聖女と魔王
魔物のやばいやつが来るかと思ったら、元聖女が出てきた。
……いや、違う。元聖女であることと、魔物のやばいやつであることは両立し得るはずだ。
「大変不躾なお願いなのですが、そこを動かれる前に一発聖魔法を当てさせていただいてもよろしいでしょうか」
元聖女は一瞬間をおいてから、「もちろん」と答えた。
私はというと、返事をもらうよりも前にすでにステラを放っている。
ステラは元聖女に直撃し、なんの影響も与えなかった。
「物事を考えられる方でとても嬉しいわ」
「あの、なんか、すみません……」
「家の中と、そこのお庭とどちらがいいかしら」
「中で伺いたいですわ」
家の中は簡素な造りだった。玄関から入ってすぐにテーブルがあり、小さなキッチンが備え付けられている。小さな暖炉と二人掛けのソファ。扉の向こうにおそらくベッドルーム。あとは犬と猫が一匹ずついるだけだった。
元聖女がお茶を淹れてくれた。私の観察だと、この茶葉は魔草な気がする。
「不思議な味ですわ」
「そうなのよね。決して美味しいわけではないのだけど、何十年も飲んでいて全然飽きないの」
「何十年もここにいるんですか?」
「一日という概念がないから、正確な時の進みは分からないのだけど、二十年は経っているんじゃないかしら。あなたたちはアルス王国の人? というか『アルス』という国名を聞いたことがある?」
「あります。私たちはアルス魔法学園に通っています」
「まだあるのねえ。私も通っていたわ」
「先輩ですね。ロス先生って知ってますか?」
「さあ。私がいた頃にはいなかった先生だと思うけど……。学園のことはもうすっかり忘れてしまったけれど、天体の先生が嫌なやつだったことだけは覚えているわ」
「あ、その先生はたぶんまだいます」
「不思議よね。素敵なことはみんな忘れてしまって、そういうことばかり覚えてる。……あなたたちのアルス王国に、聖女の言い伝えみたいなものはある?」
「ええ、三十年以上前にいたと聞いていますわ。ですがそれ以上はなにも」
「ならきっと、それが私だわ」
「死んでるのかと思っていました。今度お墓を探そうってみんなで話してて」
「なぜこのような場所に隠居されていますの?」
「疲れちゃったのよ」と彼女が答えた。
「……なるほど」
この人は私たちの可能性の一つなのかもしれない。
「もう少し詳しく伺っても?」
「私は元々、地方子爵の三女だったわ。鑑定式で聖女になってからは、政治的なあれこれでグランス公爵家の方に養子にしていただいて。だけどそのせいでグランス公爵家のご令嬢が、義姉となった人が殺されてしまった。あんな国にはもったいないくらいの素晴らしい人だったのに。だから私は首謀者というか、そもそもの発端となった王国自体を壊そうとしたのだけど、結局は負けてしまったのわ。今のあなたたちの国はどう?」
「私たちは王国を破壊しようと頑張っています」
「そう……そうなのね……。応援してる」
「先代聖女の情報を聞かなかった理由が分かった気がしましたわ」
この人は、私とエルミナが冗談半分で考えた「通路を魔物で満たして聖女しか通れない道を作る」を実際にやっていたヤバい人だ。きっと国に対してあらゆる破壊的なアプローチを行ったに違いない。
「あなたたちはこの場所をどうやって?」
「私たち、本当は杖の材料を取りに来たんです。元聖女様がいるなんて全然知らなくて」
「学院の近くの魔法杖のお店ね」
「そういえば、今の店員のお母さんが元聖女の人に杖を売ったって聞きました」
「そう、約束を守ってくれたのね……」
「つまりはいくつかの条件がそろえば、私たちがここに来るように仕込んでいたということですか?」
「そういうことになるわね。本当に来るとは期待していなかったけれど」
「目的は?」
「まずは渡したいものが」
と言って、彼女が寝室から何かを取ってきた。隣室にいくだけなのに犬がついていってかわいい。
「これをあなたたちに」
「杖、ですの……?」
「必要ないとも思うのだけどね。せっかくだからプレゼントさせて。先代聖女からのギフトよ」
二本あったので、エルミナとそれぞれ杖を握ってみる。
その瞬間、身体に筋が一本通るようなシャキッとした感覚が全身を駆け抜けた。
「エルミナ」
「ええ……。これは……」
「木はね、巧く育てると物を包み込むような形状で育つの。だからその杖の中には魔石が入っている。簡単にいうと、聖魔法を増幅させる魔石。要らなかったら捨ててもらって構わないけれど、もし普通にやって勝てなさそうな魔物がいたなら、試しに使ってみてもらえると嬉しいかしら」
なんて謙虚な物言いで渡されたけれど、ハッキリ言ってこの杖はヤバい。使うまでもなく分かる。今までと同じ感覚でステラを撃っても、おそらく何倍もの威力で出力される。
「見て分かる通り、この家は何も娯楽がなくってね。あるのは鉱石くらいだから、魔力を込めるくらいしかやることがないのよ」
〝一流の魔術師が〟〝数十年単位で時間をかけて〟〝正しく魔法を込める〟。白銀等級の魔道具の作り方だ。
「でも学園の授業では使わない方がいいかしらね。私はそれで一度退学になったから」
「ありがたくいただきますわ」
「でもなんで二本あるんですか? 私たちが二人で来ることを予想していた?」
「美しい問いね。だけどもっと単純。単に私が二本使いだったのよ。腕は二本あるのだから、普通に考えて両手に杖を持った方が効率がいいでしょう?」
と元聖女サマは今はもうない左腕のあたりを羽織ったブランケットの上から叩いた。
「仮にわたくしたちが、あなたがその杖を与えるに値しないような、王国制度に与する人間だったときはどうしていましたの?」
「その場合はこの空間を破壊して閉じ込めるつもりだったわ。ここに埋めてしまえば、岩魔法師だって十年は出られないでしょう」
エルミナと顔を見合わせる。
セーフ!
「私の意志を継いでほしい、なんて傲慢なことは言わないけどね、私と同じ失敗はしてほしくない、とは思うのよ」
「どんな失敗ですか?」
「結局のところ、魔王を倒しきれなかったことに集約されるわね」
「魔王……!?」
「そう自称していたから、そう呼んでいるだけだけれど。魔獣は獣のようだけど、魔人は人間みたいに手を使うでしょう。魔王はね、自我――あるいは知能のように見えるもの――を使いこなすの。こんな風に普通に会話ができるし、お茶だって飲む。外見からも判断が付かない」
「つまり出会う人すべてに聖魔法を当てていかないと判別できない?」
「それがね、人間を装っているときは聖魔法が効かないのよ」
「あなたが魔王の擬態だった場合、この子がさっき撃った聖魔法は意味がなかったということですの?」
「そういうことね」
「倒す方法がなくないですか?」
「擬態姿でないときは、人間と同じように聖魔法以外は効くのよね」
「で、擬態をやめたら聖魔法が効く」
「その通り。人間形態と魔王形態で少なくとも二度殺す必要がある」
「有益な情報すぎる」
「ね。私に会えて良かったでしょう?」と元聖女がいたずらっぽく笑った。
「魔王かー。今もどこかにいるんでしょうか? それか条件が揃ったときだけ発生する魔物みたいなもの?」
「一般の魔物が死骸に巣食って発生するものとするなら、魔王は人間精神の隙間に巣食う。私ね、人間形態も、魔王形態も殺したの。私の方が強かったから。だけど魔王は精神だから、別の人間の精神が空いていれば、そこに乗り換えることができる。私はそれを祓い損ねてしまった。要するに、詰めの部分で失敗した。逃げられた。だから今も、どこかで人間をコントロールして生きながらえていることでしょう」
「それなら国を挙げて捜索、みたいなことした方が良かったんじゃないですか?」
「そうね。それで最初の話に戻るわ。魔王が既存の人間の姿をしているってどういうことだか分かる? 周りからは、聖女が手当たり次第に人間を殺して回っているように見えるの。特に私は元々、王国の破壊を目論んでいたから、不利な証言がたくさん出てきちゃうし」
「あー……」「……ですわね」
若かりし頃の聖女様が、貴族たちに糾弾されているところが容易に想像される。スケールは違うけれど、私も何度も概ね正当ではない罪で婚約破棄を破棄されて裁かれているから。
「信じてもらえるように、品行方正に生きている必要があったということですわね」
「本当にそう。だけど今にして思えば、私にそういう生き方をさせないために、義姉が殺されたのかもしれない。別のやり方もあったのかもしれない。だけど……――あーあ、ほんとに疲れちゃった」
「おつかれさまでした」
「あのまま斬首されても良かったのだけど、逃げ出したのはやっぱり次の聖女にあの経験を伝えたかったからかしらね」
「ちょっと変な言い方になっちゃいますけど、魔王を殺しまくった罪で王国から死罪を宣告されるのは面白いですね。むしろ魔王の方が貴族的っていう」
「貴族的特権それ自体もまた〝魔王〟だった、なんて二段オチではありませんわよね?」
「二十年前にあなたたちがここに来ていたなら、そのオチだったかもしれないわ。私も老いたものよ」
察するに、この元聖女様は今五十歳くらいだろうか。
「魔王に明確な意志はありますか?」
「その質問は、あなたに意志があるかという質問と同じくらい答えるのが難しいけれど、私から見ればあるように見えたわ」
「聖女ってみんなこうなんですのね」
「聞いてて思ったんですけど、魔王って必ずしも倒さないといけないんでしょうか? 仮に人間に擬態している魔王を見つけたとして、無視しちゃったら駄目ですか?」
「私の場合は王国を壊すという目的遂行のための線上にいたから偶然敵対したけれど、それはあなたたちが決めることだと思うわ」
「味方にできると心強そうですね」
「……あなたたちを見ていると、私よりもずっと先進的な時代の人間だと感じる」
「この子が抜けているだけですわ」
「私も家族の影響ですけどね。……今思ったんですけど、やっぱりあなたが魔王ですよね?」
元聖女が愉快そうに笑った。
「私はそれを否定するけれど、あなたがそうであるように、私もそれを証明することはできない」
「ふふ。自分に意志があることと同じくらい、自分が魔王でないことを証明できない」
「……あなたこれから出会う人間すべてにその鎌をかけるつもりですの?」
エルミナに呆れた目で見られる。
「いや、この人が実は魔王だったら後でめちゃくちゃ悔しいだろうなーって人だけにする」
「あなたが私を信じる前提で話すけれど、その必要はないわ。〈聖女〉にはおそらく〈魔王〉を判別できる機能がある」
「判別るんですか?」
「ええ、もし出会えば、あなたならすぐに直感ると思う。だから本当の問題は判別できたあと。私たちには〈それ〉が異質に見えても、他の人には普通の人間にしか見えない。そのことをどれだけ必死に伝えようとしても、私以外には私が狂ったようにしか見えない。だから直感ってなお無視できるのなら、それもいいかもね。あの頃の私と比べて、あなたの方が大人びているように見える」
今の「大人びている」は、きっといい意味ではない。むしろ「佞悪醜穢」の用法だろう。だけどそれは、私がソフィ会長を殺したときに自ら選んだ道だ。
「最後に一つだけアドバイス。とにかく社交はしっかりね。換言してしまうと、私の敗因は人づき合いが下手なことだった。魔物討滅ばかりやっていて、人間関係を築けていなかった。魔王が目の前にいるというのに、周囲を上手に説得できなかった。みんなを味方に付けられたのなら、たとえば魔王を殺さずに監禁して他者への乗り換えを封じる、なんてことができたかもしれないのに。でも普通思わないじゃない? 最上位の魔物を討滅するのに一番必要とされる能力が、社交界における声の大きさだなんて」
エルミナと顔を見合わせる。お互いちょっと笑う。
「この人、結構そういうのが得意なんです。エルミナが黒だと言い張れば、きっと聖女だって斬首にさせられますよ」
「もう少しマシな言い方ありませんの?」
「能力に対する純粋な敬意ですよ」
「仲良しなのね」
「ええ、それはもう」
と二人で答えた。




