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皇国の剣聖③

 十体の魔人を私たちが認識した時には、六体になっていた。

 剣聖が立っていた場所の近くの窓から侵入した魔人四体が消滅していた。剣聖!

 いつの間にか剣聖の手には剣がある。いや、剣というよりも。長くて細くやや反った、簡単に折れそうな刀身に、小さな丸い鍔。ユナちゃんの寝る前お話シリーズに出てくる「刀」が実際にあったならこんな見た目だろう、というそんな形をしている。


「動くな」

 と剣聖が五体目の魔人を消滅させたところで、その手が止まる。

 その男の声はおそらくフードの中から。どういう技術なのか皆目見当がつかないけれど、ソフィ会長も魔人に指示を与えることができていた。だからこのフードも同じことをやっているのだとすぐに理解できた。

 魔人の手の中に、ユリウス皇子の頭が収まっている。ほんの瞬きの間で、その頭を潰すことができるだろう。

「そこの女、自害しろ」

 とフードの声が剣聖に言った。

 どう出るのか剣聖の方を見ると、彼女と目が合った。

 さっき目が合ったときと違って、本当に私を見ていた。

 それから彼女は小さく微笑むと、首元に刃を押し当て、自ら首を切り裂いた。

「ステラ」

 と隣のエルミナにしか聞こえない声量で詠唱する。

 今まさにフロアに頽れようとしている剣聖に全員の注意が向いているさなか、私の〝ステラ〟がふよふよとホールの床上を舞い、やがて皇子のもとへたどり着く。閃光が弾ける。

 おそらくは魔人がフードの支配下になかったなら、容易に避けられていただろう。でも私だって、当たると思うから撃っている。核を露出させずとも消滅させられたのは、純粋に日々の鍛錬の賜物だ。私は魔竜を祓ったことがあるんだぞ。

「クソがっ」

 フードが剣を抜き、今度は自分で皇子を人質に取ろうとする。

「ディナハト」と隣から低い声。

 エルミナの影から伸びた闇が、フードの下半身をガブリと削り取った。

 血まで削り取っているから、見た目の惨劇度は低い。

「ステラ」

 もう一体に聖魔法を当てて消滅させたところで、魔人たちに及んでいた支配権が切れたようだ。魔人の行動原理が目に見えて変わった。残り三体の魔人が窓から外に出る。

「チッ」

 育ちのいい公爵令嬢が舌打ちをして、窓から魔人を追おうとする。確かに、この場に魔人の侵入を許している時点で、王宮の外に魔人に対応できる戦力がいるかは怪しい。私たちが追うべきだ。

「マユナ!」

 絶対にバレない角度でマユナを召喚して、倒れる剣聖を咥えさせる。あたかも魔人の仲間の魔獣であるかのようにそのまま外へ。

 エルミナに続いて私もそれを追いかけた。


*****


 魔人たちが逃げたのは王宮の森だった。防衛上の理由で(自国の民に王宮を囲まれないように)作られている森だ。入ったのは全人生で初めてだけど、こんなに鬱蒼としている方がリスクなんじゃないかというくらい木々の密度が大きかった。

 エルミナの闇鴉が空から魔人を追っていたから追跡は楽だった。そのままサクっと全部倒せたので、剣聖の治療に専念する。

「癒せ」

 光魔法が他者を癒せるとすれば、それは身体的に接触している相手を自分の一部のように心から慈しんでいるときだけだ。例外はない。

 だけど私には、この剣聖を治せる気がした。


 剣聖が首を切る最後の数瞬、視線でのやりとりがあった。

 そこには死を前にした人間にだけできるような、特別な密度があった。

 この人が過酷な環境を生き残ったこと、一面死体塗れの光景、ユリウス皇子を守る誓いを立てたこと、自分よりもユリウス皇子の命の方が優先度が高いこと、私が聖女であることを知っておりその力を頼ろうとしていること、皇子の命を守るために最も適した方法をこれから自分が取るということ。

 要するにあの数瞬で、私はその命と引き換えにユリウス皇子の守護を託されたのだった。

 勝手に託すのやめて! とは思うけど、あんな託され方をしたら応えないわけにはいかない。ほんの少し前まで他人で、あるいはあの瞬間まで他人だった私を信頼して、あの群衆の中で一番可能性が高いと信じて命を投げた。これが適切な言葉かは分からないけれど、私はこの人のその行動を高貴で愛おしいと感じる。だから私はこの瀕死の傷を治すことができる。


 ゆっくりと首の傷がふさがっていく。だけど流した血まで戻るわけではないから、あとは個々の生命力次第ということになる。

「あなたは……」

 少しして剣聖が重く瞼を開いた。流石に剣聖になるだけあって身体が強い。いや、そこに相関があるかは知らないけど……。

「ごめん。あのまま死んでたらかなり美談だったとは思うんだけど、治しちゃった」

「感謝します」

 と、剣聖がせき込みながら言った。

「あなたは首を切った後に魔獣に食べられて死にました。死んだことにします。他人を治癒できることを絶対に国に知られたくないので」

「……承知しました」と少しの間ののち、彼女が答えた。「率直に言って、ユリウス様を拝顔できないのは残念ですが、死んでいる状態と比べたら、とても行動の自由度が高いと感じます。あなたに委ねた命、これより私はあなたの剣となりましょう」

「おうおうおう、序列三位の剣聖サマが国を捨てるってか」

「――ッ!」

 この距離まで気づかなかった。

 闇夜に剣を担いだ男が単騎やってくる。いや、あれも剣聖と同じ、剣というよりも刀だ。

「やはりあなた方の差し金でしたか」と腕の中で剣聖が言った。「気を付けてください。剣聖の一人です」

 つまりは魔法なしで魔人を簡単に屠る力をもつ剣士であるということ。加えて、私たちを殺す前提でいることは今のやりとりだけで十分理解できる。

「借りるね」とマユナの持ってきた剣聖の刀を構える。

「あんたが聖女様か。うちの姫様があんたの内臓を欲しがっててな。どこかの村に聖女の肝は万病に効く、なんてふざけた伝承があってな。微塵も信じちゃいないくせに、取ってこいとだけは命令してくる。まったくたまったもんじゃねえ――ッ」

 男の刀を、闇を纏った刀で受ける。

 相手の刀が闇魔法で〝消滅〟する。

 思わず男が後ろに下がった。

「あれぇ? 威勢のいいこと言ってたわりに、あなたの剣が食べられちゃいましたね~。がるるるる」

 私の舐め腐った「がるるるる」のジェスチャーに男の視線が上がったのに合わせて、エルミナが闇魔法を発動する。

 男の下半身が〝消滅〟した。

「がっ……なっ……」

 どくどくと血を吐き出しながら、男の上半身が地面に落ちる。

 剣聖だかなんだか知らないけど、なんの対策もしてない初見の人間に、しかも夜の森というフィールドで、闇魔法が負けるはずないじゃないか。対人最強属性は伊達ではない。

「なにか言い残すことはあるかしら」

 とエルミナが男の上半身を木に立てかけて問う。

「んなもんあるか、カスが」

 私にこの男を治すことができたなら、延々と拷問できそうだなと思うけれど、非常に残念なことに私はこれを愛おしいとは思はない。

 男が何か小声でぼそぼそと喋った。

「なんですの、聞こえませんわ」

「危な――」と私が言い終わる前に、先ほど私が首をつなげた剣聖が、男の剣聖の首を刎ねていた。


 少しの間があって、エルミナの後方にあった木がゆっくりと倒れる。鋭利な断面が残されていた。

「お気をつけを。腐っても剣聖です。刀がなくともある程度のものは斬れます」

 頭と下半身のないその死体には、木の枝が握られていた。剣聖って木の枝で木を切れるの!?

 私たちの闇魔法がそうであったように、相手もまた初見を殺す技を持っていたのだ。


「感謝しますわ。助けられましたわね」

「いえ、皇国のごたごたに巻き込んでしまい、大変申し訳ありません」

「エルミナ・ファスタ・ツー・グルナートですわ」

「セイラと言います」

「あ、私はステラです」

「わたくしとステラはホールに戻る必要がありますわ。情報をいただけます?」

「スレイ皇国では、現在は五人の皇子女が皇位の継承争いをしています。その五人と皇帝・皇妃にそれぞれ剣聖が一人ずつついています。私はユリウス第三皇子付きの剣聖です。この遺体は第五皇子の剣聖です。継承争いの中には常に策謀があり、今夜もその一環かと」

「どういう筋書きが考えられる?」と私。

「あまりシナリオのようなものはなかったのではないかと。第五皇子は情報が洩れるより先にまずコトを起こし、そこからストーリーを紡いでいく方ですので」

「それはそれで厄介ですわね。襲撃が成功していたとして、あなたならどう物語ります?」

 とエルミナが彼女に尋ねる。

「まず、あの場でユリウス皇子が死んでいたなら、アルス王国の警備体制の落ち度を指摘されます。つまりスレイはアルスに対して有利な要求ができる。かつ、第五皇子の視点だと、第三皇子も消せるわけですから、仮に明確な意図がなくとも、損得の天秤で考えた場合に、やって損な作戦ではなかったのではないでしょうか」

「わたくしたちの最善手は?」

「この首を持ち帰り、第五皇子の剣聖が首謀者だったと告げること。第三皇子とスレイ皇国に対して貸しを作ることができます」

「剣聖の死に、それ以上の意味はありますの?」

「はい。〈剣聖〉を所持しているというのは神意の証なのです。ですからそれを失った第五皇子は皇帝争いから脱落することになるかと」

「それは第三皇子も?」

「――はい、そうなります。ただユリウス様はもともと皇帝を目指されていない方なので、そこまでダメージはないかと。むしろ〝脱落した〟と見なされる分、暗殺の危険性は減るかもしれません。逆説的なのですが、皇子の剣である私がいることで、皇子の命の危険が上がっていたのです」

 私はあの時の目と目の会話で、セイラがどれほど強くユリウス皇子を守ろうと志していたかを知っているから、今の発言は自分を納得させるための意図もあったのかなと思う。

「でしたらこの首を持って戻るだけですわね。ステラはセイラをどこかに隠してくださる? 適当に誤魔化しておきますから」

「私に方向感覚なし設定がつくであろうこと、了解です!」

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