよ」
私たちは〈契約〉を拒絶する。
「そうであるか。誠に残念だ。ただ、去ね」
頭上に巨大な闇が練り上げられていく。
まるで空間が割れるように、漆黒のゲートが開く。
これが私たちの死だ……。
「■■■■■!」
上空に開いた無数のゲートから、空間を裂くように竜が出現した。
「――~~……っ!」
一体や二体ではない。その数、三十六。
数多の竜が、流星のごとく魔王めがけて降り注ぐ。
おそらくは古典エルフ語だと推測できる聞きなれないその言葉が、竜の群れを操っている。
「■■■■■!」
音の意味は分からないけれど、私はその声を知っている。
竜騎士。
異世界からの転生者。
私の、妹。
「ユナちゃん!」
「おまたせ、姉さん」
ミューの咆哮が炸裂した。




