女神信仰ぐだくだ案内
そもそも教会のことをあまり知らないなと思ったので、学院で学ぶことにした。
学院は確かに言われてみると「教会」だった。それまでは気づかなかったけれど、女神や十字のモチーフがそこかしこに埋め込まれていた。いやでも言われないと気づかないのは妥当だと思うけどな。
「それではお話させていただきますね」
と〈神官〉を名乗る人物が教壇に立つ。
私たちのために空き教室の使用申請をしてくれて、しかも紅茶とビスケットまで用意してくれた。女神仕えにおける一種の責務として、興味を持った相手には、礼を尽くすことになっているらしい。話を聞くと食べ物をもらえるのは、トーレスの街の売買春説明会も同じだったなと思ったけど、賢明なことで名高い私はそれを口には出さなかった。
「まずは女神の発生についてお話ししましょう」と顔をヴェールで覆った神官が慣れた様子で講義を始める。
「我々は魔法を使うことができます。指先あるいは杖の先から、火を放ち、水を生み出し、風を起こし、大地を揺るがす。ある時――その日は雷の混じる雨だったと口承されているのですが――気づいた人間がいました。この雨と呼ばれている太古よりの現象は、誰かの放った水魔法なのではないか、と。その者は空を仰ぎました。指先からではなく、空から落下する雨を見ました。そして考えました。この空の向こうに、魔法の使い手がいるのではないか。その偉大な〝使い手〟には『女神』という敬称が与えられました。これが女神信仰の始まりだと言われています」
「つまり今のわたくしたちが〝自然〟と呼ぶものを、当時の方々は〝女神〟と解釈、あるいは形容したということですわね」
「ええ、その通りです」
「現在もですか?」
「いいえ、これは信仰の発生です。以下はあくまで個人的な所感であり、教会の公式見解ではないことを予めご承知おきいただきたいのですが、私は雨の日に空を見上げても、それが女神の御業だとはあまり感じられません。ただ『雨が降っている』と感じるだけです。もちろん信者でない人間に比べたら、そこに女神の片鱗を感じ取っているかもしれませんが」
「随分とぶっちゃけますのね」
「良い講演者は聴衆の温度に寄り添うものです」
「でもこうして神官をされている」
「はい、要するに思想の話なのです。この学院にいらっしゃる以上、わたしはあなた方を、エルミナさん、ステラさん、ユナさん、セイラさんと等しく見なしたうえであなた方への敬意とともにお話しするのですが、現在のアルス国は、ご存じのように王が土地を貴族に貸し与え、さらに貴族がそれを民に貸し出すという形で税を取っています。わたしは『王が土地を与える』という部分に強い違和感を覚えます。その土地は元来、誰の者であったか。誰のものでもない。土地は土地のものです。あるいは昔から住み着いている人々の者です。その人々が王に土地を売ったのならばともかく、そうでない限り、これは権利の捏造であるように思われるのです」
「つまりは王権に対するアンチテーゼとしての女神信仰ですか?」とユナちゃん。
「まったくもってその通り。自然主義とも呼べるかもしれません」
「なるほど。王という人工権威に対する自然主義、そして自然と女神は同一視されうるもの、ということですわね」
「王様って女神の血筋だったりはしないんですか? そういう権威付けがあってもよさそうだけど」とユナちゃん。
「隣国のスレイ皇国にはそういった神話がありますが、アルスにはありません。建国から三百年程度の国ですし、そもそも初代の王はある村の村長の息子の隣家に住んでいたただの金細工師です。この国は見様見真似で作られたごっこ遊びの延長線上にあるのですよ」
「それは個人の見解ですか? 歴史的な資料がありますか?」
「個人の見解です。そういった資料は、王国によって後に強い強制力をもって破棄されました。口伝や絵画として残っているものだけですから、現代において我々がそれを正しく提示することはできません。当時から生きているエルフに証言してもらうことはできますが、客観性については保証できません。ですから、これは思想の話であると先に申し上げたのです」
「スレイのってどんなの?」と小声でセイラに訊いてみる。
「始皇帝が神より賜った聖杯に口をつけ、血に神性が宿ったという物語があります。剣聖の位についた際に私もその杯から聖水を賜りました」
「ただ」と神官が言葉を継ぐ。「教会に名を置くほとんどの人々は、支配の正当性を問題にしてはいません。『支配』それ自体に対して懐疑的なのです」
「教会は炊き出しなどの平民支援を行っていますよね? それはどういった思想によるものですか?」と私。
「公式の見解に戻りますが、我々は女神が慈悲深き存在であると考えています。なぜなら雨も雪も風も雷も、区別なくみなの頭上に降り注ぐからです。ゆえに、幸福もまた等しく降り注ぐべきだと考えます――少なくとも飢えることなく、凍えることなく暮らせるように。もちろん中にはこちらも、横暴で搾取的な貴族に対するアンチテーゼを動機としてそういった活動を行っているものもいますが、結局のところ人々に安らかな生活を届けられているので、理念には適っているということになっています」
反貴族としての平民生活向上活動は、私も王都スラムでよくやるからめちゃくちゃよく分かる。
「王都から離れると教会の力が強くなる、という言説がありますが、この場合の『力』とは教会にとってなにを意味しますか?」とユナちゃん。
「人々からの信頼、です。我々は食糧支援の他にも、個人間あるいはギルド間の紛争解決から人員輸送馬車の運行、葬儀、埋葬など、王国法に触れない範囲であらゆる支援を行っています。この際、我々が爵位を持たない人間に金銭を要求することはありません――もちろん懐に余裕のあるときに寄付していただくのは大歓迎ですが。よって領主の力がない土地、あるいは搾取的な領主のいる土地において、人々が信頼するのは、我々ということになります。ですから、教会は人民に蜂起を促しやすい立場にいる。これが『力』です」
「そして敢えて自らそのような発言をすることで、パワーバランスを取りに行っているというわけですわね」
「政治にお強いのでしょうな。実は個人的にはエルミナさんをとても尊敬しております。というのは、ファスタ領は教会を機能的に必要としていない領地だからです。そういった街は中々ありません」
「逆にわたくしを敵視している教会の方々もいらっしゃるように感じますが」
昨日の事件に対する揺さぶりだ。
「恥ずかしながら、一枚岩ではないということです」
そのあとしばらく言葉を待ったが、この件についてはこれ以上話すつもりはないというような沈黙があった。
「運営費用はどのようにして賄われているのですか?」と私。
「貴族には費用を請求しますし、逆に業務を委託するような形で領主から先に依頼がある場合もあります。また、複数の国境を跨いでいるというのが教会の強みの一つでして、いただいた寄付金をもとに貿易業なども行っています。ひとえに教会といっても多種多様な部門があるのですよ」
「教会と聖女にはどのような関係がありますか?」とユナちゃん。「昔の聖女様が、王宮内の権力争いから離れるために教会に属していたという話を聞いたことがあるのですが」
「外部の方が想像するような、聖女が女神様の御使いというような立場を教会は取っていません。聖女というのはなんといいますか――」
「ただの機能ですもんね」
と私が目の前にいるせいで言葉にしにくそうだったので、アシストしてあげた。
「聡明な方だ。かつての聖女が教会に属していたことは事実です。その時の力学が現在の教会の立ち位置に影響を与えている部分はもちろんありますが、事実以上に深い意味はありません」
「あくまで例えばの話なんですけど、私が王宮の勢力争いに巻き込まれて避難したくなった場合に、教会は受け入れてくれると思いますか?」
「そのことによって、幸福になる人々が多いと判断された際には、よろこんで受け入れるでしょう」
「……なるほど」
その後もだらだらと続いたけれど、まあそんな話だった。
神官の話だけだと、思想としては私たちと近いというか理想的かなという気はする。だけど、あの場で自分たちに都合の悪い話をするはずがないし、逆に「隠すことなくなんでも話していますよ」という印象を付けるために、敢えてネガティブな個人の主観を織り交ぜるような話法が使われていたな、とは思う。
結局のところ、政治的(あるいは私が「貴族的」と呼びがちなもの)だったなというのが印象だ。
「公爵家のご令嬢であるところのエルミナ様としてはどうでした?」と帰り道で尋ねてみる。
「複数の意図を持つ組織の代弁者といったところでしたわね。信念のない継ぎ接ぎの言葉。担当者を変えた方がよいのではなくて?」
「それは思いました。教会の話を聞きに来たのになんで個人的な見解を話すのかな。せっかくならもうちょっと話が上手な人を用意すればいいのにって思いました。いやでも公爵家を特別視しないぞというスタンス誇示のために、あえて突出してないレベルの人を出してきたのかも? うーん、奥が深いですね」
「それは知りませんけど……。内容としては、わたくし特に前半部が気に入りませんでしたわ」
「どこら辺が?」
「そもそも人が『王』になることに外的な正当性は必要ないと考えますわ。王であること、貴族の地位にあることというのは、国民あるいは領民に対する責任の表明です。下について税を納める人々の生活に対して安心や安全、豊かさを請け負うという責任ですわ。支配がどうのこうのというのは仕組みの内側にいない人間の的外れな感想のように聞こえましたわね。動力――歯車の数が多いほど全体の生産性が上がるのは事実ですから、そこに対して責任を負う監督者がいるということそれ自体が不自然だとは感じませんわ」
「強制力の差じゃないかな。例えば自分のことは自分で責任を取るから好きにさせてくれ、という人にも税はかかるから」
「……ユナが正しいですわね」
「じゃあ税をとらない代わりに何の保証もしない土地を作って、行きたい人はそこに行けるようにするとか?」
「姉さん、それってほとんどスラム地区だと思う」
「ほんとだ! じゃあもうちょっと環境のいいスラムを用意すればいいのかな」
「その時点で税が使われていますわ」
「となると、領主じゃない、税によらずに財を築いているやる気のある人が、率先して自らスラムの環境を整えてくれるのを待つ必要があるってこと? そんな都合のいい人いるわけなくない?」
「……それ姉さんとエルミナさまのことだと思う」
「ほんとだ!」
ほ、ほんとだ!
「いやあ、まさか自分たちのことだったとはね」
「でもわたくしたちの現在の主な財源はリムやトレですから、他人に同等の期待をするのは酷というものですわ」
「あと八百長賭博ですね」
「ろくでもない方もいたものですね」
「ね!」
ね!
「結局昨日襲ってきた人たちはなんだったのかな」
「よろしいですか」と先ほど合流したジルとアルが会話の頃合いを見計らって入ってきた。
「イラストでいただいた十字と同じ印を使っている団体が学院内にありました。反貴族主義を旗印にした同好会ですが、どちらかというと学院で成果を出せていない学生たちの逃避先となっているように観察されます。内部にもレイヤーがあり、ただ酒に浸っているだけの連中から、具体的な破壊活動について議論する過激な層まで様々です」
「私たちってそっちじゃない?」
「ステラと違ってあちらには品がありませんでしたよ」とアル。
「私は品がいい過激派ってこと?」
「良かったですわね」
「なにが?」
「その計画の中に昨日の稚拙なあれもありましたの?」
「おそらく。温度感が同じだったので俺はそう考えます」
「オレも支持します」
「ならそうなのでしょうね。わたくしたちは動く必要はありまして?」
「もちろん潜在的なリスクは常にあります。しかし逆に今のところ具体的に皆様が狙われる計画はないようでした」
「でも昨日の人たち全然魔法使う感じなくなかった?」
「あれはセイラが速すぎて使う暇がなかっただけでしょう。杖は持っていましたし」
「うちのセイラさんが強すぎて申し訳ない」
「……すみません?」とセイラが疑問形でなんとなく謝った。
「念のため監視をお願いしますわ。街に出るたびに狙われるのは面倒ですから」
「「了解しました」」
「そういえば杖を買いに行きたいんですけど、エルミナ付き合ってもらえませんか? 魔法大会のときに研いだやつをまだ使ってるんですけど、あれってあまりにも尖りすぎてて痛いから、ちゃんとしたやつを持っておいた方がいい気がしてて」
「あら、あなたはそこら辺の枝でもいいのではなくて?」
「それがですね、今更でちょっと恥ずかしいんですけど、ちゃんとした杖って服装と同じで相手に対する礼儀だなって思うようになったんですよ」
「そうですわね」
「これって権威主義的な考えですかね?」
「……普通に誘ったら?」
と呆れたユナちゃんに言われたので、普通に誘って普通にお買い物デートをすることになった。うれしい!




