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最前線でお茶を飲む②

「王妃様は魔王様をお慕いされているのですか? それとも契約で縛られていますか?」


 せっかく私の紅茶を受け入れてくれたのだから、声をかけてみる。というか二人がかりで魔王と戦うという選択肢を取らず、エルミナが私をお茶飲み係に任命したのには、きっとこの卓からなにか探ってこいという意図も含まれているだろう。

 過去生では少し話したことがあるけれど、今生で王妃と会話するのは初めてだ。


「どちらも正しい、とお答えします。わたくしが裏切らないように魔王はわたくしを契約で縛っていますけれど、例えそれがなかったとしてもわたくしはあの魔王様が好きですよ」


 言いながら、王妃が指先の微細なニュアンスでおかわりを所望してきたので、注いで差し上げた。「おかわり」のためのおかわりというよりは、どちらが給仕係なのか、立場を明確にさせるためのお替り要求だったように感じられた。


「あの魔王のどこらへんをお慕いされているのですか?」

「力です。権威、シンボルと言い換えてもよいかもしれませんね。知っていますか? わたくしと貴方たちは、ある側面においてはゴールを共有しているのですよ」

「というと?」

「わたくしの理解によると、貴方たちは貴族優遇の王国システムの現状を変えたいと考えていますね?」

「……はい、その通りです」


 一瞬、契約魔石のことが頭をよぎったけれど、今はもうその段階にはいないと思って肯定する。


「わたくしはもう少し先、現在の王制を終わらせたいと考えています」

「それは………………へえ……わはは」


 思わず笑ってしまった。

 仮に今の言葉が本当だとしたなら、私の知っている公爵家と王家のほとんどが、目的や方法は違えどこの王国を破壊したいと考えているということになる。いやでも今この状況が存在するということは、きっとそうなのだろう。


「ちなみに、理由を伺っても?」

「嘆かわしいのです。誰もかれも王国法を出し抜いて己の利得を得ることばかり考えている。もはや王の権威も王に対する敬意もどこにもない。こと王制に於いて、重視されない王ほど無力で害悪なものもないでしょう」

「でもそれは、権威付けに失敗した王宮側に責任があるのでは?」


 確かに貴族たちは誰もかれも好き勝手しているし、彼女の言うことはかなり分かる。だけど王妃――王宮の内側の人間が、王の権威がなくなったからと王制を終わらせるのは、なんというか自己陶酔的じゃないかという気がした。

 権威がなくなってきたというのなら、それが回復するように頑張ることこそが王的な責任なのではないか。


「ああ、ステラさん。貴方はとても律儀な人なのね。ただ、真に民のことを考えるのであれば、病がこれ以上拡大するよりも先に、取り除いてしまった方がよいとも思わない?」

「でも病自身が病を取り除こうとするのは、摂理的でないと感じます」

「つまり、わたくしの手によってではなく、貴方がこの国を救いたい、と。結果が同じだとしても? 合理的でないのではなくて?」

「そうではありませんが……」


 言い淀む。この議論はもうちょっと続けられそうだけど、セイラが剣を抜かずとも達人的であるように、進行させずとも私の方が負ける議論だなというのが直感できた。

 レッカ様とかもそうだけど、上の世代は私よりもはるかに会話の舵取りが上手い。


「もちろん、〈王〉というシステムを残しながら、わたくしだけが退いてヨハンに継がせてもよいのですが、それで良くなるのはせいぜい数年でしょうね。なぜなら貴方たちがこの場にいるということそれ自体が、貴方たちの王制に対する軽視を示している。貴方は今日ここに至るまでに、どれほどの王国法をすり抜けてきましたか?」

「だから〈魔王〉を使って一度すべてを破壊する?」

「端的に言うのであればそうですね。こと国の破壊という点において、魔王よりも上手くできる者はいないでしょう。適した手段があるのに理由をつけてそれを使用しないというのは、怠慢に他なりませんよ」

「でもそうすると、国が破壊された後、誰も魔王の傍若無人を止められなくなるのでは? なにか〈契約〉を結んでいるのですか?」

「いいえ。そもそも止める必要がありません。そのまま何十年でも魔王に支配されてしまえばいい。王を舐め腐った当代の貴族たちが死滅し、その価値観が途絶えて初めてこの病は癒えるのです」

「……病を癒すのにかけるコストが高すぎませんか? 王宮と貴族間で解決できうる問題で、平民の生活を脅かさないでほしい」


 エルミナは魔石利権と平民の生活基盤や衛生が結びついていたことで、リムが発見されるまでシステムに手を加えられずにいた。それと比較するなら、この王妃様の主張は「そんなの知らないからとにかくぶっ壊せ!」と言っているように聞こえる。


「あら、平民の生活だけに関していうのなら、少なくとも今よりは良くなると思いますよ。ユーレン、ショウン、ミステカ、リーメイ、エクセンテ、この十年ほかにもさまざまな土地で色々な条件・制度を試してきましたが、結局のところ平民の幸福に最も強い負の相関があるのは領主の強欲さであるように見えます――なんて最初から分かり切っていた話ですけれど、きちんと確かめてみないことには印象の域を出られませんからね。その点、魔王はいいですよ。財を所有するということに無関心ですから。ただその一点のみによってでも、人々の生活は良くなるでしょう。少なくとも今よりは」

「……議論がすり替わっていませんか? 私の問いは、あなた方――あるいは私たちでも全然いいんですけど――の努力でなんとかなることを、遠大なリスクを背負って魔王を使わなくてもいいのでは、という部分です」

「順に答えましょう。魔王もまたわたくしたちの努力の一形態です。リスクに関しては、わたくしの方が魔王様と付き合いが長いですから、少なくとも貴方たちよりは適切に把握していると考えています」

「仮にそうだとして、魔王に現状が破壊されて、新しい生活を強いられるのって普通に考えてかなり嫌じゃないですか? 生活云々の前に人々の心が付いてこないのでは?」

「貴方が今ここで真っ先に思いつくような疑問は当然いくつもの街で条件を変えて実験してきました。その結果には様々な感傷を抱きましたが、端的に言えば人心が付いてくるために必要なものはただ二つ、()()()()()だけですよ。属性は関係ない。その点、あの魔王様はお顔が整っているでしょう? 心なんてこれほどいい加減で曖昧なものもありません。結果さえ伴うなら、心の方から自然と受け入れる形になりますよ」

「…………………………」


 これはユナちゃんから学んだことの中で唯一、この国で生きていく上での弱さだと思うのだけど、私はきちんと条件が比較された実験だとか、正しく取られたデータだとかに弱い。

 だから私たちは()()()魔法と血統についての相関を調べていない。なぜならこれは「信念」の問題だからだ。

 逆にいうと、もし貴族の子どもたちと平民の子どもたちを0歳から完全に同じ環境で育てて貴族の方が優位に魔法を発現したという結果を受け取ったなら、私は少し考えを改めるかもしれない。


 ――同じように、今の王妃の言葉が少し刺さってしまった。


 もちろん、今の主張に対して「実験のやり方が正しくはないのではないか」「擬似的な相関なのではないか」などなど、実際のデータを自分で確かめるまでは好きにいちゃもんをつけられるだろう。だけど私は魔法学院(キエルヒ)で理論や仕組みの解明のために研究室に寝泊まりしながら日夜探究を行っている人たちを見てきたから(予言研究室は除くものとする)、そういう人たちの見い出したきちんとした成果が存在することも理解している。


 それに今出た名前の中で、「リーメイ」は知っている。『人間の愚かしさについて』の街だ。あの街の試みは面白いと感じたし、自分が領主だったとしてもやりそうな政策だと思った。もしも似たようなことを何十何百と試して、きちんとデータを取った上での結論が「人間はどうしようもない存在であることがデータとして表れたので、そのどうしようもなさを効率よく扱うために魔王を使います。たぶんこれが一番早いです」だったとしたなら……。

 私は結構「そうなんだ」と思ってしまう。……思ってしまった。


 仮に私がこの王妃様と同じように魔王と親しかったなら、もしかしたら私も同じ方法でこの王国を壊そうと考えることがあったかもしれない。


「……疑問に思ったのですが、王妃様のおっしゃるそのやり方も、王国法のプロセスにはないですよね? そもそもあなた自身が王国を軽視しているのでは?」

「うふふ、唯一の勝ち筋を見つけられて嬉しい嬉しいですね。ですが残念。わたくしはこの後、王国法を無視した咎において、処刑される手筈になっています。それはもう、王国法に則りきちんと斬首で」


 王妃が洗練された指先でクッキーを掴む。

 どこで言葉に間を入れて、どう動作を挟むと格高く見えるか、という点において、この人の振る舞いから学ぶ点が多くあるように思われた。場を制圧できるものが言葉と暴力以外にあるとすれば、それは「気品」と私たちが呼ぶものだろう。


「そうですわ、一つ、全然違う話なのですけれど聞いてくださる? この後のわたくしの処刑に関する契約を魔王と結んだ際に、わたくしたちは処刑を『斬首、すなわち頭部と胴体が分離すること』という言葉で表現しました。だけど、あのお馬鹿な魔王様は、カトレアとの契約に貴方の死を盛り込んだ際に、おそらく同じ表現を使ってしまったのでしょうね。おかげでカトレアを縛っていた契約が終わり、わたくしには貴方とこうして議論している今がある。ね、人生って面白いわ」


 なんだろうな。行き着く先は敵なのだけど、私はこの人のことが好きになってきていた。物事にきちんと向き合おうという気持ちが見えるし、その中で起きた予想外の事態を楽しんでもいる。


「私が今ここで王妃様を殺したら、魔王との契約はどうなりますか? 逆に魔王が死んだりしませんか?」

「条件文が付いているので別にどうにもなりませんよ。流石にそこまで愚かな存在に王国を預けたりはしません」

「それは、そうでしょうね」

「ただわたくしとしたら、本当は貴方にも手伝って欲しかったのですよ。価値観の刷新が終わったのならば、そのときには魔王は不要となります。数十年後、魔王を打ち倒すのは、貴方が育てた次代の聖女であって欲しかった。そうして貴方とエルミナから教育を受けた古き良き次代聖女に国を治めて欲しかった。大きな物語は、求心を生みますからね。美しい聖女物語のために、お二人は大事なピースだった。だけど貴方たちは、どちらかしか生き残れない契約をしてしまった。その点はとてとて残念です」


 悪役令嬢と聖女、という対立軸を作ったあとで、聖女が悪役令嬢を打ち倒す、というシナリオは私たちだってトレを吸いながら検討したことはあった。この王妃様はそれをもっと遠大な、魔王と次代の聖女というスケールでそれをやりたかったのだ。


「貴方たちにとってもいい話だと思うのですが、休戦しませんか? 〈契約〉に期限は設けられなかった。あなたたちが数十年の間、仲良く百馬身以内の距離に収まっていればそれでいいのです」

「今後魔王に死に追いやられる人間が確実にいると思います。近くにいて、それを感知し、あまつさえ止められる可能性(ちから)を持っていながら見なかったことにする、というのは、私の感覚としては加害への加担に近いものがあり、許容し難いですね」

「高潔なのね」


 侮蔑が巧妙に隠された、けれども確実に私への侮蔑が込められた『高潔』だった。


 だけど魔王は宰相夫人の状態でもすでに多くの人間を死に追いやっているはずだ。エルミナがかつて言っていた「対象を公衆の面前で自死させる」というのも、〈契約〉の概念を知った今なら理屈に納得がいく。

 仮に、もし仮にその人間を殺す必然性が魔王の中にあったとしても、なにもわざわざ人前で自死させる必要はないはずだ。ただ単に、魔王がそれを楽しんでいるからだとしか、シェルターで熱い一夜を共にした私には思えない。そんな魔王がもし正体を隠す必要なく魔王然と振舞おうとするのなら、合理性や富への興味に一切関わらず、咎のない人々を殺すくらい平気でやりそうだ、と私は感じる。そしてそれは当然、私よりも魔王と親しい王妃様の方が感じているだろう。そして王妃様はその点に関しては切り捨てることを選んだのだ。


 つまるところ、

「王妃様は魔王の善性を過大評価しているのではないでしょうか。あるいは仮に過大評価ではなかったとしても、そもそも魔王云々を抜きにして、他者の善性頼りの国政を執り行なうことそれ自体が間違っているのではないかと私には感じられます」

「おや、先ほどのリスクの話に戻ってきましたね。だから貴方の善性を信じて、魔王から貴方に鞍替えしろと?」


 議論の能力に差がありすぎる!

 むしろこんなに聡明な人がこう言っているのだから、魔王に王国を渡した方がいいのではないかという気がしてきた。


「私とエルミナは、魔王がいなくとも、王妃様にはない知性と視野と人間的な魅力で上手くやってみせます。ですのでリスクの高い魔王は不要です」

「うふふ」


 もちろんこれは冗談だけど、この人が笑いを示してくれたのはちょっと嬉しかった。


「取り繕っても仕方がないですね。正直に言うと、魔王は私の大事な人の命を欲しがっています。なので私はここで魔王を殺す必要があります。魔王を殺すことであなたのプランは乱れるかもしれませんが、別の道筋であれ、私も私にできる限り王国の再興に努めるとお約束します」

「……よく言えましたね。でしたら邪魔はしませんよ。好きに魔王に挑んできてください。わたくしは魔王様が勝つと思いますけど、そのことと貴方が魔王に挑むかどうかを決めることは無関係ですからね」

「……ありがとうございます。あなたとこうしてお話をする機会があって、とても良かったと思います」

「わたくしもですよ」


 そう言って、王妃が私のカップに紅茶を注いでくれた。


「……あなたが死んでも魔王の契約に影響はない、という点は納得しましたが、逆に魔王が死んだらあなたの処刑の契約は消えますか?」

「仮に契約が果たされなかった場合、魔王の死から七日後にわたくしの首が落ちるそうですよ。頭の中でカチンと着火されるような契約時のあの感覚。貴方もあれを味わったことがあれば、そこで得られる直感が真実であると理解るでしょう? 確かに、『お主が死ぬ契約を結んだが、我を殺せば消えるぞ』というのは流石に愚かすぎますからね」

「似てますね」

「でしょう? 夜な夜な練習をしているの」

「……あなたに死んでほしくない、と私は感じます」

「その言葉はありがたく受け取りましょう」

「ちなみに意志の話として、もし私たちが魔王に勝ち、かつ王妃様が死なない道筋を提示できたなら、私たちに協力してくれますか?」

「あまり結果を出しそうには思えない改革を手伝えと?」

「そうです。というか、私が魔王討伐という結果をきちんと出せたなら、あなたの予想が間違っていたということなんですから、流石に受け入れて手伝ってください」

「強引なこと」

「心なんて曖昧なものは、後からついてこさせてください」

「……愉快ですね。子どもたちが求婚するのもよく分かります」

「すぐ『面白い』って求婚するのは、明確な脆弱性だと思うので改善した方がいいですよ。王族ってそんなに娯楽がないんですか?」

「それはもう。民のために最適を取り続けることが責務ですからね。こうやって無邪気に面白がれる機会なんてほとんどありません。ねえ、アルスではなくて他の国に嫁いでいたなら、もう少しは楽しかったのかしら」

「でもスレイの皇子も求婚してきそうでしたよ」

「……貴方がそばにいる、というのはきっと楽しいのでしょうね。妬いてしまうわ」

「仕方ないですね。手伝ってくれたなら、たくさん楽しいことを教えてあげますよ」

「情熱的ですね」

「私は、高潔で、情熱的なんです」


 王妃様がくすりと笑った。


「よいでしょう。その時を楽しみにしています。もっとも、わたくしは明日以降の貴方の生存を信じていませんけれど」

「それは良かったです。驚きには一種の娯楽性が含まれますからね」

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