公式の非公式
舞踏会の翌日に、エルミナがヨハン第一王子宛てに抗議の手紙を送り、数日後に返事が来た。内容は、正式に謝罪したいから王宮にきてくれないかというものだった。
エルミナに予定を訊かれて、私は結構強めに断った。王族とは本っ当に関わりたくない。
「あら、殿下と楽しく踊っていたのではなくて?」
「それは、まあ、そうですけど……」
確かに、これまでの死は王族というか結果的にエルミナの婚約者に手を出した(出してない!)ことで起こっているわけだから、ヨハン殿下を嫌うのは筋違いかもしれない。幸いにして、ヨハン殿下の婚約者は先日私が屠っているから、断罪される心配はない。……よく考えたら逆じゃない? なんか婚約者のいる王子に手を出した際に受けている罰が重すぎて、それより重い罪なんて存在しないかのような錯覚が発生している。
「こういうのは周囲に示すポーズが大事ですのよ。ヨハン殿下が謝罪し、あなたがそれを受け入れる。それでフラットにしておかないと逆に尾を引きかねませんわ」
エルミナがそういうのなら、きっとそうなのだろう。確かに、ここ数日で、負のシチュー事件のおかげで奇蹟的に取れていたバランスが変な方に傾きそうなのは予感している。
正確にいうと、この件がどう転ぶか分からないから、危機管理として私と関わるのは避けておこうというクラスメイトたちの判断をほんのり感じる。みんなの気持ちはかなり分かる。でもクラス旅行もとい魔法演習合宿が楽しかったから、できればあの頃の雰囲気に戻りたい。というか王子のあの一言さえなければそもそもこんなこと考えずに済んだはずだ。普通に腹立ってきたな。
「決めました。泣くまで謝罪してもらいます」
十日後に王宮へ行くことになった。
学園からなら歩いても行ける距離だけど、貴族的な慣習に従ってグルナート家の紋章入りの馬車で向かう。
形式上は、学園に在学しているエディング王子の婚約者であるところのエルミナ様に聖女を連れてくる役回りが立ち、エルミナが私を拉致して連れてきた、みたいな形になっている。クラスメイトから見たらもう完全な茶番だと思うけど、一応オフィシャルには私とエルミナはただのクラスメイトであって、親しいというほどではないということになっている。おーほっほっほ、この平民をお借りしますわ~。
王宮では、静かに別室に通された。面倒くさい政治的な話だけど、「公式の非公式」というやつに沿った対応だ。王族は頭を下げないから、公式に謝罪をアナウンスすることはない。だけど謝罪自体は行われる。それを「誰か」が触れ回り、謝罪は公然と知られるところとなる。百年後の記録には残らないけれど、当代の記憶には残る。そういう論理なのだ。
部屋で待っていると、部下を連れたヨハン王子が現れた。
「この度はご迷惑をおかけして本当にすまなかった」と頭を下げられた。
過去のどこかの第二王子と違って、その様子が誠実に見えたので、意外と許そうという気持ちになった。いつもゴミのように扱われていたためか、よく考えたら私って過去の人生を遡ってもこういう謝罪をされたことがない気がする。王族に謝罪をされるのは、存外気持ちがいいことが分かった。
「そのお言葉、しかと賜りましたわ」
これで公式の非公式の儀式はおしまいとなり、帰る前にお茶をしていくこととなった。王宮に唯一いいところがあるとするなら、それはお菓子が美味しいことだ。
殿下が人払いをして、部屋には三人だけになる。普通に闇魔法の射程だからもっと警戒した方がいいと思うけど、グルナート公爵家のご令嬢もいるから大丈夫という判断なんだろうか。
「久しぶりだね、エルミナ嬢」
「わたくしはてっきり、先の舞踏会でご挨拶をいただけるものだと思っておりましたわ」
「その点についても謝罪するよ。目的に意識が先行して、手順をおろそかにしてしまった」
「まあ怖いですわ。どんな目的だったのかしら」
二人が楽しそうにやり合っているので、私はお茶とお菓子に集中することにする。
「君たちと仲良くなることだよ。そして私の目的は今まさに果たされている」
「あら、こちらのステラ嬢だけでなく、わたくしともですの?」
「こうして先入観を取り除いて話してみると、君との会話も随分楽しいな。義妹になるのだから、もっと昔から仲良くしておけばよかったね」
「氷の王子様がいつの間にか随分と丸くなられましたのね」
「そうだね。君はエディングと会うときには私にも話に来てくれていた。私がそれを遠ざけていたんだ。君にレミリアの面影を見てしまうからね」
「あら、そこで姉の名前が出てきますの? あまり交流はなかったようにお見受けしておりましたが」
「単刀直入にいうと、私はレミリアを愛していた」
エルミナの空気が変わる。
「その発言は穏やかではありませんわね。特にウォルツ公爵家の婚約者様を亡くされた後では」
政治が始まってしまった。お菓子は美味しい。
「大丈夫だ。人払いは完全だ。ここでの会話は決してどこにも漏れない。闇魔法で確認してもらって構わない。そういうのは得意だっただろう?」
エルミナの影が揺らぐ。
「お言葉通りのようで」
「これは私が所有する白銀等級の契約の魔石だ。先に渡しておく」
とヨハン殿下が魔石を二つ差し出す。
「殿下の甘い愛の真偽をこの国に七つしかない貴重な契約魔石で確かめろと?」
「そうだ。私はレミリアを愛していた。彼女がこの国を破壊しようとしていたことも知っている。君たちが同じことをしようとしていることも推察している。私に君たちの、レミリアの意志を継ぐ協力をさせてほしい」
エルミナが一瞬固まった。もちろん私も固まった。
しばらくして、エルミナが口を開く。
「契約。エルミナ・ファスタ・ツー・グルナートの質問に対し、ヨハン・ツェルン・ツー・アルスは虚偽の言動を働かない、受けますか?」
「受ける」
「復唱要求。ヨハン・ツェルン・ツー・アルスはレミリア・オルフェ・ツー・グルナートを愛していなかった、またはレミリア・オルフェ・ツー・グルナートのアルス王国の制度を解体したいという考えを、レミリア・オルフェ・ツー・グルナートの生前に感知していなかった、または今この瞬間に置いて眼前の両名エルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラに対して危害を加える可能性を持っている、またはエルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラの企図するアルス王国の制度解体を肯定していない、またはエルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラの企図する計画の援助を望んでいない」
「私はヨハン・ツェルン・ツー・アルスはレミリア・オルフェ・ツー・グルナートを愛していなかった、またはレミリア・オルフェ・ツー・グルナートのアルス王国の制度を解体したいという考えを、レミリア・オルフェ・ツー・グルナートの生前に感知していなかった、または今この瞬間に置いて眼前の両名エルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラに対して危害を加える可能性を持っている、またはエルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラの企図するアルス王国の制度解体を肯定していない、またはエルミナ・ファスタ・ツー・グルナートとステラの企図する計画の援助を望んでいない」
殿下が言い終わるのを待って、魔石が粉々に砕けた。
「随分と盛ったね」
「希少な魔石ですもの。もう一つはいただいておきますわ」
エルミナは平静を装っているけれど、今目の前ではとんでもないことが起きていた。この国の第一王子、つまりはこの国の次期国王が、私たちの王国解体の計画に賛同していることが証明されたのだ。
念のために、今の問答に穴がないかを確認する。すべてが「または」で繋がっていて、それの否定だから、一つも当てはまるものがなかったということになる。エルミナは用心深く指示語を使わなかったし、別の「ステラさん」を指している可能性を消すために、「眼前の」という指定を行った。主語が捻じれてもいない。論理の抜け道を利用されてはいない……と思う。
「それで、どうだろうか」
エルミナが私を見る。私に判断を委ねたということは、後は私の判断だけ、つまりエルミナは了承したということだ。
「お受けいたします。ただし計画遂行のために邪魔だと感じたら、切り捨てます」と答えた。
「また、これはわたくしとステラの計画であって、姉の企図したものとは同一ではないことをご承知おきくださいませ」とエルミナが付け加えた。
「ありがとう。もちろんだ。嬉しいよ。時間が動き出した気持ちだ」
「姉とはどういうご関係でしたの?」
「ただの片思いだよ。一度だけ口説いて、踊って、将来にもう一度だけ踊ると約束をしただけの淡い恋心さ」
「なにか私たちに利するカードはお持ちですか?」と私。
「ソフィの別邸から秘密裡に回収していた研究資料がある。彼女には価値あるものを破壊したいという衝動があってね、魔石を使ってこの国を、あるいは自分自身を破壊しようとしていたようだ」
「知っていてお止めにならなかったのですか?」
「私にはその資格がないからね」
「軽蔑しますわ」
「その言葉に感謝する。ということは被害がでなかったのは君たちのおかげか。敬意を示すよ」
「反吐が出ますね」と私。
「彼女は闇魔法への対策として、ドラゴンを狩ろうとしていた。君たちがここにいるということは間に合わなかったようだけど。心当たりは?」
「……あります」
「なら地図も渡しておくよ。エルフの里がある。王族でもごく限られた者しか知らない情報だ。弟は知らない。君の父上も、理論上は知らないはずだ」
エルミナと視線が交わる。そういう情報を先にくれてたら反吐を出さなかったのに。
「あとはソフィの地下道の地図くらいだ。載っていないものもあるかもしれないけどね」
この殿下、結構良いかもしれない。人が欲しいものをちゃんと理解している。
「君たちの計画は一切訊かないけれど――父の手元にも未登録の契約魔石があるからね――、私は貴族を分断させる最後の一手になるはずだ。それは予測不可能なものであるべきだから、私たちは今後あまり会わない方が良いと思うがどうだろう」
「でも平民の私を強引に婚約者にしようとして、廃嫡の危機となって、第一王子派と第二王子派の分断をあおるのも結構ありではないですか?」と私。
「君は……恐ろしいね」
「今気づいたんですけど、私が殿下と結婚したら、エルミナが私の妹になるんですよ」
「この子は狂っているので、あまり本気にしないでくださいまし」
「どうやら私は狂った人間に惹かれる傾向があるらしい」
「残念ですわ。殿下はわたくしには魅力を感じていらっしゃらないご様子」
「断言するけど、グルナート家に狂っていない人間は一人もいないよ」
なんだか友だちになれそうな気がしてきた。少なくとも、この人と数年間疎遠を装うのは惜しい気がする。
「殿下は私への想いを殺しながらも、思いを寄せておいてください。私を養子に取ろうとする貴族には厳しく当たること。なぜなら殿下には子供じみた所有欲があって、私を他貴族に取られてしまうみたいで嫌だから。路傍の花を眺めるように、平民である素の私の喜怒哀楽を遠くから眺めたいと思っているのです。でもたまに思いが爆発して、何かのついでを装って私に会いに来るかもしれませんね」
「エルミナ嬢、君はこの恐ろしい生き物を一体どこで拾ってきたんだい?」
「殿下はご存じないかもしれませんが、実はこの子、聖女なのですわ」




