聖女 VS 魔王①
エルミナの攻撃で肉体の朽ちた魔王が、闇を纏って変成していく。
ここにきて旧聖女の言っていた「魔王には二段階ある」をようやく理解した。
魔物化とは、死体に魔阻がまとわりついて、元となった個体をもとに攻撃性などが獲得される現象である。であるならば、「魔王」の本質は、寄生体となった個体が肉体的な死を遂げたあとにあるのではないだろうか。
母ミナの肉体をもとに、魔王が〝魔物〟として再構築されていく。
なにかがドンと変態する魔王の足元に投げ入れられる。
それは、エルミナの左腕だった。
理解をするのに時間がかかり……、
「――――~~~~……っ!」
そのあまりにエルミナ的な行為に頭が痺れた。
魔物化中に血肉を捧げることで魔物のコントロールを得る、ということを私たちは学院で学んだ。片腕のなかった研究員は、それを供物とすることで長期のコントロールを得たと言っていた。
だからエルミナは試したのだ。
自ら腕を斬り落とし、魔物化する魔王に投げつけた。
私は思いつかなかったし、思いついてもやらないだろう。
だけどエルミナはやる。なぜなら人間態の魔王を倒した時点で、エルミナはもう戦闘要員としては役目を終えている。だから片腕くらいなら不要。死の間際に「あれを試しておけば良かった」と後悔するくらいなら、やる。エルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとはそういう人間だ。
「わっはっは、実に勤勉なことよ」
闇の渦中から快活な声が聞こえてくる。
「ほれ、返してやるからくっつけよ」
エルミナの腕が闇の中から戻ってきた。
「あら、お優しいこと」
エルミナが自身の左腕をキャッチした。
まあ確かに、そこに弱点があるのなら、流石に変態するタイミングで一度姿を隠すだろう。エルミナも、一応試しておくくらいの感覚だったと思う。だけど私たちはそういう「一応」の試みを積み重ねてきたからこそ、今ここに立っていられる。
魔王を取り巻いていた混沌の渦が、ゆっくりと晴れていく。
「ねえ、エルミナ」
エルミナに残っている魔力を全部もらう間の繋ぎの発声だったけれど、急に思いついて、エーデル領以来ずっとぶらさげていた魔法石のネックレスを握ってみる。
「なんですの?」
「エルミナのこと、全然愛していませんよ」
握っていた石が砕けた。
少しして、エルミナが理解してくれて、自身の魔法石を握る。
「わたくしも、あなたのことなんてちーっとも愛していませんわ」
砕けた魔法石を、これでもかと見せてくれる。
お土産で買った石を旧聖女が加工してくれたネックレス。
使用者が握り、嘘をついていると自覚的に発言した場合にのみ割れる簡易魔石。
当時は意味の分からない効果だったけど、今の情報量だったなら、この効果を選んでくれた旧聖女の意図が分かる。
旧聖女は、自分だけにしか〈魔王〉が視えず、それを他の人々に信じてもらうのに苦労したのだろう。だから私たちが〝二人で〟あの洞穴を訪れたとき、「自分が嘘を吐いていないと信じている」ことをパートナーに示せるアイテムを追加で託してくれたのだ。
たぶんきっと――。
もうちょっとでも今と違う人生だったなら、このアイテムは大いに役立っただろう。
しかし少なくとも私たちの〈今〉において、これはもう不要なものだった。
私はこんなものがなくともエルミナのことを信じるし、エルミナも私のことを信じてくれる。
だからごめんね、旧聖女様。
結構しょうもないことに使っちゃった。
だけど――。
よっし。
「なんかめちゃくちゃ元気出たな」
魔王の前に歩み出る。
「最期に交わす言葉がそれででよいのか? 口づけの一つや二つ、待ってやるぞ」
魔王形態の魔王は、それはもう、破滅的な色をしていた。
姿形は先ほどまでとそこまで変わっていない。
だけど魔獣や魔人がそうであるように、その輪郭が曖昧に揺れている。
これまでと違って、この姿はこの場の全員に認識できているようだ。
黒く深い闇の輪郭。
その紫黒には重さがあって、空間全体を食んでいるように見える。
あの領域に半歩でも足を踏み入れたなら、爪先から順に蝕まれて、そのまま私という存在ごと消滅してしまいそうだ。
「やれやれ。行為を重んじるとは、魔王様は愛というものがまるで分かっていないようですね」
怖いか怖くないかでいったなら、正直なところやや怖い。
それはたぶん、自分が負けたならエルミナが殺されてしまうという責任を伴った恐怖。
運命が共に重なるという恐怖。
だけど、生死を共にする覚悟くらい、私たちはとうに持っている。
むしろ私は、エルミナと生死を共にできないことの方がずっと怖い。
だからまあ…………私が負けたら諦めて一緒に死んでくれよな。
「お主らはつくづく、愛と愚かさから構成されている種族よな」
「私よりも、魔王様はそんなに人間っぽい姿でいいんですか? もうちょっと魔物っぽくならなくて大丈夫?」
「なんだお主、本当に知らぬのか。魔王と魔物は全くもって別種であるぞ。魔法と魔物が関係ないのと同じようにな。言葉に心象を引っ張られるのは、人間の大きな脆弱性であるよ。おかげで契約のなんと容易いことか」
そうなのか?
と思ったけれど、相手が自ら開示してきた情報に驚くのも癪なので、表には出さない。
それに普通に嘘の可能性もある。
だけどもし魔王の言う通り魔物と関係がないとしたら、私が自然に魔物を祓えるのは、スレイにおける、神を斬ることができる剣聖なら魔物ぐらい祓えるでしょ理論と同じものなのか?
先に「対魔王」があって、その線上に偶然「対魔物」が乗っている?
魔王を倒しうるレベルの聖魔法を使えるから、魔物にもダメージが入るということ?
それかあるいは、魔物の定義づけが間違っていたのかもしれない。「聖魔法が通る相手はすべて魔物」という分け方であったなら、魔王も魔物に分類されるだろう。
……ということを瞬き一つの間に考えて、結局は、
「そうなんですね。でも魔王様って私から見たらへにゃへにゃで魔物と同じように見えますよ」
とだけ出力した。
「つくづく愛い娘よ。理解しておるか? 我が〈契約〉によりお主から離れられぬということは、お主もまた我から離れられぬということでもある。ここはすでに檻の中ぞ。わっはっは、存分にかわいがってやる」
「ヒカリ」
笑う魔王の頭上にノーモーションで十二個の魔法陣を展開。
全周から聖魔法を檻上に放つ。
「魔王」を名乗る相手をこの程度の魔法で祓えるとは思っていない。
だけど!
無駄撃ち上等。一発当てて、まずは弱攻撃がどれくらい入るかを見ておきたい。
魔王の背中に闇の覆いのようなものが生じ、魔王の盾となる。
当たったヒカリは、ほんの一瞬だけ盾を穿ったが、それらはすぐに闇で塞がれてしまった。
なるほど、こんなものか。ヒカリはあまり意味がないな。
となるとステラで攻めて、ゼロ距離から旧聖女の遺した聖杖で決めにいくのが基本方針になりそうだ。
魔王が闇の槍を形成して放つ。
躱した四本の闇槍が私の背後で急停止し、闇をまき散らしながら爆発四散した。
「――――ッ」
反射的にステラで相殺する。ステラの及ばなかった僅かな闇が飛んできて、袖元を削り取っていった。
…………危なかった。
闇魔法の侵食部位は聖魔法では治せない。あとほんの少しでもステラを出すのが遅れていたなら、ノーガードの私は魔王の初撃で穴だらけだっただろう。一緒に死んでくれよな、なんて言っておいて初撃で死ぬのはちょっと格好が悪すぎる。
剣を抜いて、杖と重ねて握る。
聖光付与。聖光付与。聖光付与。
聖剣完成。
身体の方にも身体強化の上から聖光付与。聖光付与。聖光付与。聖光付与。
紫黒の魔王と対照的に、全身が白い光に包まれる。
これで闇がちょっと当たったくらいでは、削り取られる前に打ち消せるだろう。
きっとこれは対魔王戦以外では実用的ではない技術だ。この場で思い付いたからといってぱっと実行できる難易度でもない。だけどあいにく、私は魔法大会のときにこれを練習しまくったのだ。
魔王の影から伸びた闇が、私の足元から立ち上がってくる。跳んで避ける。
さっきまで私がいた空間を覆いつくす闇は、不必要に魔王のシルエットをしていた。
「ん、もう。余裕ぶってくれちゃったさあ!」
フェイントを一つ入れて直角にステップを踏んで、聖光付与を重ねた剣で魔王に斬りかかる。
魔王が手元の闇を集めて剣を模る。
魔剣と聖剣、二つの刃がぶつかる。
「ステラ」
剣先から、魔王の鼻頭めがけて至近距離からのステラ一発。
魔王が敢えて聖魔法を相殺せずに、私目掛けて闇魔法を放ってくる。
下がる前にギリギリもう一撃放ってから、距離をとる。
……ちっ。
魔王は魔物ではない、と言っていたから、もしかしてと思って試しに闇魔法を撃ってみたのだけど、魔物に入らないと同じくらい攻撃が入らなかった。
なら今の機会はステラを撃つべきだったな。
なんだよ、少なくとも性質は魔物と同じじゃないか。
魔力を無駄にしたことよりも、魔王の言動に乗せられて攻撃機会を一回損なったことへの後悔がある。だけど、もし闇魔法が入るのなら今後の考え方がガラリと変わってくるのだ。やっぱり早めに試しておくのは正しかったのでは? いやでも……。
だけどそんなことを引きずっても仕方がないから、無理やり自分を納得させて、この後悔は次に右足が着地するまでと決めた。はい着地。
「ステラ、ステラ、ステラ」
三つの聖光球を滞空させる。
ノーアイデアだけど、魔王の視点からすると無数の可能性があるから結構嫌なはずだ。
ゴー。
姿勢を低く、魔王から見える私の面積を小さくすることを考えながら突進する。
魔王の判断が先ほどよりわずかに遅いのは、三つのステラへのケアが必要なためだ。
下から上に、まだ刃の届かないギリギリの距離から剣を振るう。
「灯剣」
剣太刀に合わせて、聖魔法の斬撃をぶっ放す。
「ぬっ――」
剣の届くギリギリ外ということは、完全に魔法の間合いだということ。
「どうよ」
さっきのカトレア卿から拝借った技だけど、今のは完全に入った。
「行けっ!」
浮いていたステラを三方向からぶち当てる。
さらに、
「ステラッ!」
聖魔法の三連打で真っ白に染め上がったネココ産の魔法杖から放つ最上効率のステラ。
魔王が後ろの壁まで吹き飛んだ。
追撃!
「―――――…………~~ッ!」
ぎりぎりで追撃の脚が止まった。私と魔王の間に広がったすべての床が闇に覆われていた。
「惜しかったなあ!」
闇の向こうで魔王が元気よく吠える。
あと一歩でも深く踏み込んでいたなら、今頃私の下半身はこの世のどこにも存在していなかっただろう。
といってもさっきのステラは完璧に入っていたので、魔王にだって確実にダメージは入っている。ここで会話に付き合って休ませるのは良策ではないはずだ。攻め手を緩めない。
「護光剣」
七本の光剣を闇魔法の絨毯に突き刺す。
それは魔王までの道しるべ。
闇に溶けていく光剣の柄を踏み台にしながら、魔王の頭上を取る。
「ステラ、ステラ、ステラ、ステラ」
四つの光球を左の腕に纏いながら――。
「灯剣」
「それはさっき見たわ」
斬撃の受けに回った魔王を、灯剣は狙わない。
魔王の足元の、爪先が触れただけで消滅してしまいそうな、一番濃密な闇の部分。
その闇を灯剣で払い、一歩足を乗せらるだけの僅かな無効地帯を作る。
「ステラッ!」
闇に囲われたゼロ距離からの左腕四連ステラ。
ぐらついた魔王の左脚部に聖剣を突き立てて動きを封じる。
ここしかないっ!
旧聖女の聖杖を抜く。
この後、数十日寝込んだっていい。残ったすべての魔力を込めて――。
「ステ――――ッ?」




