長期休暇の過ごし方
私たちの間で「裏魔法大会」という言葉が一瞬だけ流行り、やがて忘れ去られた。
学園は長期休暇期間に入り、エルミナは去年同様ファスタ領へと旅立った。
私はというと、ライカの親が治めるライエン領にメイとともに遊びに来ていた。
魔法大会から戻った後にあった舞踏会(去年私がヨハン殿下にプロポーズもどきされたやつ)に、ライカとペアで出たところ、会場に来ていたご両親に熱烈歓迎されてしまい、あれよあれよとライエン領に遊びに行くことになってしまったのだ。
エルミナにはあきれられたけれど、正直ウォルツ家の遠縁の屋敷って興味があるし、今だとメイとライカが味方になってくれるから、割といい決断だったと自分では思っている。
それにメイとライカから学べることは多い。特にメイは私が現在絶賛苦戦中の魔法陣の師でもあるし、ライカとの模擬戦も得るものが大きい。最初のうちは雷魔法のスピード感についていけず、一方的にくらっていたけれど、最近は防げるようになってきた。魔法の展開速度、というか反射神経が少し良くなったと感じる。
ライカのライエン子爵領は、交易も控えめな、牧歌的な土地だった。ライエン家の本屋敷もエルミナの学園寮と同じくらいの大きさだった(そもそも公爵家と比べるべきではない)。ユナちゃん曰く「スローライフ系」とのこと。要するに、肩ひじを張らずにのんびりできるグッドな環境だ。
貴族が強くない土地ということは、教会が広く浸透しているということでもある。ただし、私たちが想像するような過激な対立構造はなく、この土地では貴族と教会がお互いに助け合っているように見えた。なぜ急に教会博士になったかというと、メイの妹と弟がここの教会に引き取られているからだ。
王国法に則った正式な手続きで家を追放されたメイと違って、妹弟は名前に「フォン・レイン」をつけていいはずだけど、ここではただの子どもの一人として扱われていた。
「結局のところ、貴族と教会の違いって、土地を王から賜ったものだと考えるか、女神から貸し与えられているものと考えるかっていう、単にそれだけの違いなのよねえ」と夕食時にライカの母親が頬に手を当てて教えてくれた。「でも私たちはどっちでもいいの。ただ手の届く範囲の人たちが、それなりに楽しく暮らせていたら」
この発言だけだったら建前かな? と考えるだろうけど、町でのんびり健やかに暮らしている人たちを見たあとなので、本当に思ってることを言っているんじゃないかという気がした。
ことあるごとに思うのだけど、私ってほとんど王都のことしか知らなくて視野が狭い。
しかもすぐに対立軸を取ろうとしてしまう傾向にある。グルナート家とウォルツ家、貴族と平民、王宮と教会、みたいに。たぶんそうした方が簡単で分かりやすいから。だけど、実際はそこに人が生きていて、多様なグラデーションの中で日々の生活を営んでいる。そういうことを考えられただけでも、ライカのおうちに来てよかったなと思った。
ライエン領でメイは大人気だった。なにせ一人で畑が耕せるし、水を撒けるし、火を起こせるし、ものを冷やせるのだ。
「はいはい、こっちが終わったら行きますよー」なんて言って、色々な人を助けていた。ライカも超低出力の雷魔法で身体が動かなくなった人の筋肉をほぐしたりしていた。私はといえばほら、馬鹿みたいに明るい光を打ち上げて夜を明るく彩ったり……。
「こういう素晴らしい領地ってどうやったら作れるのでしょう」と月の明るい晩にライカの両親に尋ねてみる。
「さあどうだろうね。土地的な感覚として、我々は手に入らないものを求めない。だから一見平和に見えるが、一方で発展性がないともいえる。外からの攻撃にも弱いだろう。ライエン領が野盗や他貴族に攻撃されないのは、うちがウォルツの紋章を掲げられるからだ。単に、ウォルツ家にただ乗りしているだけなのだよ」
「随分と謙虚ですね」
「そういう土地柄だからね。だからステラさんにお願いがある。ライカがね、お披露目会のパートナーにグルナート家のご令嬢と関係の深い君を連れてきたとき、私たちはとても嬉しかったんだ。ライカは私たちを慮ってウォルツの本家に気を遣いすぎるところがあるからね。でも私たちの、ライエン領民の総意として、私たち全員の命とライカの命が天秤に乗ったときに、あの子には自分の命を選んでもらいたいと考えている。あの子は私たちの希望だからね。もしあの子がそういう決断をするときがあれば、支えてあげてほしい」
「中々難しいことを言いますね。その『ライエン領民』の中にメイの妹弟がいると難しいんじゃないかな」
「この命に代えてもその二人は逃がすと誓おう」
「でしたら努力はします。でも期待はしないでくださいね。ライカにはメイの意見の方が通ると思いますから」
「当然、メイさんにも同じ話をしているよ」
「貴族的ですね」
「貴族だからね」
とライカの父親が笑った。
この人たちのことは結構好きだ、と思う。例えばなんやかんやあって私たちが〝悪の〟ウォルツ家を滅ぼしたとして、その余波はこういう善良な人たちを苦しめることに繋がるんだろうなという気がする。もっとも、そんなのは分かり切っている当たり前のことで、とっくに想定済みではあるけれど、それでもやっぱり薄氷のような躊躇いは生じてしまうものである。結局のところ、「力を持つ」ということは誰かを排斥することに対して責任を負うということなのかもしれない。
あるいはその態度こそが「貴族的」とでもいうのだろうか。たぶんエルミナは、手段の合法・非合法はおいておくとして、自身の行動に対してあらゆる責任を背負う覚悟がある。だから私はエルミナを高貴で美しいと感じるのだ。
私だって、そうありたい。ソフィ会長を(それこそウォルツ公爵家のご令嬢を)殺害した時点で、背負う覚悟はできている。エルミナの背負うすべての責任のうちの半分を私が肩代わりしたいし、私に生ずる責任のうちの半分をエルミナに背負ってほしい。
そういうパートナーでありたいと並んだ二つの月を見上げて想った。




