聖女 VS 温泉
道中の馬車でユナちゃんと考えた、ユイン領で起こったら嫌なことランキング。
第5位:人身売買などの嫌な気持ちになる事件に遭遇する
第4位:なんやかんやで命を狙われる
第3位:起きたら街が燃えてる
第2位:温泉ではなく魔泉が湧くようになっている
第1位:枯れた温泉を復活させるために穴掘りを手伝わさせられる
「よかったねえ。何事もなく温泉に入れて」
ユナちゃんが頭にタオルを乗せてお湯に蕩けながら言った。
「魔泉になってなくて良かったね。……魔泉ってなに?」
宿屋(ユナちゃんは「リョカン」だと主張するけれど、私には違いが難しい)の客専用の大きな貸し切り露天風呂に浸かりながら星を眺める。
外気が冷たくて気持ちがいい。
仮にこれがぬるま湯だったとするなら途端にみじめな気持ちになるだろうから、シチューにしろ紅茶にしろ「適度な温度がある」ということがなにか人の尊厳を満たすための大事な要素なのかもしれない。
「この湯の効能は、疲労回復・創傷回復・火傷回復・健康増進だそうです」とセイラが案内書きを読んでいる。
「ふふ、姉さんみたい」
「私の方が上手に回復できるんですけど!」
「温泉と張り合っている人間を初めて見ましたわ」
「私の光魔法は、人さえ選べばちゃんと治りますからね」
「ステラさん、腕は大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫です。全然しみません」
セイラの問いに、お湯から出した左腕をぐるぐると回してせる。
二の腕を一周するようにうっすらと残っている薄い傷跡は、エルミナが魔法陣練習に没頭して私が暇していた際に、セイラに斬り落としてみてもらったときのものだ。正直かなり怖かったけど、自分がどれくらいの魔力消費で切断面を癒合できるのかは試しておきたかった。
セイラの切断面が美しすぎたこともあったと思うけれど、結論としては丸二日具合が悪くなるくらいで済んだから、そんなに悪くなかったと思う。これならいざというときに腕を捨てるのは全然ありだ。……ありか? やだよ~、やりたくないよ~。怖いよ~。
「例えばなんですけど、斬り落とされた自分の左腕を右手で持って魔法を撃ったとしたら、右手と左手の先、どっちが魔法の始点になると思います?」
「あなたのそういうところ怖いですわ」
「魔法杖のことを考えると後者だと思う。魔法は姉さんが右手で持った左腕の先端から出る気がする」
「ユナはそこら辺の魔術師よりもはるかに魔法への理解がありますわね」
「姉がすぐ色々試したがるもので」
「実験で確かめるようになったのって、私はユナちゃんの影響なんだけどな」
「ユナは鑑定式をやったことがあって?」
「もちろんないです」
「そのうち場を用意するからやってみなさいな。反応があるのではないかしら」
「そうですね。私たちの考えでは、魔法に必要なものは理論の身体化であって、年齢や血筋ではないですからね。でも絶対、ロス先生にチューンしてもらうまでは使わない方がいいよ。本当に。絶対ね」
「分かった。使わない」
「スレイでは、貴族以外でも魔法を使う?」
「貴族の代わりに華族という呼ばれ方をしますが、平民にも使える人間は一定数います。ですが魔法を使える平民は華族に奉公に出されるので、結局のところ魔法は華族に集中する形になります」
「権威としての魔法、という感覚はありますの?」
「なくはないと思いますが、神の血を引く皇族とそれ以外という枠組みで大きな隔たりがありますから、魔法が集まったところで別に……というのが実際の感覚かと想像します。この国と違って火は熾しますし、水は汲んできますから、あまり魔法への興味がありません」
「それで少人数で本物の血統主義をバチバチにやってるの面白いね。剣聖はどういう立ち位置?」
「剣聖はその任命時に聖杯から聖酒を賜るので、疑似的に神の血を取り入れることになります。故に、剣聖の刃は神の血族である皇族をも斬ることができる。ですから、〈聖女〉の『聖』が〝魔を祓う〟機能に対する呼称であるというステラさんの言葉を借りれば、〈剣聖〉の『聖』は〝神を殺す〟機能だということになります。私の師匠は〝魔〟を斬る訓練を施してくれましたが、それは練習のための具体化であり、本質はその先にある『因果』のようなものを斬るためのプログラムであったように今では感じています。もっとも、その具体的な訓練はこの国でとても役に立っているのですが……」
確かに、アルス王宮でのセイラの王国デビュー戦は、魔人数体を瞬殺という華々しいものだった。
「いいなー。私も神を殺して『聖聖女』を名乗りたい」
「剣聖しか皇族を斬れないというのは、神性には魔法が通らないということも意味します。〈剣聖〉の刀に魔法が乗らないのもそれが理由です。ですからステラさんがこの先、剣の鍛錬を多く積めば神をも殺せるようになりますよ」とセイラが楽しそうに言った。
お風呂に浮かべた酒を口にしているということもあるだろうが、セイラが楽しそうにしている様を見ると、私は嬉しいと感じる。
お風呂上りに宿屋から用意された動きやすい制服に着替えて(ユナちゃん「ユカタ!」)、お部屋に用意されたご飯を食べた(ユナちゃん「あのなんか個別に火を付ける小さな鍋みたいなやつ!」「それは名前ないの?」「分からない……」)。
この高級旅館はスレイ風に内装や機能が設計されているのが売りのようなのだけど、以上のやり取りからも分かるように、スレイ皇国というのは割とユナちゃんがいた世界に近い文化観らしい。私もユナちゃんのテンションが爆上がりするスレイ〝っぽさ〟が少し分かるようになってきた。いつか一緒に旅行に行きたいね。
「エルミナに訊いてみたいことがあって……」
食器が下げられ、一段落した頃合いでエルミナの隣に腰を下ろす。
「なんですの?」
ユナちゃんが窓側の空間を居間から区切って二脚の椅子を持ってきて作ったスペースに二人で座る。当のユナちゃんはセイラを連れて館内の探検に行っている。
「今この瞬間の私たちがぼーっとしてるこの時にもどこかで人が苦しんでいて、私たちが精力的に活動していれば、それを助けられる可能性があったんじゃないか、なんて思ったりします? 私の予想では、かつてエルミナも考えたことがあって、でも今はそんなこと考えていないんじゃないかと思うんですけど」
「……あなたはそれを今考えていますの?」
「そんないつも思ってるわけじゃないんですけど、さっきあの小さいお鍋が噴きあがるのを待っている間に急にそんなことを考えちゃって。でも、この考え方は破滅を招くだろうという直観もあって、早めに潰しておきたいというか、なんというか」
「あなたの美点の一つは、なんでもきちんと相談することですわね」
「そう。それが数多ある私の良い点の一つなんですよ」
「あなたの良くない点の一つは、傲慢なことですわ」とエルミナが笑った。
「手の届く範囲だけ助ければいい、というのは分かるんですけど、どこまでを手の届く範囲にするか、というのは結局のところ自分の匙加減一つじゃないですか」
エルミナが少し考えてから、口を開く。
「貴族的に答えるのでしたら、自領の民がその範囲ということになるでしょうね。わたくしであれば、ファスタ領民の安全が脅かされている可能性があるのなら、今からでも駆け付けるでしょう」
「分かりやすくていいですね。でもエルミナは王都スラムの人たちも助けてますよね?」
「ゆくゆくは、わたくしの領民ですから」
「わはは」
「……冗談ですわ。あなたにお世話されないと生きられない人間がいると考えるのは、それこそ傲慢ではなくて?」
「……それは自分でもかなり思います」
本当にそう思う。
だけど七度目までの人生において、私がどんなに辛く苦しんでいても、誰も私のことを助けに来てくれなかった。だからというわけではないけれど、自分が助ける側に回らなければという観念がある気がする。結局のところ、私が助けたいのは私自身なのかもしれないな。私は私の手の届く範囲にいるだろうか。
「……わたくしたちは大きなものを、片手間では打ち倒せないようなものを相手取ろうとしています。その上、あの前代聖女に『魔王』などという実在不明のものまで押し付けられてしまいましたものね。ですから、いつ来るか分からないそのときに最大限のパフォーマンスを発揮するということをゴールとして、ある程度余裕をもって過程を組み立てておくことが肝心だと思いますわ。わたくしたちでしか倒しえないものと対峙したそのときに、睡眠が僅かに足りなかったことが巡り巡って敗因となった、なんて笑い話にもなりませんもの」
「そう聞くと、仮に魔王戦前夜というものがあったとして、早寝するか、エルミナの部屋に行くか迷いますね」
「あなたが来なければわたくしが行くだけですわ」
「体力が5減るけど元気は10回復する謎理論がありますよね」
「休息と報酬があると高いパフォーマンスを出せるという話でしてよ。あなたはあなたにしかできない務めを果たす。そのためには休息もとる必要がある。ですから休息それ自体を忌避するべきだとは思わない。今こうやってわたくしとあなたで話しているこの瞬間も等しく、救済につながっていると考えてはいかが、という話ですわね。……もっとも、人間は務めの有無に関わらず等しく価値を持って存在していてよいはずですが」
「あ、最後のは私が言いそう」
「わたくしだってあなたから学ぶところはありましてよ。ですが結局のところ、あなたを納得させられるのはあなただけですわ」
「なるほど……。うーん、いったん納得したことにします」
「納得できなくなったらまたいらっしゃいな」
「うん」
椅子を寄せて、エルミナの肩に頭を乗せる。
「ところでこの空間ってなんですの?」
「さあ……」




