エルフの里
私の華麗な死因リストに転落死が加わるところだった。
いや、流石にここで落ちることはないだろうと思うのだけど、転落しないことと怖くならないことは無関係だ。逆に落ちないだろうと思っているから、覚悟が決まらずに余計に怖かった。
なにが言いたいかというと、もう二度とドラゴンには乗りたくない。
「あのぉ、帰りも乗りますよ?」
「「げぇ」」
エルミナと反応が被ってしまった。
見ると、あのエルミナの髪がぼさぼさになっている。あのエルミナ様の御髪が!
おそらく今後一生見られないその姿を目に焼き付けて、少しでも今の体験の元を取ろうと試みた。
「大丈夫? 姉さん」
「ユナちゃん平気だったの」
「うん。すごく楽しかった」
「それは良かったねえ」
「うん」
ミューがのしのしと翼の先端を使ってやってきて、鼻頭をユナちゃんに押し付けた。
「ドラゴンは乗り手の感情を背中から感じ取りますから、きっとユナさんを乗り手と認めたのでしょう」
「つまりそこのぬけぬけと他者を出し抜いて二番目の鞍を取ったエルミナお嬢様のことをドラゴンは認めなかったということですね!」
「あなたも認められていないじゃないのよ」
「私は快適な鞍じゃなかったですからね」
「仲良しですねぇ」
ドラゴンショックでそれどころじゃなかったけれど、どうやらエルフの里に着いていた。
ドラゴンの発着場らしい。大きな砂場や水飲み場があった。
シエラに連れられて、長老の家に挨拶をしに行った。
不快ではなかったけど、別に楽しくはなく、得られるものもなかったので割愛。
いや、シエラの前情報がないフラットな状態で会っていたら不快だったかもしれない。なんというか、節々で保守派の価値観と、同席したエルフたちへのポーズとして、自分の意見を私たちに同意をさせようとしている部分があった。私たちがエルフ社会に口を出さないであろうことを見越したうえで、政治の道具にされた感覚がある。思い返してみると普通に不快だった気がしてきた。素早く忘れよう。
元々、私たちがエルフに興味を持ったのはドラゴンの生息地を見ておきたかったからで、それは鱗の乱獲を心配したからだ。そして途中からその目的は旅行になった。だからそもそもエルフにも、エルフの政治にもちっとも興味はないのだ。だんだん腹が立ってきたな。
「本当に申し訳ございません」とシエラの家に向かう道中で、彼女が謝罪する。
「あなたが謝ることではありませんわ」
「多くのエルフはもっと自由で、善良です。少なくとも、大事なお客様に不快な思いをさせないように気を配る分別はある、はず、です」
「すごくお腹がすきました。私、エルフの里の肉料理ってやつを楽しみにしてきたんですけど」
「……はい! ご案内します!」
本当に、面白いくらいの社会の分断があった。
具体的にいうと、保守側と革新側で物理的な壁があった。
密集した木々の隙間を、さらに蔦や枝や埋めて、森が端から端まで長老側と分割されていた。唯一行き来できる場所には若いエルフ(である可能性が高そうだが外見からは判別できない)が検問官のように立っていた。
街、と呼べるほどの楽しい雰囲気がそこにはあり、活気にあふれていた。
エルフたちが不思議な実を飲んだり、見たこともないお菓子を食べながらおしゃべりをしている。談笑や楽器の音色が至る所から聞こえてくるし、いい匂いもする。ツリーハウスも画一的でなく、それぞれに個性があって目が嬉しい。楽しい旅行が戻ってきた感じがする。
「ネク、こちらこの前お話したお客様。あとで行くからそれまでぜーったい肉を切らさないでよ」
「こんにちは。ようこそおいでくださいました。皆様のお食事をうちでご用意することになっています。ご期待ください。もう狩りまくってきたんで。他に食べたいものはありますか?」
「一応、伝統的なエルフ料理も食べてみたいのですが、そういうのって大丈夫ですか?」とユナ調査官。
「もちろんです。食事に貴賤はありません。お客が食べたいものをお出しするのが、プロの料理人ですから」
「わたくしは先ほどカフェで見かけた緑色のケーキのようなものが食べてみたいですわ」
「シュセルですね。デザートにお出しします」
「ありがとう」
シエラは自宅への道を遠回りして、街を色々紹介してくれた。
「と言っても、基本的に外からは人が来ないところですから、なにが珍しいかなんてあんまり分かってないんですけどね」
「逆に、人が来ないのにこの楽しい雰囲気を維持できているのがすごいなと思います」
と、でかい木の実を茎のようなもので飲みながら口にする。
茎をさす小さな穴からおそらく氷魔法が通してあって、冷たくてシャリシャリの不思議な触感が楽しい。氷魔法は水魔法と風魔法の複合技術だから、仮に王都でこんなものを作ろうとしたら莫大なコストがかかるだろう。ここでは普通に店先にどんどんどんどんと並んでいた。
「結局ごっこ遊び的なところはあるんですけどね。あちら側がいかにつまらないものかを示すためには、自分たちが魅力的であり続けないといけませんから。ですから大変皮肉なことですが、保守派がいなければこの街もここまで魅力あるものにはなっていないはずです」
「それはとても面白いですね」
「閉じられた土地で、加えて長命ですから、歪なんですよ」
「里から出たりはしないんですか?」
「全体の掟として、許可のないものの出入りは禁じられています。一応ここはドラゴンでの移動が必要なほどには自然豊かですし、出ていったところで人間の奴隷にされるのは目に見えていますから。そういう物語がたくさんあって、小さいころに散々聞かせられるんです」
「確かに、奴隷にされていた人がいうと説得力がありますね」
「うっ」
「もし許可のない人間が入ってこようとしたらどうなりますか?」
「空にいたドラゴンが全部降りてくるところを想像していただけたら」
侵略者にとっては喜劇的なまでに悲劇的な光景だ。
「ドラゴンはこの空域を出ていきませんの?」
「はい。卵の頃から私たちが見ていますので、ドラゴンたちはここを自分の縄張りだと認識しています。そこはかなりの時間と労力をかけて緻密に行います。ドラゴンの存在が人間にバレることは、お互いにとって悲劇にしかなりませんから」
「あの、私たち里の外でドラゴンに遭遇したんですけど」
「うっ」
「ちょっと姉さん」
「いえ、本当の本当の本当に助かりました。あのドラゴンが里を出た時点で、私たちはここを捨てて散り散りになる覚悟までしていました。もしかしたらそこまでのご自覚はないかもしれませんが、極めて英雄的な行為だったのです。人間をこの里にお招きするという決断が下されるくらいですから」
「過去にここに来たことのある人間種はどれくらいいますか?」
「どうでしょう。少なくとも私が生きている間――まだ百年も生きてないですけど――は、そんな話は聞いたことがありません」
そんな場所の地図を持っていたソフィ会長の恐ろしさだ。私は一撃しか見ていないけれど、あの雷魔法はドラゴンの鱗にも通る気がする。エルミナが長い時間かけて準備していたソフィ会長対策が、知らないところで一つの里を救っていたのだ。それこそ英雄的に。
「ドラゴンの寿命はどれくらいですか?」とユナちゃん。
「エルフよりは短いです。人生において、龍使いのエルフは三頭のドラゴンと契約すると言われています。ミューは私が小さい頃から一緒で、まだ一頭目ですが」
「死んだドラゴンはどうするんですか?」と私。
これはつまり、私たちがドラゴンの肉を食べたのはもしかしてマズかったのでは? という危惧からきた質問だ。
「ドラゴンの墓場にご案内しましょう。そうだ、確かにあそこは外の人が見たら面白いかもしれません」
なんだか丁重にお墓が作られている時点で、私とエルミナはドラゴンを食べた事実を墓場まで持っていく決意をした。
一つ誤算があったとすれば、ドラゴンの墓場に行くにはドラゴンに乗らないといけないということであった。いや、大丈夫。さすがに二度目は大丈夫。たぶん。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ」
駄目だった。
エルミナは今回まあまあ平静を装うことに成功していたし(でも私には分かる)、ユナちゃんに至ってはシエラに抱きかかえられる形で一番前の席に座って操り方を教わっていた。なんていうか、過去に一度も転落死をしたことがないというのが、逆に私の恐怖を煽っている気がする。そして今回の騎乗の最も恐ろしかった点は、再度ドラゴンに乗らないと晩ご飯にありつけないということだった。ユナちゃんの世界には、好奇心が猫を殺す、という格言みたいなものがあるらしい。額縁に入れて玄関に飾っておきたい言葉である。
でも確かに、墓場は壮観だった。
私の身の丈の何倍もありそうな大きな骨が幾重にも重なり、巨大な建築物のようになっている。胸部のものだろうか。歪曲した骨がそのままたくさんのアーチを形成していた。
「胸骨のアーチを作ってそれをくぐる、という習慣があります。あなたの胸の中で眠る、という意味です。とても大切にされている行為です。ちょうどあのエルフがやっていますね。あの子は先日老衰で亡くなったパートナーを弔うために、まずは鱗を剥がしています。鱗は、百年近くかけて、ナイフや斧などの様々な日用品に加工します。これらを持っていることは、竜使いの誇りです。それから遺骸を煙にして空に還し、残った骨でアーチを作ります。私も乗せてもらったことのあるドラゴンでしたから、アーチができた際は私もくぐります」
なんとなくそれはとても神聖な儀式に思えたので、私たちは静かに墓場を立ち去った。
「ああぁぁぁぁああ」
そう、静かにね。
食事はとても美味しかった。
独特な香草の匂いがあったので、人によっては苦手かもしれないけれど、少なくとも私たち三人にとっては美味しかった。この後はドラゴンに乗る予定がないので、吐かずに済むというのもとても良い。
意外なことに、というと失礼だけど、伝統的エルフ料理の方も美味しかった。
スラムで雑草汁を食べていた私には分かる。エルフの里の葉っぱは新鮮で質が良く、調理過程において植物的なえぐみと青臭さがきれいに除去されていた。
王都では、美味しい野菜を平民が食べることは難しい。その点、ここの野菜は生の時点でかなり美味しい。確かに百年食べてたら飽きる気はするけど、それはどの料理にも等しく言える気がする。
食事のあとは音楽でもてなされて、エルフ的なダンスも踊った。
ユナちゃんは店内にいた人たちに、古典エルフ語を教わっていた。恐ろしいことに、古典エルフ語には名詞に性があり、格変化があり、動詞の時制が十以上あった。私とエルミナは自分の名前を名乗れるようになったところで諦めたけど、ユナちゃんはいくつかの動詞を一人称単数に活用することができていた。「行く」「食べる」「飲む」「与える」「乗る」「採取する」「眠る」「愛する」「空腹である」「乾いている」「幸福である」「不調である」あたりを多分学んでいた。古典エルフ語は、今では儀礼やドラゴンとの対話にしか使われていないらしい。
ユナちゃんが知らない人たちの輪に入って、一生懸命交流しているのを見ると、なんだか胸に込み上げるものがある。ユナちゃんが異世界から来た人間だと唯一知っている者として、あるいは家族として、この子がこの世界で楽しい思い出をたくさん作ってくれたら嬉しいなと思う。
シエラの家で床に就くと一瞬で眠くなった。山を登って、ドラゴンに乗って、ドラゴンに乗って、食事をして、ダンスをして、楽しい一日だったなと思う。
次にユナちゃんに起こされて目を覚ましたとき、エルフの里が真っ赤に燃えていた。
眠い目をこすって、外の光景を見て思う。
「………………なんで!?」




