セイラ/天秤の傾き
「セイラさん、外!」
「はい」
窓に近づいてきていた魔獣を斬った。
「姉さんがいる割に、魔獣の数が減っていないような気がする。私をどこか高いところに連れて行ってもらえますか?」
「承知」
ユナさんを抱えて宿舎の屋根に上がり、いくつかの屋根を渡って見張り塔のようなところに上がる。地上からの階段がないので、学生の誰かが土魔法で建てた見かけだけの機能を持たない建造物だ。
「魔獣の流れとしては、やっぱり街側に向かう矢印がありますね。あ、大きな魔物がいる……。あれがあそこまで行くと、戦線が崩壊する可能性があるかも。ねえセイラさん、私があそこら辺の魔物を倒すようにセイラさんにお願いするのは、大局的に見て姉さんの不利になると思う?」
「ユナさんが私から離れずに、つまりはユナさんも魔物の近くに行くという前提で、ですね?」
「そう」
「ならなにも問題ないのでは? 私はあなたの剣です。あなたが私を握っている限り、私があなたを守ります。それと、これは私事なのですが……」
「ですが……?」
「グランス領でレイさんに負けた分を挽回したい気持ちがあります」
「ふふ。ではお願いします」
屋根を伝って、最短距離で大型魔物へのアプローチを試みる。
二本の角に四つの目、狼の口、牛の胴体に鷹の翼、そして極めて巨大。グランス領の地下闘技場で見たのと同じタイプの強力な合成魔獣だ。
学生の一人がそれを足止めをしようと奮闘している。だけどこのままでは圧し負けそうに見える。
「……申し訳ありませんが、加速します」
抱きかかえたユナさんの快適度から速度に優先を切り替えて、屋根の上を一つ跨ぎで跳んでいく。
魔獣の突進をかろうじて横っ飛びで躱した学生がバランスを崩して転倒する。
そこに角を突き立てようとする合成魔獣。
ユナさんを背中側に置いて、抜く。
一閃。
レッスン3。魔獣ではなく〝魔〟そのものを斬る。それはつまり、その一太刀の線上に核が乗ることを意味する。
合成魔獣が消滅した。
「セイラさん、三方向から似たようなのが来てます。違う、四体。もう一体は空!」
「承知」
「き、キミは……」
「先に地上の三体を片付けます。殿下はその間、上空個体への牽制をお願いできますか?」
「……あ、ああ。分かったよ」
三体を三大刀で片付けてから、上方確認。
「私を風魔法で上まで上げてください」
「ヴィンデ!」
足元に渦巻いた風を、垂直方向への推進力として跳ねる。
魔鳥の核ごと首を斬り落とした。魔鳥の背中から、次の何かが飛び出す。墜落する魔鳥の背中を踏み台にして、それが地面に着地する。
それは刀を抜いて、学生に襲い掛かる。
「第三皇子の首を獲ったりぃ!」
その刃が殿下の首に届く直前に、宙から放った斬撃が彼女に届く。
暗殺者が一歩引いて、再度ユリウス殿下に迫る。
私の着地は、水平方向への跳躍を兼ねる。
殿下の首を狙った二大刀目に、ギリギリ間に合った。
ギンッ!
「通すわけがないでしょう、そんなもの」
「カカカッ、お主、セイラか! 生きておったのか。嬉しいのぉ」
「剣聖二位が第三皇子の首を狙うというのは、あまり穏やかではないですね」
「ワシもよぉ、仕事なもんでよぉ」
「その点は謝るわ」
フードを下ろしながら会話に加わったのは、スレイ皇国継承権第二位、ユリアナ皇女だった。
「久しぶりですね、セイラ。弟を守ってくれてありがとう」
「ユリアナ皇女殿下。アルス王都の舞踏会もあなたの仕込みでしたか?」
「まさか。それに対するお礼なのよ」
「やれやれ。姉上は私の首を狙ってくるし、墓を建てたセイラは生きているし、情報量の多い夜だな」
ユリウス殿下が砂埃を払いながらため息を吐いた。
「殿下……」
「キミが生きていてくれて、それを知ることができただけで本当にうれしい。ありがとう」
「最後までお守りできず、申し訳ありませんでした」
「ううん、キミは僕を命をとして守ってくれた。それに僕は継承戦から降りられた。少なくとも姉上に狙われた今この瞬間までは、最良の選択だったと思うよ」
「ま、二人ともここで死ぬんじゃがのう」
「キリヱ、ステイ」
「きゅう」
主に諫められて、剣聖二位が小さくなる。この人は私よりもだいぶ年上のはずだけど、初めて会った時からまったく外見が変わっていない。
「姉上。発生している大量の魔獣たちは、姉上によるものですか?」
「まさか。これは先代のアルス聖女が亡くなったことによるものね。それでこの街にあった潜在的な魔物リスクが解き放たれてしまったということではないかしら。あとはそれに便乗して色々やっている人たちはいるみたいだけど」
「では姉上の目的は?」
「せっかくの大混乱だもの。これに乗じてあなたを殺すことよ、ユリウス」
「それはなんのためでしょう? 私は継承戦に敗れた身ですから、あまりメリットが思いつきませんが」
「私たちが第一皇女に勝とうと思ったら、微細な天秤の傾きを一つも逃さず勝ち取り続けなければならない。そうでしょう? 今夜はね、やや傾いていたのよ。ほんの少しだけ。あなたを殺す方に」
「なあユリアナちゃん、長くなるならあっちでセイラと遊んでいてよい?」
「まだ駄目。そのリスクは必要まで取りたくない。出番が来たら呼ぶから、それまであっちの魔獣を倒して来たら?」
「魔獣弱くてつまらんもん。セイラがいい」
「そもそもセイラは元々の予定に入っていなかったでしょう? キリヱ、ゴー」
「きゅう」
剣聖二位の姿が視界から消えて、周囲の魔物が次々と消えていくのが分かった。
「ごめんなさい。なんの話だったかしら?」
「私が皇女殿下を斬るとは考えないのですか?」
「今のあなたがこの状況で私を斬ったとして、これを継承戦の規定に当てはめると私の死後はユリウスが第二皇子に繰り上がってキリヱを引き継ぐことになる。私としてはそれはそれで全然あり。どちらかが残ればいいからね。だから斬ってもらっても構わないのだけど」
「……斬りません。ただ、私はキリヱを斬りますよ。〈剣聖〉を失う。あなたにとってそれが一番望ましくないのでは?」
「お、ワシを呼んだ?」
とキリヱの残像が現れて、
「なんじゃ呼んどらんのか」
と消えていった。
「随分と口が達者になりましたね」
「そういう友人たちにこちらで良くしていただいています」
「楽しくやっているようでなにより」
「おかげさまで」
「ねえ、私が皇帝になったら皇国に戻ってこない? キリヱを〈天位〉にするから、あなたには〈冠位〉を用意する。あなたにとって、特別なものでしょう?」
「確かに魅力的な響きですが、私の中で冠位に相応しいのはただ一人だけですから」
「……それもそうね。なら私が皇帝の間は冠位は空位にしておくわ」
「感謝します」
「……キリヱ!」
「出番か!」
「帰るわ」
「あァん、セイラは!?」
「天秤の傾きが変わった。もうリスクとリターンが釣り合わないの。あなたが〈天位〉になったら遊んでくれるって」
「本当か!? 本当じゃな、セイラ!?」
「ええ、お約束しますよ」
「ならばよし。あ、そうじゃ」
とキリヱが消えてまた現れる。
「これはセイラのものじゃろう? お主の匂いがベッタリじゃ」
と腕にユナさんを抱えていた。
「ど、どうも……」
ユナさんが小さく会釈する。
「人のものを勝手に持ってきてはいけませんよ、キリヱ。ユナさん、こちらはユリウス皇女殿下。スレイ皇国の次期皇帝です。こちらはユナさん、私の柄を握っている方です」
「ユナさんね。覚えたわ。セイラを連れてきてくれるなら、皇国はいつでもあなたを歓迎します」
「ありがとうございます。覚えておきます」
「ねえ、セイラ。私たちは入国料に一帯の魔物を倒して帰るつもりだけど、流石にそれくらいは手伝ってくれるでしょう?」
ユナさんが小さく頷いた。
「はい、もちろんです」
今の主を抱き寄せる。
「おお、ならばどちらが多く倒せるか勝負じゃな! お主らが喋っとる間に、ワシは百十四匹倒したぞ」
「それはどう考えてもノーカウントでしょう」
「きゅう」
「……姉上っ!」
「うん?」
「その、お元気で」
「ユリウスもね。会えて嬉しかったよ。私、がんばるから」
夜が明けていく。




