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冷たい部屋

 水の冷たさで目が覚めた。

 顔を拭おうとして、両腕が壁に固定されていることに気が付いた。

 手首に体重の重さが食い込む。

 足首からも重りがぶら下がっていた。

 闇魔法で鎖を削り取ろうとして、それが竜のウロコであると認識できるまでに少し時間がかかった。部屋を見まわして、その壁の全てが竜のウロコであることに気が付く。


 〈魔王〉と目が合った。


「まあ、ごきげんよう。エルミナのお母様」

 まおう、という言葉が音になる直前に、自分が〈魔王〉に気付いていないという設定をぎりぎりで思い出すことができた。

「ごきげんよう。聖女」


 意外にも、魔王と挨拶を交わすことに成功する。


「……エルミナを罠にはめたのは、私が肩代わりすることを見越してですか? つまり、政治的な切り口で私を生け捕りにしたかった?」

「ほう。なぜそう思うか」

「私がいま生きているから?」

「面白い」


 部屋には魔王しかおらず、桶のようなものもない。つまりこの人間形態の魔王は私の目を覚まさせるためにわざわざ水魔法を使ったということになる。それはきっと、(聖女)と話したいことがあるからなのだろう。そこから逆算すると、そもそも今回の一連のできごとがそのためにあったのではないかという想像が働いた。


「やたら回りくどいことをしますね。わざわざ王様を殺さなくとも、普通に拉致すればよかったのでは?」

「うぬぼれるなよ。お前にそのような価値はない」


 つまり、国王を消したい動機が先にあって、この方法ならついでに聖女もハメれるじゃんラッキー、みたいな感じで私は今ここに囚われているということ? 確かにその方が納得感はあるけれど、この会話にどれだけの真実が含まれているかを私は判断できないので、話半分くらいに聞いておくのがよいだろう。


「私がここにいる理由はなんですか? あるいは宰相夫人がわざわざ私と話しに来る理由でもいいですけど」

「魔王と話してみたい、と思うのは自然だろう」


 そういえば私って魔王を名乗っちゃったね! それは私でも話してみたい。


「誤解を招いてしまったのであれば謝罪します。あれは比喩的表現としての言説です。きちんと説明しようと思ってたのに、その前に気絶させられちゃったから……。機能として魔王的というか、なんかそういう気分ってありませんか?」

「わはは、面白いぞ」

「むしろそういう意味では、あなたの方が魔王的なように見えますが。実は〈魔王〉だったりしません?」


 私は、

 ①ステラ(じぶん)が魔王でないと知っている

 ②宰相夫人が魔王だと知っている

 ③宰相夫人は「ステラ(わたし)が魔王でない」と知っていることを知っている

 ④宰相夫人は「ステラ(わたし)が魔王である可能性を捨てきれられずにいる」という演技をしていることを知っている

 の四つの情報を持っていて、だけど②と③と④の情報をこの会話の中に決して出してはならない。


 一方この魔王の方は、それらすべてを知っていながら、すべてを知らない体で発話をしないといけない。

 結果として、双方が過剰に無知を装わないといけないから、端的にいうと会話がやや馬鹿みたいになっている。


「三十年前の先代聖女の事件について調べたんですけど、全然情報が出てこないんですよ。世代的にあなたはその場にいたのではないですか? なにがあったか教えてもらえませんか? 言うまでもなく、私は比喩的な魔王なので、当時の魔王と関りはなく、よってこれは現代聖女的な王国のための質問です」

「なるほど。魔王を名乗っておきながら、聖女の立場は放棄しないと」

「それはまあ、この国で私が一番上手に魔物を祓えますからね」

「……よかろう。先代聖女が先王の殺害を企てた。当時の聖女と関係の深かったグランス公爵家が記録を消したから、お前には見られないのだろう」

「先代の聖女、ヤバですね」


 もちろん、魔王の言うことなので、信じないし、確かめようもない。だけど、私が「実際的な魔王ではない」という前提を認めさせたのは大きい。というか互いに会話が楽になって嬉しい。


 逆に魔王にとってこの会話はどんなメリットがあるのだろうと考えてみる。

 聖女機能、つまりは私を王国で雑巾のように使い果たすための言質を取りに来ているのではないだろうか。私は様々な人生で雑巾のように使い果たされて、掃きだめのような場所に放り込まれてきたけれど、もしかして背後にはこの魔王がいたのか? 今回はエルミナが私側だから、そこをコントロールするために自ら出てきたのか? 聖女を使い果たすことは魔王にとってなにかしらのメリットがある行為なのか? 私が生きているうちは次の聖女が誕生しないとかそういうこと? いや違う。私は先代聖女に会っている。聖女機能を持った人間が重複して存在することはあるはずだ。いやでもそれを魔王が知らない可能性はあるんだよな。でもそれなら私が死なないようにもうちょっと丁重に扱うはずだから、そういうことではないのか。……いや、もしかしたらそういう理屈の話ではなくて、単に気持ちがいいからなのかもしれない。だって自分が魔王だったとして、宿敵たる聖女を自分の命令で使い果たし、ボロボロになっていく様を鑑賞するのは、絶対に楽しいと思うから。


「今、分かりました。あなたが〈魔王〉ですね」

「なぜそう思う?」

「だって魔王を名乗る聖女をわざわざ牢まで見に来て楽しむ存在って、魔王しかいないでしょう」

「わはは、はは、あーっはっはっはっは!」


 魔王が、慎み深さとは程遠い愉快な笑い方をする。


「いいだろう。我を魔王ということにしてもよいぞ」

「本当に!?」


 まさか認めるなんて露ほども思っていなかったのだけど、宰相夫人が魔王である、という情報を私は今この瞬間に知ったはずだから、こういう反応になるはずだ。


「よい。お前に訊きたいことがあってな」

「そんな大事な秘密を話してまでですか?」

「あくまで仮定の話であるがな」


 話してみて、魔王は不遜であるという印象だけど、こういうところはちゃんとしている。

 つまり、私が契約魔石で「宰相夫人が魔王であるとステラは確信している」を証明することはできるけれど、「宰相夫人は自分が魔王だと認めた」を証明することはできない。なぜならこれは()()の話だから。逆に宰相夫人に契約魔石を握らせて「自分は魔王ではない」と言わせると割れる気はするけれど、それをさせられる場面を作ることの方が難しいんだよな。


「訊きたいこととはなんでしょう?」

「人間とは器としての身体と、その中に宿る精霊性(スピリット)の混合体である。忌まわしきエルフの概念であるがな。つまり、かつては肉体と精霊性が等しい数だけこの地平には存在していた」

「まるで今は違うというような言い方ですね」

「ところで女神伝承というものがあるが、事実として女神は天上に実在する。しかし女神は精霊体なので身体を持たない。つまりは地上では、身体の数が精霊性の数と比べて一つ多い、という歪みが発生しているのだな」


 魂の数と比べて、肉体が一つ余った状態になっていると。


「精霊性である〈魔王〉は、この余った肉体を経由して、好きに受肉先を選ぶことができるのだ」


 並び替えパズルを連想した。4×4の16マスの枠の中に1から15までの数字が書かれた板が入っている。空白の1マスを上手く使って数字板を動かして、指定された順序に数字を並び替えるというゲームだ。


「つまり女神のおかげで魔王が自由な肉体に顕現できる、と。皮肉的で面白いですね」

「だが、ある日を境に、地上に魂の数が一つ増えたのだ。これが意味することは、魔王が現在の身体から移動できなくなってしまうわけだな」

「これまでみたいに肉体が余っていないから別の身体に乗り換えられる余地がない。要するに、その身体が死ねば、次にあなたが行く先がない。あなたの精霊性は失われてしまう。これまでと違って真に消滅してしまう状態となっている。だから平気な顔して、実は今めちゃくちゃ困っているということですね?」

 と言いながら、私の方もちょっと焦ってきた。この世界に魂が一つ増えたというのには心当たりがある。異世界から転生してきたユナちゃんのことなのではないか。転生者を探し出してその精霊性を殺すことで辻褄を元に戻すのが魔王の目的なのではないか。


「我の経験則では、厄介な局面には常に聖女の存在が絡んでいる。だから我はお前のせいで身体間を移動できないのではないか。よって尋ねよう。お前は別のところから来た、この地平に存在しないはずの魂か?」


 なるほど……。魔王目線で理屈をこねくり回すと私が転生者の可能性に行き当たるのか。


「仮にそうだったとして、言うと思いますか?」

「わはは、我はどちらでも構わぬぞ。お前を殺してみれば分かることであるからな」

「――~~っ、ぇハッ……」

 腹部に猛烈な熱を感じて喉の奥から声が漏れる。

 魔王の火魔法が、私の腹部を融かしていた。

「治せ。聖女であろう?」

「言われ、なく…………がっ」

 今度は左手が燃えた。

「治せ」

 治せと言われると治したくなくなるけれど、治さない選択肢にメリットがあるとは感じにくい。

「それで、お前は別の地平からきた存在か?」

「まずその『地平』があまりよく分からないんですけど。つまり女神のような存在かと疑っていますか?……ッ……ぐッ……」

「ふむ。治せ」

 右の太腿が燃えた。

 いやでも私がユナちゃんと出会っていなかったら、「別の世界」の存在を認知していなかったとしたら、きっとこういう回答になるはずだ。

 左眼が燃え上がる。

 考えろ。現状における私のゴールはなんだ。

 マストなのは魔王を殺すこと。

 さっきまでなら敵対せずに対話で共存していける可能性もあったけれど、おそらく魔王のゴールは転生者の魂、すなわちユナちゃんを殺すことにある。だから先に祓う。というか魔王の話を信じるなら(魔王の話を信じるというのも変な話だが)、魔王の魂の逃げ場がない今は歴史上もっとも魔王を殺しやすい(復活されにくい)タイミングなのではないか。あるいはこの機会を作るために、超越者的な、女神的な存在が異世界からユナちゃんを喚んできたのではないかとすら疑える。だから〈聖女〉の妹に〈転生者〉がいる……?


「あグう……っ」


 ドライブしかけた思考が、痛みで引き戻される。

 両足が燃えている。

「そら次だ。治せ」

 違うな。今考えるのはそこのロジックではない。おそらくそこは私には確かめようがない領域だから。〈魔王〉をいかに殺すか、そのルートだけに焦点を絞る。

 まずは私が生きてこの部屋を出ること。なぜなら旧聖女の話によると、人間に擬態した魔王を殺した先に、もう一段階〈魔王〉があるのだ。そのときにそれを殺せる可能性が一番高いのはきっと私だから。

「そら、治せ」

「ぐぁぁあああっ……」

 というか旧聖女の言を信じるのなら、今の状態の魔王には闇魔法が通るんだよな。

 私は両手を壁に固定されていて、相手は私が魔法を飛ばせないと油断している。だけど魔法陣を嚙ませれば、魔王の背後から闇魔法を撃てるはずだ。当たるのでは?

「ほうら、楽しいぞ」

「グッ…………」

「どうした、治りが悪くなっておるではないか」

「……っ……が……」

 いやその場合、私はその後に、闇属性に変化した魔物形態の〈魔王〉と連戦しなければならない。流石に二度目の不意打ちはない。手足が縛られたままだとそこで負ける気がする。欲張るのはやめよう。

「なんだ、本当に知らぬのか」

「ハハッ、別に私が本当になにか知っているなんて思ってもいないくせに。単に焼きたかっただけでしょ」

「ふはは、我への理解が高いな!」


 私の想像が正しければ、この人は〈聖女〉をいじめるのが大好きなはずだ。


「あなたはエルミナの母親でもあるんですよね? あなたが親をやっているところを全然想像できない」

「それは心外であるな。我が夫と違い、我は随分とエルミナを甘やかしてきたつもりだが」

「宰相はあなたの正体を知っているんですか?」

「当然である。我が正体を知ってなお、甘く愛してくれたぞ」

「意外。魔王でも愛されたいとか思うんですか?」

「?……思わぬが」

「……あなたが今顕現している理由は何ですか?」

「ないが」

「別地平の魂を殺すことではないのですか?」

「それは顕現したことで発生した理由であって、顕現している理由ではなかろう。なに、恥じるでない。この国は平民には教育を施さぬからな」

「……っ……めちゃくちゃ煽ってきますね」

「わはは、先ほどの拷問よりも傷を負っておるではないか。ういやつめ。……なあお前、我とともに別地平の魂を探しに行かぬか? お前とならば、我も気が楽である。楽しい旅ができそうだぞ」

「随分と舐められたものですね。行くわけがないでしょう。なんでわざわざ魔王が自由になるための手助けをしないといけないんですか」

「だってお前は我が娘エルミナを愛しているのだろう? でなかったら、ここにはおらぬものな」

「自分の娘を人質に私を脅すと」

「すまぬよ。言葉足らずであったな。そうではない。我は楽しい旅がしたいのだ。もっとも、日々お前に殺意を向けられながら供だって歩くというのも楽しそうではあるが。一つ事実を教えてやろう。お前が別地平の魂を見つけられなければ、エルミナは死ぬ」

「それはどういう理屈で?」

「そうではなく、エルミナがなぜ今まで生きていられたかを考えよ。我が夫との契約でな。魔王は〈契約〉を破らぬ。成人する十六までは娘らに庇護を与えることになっていたのだ」

「――っ!」


 類例として、エルミナの姉を想起する。彼女が死んだのは、学園卒業直後だったはずだ。ということは十六の年か。でもエルミナ姉はソフィ会長に殺されたはずだ。契約魔石を使っているからそれは確かだ。……いや、十六歳を迎えた時点で魔王は契約を履行し終えたから、ソフィ会長にも殺すことができた……?


「ふむ。勝手に考えてくれるおかげで話が早くて助かるぞ。そこで我は今、新たな〈契約〉を宣言しよう。これは我が我に対して結ぶ〈予言〉であるがな。〈我が娘が十六の歳に我が娘は死亡するだろう〉。……魔王は〈契約〉を破れんのでな。死に物狂いで履行せねばならぬ。すなわち、今この瞬間、お前がゴネるせいで我は是が非でも我が娘を死なせるしかなくなったわけだ」

「……いつでも殺せるというのなら、その宣言になんの意味があるんですか?」

「今の〈予言〉には抜け道があってな。ポイントは『我が娘』という点だ。我が別の肉体となれば、当然その対象は異なる。つまり我は、お前の愛するエルミナを殺す必要がなくなるというわけだ。嬉しいであろう」

「……っ……へぇ……」


 魔王は知らないだろうけれど、私は今、エルミナとユナちゃんの二択を迫られている。

 ユナちゃんを差し出せばエルミナを助けられて、ユナちゃんを隠し通したらエルミナが殺される。


「…………別地平の魂を見つければ、エルミナを絶対に殺さないと契約できますか? 抜け道が怖いから、契約者である私も殺さないリストに加えてください。つまり、『別地平の魂を見つければ、エルミナとステラを加虐しない。加虐性の判定は、エルミナ、ステラが各自で行うものとする』と。でもそもそもの話として、魔王は契約を破るとどうなるのですか?」

「死ぬ」

「……それを私が信じる方法は?」

「さあな。契約してみると分かると思うよ。ただ我はお前が気に入ったから提案をしておるだけでな。そろそろ気が変わるかもしれぬ。まあ、エルミナが死んで良いのであれば、それはそれで一向に構わぬぞ」

「…………」


 ソフィ会長にエルミナの姉殺しを依頼したのは、宰相だったはずだ。そして宰相は魔王とこの契約を結んでいる。ならリスクを負ってウォルツ公爵家令嬢に依頼するまでもなく、間もなく姉ミナの庇護が消えることを知っていたはず。ならなぜわざわざそんな動きをしたのか。

 私は姉ミナの誕生日を知らないし、王国法上の正確な成人の定義を知らないからあれだけど――一つ思いついてしまった。

『庇護を与え』られているはずの成人前に姉ミナを殺すことで、魔王の契約不成立――すなわち魔王の死を狙いに行った……?


 そんなことあるか……?

 そんなことする?


 いやでも、宰相はロジックの人だ。

 エルミナもそう言っていたし、先ほどの婚約破棄破棄の場での私の印象も同じだ。

 あの人が魔王を殺そうとするなら、かつ十六になったレミリアが助からないと信じていたなら、この試みは宰相にとってやるだけお得だったということになる。


「どうした、随分と悩んでおるな」

「そりゃあ、抜け道の存在を見せられた上で契約しようとしているんですから、それくらい精査させてくださいよ」

「わはは、十分に悩むと良いな」


 ちょっと待て。私は私のロジックを振り回した結果、エルミナの代わりに今この場に囚われているけど、それはすなわち宰相も宰相のロジックで私をこの場に留め置いているということだ。じゃなかったらきっと、あの婚約破棄破棄はこんなに簡単には成立しなかった。


 仮に――仮にを重ねすぎてもう幻想の域だけど――宰相が魔王殺しを目論んでいて、その一環として私をここに入れたなら、すなわち聖女(わたし)と魔王を対面させたとするなら、私は自覚がないままに宰相の刃になっている可能性がある。逆にいうのなら、私には魔王を滅ぼせるロジックが作れると宰相は考えている……?


 いや、絶対どこかで思考が飛躍したはずから、そこまでそうだとは信じられないけれど、〈契約〉が魔王に枷を与えるためのツールとして使える可能性は検討されるべきだろう。


「あなたと旅をするとして、エルミナも一緒でもいいですか?」

「それは困る。エルミナは我を嫌っておるからな。普通にギスるであろう」

「私もあなたを嫌っていますけど?」

「構わぬ。『聖女物語』の一編に聖女と魔王の二人旅があったらと想像してみよ。これほど愉快なこともなかろうよ」

「私はエルミナがいた方が楽しいんですけど」

「お前の楽しさが我に関係あるか?」

「ないんですか?」

「なかろう」

「わはは…………。――別地平の魂を見つければ、魔王は直接間接に関わらず、現時点で王国法が規定するところのエルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラ・ツー・グランスの両名を肉体と精神その他すべての面において加害・加虐しない。加害性・加虐性の判定は、エルミナ、ステラが各自で行うものとする、でどうですか?」

「うむ、気に入った。だが精神その他の部分は省くぞ。我に繊細な人間の機微は分からぬのでな。守り方が分からん」


 あー、ミスったな。変に差し込まずに契約後の解釈勝負にすればよかった。


「分かりました」

「別地平の魂を見つければ、魔王は直接間接に関わらず、現時点で王国法が規定するところのエルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラ・ツー・グランスの両名を肉体の面において加害・加虐しない。加害性・加虐性の判定は、エルミナ、ステラが各自で行うものとする。我と契約するか?」

「…………契約します」


 カキン、と奥歯の後ろで刃が弾けたような冷たい感覚があった。


 これが〈魔王〉との契約……。

 実際に契約してみると、確かに、魔王はこれを破ったのなら死ぬだろう、と直感できる。


 この契約は、実質的に私にはなんの不利益もないはずだ。なぜなら「別地平の魂を見つければ」というのはただの条件文だから。私が捜すのに協力することを指してはいない。

 もっとも私にユナちゃんを差し出す気がない以上、この契約で私から魔王をどうこうできるものでもないのだけど、流石にこれを盛ったら魔王に気付かれる気がする。〈転生者〉の正体を知らない私が、今の話の流れで自然にたどり着くのはこの辺りが妥当だと思う。変に欲張って墓穴を掘りたくなかった。


 魔王がこちらに顔を近づけ、瞳を覗き込んでくる。

 奥歯にキン、という感覚が弾ける。


「ふむ。なるほど。なんだ、お主、魂をもう見つけておるではないか」

「――――なッ!?」

「そうかそうか。お主の妹か」


 あぁああああああああああああああ。

ああああああああああああああああああああああああああああああ。

嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 失敗した。失敗した。失敗した。

 くそっ、くそっ、くそっ。

 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。


 魔王の契約とは知識にまで及ぶのか。


「わっはっは。人間は愚かでかわいいなあ!」


 今、分かった。

 きっと宰相も、こういう読み違いをしてソフィ会長にレミリアを殺させたのだ!!!!


「安心せよ。お主は契約を果たした。お主にもエルミナにも我には手を出せん。わっはっは、契約に精神面を含めておったなら、我は今頃エラーに陥っておったかもしれんな。危ない危ない。だが、お主の妹を殺せば、エルミナの死も消える。祝福するぞ。魔王と契約し、身内を売ったその身体で、ゆくゆくはこの国の王となれるではないか。エルミナと幸せになれると良いな。どうだ、グルナート家当主としてあの娘との結婚を許可してやろうか? 我はお主が大好きだぞ。わーっはっはっは」


 魔王の背後に魔法陣を広げる。

 自らの愚かさを挽回する方法はもはや一つしかない。

 ユナちゃんを殺される前に、魔王を殺しきる。


「ディナハト」

「うむ」


 魔法陣から放たれた殺意の一撃が、火魔法によってかき消された。


「分かりやすくてかわいいぞ。我はもはやお主に手出しが出来ぬからな。無論、こうするしかなかろうな。それはそれとして、我はユナとやらを捜しに行くが。お主が居場所を知らなくて実に残念だ」


 竜のウロコで作られたドアの前に、目一杯の魔法陣を展開する。ウロコのおかげで、部屋を破壊してしまう心配をしなくてすむ。


「流石は聖女であるな。闇魔法が下手だ」


 魔王の杖の一振りで、魔法陣がかき消される。


「そのまま磔になっておれ。それはお主の自然な状態であるからな。加害には当たらぬようだぞ」


 ドアが開く。

 やばいやばいやばいやばい。

 魔王に逃げられる。


「ステラ――ッ」


 聖魔法が効く可能性賭ける。


「うむ、通路が明るくなったな」

 と言って魔王が出ていった。


 扉が閉まる。


 そうして室内には、歴史上最も愚かな聖女と、冷たい静寂だけが残された。

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