『人間の愚かしさについて』
誰とは言わないけどあの狂った魔法石杖の作成者からの依頼を早めに済ませておくことにした。
すなわち、「グランス公爵家の様子を見て、もし困っていることがあったら手助けしてあげてほしい」というお願いだ。
グランス公爵家は当時の元聖女に良くしてくれた、私でいうところのエルミナのような存在らしい。どんなに犯罪的な杖を渡してこようと、前報酬として白銀等級の契約魔石を二つももらっているから、流石に約束は守ろうという気持ちがある。
留学期間が終わって王都に戻ってしまうと、次に都市間を移動できるのがいつになるか分からない(本当は今も無許可にエーデル領を半日以上離れてはならないのだけど、バレなければ離れたことにならない)。だから今のうちに遂行しておく必要があるのだ。
「公爵家ということは、グルナート家やウォルツ家と同格のいわゆる四大公爵家ってことですよね? 知り合いですか?」
と行きの馬車の中で尋ねる。いつもの面子だ。
「もちろん知らないということはありませんけれど、辛うじてといったところですわね。元々王都のグルナート家と国境を統括するグランス家ということで明確な役割分担がありますし、あの家のご令嬢はわたくしたちよりも八つ年上ですから、お姉さまとも在学時期が被っていませんわ。中々社交シーズンにもいらっしゃいませんし」
「逆に社交に出ないのって貴族のマナー的に大丈夫なんですか?」
「王命であれば別ですけれど、社交というのは結局のところコネクションづくりですから、単なるメリットとデメリットの天秤ですわ」
「元聖女様が、当時のグランス公爵家令嬢が殺されたと言ってましたね。それはデメリットの方が大きいと判断しても仕方がないか」
というか私の知る限りでも、四大公爵家のうち三家がここ二代の内に長姉を殺害されているということになる。うち一つをやったのは私だからあまり言えたことではないけれど。
「公爵令嬢って早世なんですね」
「使える力が大きい分、反動も大きくなるということですわね」
「跡取りなんだから、なんかもっと大事にした方がいいんじゃないですか?」
「結局のところ爵位を継ぐまでは家名のための道具でしかありませんもの。スペアもたくさん用意しますし、長く生きられないような子どもはそこまでということでしょう。しかし確かに、今のような環境下で育たなかったわたくしは、きっと今よりも無能だという感覚もなくはありませんのよね」
「自分に子どもができたとして、同じような環境を作ります?」
エルミナが長考する。「……分かりませんわ」
「しない」と言わないところが誠実だなと思う。
「あなたはどうですの?」
「うーん、子どもを売るような真似をする親にはなりたくないなとは思うんですけど、具体的にはどうかなー」
「あなたの場合、子どもは王子ということになりそうですけど」
「うわぁ、うーん……。人間には幸せであってほしいですねえ」
あまり考えたことがなかったけれど、王子って幸せなのだろうか。私の目からは、色々考えているヨハン王子よりも、王子的な責務をそこまで負っていないエディング第二王子の方が幸せそうに見える。でもよくよく考えると、「聖女」という称号がその〈機能〉を表すのと同じように、「王子」もまたその地位を与えられた人間に付けられる名称である。私がそうであるのと同じように、一般的には「王子」の機能に「幸せであること」は含まれない。エルミナ風にいうのなら、王子はその幸不幸に関わらず「貴族的な義務」によって王子的であらねばならない。
「エルミナは、自分が貴族の生まれでなければと考えたことはありますか?」
「その仮定は無意味だ、と考えたことはありますわね」
「それはエルミナが言いそうですね」
「ご紹介ありがとう。人間の幸不幸なんて、その人間にしか分からないことですわ。あなたの子どもが四歳くらいになったら訊いてみて、それから方針を考えなさいな。あなたに教育を受けるのですから、きっとその歳にはある程度の判断ができているでしょう。わたくしたちは、一人でも多くの人間に衣食住リムがいきわたる制度を構築することだけを考えればいいと、わたくしは思いますわ」
「すごいですね。きちんと考えたことのある人のスラスラとした回答だ」
「わたくしがきちんと考えたことがないのは、あなたのことだけですわ」
馬車移動二日目の晩は、リーメイで宿を借りた。エルミナに教えてもらって期待はしてたけど、この領の話はかなり面白かった。
なんでも領主だったリーメイ子爵が、物語好きのロマンチストだったことに端を発するという。
リーメイ子爵は、自領において貴族制を疑似的に廃止した。すなわち、領地の経営を民主化したのである。領に籍のある平民が各々この人だと思う平民を推薦し、推薦数の多かった人間たちで議会が作られ、議会の中でさらにその代表――領長が決められた。この領長が、領主に代わって領内の経営を行ったのである。つまり社交や納税などの対外活動は変わらずリーメイ子爵が行っていたものの(王国としては税金さえ納めていれば、貴族は自領を好きに荒らしてもよいということは数々の無能領主が証明している)、それ以外の領内政策は議会によって決定されるようになった。
最初の政策は減税だった(納税の不足分はリーメイ子爵が私財で補填した)。次にいくつかの公共施設が作られた。これらの建築物は、リーメイ子爵が領主だったときに作ったものと比べて、建設費が三倍かかったらしい。平民間で貧富の差が広がった。議会に派閥ができた。四つの自警団ができた。食料の生産量が下がった。物流のスケールが縮小した。商人の出入りが少なくなった。パンと生活魔石の値段が倍になった。貧富の差が広がった。元手を必要としない性産業従事者が増えた。自警団が縄張りを持つようになった。自警団が金銭を徴取するようになった。自警団と議会の癒着により、寄付金の額が大きい人間の犯罪は見逃されるようになった。
ある日、議会の人間が食料を乞いにやって来た人間を殴打して殺害したにも関わらず、その者に与えられた罰則は銀貨三枚の罰金のみだった。貧しい人々が団結し、議会に抗議を行った。自警団の人間が抗議に来た人々を殴った。議会所と自警団の詰め所に火が放たれた。消防団が整備されていなかったため、火は大きく燃え広がった。町中で暴動が起き、関係のない個人商店の商品まで略奪された。略奪を恐れた人々により、新たな自警団が組織された。新たな対立が生まれた。放火、暴力、搾取、破壊、暴動、以下略。
教科書に載りそうな話だ。
ちなみにこの後、近くのエーデル領主が〝貴族的な〟介入を行い、一応現在のところ暴動などは治まっているらしい(爵位が上がったことにも関係があるとかないとか)。結局のところ、元リーメイ子爵の成果として、ほんの一握りの人々がやや豊かになり、多くの人を大きく貧しくしたということになる。この人の唯一良かった点は、後から『人間の愚かしさについて』という自省本を書いたことだろう。これだけちょっと面白い。街では「人間の愚かしさキャンペーン」をやっていて、最近では厭世主義の好事家たちが観光に訪れるらしい。宿屋では、「私は愚かです」グッズが色々売っていた。
「でもあんまり馬鹿にできないですよね。私も良かれと思ってこういうことをやっちゃいそうです」
酒場で夕食を取り、愚かさ漫談を楽しんだ帰り道でエルミナに言う。
「確かに、子爵が適切に介入をしていたらどうなっていたかというのは、少し見たかったですわね」
「なんか最近思うんですけど、富には人から善性のようなものを奪う力があって、こう、悪い貴族って貴族だから悪いわけではなくて、富によって悪くなっているだけというか。でも一方で、例えばソフィ会長は富がどうこうじゃなくてきっと富に関係なくそういう性格だっただけで。なんていうか人を虐げるにしても様々な評価軸があるんだなって」
「わたくしたちも、後世に歴史書の中で描写されることがあるとすれば、随分と〝悪〟く描かれるでしょうね。ろくでもないことばかりやって富を得ていますから」
「あの歴史に残る魔法大会の八百長とかね」
宿屋に戻って預けていた鍵を受け取っていると、後ろから声をかけられた。
「あれ、もしかしてステラ様ですか?」
「……い、いいえ、違いますけど」
「私、先日の魔法大会を観戦しておりまして、ステラ様のファンになりまして」
「あの、どなたかと勘違いされているのでは?」
誰だか分からないけれど、学院を抜け出していることがバレるのはよくない気がする。
「でしたらこの街にも、あの大会に行っていた者がいると思いますから、大きな声を出して確かめてもらいましょうか?」
エルミナが舌打ちをした。
「それには及びませんわ。ごきげんよう、ニコラ様」
「あら! エルミナ・ファスタ様! フードを深く被られていたものですから、気づかずに誠に申し訳ございません。こんなところでお会いするなんて奇遇ですね。まさか学院から半日以上離れたこの地で聖女様といらっしゃるところにお会いすることがあるとは!」
「……貸し一つでいいですわ」
「あらあらまあ! いくら身分差があるといえ、人にお願いするときには相応の態度というものがあるのではないかしら! そんなつもりは毛頭ありませんけれど、仮に私がこのエルミナ様との素敵な出会いを王宮のお友だちにお伝えしたなら、相応のなにかしらはあるでしょうねえ」
「ニコラ様はなにか勘違いをされているのでは?」
「なにを勘違いすることがありましょう! 聖女様の滞在許可が出ているエーデル領からリーメイ領まではグランス家の早馬でも半日以上かかります。いえ、別にエルミナ様がこの場にいるのはもちろんエルミナ様の自由ですけれど、聖女様にとってはちょっとよろしくない事態ではないですかねえ。あれぇ? 聖女様って今はエルミナ様の下にいらっしゃるんでしたっけ? もしそうなら監督不行き届きということでやはりエルミナ様にも責任があるという判断が下されてもおかしくはないように思われますわ」
つまり意気揚々と現れたこのどこかのお貴族のニコラ様は、私たちが学院を抜け出したルール違反についてエルミナも一緒に罰を受けるか、グルナート公爵家と聖女は深い関係にはないと言質を取るかの二択を迫っているのだ。
「やはり、なにかニコラ様は勘違いをされているのではないかと、わたくしは思うのです」
「ほほう、それは一体どのようなものでしょうか?」
「聖女は許可なくエーデル領から半日以上の距離に出てはならない。もしそれが破られることがあれば、わたくしが責任を負いましょう。わたくしエルミナ・ファスタ・ツー・グルナートは、聖女ステラの友人です。よって聖女ステラの咎はすべて等しくわたくしの咎でもあります。ところでお尋ねしたいのですけれど、ニコラ様はここからエーデル領まで半日以上かかると本当に思われますの?」
「それはそうでしょう。それとも今から馬車に乗って半日以内に着けると証明してくださいますか?」
「いいでしょう。ただし馬車に乗る必要はありませんわ。わたくしたちは今エーデル領にいるのですから」
「……どういうことです?」
「はァ。あなた、わたくしをハメに来るにしては少し不勉強が過ぎるのではなくて? 現在この土地は現リーメイ男爵とエーデル伯爵家が等しく管理しています。行商人や観光客の認知、あるいは住民感情に沿って敢えてリーメイの名を表に置いていますが、書類上は昨日からエーデル領の飛び地扱いですわ」
「いやでも、図書館の写本にはそんなこと……」
「あんなもの昨日今日で更新されるわけないでしょう。ところでお伺いしたいのですが、あなたのその盛大な勘違いの根拠は、なんでしたかしら?」
「いや、だけどならその情報を一体どこで」
「先日、わたくしがエーデルの爵様と会食をしたのはおそらくご存知でしょう。逆に聞きますけれど、わたくしが確認していないと思います?」
「…………申し訳ございませんでした」
「だから貸し一つでいいと最初に言ったでしょう。ところで先ほど、グランス家のお名前が出ましたね。わたくしの記憶によればニコラ様は確かレッカ様にお仕えされていたはず。この貸しは一体どなたにつくのかしら。そういえば、ステラの咎はわたくしの咎であると先ほど申し上げましたね。レッカ様もそれくらい友人を大事にされる方だとよいのですが……」
「……申し訳ございませんでした」
「どうやら直接お会いした方がよさそうですわね。残念なことにグランス領はエーデル領から半日以上離れていますが、まさかご自分に都合が悪いからと、この訪問を咎めるような真似はされませんわよね? 公爵家の方が」
「……はい、申し伝えます」
「いいわ、ありがとう。……なにをされているの? ご自慢の早馬でも使って早くお伝えに行かれましたら? わたくし、急に罪人扱いをされたもので汗をかいてしまいましたわ。あら、失礼。ハンカチを落としてしまいました。…………?」
「……っ、拾わせていただきます」
「良くてよ。そちらは差し上げますから、そのお顔をお拭いになって。是非ともレッカ様にも見せて差し上げてくださいね。『私は愚かです』と刺繍の入ったこの街でしか買えない貴重なハンカチですから、きっと喜ばれますわ」
そうして悪い公爵令嬢に完膚なきまでに敗北したニコラ様は去っていった。
「あなた、なんですのその顔は」
「いや、好きだなーと思って」




