偶数が出たら死ぬダイスを振るようなもの
翌日、レッカの母親――ターラ・ストーバ・ツー・グランスと面会する。
レッカは秘密の面会場として秘匿性の観点から地下の第二層を提案してきたが、私たちは山の方にある牧場内の邸宅を指定した。昨晩のうちにジルたちが調べておいてくれた候補その七だ。面会の結果によっては即襲われる可能性もあるわけだから、レイに絶対有利の地下だけは避ける必要がある。
その点はレッカも織り込み済みだったようで、私たちの希望は素直に通った。むしろ私たちがどの施設を選ぶかを試していた節はあったかもしれない。この建物は三フロアあるので、三階を使えば少なくとも一瞬で地の底に落ちることはなさそうだった。だけど足元を抜かれずに広いグランス領を抜け出せるかと言われるとこれはたぶん無理だから、万が一レッカとやりあうことになれば、私たちは真っ先にレイを無力化しに行かないといけない。
建物に入るのは昨日の馬刺し部屋の面々だけ、レイとユナちゃんとセイラは別部屋で待機。ターラに会うのは私とエルミナ、レッカの三人だけである。
私はユナちゃんのことがとても大事だから、安全性を考えてを彼女をセイラ付きでグランス領外に逃がしておく、ということを微塵も考えなかったわけではない。だけど、ユナちゃんを盤外に置くのはなんか違うなと思った。私たちは姉妹であると同時に同志でもある。できることなら同じ方向を見て生きていきたい。
「姉さん、ありがとう」
「なにが?」
「昨日、私がいる場でレッカ様にあの話をしてくれて嬉しかった」
「どうするのが正解か難しいねー」
「姉さんが思うようにして。それで嫌だったら、私はちゃんと嫌だって言うから」
「うん。分かった」
「それに私のことはセイラが絶対守ってくれるから」
「この命に代えても」とセイラが短く答える。
実際にセイラは命に代えてユリウス皇子を守ったことがあるわけだから、これはとても信頼できる言葉だ。
「じゃあ行ってくるね」
「いってらっしゃい」
待機部屋となっている食堂をエルミナと出る。廊下の一番先の部屋の前でレッカが待っていた。レッカがノックをしてから扉を開く。
部屋は薄暗く、カーテンの間から差し込む僅かな光量に照らされていた。
窓際にあった一つの影がこちらを振り向く。
ターラ・ストーバ・ツー・グランス。公爵家の中で初めて対峙する、私たちよりも一つ上の親世代。本物の公爵。
「座りなさい」とターラがソファに腰を下ろしながら言った。
言い方が気に食わなかったので立っていようかとも思ったけど、エルミナが座ったので合わせることにする。レッカも私たちの側に座った。
「元聖女様に会ったというお二人をお連れしました」
「話しなさい」
私は「なんだこいつ」と思っていたので、エルミナが経緯を話した。現聖女が元聖女のもとに導かれる仕掛けが組まれていたこと、そこで聖女と話した魔王のこと、元聖女がグランス家に友愛の念を抱いていたこと、その中で当時の長姉が殺されてしまったこと。
「つまり姉の死はその魔王のせいだと?」
「還元すればそのようですわね」
「あなたたちの言葉を信じるに足る理由は?」
「白銀等級の契約魔石を持っています。使いましょうか?」
「……いえ、けっこう。聖女、お前に魔王を殺せるか」
「対峙したことがないので不明ですが、この国で魔王を倒せる可能性が一番高いのは私だと思います。私は魔物を祓うのが上手ですから」
「問う。お前は平民にしては随分と富を蓄えているようだな。随分と聖女らしからぬあり方だ。なにを望むか」
「私が王都の下層の育ちだからそう思うだけかもしれませんが、自分に関してだけ言えば私は別にお金がなくとも幸せになれると思います。だけど、飢えていたり、苦しんでいたりする人を幸せにするには、お金はたくさんあった方がいい」
「……貴族的だな」
「どこかの貴族に感化されてて」
「……姉も聖女の幸福を望んでいたよ」
「そうですか」
「レッカ」
「はい」
「これを持っていきなさい。私の持つ財産、人間、領地のすべてをレッカ・クラフト・ツー・グランスに与える。これ以降、お前はグランス家当主を名乗り、十全に今代の聖女をサポートしなさい」
「…………、……! かしこまりました。でも、その、お母さまがご自身でされなくてよいのですか? そのためのこの街では?」
「同じリソースなら今やお前の方が上手くやれるだろう。それにもはや私の代の物語ではないようだからな。託す」
「……はいっ!」
エルミナと二人で先に部屋を出て、大きく息を吐いた。今回のターラの判断は私たちのコントロール外にあったから、「偶数が出たらグランス家と敵対することになるダイス」を投げてたまたま奇数が出たようなものだった。ここでの「グランス家と敵対」とは、すなわち死を意味する。
目的達成のための努力ができないことが、こんなにも怖いことだとは昨日まで知らなかった。
三人で食堂に戻ってきた私たちを見て、食堂の全員がほっとしたようだった。私たちが一緒にのほほんと戻ってきたということは、戦いにはならないということだ。それはつまり、この場の誰も死なないということである。セイラとレイの前に置かれた紅茶は、部屋を出たときから一口も減っていなかった。
「さて、具体的にはどうしましょうか?」とレッカが悪い顔で口を開く。
ほのかに馬糞の香るこの食堂で、私たちはそのままランチを食べることになった。
最近になってようやく分かってきたことの一つだけど、本当に大事なことってだいたいは食事の中で決まっていくものらしい。
「一つ提案があるんですけど、レイを何日か貸していただくことは可能ですか?」
「私は高いっすよ」
「費用はグランス家で持ちます」
「なら私は無料です」
「具体的にはなにを?」
「エーデル領の国境壁の内側の緩衝地帯に敷かれた夜間用の火魔石を、細長くしたリムに代替するという計画があると伺いました」
「そういえばステラ様はスオウたちの研究室でしたね。その通りですよ」
「つまりそういった特殊形状のリムは量産できるわけですね?」
「ええ、まあ」
「レイは時間さえあればここからエーデルや他の都市までの穴を掘ることができる?」
「流石に人が通れるサイズはそう簡単には掘れないっすよ。私がすげえ疲れるんで」
「私の予想だと、いくらかはもう掘られてるんじゃないかなって思うんだけど」
「どうして?」
「私がレッカ様の立場だったら絶対に作ってる」
「ヒューッ」とレイが口を鳴らした。
「……何本かはありますが、そう多くはないですよ」とレイを横目で見ながらレッカが付け加えた。
「新しい穴はこれくらいでもいいんですけど」と手の平の半面くらいの大きさを示す。
「リムの話と関係が?」
「はい」
元々ユナちゃんの発案なので、ここから先はユナちゃんにパスする。レッカとレイの二人に、「この妹は守る価値がある」と認識してもらいたいという意図も含まれている。
ユナちゃんは光魔法がリムの中を加速し得ること、8本のリムが充填される順番で四万三百二十通りのメッセージが可能になること、レイの能力で都市間の地下に光リムケーブルを通すことができれば、私たちだけ早馬の何千倍もの速度で情報を得られることなどを話した。
「……レイの掘削技術を知っていたのですか?」とレッカ。
「まさか。仮にレイが風魔法の使い手でしたら、別の形で別のプランを提案していますわ」
そんなプランを私は知らないから、この発言は真ではないのではないかと思うのだけど、なんといってもあの有名な故事「エルミナの指輪」のエルミナ様のことだから、本当に裏でそういうプランを練っていた可能性もなくはないと思えてしまう。
「なるほど。ですが今の説明だと、その光リムはステラ様のいる場所からしか発信できないのでは?」
「ある魔法をリムから別のリムに移すとき、その間に発生するロスはおよそ1・4パーセントですわ」
「事前にステラ様の光魔法リムを各地にストックしておくわけですね」
私たちがリムを発明した時のリム間のロスはおよそ2パーセントだったと記憶している。この0・6パーセントを削るために日夜研究に没頭している研究班がいるに違いない。
「仮にそのケーブルを国中に敷くことができたとすると……国を破壊できる力を持つのでは?」
「可能性は随分と上がってきましたわね」
私は本物の戦争を見たことはないけれど、一般的なやり方は知っている。基本的には、カトレアやリュカのような少数の広域殲滅型の魔術師たちをどこに配置するかという考え方を軸とする。つまりは貴重な魔術師をたくさんの騎兵や歩兵を潰すのに使うか、あるいはこちらの兵が潰されないように敵魔術師に当てにいくか。量に対して、質を適切に当てること、相手の質をこちらの量で殺しきること。その駆け引きが主に「戦略」と呼ばれていて、これをモチーフにした盤上遊戯も存在する。たぶんトーレスのお店を探したら、ロス先生を模った「大魔術師」のコマがどこかに売っているのではないだろうか。
「まあ私たちの場合、王宮が相手ですからたぶんそこまでのスケール感は必要ないんですけど」
「いえ、やりましょう。あって悪いことはないと思いますよ」
グランス領は情報伝達速度を上げるために早馬を育てているくらいだから、話が刺ささりやすかったかもしれない。
「まずは王都と各主要都市ですかね」
「秘密を優先にお願いしますわ」
「技術がバレたところで、光魔法はステラ様にしかないのですから、完成までの速さを優先してもよいのでは?」
「わたくしが少し賢ければ地中の回線を切断しますし、わたくしに少しの暴力があれば光リムを強奪しますわ」
「……金の生る木ですね」
レッカが私を見た。なるほど、言われてみると確かにそういう側面もあるな。今後、光リムは金貨と同じ価値を持つようになるかもしれない。自分の手のひらから金貨が湧いてくるところを想像して、変な気持ちになる。なんというか、意外と嬉しくない。
「目安の期限は?」
「一年でお願いしますわ」
「レイ」
「がんばりまーす。代わりに今晩レッカ様の部屋行っていいっすか?」
「んもう、そういうのは後で言いなさい」
「いやいや、この場で言質取っておかないと」
「いいわ、来なさい」
「っしゃ」
「じゃあ私も今晩エルミナの部屋に行こうかな」
「あなたは言質がなくても勝手に来るでしょう」
*****
翌日、グランス領からエーデルに戻った。私は無断でエーデル領を抜け出している身だから、あまり長く滞在するわけにはいかないのだ。
ジルたちに馬車と荷物を頼み、私たちはレッカの秘密地下通路を使わせてもらった。高い掘削技術で掘られた地下のトンネルには簡素なレールが敷かれており、風魔法を推進力にトロッコが爆走した。私は風魔法で宙を駆けるロス先生の意味不明な馬に乗ったことがあるけれど、あれと違ってこのトロッコにはきちんと風魔法を車輪の動力に変える仕組みがあったので納得と安心感があった。
「風魔法を風リムに代替すれば、馬車みたいに誰でも使えるものになりそうですね。そうすると馬は必要なくて半ば自動で動くものになるわけだから名称は……自動車?」
「姉さん……」
「えへへ」
「それにしてもあなたたち、相当ヤッてますわね」
確かに、とっくにグランス領を出ているはずだけどレールはまだ続いている。
「王国法には地面の下を領有することに関する記述はありませんよ。耕作についての項で曖昧な言及はありますが、それらはすべて収穫権、すなわち税法の中に回収されています。あれを書いた人間は、おそらく魔法があまり得意ではなかったのでしょう」
と自ら漕ぎ手を買って出てくれたレッカが言った。
「バレた瞬間に改正されるかもですね」
「そうならないように予め根を張っておく行為を、私は政治だと解釈していますよ?」
変わらず対等に接してくれるから忘れてしまうけれど、この人はすでに公爵家当主なのだ。
結局、レールは『人間の愚かしさについて』でお馴染みの現エーデル領(旧リーメイ領)まで続いていた。恐るべきことにグランス領から半日もかかっていなかった。
つまりもし仮にこのトンネルを公表するならば、私はエーデル領から半日の距離にいたわけだから、「聖女はエーデル領から半日以上の場所に行ってはならない」の禁を犯していないことになる。いや、このトンネルを公表できるわけはないから、禁を犯していないことを証明はできないのだけど、私たちはこの禁を強引に突破するためにレッカ様の使いを論破したわけだから、なんだかいいように踊らされていた気分だ。
「そういえばお貸ししたハンカチを返していただかなくてはいけませんわね」
地下トンネルから繋がっている隠れ家に出たあとで、エルミナが言う。
「はい、どうぞ」
レッカがエルミナにあのハンカチを手渡した。
というかわざわざ持参していたことを考えると、この人はこれを返すためにここまで付いてきたのだろう。
「あなた、使います?」とエルミナが受け取ったハンカチを貸してくれる。
「ありがとう。ちょうど手が土で汚れてて……ってなんでですか! 確かに私はこの中では一番愚かかもしれないけれど!」
この場に愚かな人間は一人もいないはずなので、ハンカチは闇魔法に食べさせて消滅させた。
「んもう。たまにエルミナはこういうことしますよね」
「…………っ! …………、………………。…………………………。……ステラ様って闇魔法が使えたりします?」
「実はそうなんですよ、えへへ」
「…………あはっ!」
浮かべられたその邪な笑みを見て、私は彼女を信頼してよかったと思った。
たぶん今の私は、この人の怪我を治すことができるだろう。




