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友だちの領地を見るのは楽しい

 翌日、私たちの馬車はとうとうエルミナ領ファスタにたどり着いた。


 一応領地視察の名目で休暇申請を通しているから、何日かはエルミナの領地を見る必要がある。

 シエラは先にエルフの里に戻るという。どうやら出迎えの準備をしてくれるらしい。六日後に迎えに来てくれることになった。


 それはそうとエルミナの領地だ!

 まだ何も見ていないけど、すでになんだか楽しい。

 どんな人が住んでいて、どんなふうに経済が回ってて、どれくらいの税率が課されていて、どういう街づくりをしていて、街の人たちはどんな風に領主を見ているのか。全部知りたい!

 エルミナは領主代行を雇っているという話だったけど、領主代行だってエルミナの意に沿う街づくりを行うはずだ。つまりこの街はエルミナがデザインしたものともいえるだろう。楽しみ! 私のお友だちであるところの、ここの領主ってどうですか? ってみんなに聞いて回りたい!

 という迸る内心を完璧な制御下に置きながら、エルミナにファスタを案内してもらった。

「そんな顔しても、領地なんてどこも大差ありませんわよ」

「あれ! あれはなんですか?」

「鐘ですわね」

「鐘だ! でも下のところどう見ても教会じゃなくないですか?」

「あそこは現在、有形の店を持たない人々に、銅貨3枚で領民に小さなスペースを貸し出す場所になっていますわね。ですから、毎日違った店の並びになりましてよ」

「もともとあった教会はどこに行ったんですか?」

「自分の領地に教会を置いておくことは、寝室で魔獣を飼っているのと同じことですわ」

 思想だ! うれしい!

「じゃあ教会の信者はどうするんですか?」とユナちゃん。

「わたくしが知る限りでは、この地にはいませんわね。結局のところ、女神信仰があって教会があるのではなく、教会がその地に女神信仰を植え付けているのだとわたくしは考えます。ですから、代々教会をおかないグルナートの領内では、そもそもそれを求める人間がいないのですわ」

「なるほど、貴族みたいなものなのですね」

 ユナちゃんの返しに、エルミナが私以外には悟れないような軽微な変化で「お」という表情をする。

「流石は姉妹といったところですわね」

「私だったら、ならそもそもなんで教会風の建物があるかを訊きますけど。時間が分かるように鐘は必要だとして、下の建物が教会風である必要はないんじゃないですか?」

「…………。あなた方とお話するのはとても楽しくってよ。どうしたらそんなことが思いつけるようになるのかしら」

 私はユナちゃんの方を見るし、ユナちゃんは私の方を見る。小さく笑う。

「流石は姉妹といったところですわね。ユナ、あなただったら今のステラの意見をどう考えまして?」

「建てた人物が、鐘といえばこの建築物、となんの考えもなしに建てただけか、有事に向けて教会派がそう仕向けたか、教会があることで信仰が発生するみたいに教会風の建物があることで教会が求められるようになると教会派が考えたか、あるいはエルミナ様が教わったグルナート家の歴史に偽が交じっているか、でしょうか」

「ステラ。あなたの妹を私が雇ってもよろしくて?」

「だってよ?」

「とても光栄なことですが、私はすでに姉さんの侍女ですので」

「それ公式なんだ」

「そうだよ、姉さん。今の私には、お茶を淹れる以外にも、有事に備えて床をピカピカに磨いておくという大事な使命もあるんだから」

「振られてしまいましたわ。ですが無害でない二つ目と四つ目は一応調べておく必要がありそうですわね。ありがとう、ユナ。アルベルト、後でお願い」

「かしこまりました」

「たぶん一つ目の可能性が相当高いですよ?」

「そうでしょうね。でもそれならそれでいいのよ」

「私、将来住むならこの街がいいです」

「光栄ね。たくさんこの街を見ていってくださいな」


 それから色々案内してもらった。

 どこも綺麗だった。建物に費用が掛かっているという意味ではなく、街並みが荒んでいない、という意味での綺麗さだ。要するに、住民たちが誇りと温もりをもって、自らに規律正しく暮らしていた。まるでエルミナの精神みたいに。

 話した人たちはみな、ファスタのことが好きだった。ファスタ領が困っているときには助けになりたいと思う? と質問したらら、ほとんどが「そう思う」か「ややそう思う」と答えるだろう。


 住民同士が互いに正の影響を与え合っている。

 税は五割だから少なくとも安くはないけれど、その分困ったときは領主様が助けてくれるとみなが経験から確信している。

 領主は、事故で両親をいっぺんに亡くした娘を城で雇ったり、病気で乳牛が死んだ畜産農家には見舞金を出したりしていた。畑の作物をやせ細らせないための方法などは無償で公開されており、誰でもその技術を取り入れることができた。希望者は文字の読み書きや計算を無料で学ぶことができ、それがお昼をまたぐ際には食事も提供された。狩りや調理、手芸、工作、給仕などの各種の大会が定期的に開かれており、住民たちの職業に対する意欲を向上させていた。

 軍は徴兵制だが、兵士に対する扱いが良く、希望や資質に応じて訓練が行われるから、徴兵は一種のお祝い事的に捉えられている。生活魔石は、領内に三年以上税を納めているものであれば、所得に応じて城が費用を補助してくれる。近年で最も多い領内の犯罪は、魔石の他領への転売だそうだ。


「いい街すぎる……」

 いい街すぎて、逆に不都合な情報が全部隠されているのではと思いたくなるくらいだ。だけど、私たちはエルミナという人間を知っているから、少なくとも裁量権のある自領については、これくらいのいい街は作っているよなという気もする。

「わたくしはほとんど関与していませんわ。領主代行人(スチュワート)にいくつかの理想を語ったにすぎません。それを形にしてこのように落とし込めているのは、彼女たちの手腕です」

「こんなに手厚くやっていたら、領主の手元にはほとんど財が残らないんじゃないですか?」と私。

「考え方の問題ですわね。わたくしはこの街全体がわたくしの金庫だと思っています。一時的にどの金庫に金貨が入っているかはわたくしの富に影響を与えないでしょう?」

「エルミナ様と、エルミナ様的でない貴族ってなにが違うんでしょうか?」とユナちゃん。

「わたくしの貴族的な感覚ですけれど、贅沢とは際限のないものですわ。昨日よりもいいパンを食べたい、良い調度品に囲まれていたい、より贅沢をしたいあるいはそれを誇示したいという気持ちが、手元に富を所有しておきたくさせるのではないかしら。もっとも侯爵家以上はただ集められる富があるから、くらいにしか考えていなさそうですけど」

「エルミナはかったいパンとか平気で食べるよね」

「あれはトレのせいですわ。あれがあるとただそこに草があるということが美しく感じられますもの」

「えっ……もしかしてそういう理由で貴族の間でトレを流行らせようとしてます?」

「そんなことはありませんわ」

「こわ~」

 気付かなかったことにしよう。


 その後、エルミナ城(本当はもっと言いにくい名前だった)に案内された。

 私にとってあらゆる物事がそうであるように、お城もまた聖女としてゴミのように使い果たされてるときにしか泊まったことがなかったから、楽しいお城というのは不思議な感覚だった。お城の人たち礼節をもって迎えてくれるのもなんだか変な感じだ。


 料理はトレなしでも美味しかった。美味しい料理の対価をしっかりと料理人に払って、それが街に還元されるのなら、贅沢それ自体は悪くないのではないかという話をした。

 今日の話を整理すると、以下のようになる。

 末端の労働者に支払われる対価が少なく、ほとんどの対価が税や魔石などの生活必需品に消えてしまうときに貧困が発生している。これを防ぐには、

①先に末端労働者に支払われる額を規定してから、間に入る人間の取り分を乗せて貴族が支払う

②魔石を安くして生活費の余白を広げる、

などが有効なように思われる。①は王令で定める必要があり、②は王令または利権貴族を破壊することで達成できる。王令は万能で、ヨハン王子を手に入れた私たちにとってはまあまあ現実的な手段にも見えるけれど、おそらくなんの準備もなくそれをしたらヨハン王は数日でその座を引きずり落とされてもとに戻るだろう。結局のところ、政治か暴力による恫喝と懐柔が必要で、それらは美味しい料理を作るのと同じように、精巧な下準備が必要となる。


 食後はエルミナと領主代理人(スチュワート)との会議に同席した。この領主代理人のフローレンスという人がエルミナのアイデアを実際の政策に落とし込んでいるらしい。要するにすこぶる優秀だということだ。

「五年後くらいに戦争が起こるかもしれませんわ」

「では三年後から食糧生産量のピークが来るように動きます。その戦争はどれくらい継続しますか?」

「長くて百日でしょう」

「食料備蓄をコントロールします。ファスタから兵を出す予定はありますか?」

「出しません。どれくらいでしたら難民を受け入れられて?」

「治安を維持できるのは三千人までです」

「事前に周辺領の住民リストがあれば?」

「三千五百人でしょうか。あまり変わりません。それよりはそのリソースを私に欲しいです」

「五年間二人預けます。好きに使いなさい。今後五年間は税収の三割もあなたの裁量で自由に使ってもらって構いませんわ。足りないときは連絡を頂戴」

「はい。周辺領との関係値は上げますか? その分私のパフォーマンスは下がりますが」

「プラス1から3の間で任せます。この話は終わりね。他に何か訊いておきたいことは?」

「王都から入ってきた『マヨネーズ』という卵と油とビネガーのソースで倒れるものが多くいるのですが、原因はなんでしょうか?」

 エルミナがこちらを見た。

 急に振られたので、私はユナちゃんに急に振る。

「マヨネーズは結局のところ火を通していない卵ですから、注意が必要です。卵を割る前に紅茶を淹れるよりもやや低い温度で、六十数える間茹でてください。そのあとは保存状態とビネガーの量で安全性が決まります。基本は調理直後、遅くとも半日以内には食べるべきです」

「ありがとうございます。その情報は公表してよいものですか?」

「はい、構いません」

「その情報を伏せて他国に流行らせるだけで、弱体化を図れそうですわね」

「感染率はそこまでは高くないので、その場合、常温で長期間放置した卵を使って風味のあるビネガーで誤魔化す、みたいなアプローチになりそうですね。いったんちゃんとしたものを流行らせてから、一度供給を止めた後に感染リスクの高いマヨネーズを流通させる、とかでしょうか。その地域で好まれている食事を教えていただけたら、マヨネーズが合うレシピを考えます」

「うちのユナちゃんが最近エルミナ様に似てきちゃって……」

「あら、あなたに似てきたのではなくて?」

「私だったらそのマヨネーズに敵勢力を想起させる名前を付けておきます」

「やはりあなたに似ているのよ。ユナ、この件はただの机上のアイデアですけれど、今後あなたの発想力が大勢を苦しめるかもしれません。よろしくって?」

「はい。私は姉さんと一蓮托生すると決めています。姉さんが承認するやり方で、姉さんの望む方向に進められるのであれば、私に厭うことはありません。姉さんとエルミナ様は同じ舟に乗っているという認識です。よってエルミナ様とも間接的に一蓮托生となる覚悟です」

「それは良い覚悟をいただきましたわ」


 なるほど、エルミナはこんな風に徐々にその毒を貴族の間にも巡らせているのだろうな、と客観的に見ていて初めて気づいた。もっとも私もその毒を喰らった一人だ。きっとこの領主代理人も毒を喰らっている。そう思うと奇妙な連帯感が芽生えてきた。

「なんですの?」

「いや、たいそう美味しい毒だなと思って」

「マヨネーズの話?」

「ビネガーが効いているんですよね」

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