SIDE:セイ/ラ
自分の年齢を知らない。親がいたのかも分からない。
与えられたものは刀と苦痛だけだった。
私が知っているのは、その里が〈剣客〉を産出して生計を立てていたことと、そのうちの一人が皇族の関係者に粗相をやらかして、あっさりと滅ぼされたことくらいである。
「俺たちは一人一人が一騎当千の武士だ。何千何万の兵隊がやってこようと全員叩き斬っちゃっぞぉ!」
と息巻いていた里長たちの前に現れたのは、軍でもなければ魔術師団でもなく、気だるげに刀一本と水筒をぶら下げてやってきた一人の女だった。
女は半刻もかからず里の大人全員を斬り伏せた。
お目こぼしにあった子どもたちは散り散りに逃げ、日が傾き始めたころには、生ある者はもはや私とその女しか残っていなかった。
「こんにちは、お嬢さん」
「なんで……?」
自分だけが生きていることよりも、これだけの人を斬ったにも関わらず彼女に返り血が一滴も付着していないことの方が不思議だった。
「うん、目の付け所が良い。私は剣聖だからね、魚だって一刀で綺麗にさばけちゃうのさ。キミ、名前は?」
「……セイ」
「セイは私が憎いかい?」
「どうして?」
「ほら、ここの人ぜーんいん斬っちゃったから」
私は頭をぶんぶんと横に振った。この里に生きていた方がいい人間なんて一人もいないと思っていたから。
「うーん、それは困ったな。私はあれをやりたかったんだよ。成長した弟子に復讐される師匠の物語」
「ケンセイは私を弟子にしてくれるの?」
「なりたい?」
頷いた。今日この日まで、刀は苦痛の象徴でしかなかった。だけど野蛮で醜悪な里の鎖を断ち切ってくれた彼女の刀は、私には尊く煌めいて見えたから。
「うーん。ま、いっか。じゃあ今から私のことは師匠と呼ぶといい。キミの名前はセイラにしよう。修羅のラ、羅刹のラだ。うん、いい名前だね」
「セイラ」
「そう、セイラだ。私はキミの中にあるこの里の記憶を斬ることはできないけどね、そこに一太刀加えてやるくらいはできるだろう。まあ、結局はキミ次第なんだけど」
「私次第……」
「そう。今、キミの柄は、他の誰でもないキミ自身が握っている。それを忘れないで。でも願望を言えば、キミがそのうち私を超えるくらい強くなったなら、楽しみに冷やしていたスイカを私が食べたとかの理由でいいからさ、私を斬り殺しにきておくれよな」
「その、師匠は死にたいんですか?」
「正確には、斬られたい、だな。私ってもうなんでも斬れちゃうからさ、ここから次の段階に行こうと思ったら、たぶんもう自分が斬られる側になるしかないと思うんだよな。ほら、これ貸してあげるから構えてみて」
と彼女の刀を握らされる。
向かって構えようとして、動けなくなる。
強い、深い、暗い、暗い、黒い、不快、ぐちゃぐちゃぐちゅぐちゅとしたもやもやにに押しつぶされそうになった。
里でどんなにひどいことをされたってあんなに泣かないようにしていたのに、思わず涙が出てしまった。
「そう。私を斬るのって案外難しいらしいんだ。おかげで剣聖なのにしょっちゅう皇宮から追い出されちゃうんだよな。でもキミは才能あるよ。才能がない人間は、私に斬られることを直観できないからね」
師匠が死屍累々の里を見回す。それでちょっと元気が戻った。
「この里は燃やすから、大事なものがあれば持ってきな。私たちは皇都の近くの山で暮らそう。そこで剣を教えてあげる。皇宮にも剣聖育成のプログラムはあるんだけど、あれはちょっと人が死にすぎるから嫌いなんだよな。それに私が教えた方が強くなるからね。強くなったら剣聖全員に殴り込みいこ」
そうして私と師匠との生活が始まった。
*****
まずは静止物が斬れるようになった。
動くものは難しかったけれど、少しずつ斬れるようになっていった。
「レッスン1。基礎的な技術においては結局のところ、刃の入る角度とその強さなんだ。強さは速さと重さで決まるし、速さと重さは身体の使い方に因る。だからそれを訓練する。角度の方は、目の良さとあとはまあ勘なんだけど、勘っていうのは経験から導かれるものだから、とりあえず斬って斬って斬りまくる。セイラから見たらたまに意味不明なプログラムもあると思うけど、この二軸を意識して私の意図を考えてみて。それもまた一つの立派な訓練だ」
というような教え方をする人だった。
三年が経った。
「レッスン2。今日からは毎日違う刀を使っていくよ。もっとも、キミは毎日身長が伸びているから、これまでも相対的に違う刀を使っていたようなものだけどね。名刀は使い手を選ぶけど、名人は使う刀を選ばない。見せてあげよう」
と言って、師匠は小指よりも細い枝を拾うと、その場でくるりと舞った。時間差があって、周囲の木々が同時に倒れた。
「……今のは魔法じゃないんですか?」
「どこかの国には、剣も魔法に至る、という言葉があるらしい。いかにも魔術師本位の上からの物言いがあまり好きではないのだけど。要するにこと物を斬るという点において、魔法にできて刀にできないことなんて何もないよ。それを薪にしておいておくれ。あとで私が剣技にて火をつけてあげよう」
さらに五年が経った。
「私より背が高くなったね。レッスン3。これからは実体の捉えにくいものを斬っていくよ。『なんでも斬れる』みたいな顔で肩を張るそこらの剣豪と呼ばれる程度の人たちは、だいたいこれができない。つまりここからが剣聖への道ということになる。魔素を斬る、魔物を斬る、魔法を斬る、要するに最初のステップとして〝魔〟を斬りたい」
そう言って対魔の考え方を教えてくれる師匠の左腕の肘から下は昨年失われていた。ある日ふらっと皇宮に行って、数日後に戻ってきたときには肘先から骨がはみ出ていた。
「ちょっと私が強すぎてね」と師匠はこともなげに言った。「この歳まで剣聖だったなら、腕を一本差し出すと、元からそういう誓約だったんだ。私にも愚かで向こう見ずな幼年期があったという話だよ。まあ本当にこの歳まで生きているとは思わなかったしね。でもさすがに馬に腕を引っこ抜かれるとは、あの皇帝も性格が悪い」
なぜだか私の方が悔しくて涙が出てきた。こんなに素晴らしい人に、どうしてそんなにつまらない仕打ちが出来るのか。
「片腕くらいなくとも刀なんて振れると思っていたけれど、これではキミの頭を撫でられないな」
師匠が刀を捨てたその腕で、髪をくしゃくしゃとかき回してくれる。
「師匠には、この国の皇帝が斬れますか?」
「斬れる。斬ろうと思ったことは何度もある。けど斬ってない。そりゃあアイツ斬ったらスカッとするだろうとは思うけど、その余波で流れる血の量がちょっと多すぎるもの」
「ふふ、里の大人全員を斬り伏せた人の言葉とは思えない」
「あそこはちょっと人を不幸にしすぎだったからね。だからたぶん私に良くない点があるとすれば、それは他人の幸せを勝手に背負ってしまうところにあるんだな」
「それは良くないことですか?」
「守ることは斬ることよりも幾分難しいものさ」
半年後。
「よくやった。まさかこんなに早く斬れるようになるとは。私ですら三十日はかかった過程だよ。誇っていい」
「最後の言葉は必要ですか?」
「要るとも。師匠に〝格〟は大事だろう?」
「そう?」
「キミはもう剣聖になる資格がある。剣聖になりたい?」
「分かりません。剣聖になるとなにがいいのでしょうか?」
「なにが良いかを決めるのはキミ自身だけど、基本的にはみんな勝たせたい皇子女がいて、そのために刀を振るっているかな。一位のやつなんかは、単に人斬りが好きなだけかもしれないけれど」
「師匠は何位?」
「私は冠位。いわゆる皇帝剣聖とかいうやつ。剣聖の中で一番強くて偉いんだぞ。……ごめん、盛った。皇妃付きの天位は同じくらいかもしれない」
「……そんな人がこんな山の中に何年もいて平気?」
「結局のところ、その気になれば皇帝殺しチャンスが一番多いのが私だからね、一周回って煙たがられている。他の皇族に取られないためにキープされているんだよ」
「師匠はどうして剣聖になったんですか?」
「ほかに選択肢がなかった。今にして思うと野蛮な時代だったよ。剣聖か死かの二択だった。先代の皇帝を斬って、今の皇帝を勝たせた。あの頃はまだ仲が良かったんだけどね。今だって頼ってくれたら別に全然守ってやるのにさ」
「もし今そのころに戻って選べるなら、剣聖にはならない?」
「どうだろう。〈剣聖〉というのは最強の称号で、あの頃の私は〝最強〟に飢えていたからな。それに他の強い剣聖に会えるのは魅力だね。周りに凄いやつがいると、自然と自分も強くなるからさ。逆にキミの里の連中はしょうもなかっただろう? あれは剣豪程度のレベルで満足して、下ばかり見ていたからだと私は思う」
「それは、そうかも」
「よし、一つ上の景色を見せてあげよう。レッスン4。ないものを斬る、つまりは空を斬る、虚を斬る、ということ」
「……ないものを斬ると、なにが斬れるのですか?」
「なにも斬れない。すべてが斬れる」
「その二つは同じもの?」
「諸説あるね。私は同じだと感じる日の方が多いよ」
師匠が刀も持たず、はるか遠く山のてっぺんにある木を眺める。
やがて木が滑り落ちるように切断された。
「えっ……」
「実をいうと私も最近できるようになった。キミが一生懸命に刀を振っているところをそこで眺めていたら、急に至った。そういうことって、あるよね」
「なる、ほど?」
「ただいつでもなんでも斬れるのなら、別にそれを今わざわざ斬る必要もない。だから最近の私は実は『斬る』ことに興味がなくなってきた。だけどこうしてキミに私が知っていることを教えて、キミが育っていく様を見るのはとても楽しい。不思議だね。生きるってこういうことなのかもしれないな」
「師匠には、もう斬りたいものがありませんか?」
「あまり思いつかないな。キミを害するものくらいだろうか。もっとも、もはやキミを害することは、多くの人にとって至極困難なことだろうけれど」
「私は、師匠がいてくれるのなら剣聖に興味はないかもしれません」
「ならこのままここで暮らそう。でも一つだけ、さっきの話を訂正する。食事くらいは私も斬りたい」
師匠が見上げたはるか空高くから、剣傷を負った鳥が落ちてきた。
「今夜はそいつを鍋にしよう。ないものは食べられないからね」
*****
その気配があったのは、師匠が剣聖の用事で皇都に出向いてから二日目の夜だった。
私だってもう何年もこの山で暮らしている。少しくらいの乱れがあったらそれに気が付く。ましてや、そこに暗く淀んだ剣氣が付随しているならば。
刀を持って、庵を出る。
「何用でしょうか?」
「えー、微妙だな。冠位の弟子がいると聞いて勇んできたものはいいものの、別にオレじゃなくて全然よかったな」
「御用がなければお帰りください」
「うちの皇子さまの命令でさ、ちょっとセイラちゃんを拉致りに来たよ。どうやらセイラちゃんが冠位の弱点になり得るという判断らしいぜ。オレはあの冠位が弟子一人ごときでどうにかなるとも思えないんだけど、しがない剣聖一位さまは皇子の命令に従うしかないんだよな」
刀を構える。
「さっさと終わらせて帰るわ」
剣聖一位が消えた。右だ。
受けてそのまま一位の刀を断ち切る。
「お……っ」
一位が後退して距離をとる。
「……もしかして騙っていますか? 本当は一位ではない? 五位くらい? 剣聖は強いと伺っていますが」
「拉致とかいいや。殺す」
一位がもう一本の刀を抜いた。
瞬間、かつて小さかった頃に里で師匠から感じたあの黒いもやもやに圧し潰されそうになった。
「ほう。悪かったな、訂正するよ。下位剣聖よりはお前は強いかもしれない。だけど一位ほどじゃあない」
刀が交わる。今度はこちらの刃が折れそうになるのを感じて、とっさに力の向きを変えた。レッスン1。刀は入る角度とその強さだ。
「今ので折れないのは褒めてやる。だが、もう折れるな」
刃と刃がぶつかり合うたびに、こちらの刃だけが少しずつ欠けていく。これは刀の良し悪しではない。明確に、この剣聖の技量が高いのだ。だけど。レッスン2。名人は刀を選ばない。
別に刃が欠けたところでなんだというのだ。この刀で、相手の刃は受けられるし、その首も斬れる。
変則的に切り返した太刀筋が、一位の首元を掠った。
「チッ……」
一位が首を曲げると、その血が止まった。浅かった。
「オレはワタリ。非礼を心から詫びる。すまない」
「……セイラ」
「参る」
「……、……ッ!」
ワタリの立ち位置が変わっていないにも関わらず、その姿が少しブレたように見えた。嫌な予感があって、前方に刃を通す。
そこに急に手ごたえが発生して、身体ごと弾き飛ばされる。斬撃だ。
いま刀が出ていななければ、今の私に胴から下はない。
「今のを防ぐのか。冠位すげーな。どう教えるんだ?」
レッスン3。捉えにくいものを斬る。今のは本当に危なかった。
「フレイア」
別の声があって、頭上に火球が出来上がる。庵全体を飲み込むサイズのそれは、私に魔法を斬る暇も与えず、降り注いだ。
「はッ! 馬鹿! お前っ……オレたちは今真剣勝負をしてただろうが! っざけんな!」
「はァ? あんたにあのままやらせてたら絶対殺してたじゃん。命令を忘れんな、ばーかばーか」
意識が落ちていくのが分かった。
*****
「やあ弟子。元気かい? そう。それは良かった」
次に目が覚めた時、数十の死体に囲まれていた。
剣聖一位と、火球を撃った女の子の死体もある。
一段高いところにあった死体は、纏った衣服の質感と年齢から、それが皇帝であることが直感できた。どうやらその隣にあるのは第一皇子の死体らしい。
このだだっ広いどこかの血に塗れた空間で、生きているのは私と師匠だけだった。
「ちょっと待ってね。キミの拘束を解くのに手間取ってて。これたぶん私特化の魔道具なんだよな。ええい、斬るからちょっと痛いかも」
「……~~っ!」
拘束具が落ちて振り返ると、そこには四肢のない師匠が転がっていた。
「私は冠位だぞ。こんな魔道具ぐらい手足がなくたって斬れる」
その断面からは今もどくどくと血が流れ出ている。どう処置すればいいか分からず一瞬パニックになり、それから死を受け入れている師匠に気が付いて、ただただ涙があふれてきた。
「まいったな。泣いてるキミに手も足も出ない」
師匠の胴体を抱きしめる。
「ああ、これはこれでいいかも。悪くはないね」
「痛くない?」
「大丈夫。痛みは全部斬ってるよ。キミの涙の温かさは分かるけれど」
「私のために、ごめんなざい」
「ううん、キミは何一つ悪くない。むしろ私がキミを巻き込んだんだ。だけど詫びないよ。私たちの生活は楽しかったからね」
「私、も、です」
「うれしいな。不思議だね。ただの言葉なのに、なんでこんなにうれしいのだろう」
「私も。私も、すごくうれしいですよ」
「レッスン5ができたな。守りたいものを見つけること。星羅の羅はね、繋がりという意味を持つ。私はキミから十分な繋がりをもらったから、キミもそうやって人と繋がっていってくれると嬉しい、と今は思う。そうすればきっと、手足を斬られても満ち足りた気持ちで死ぬことができるから」
「はい、……うん、そうする」
「よし。……ああ、そろそろいくよ。死はまだ私には斬れないっぽいな。ここまで来ても斬れないものがあるとは、剣の道もなかなかに奥が深い」
そのまま息を引き取った師匠を、胸の中で抱きしめ続けた。
*****
皇帝と第一皇子が亡くなっても、この国は変わることなく回り続ける。
皇帝は皇妃が兼任し、第二皇子以下の序列が一つ上がった。ただそれだけ。冠位の座は空のままである。
私は旅をすることにした。
よくよく考えると、里と山でしか生きてこなかったから、この国と人のことをほとんど知らなかった。食べ物や宿屋の相場は分からずボられるし、他人を信用してすぐに騙される。それが存外楽しい。師匠もあまり世間のことなんて知らなかったんじゃないかと思うけど、私の知らないところではこんな風にあたふたしていたのだろうか。
食堂でメニューを見ると「師匠ならどれを食べるだろうか」と考えるし、夜がきて空を見上げるたびに「セイラの羅が星の繋がりを意味するのは後から思いついたんだろうな」と考える。結局のところ、何をしていても師匠のことを考えてしまうし、人と深く繋がるとということは、こういうものなのかもしれないと思う。たとえそこに本人が不在であったとしても、そこに在るということ。在の不在、不在の在。レッスン4。空を斬る。
私がこれを斬撃として刀に乗せられるようになるには、きっとまだ何年も修行が必要だろう。だけどいつかはこの身に修め、また次の誰かに繋いでいきたい。
剣のことを考えると、自ずと〈剣聖〉のことが思い浮かぶ。
剣聖一位は私の何倍も強かった。邪魔が入ってしまったけれど、きっとまだいくつもの引き出しを持っていただろう。あの人の技術は、誰かに継承されているのだろうか。〈天位〉にも興味がある。冠位と同列ということは、師匠と同じくらい強いということだ。どんな斬り方をする人なのだろう。どうにも私は、「人との繋がり」と「剣」が同じ引き出しに入っているらしい。
ある日、「剣聖」という音を耳にした。
どうやらユリウス皇子が成人するにあたり、正式な〈剣聖〉が選ばれるのだという。剣聖育成プログラムを通ってきた使い手の中から指名される可能性が高そうだけれど、話を聞く限りでは、どうにも任命式への乱入は可能であるように思われた。
『キミはもう剣聖になる資格がある。剣聖になりたい?』
あの時は師匠の問いになんと答えたっけ。
今の私なら、「興味はある」くらいに答えるかな。師匠はどう思いますか?
『育成プログラムってちょっと人が死にすぎるからさ、殴りに行って私たちで制度自体をぶっ壊してやろうぜ』
……言うかな? 言わないかも。でも初期の師匠だったら言いそうな気もする。
なにせあの人は刀一本と水筒一つをぶら下げて気怠そうに山道をやってきて、里の大人全員を斬り伏せた剣聖だから。私を救ってくれた人だから。
「行ってみようかな」
『おうおう、いけいけー』
「それは言わないのでは?」
そうして私は剣聖三位になった。




