魔法演習基礎Ⅰ:郊外演習
魔法演習の校外授業とは。
四人でグループを組んで、実戦で魔法を使ってみよう、という授業だ。過去生の私は下貴族クラスだったから、行っていい範囲が限られており、魔法の出番なんてほとんどなかった。ただ単にみんなで街の周りを数刻ぶらぶらするという、レクリエーション的な側面が大きい授業だった。
しかし現在のクラスでは異なるらしい。一番は、王都からの二泊四日と泊りになる点だ。王都門外の合宿所まで行き、そこで訓練を行って戻ってくる。
もっとも、魔物が魔阻から発生する以上、人口密集地である王都の方がよっぽど危険度は高い。だからやっぱり入学直後のレクリエーションの色味が強くて、みんな自分の家の使用人が帯同しない初めての小旅行にわくわくしている。
だけど、過疎地には大した魔物が湧かないかというと、必ずしもそうではない。土地をもっと大きな尺度で見たときに、魔阻が溜まる淀みのような場所はいくつもある。そして基本的には、そういう場所の魔物を祓うのが聖女の仕事だった。もっとも、婚約破棄破棄後は私への嫌がらせが兼ねられていたから、遠地にしか行かされたことがなかったのだけど。
私のグループは、リュカとカイとエルミナだ。
学園ではエルミナと仲のいい感じは出さないようにしているので、班に加わるときの彼女は「おーほっほっほ、わたくしが監視して差し上げますわ~」みたいな感じで面白かった。
「あなたそれ、馬鹿にしてるんじゃなくて?」
「してませんよ。してませんとも」
馬車は四人乗りだから、あんまり大きな声ではお喋りできない。男女で分かれているから、私たちの向かいは話したことのないご令嬢だ。でも全体的に和気あいあいとした雰囲気だった。
小川を渡り、畑に挟まれたのどかな馬車道を進んでいく。
ソフィ会長の行方不明はまだ周知されていない。あの日の魔物騒動は、平民街の〝いつものちょっとした〟騒動だった。一日休んで私が学園に登校した日には、もう誰も話題にしていなかった。
ソフィ会長は確実に死んだ。私が闇で削り取ったから間違いない。
エルミナが地下室に幽閉したソフィ会長は、手足がなく、視力と聴覚がなく、声も出せなかった。ひゅう、ひゅうと風を切る音が喉から漏れていた。ユナちゃんやジルなど、私の大事な人たちの身柄が事前に攫われている万が一の可能性に備えての捕縛だったらしい。
だけど、流石にそこまでは手が回っていなかった。というかソフィ会長は私への執着は全然持っていなかったと思う。あの人はたぶんエルミナしか見ていなかった。
だからソフィ会長を生かしておくメリットはもうなかったし、私もソフィ会長には執着がなかったから、単にこのまま生かしておくのは忍びないと思った。
エルミナが闇魔法で消そうとしていたから、先んじて私が闇魔法で殺した。ここをエルミナに任せてしまったら、いつか大事な場面で対等でいられなくなってしまいそうな気がしたから。
そのうち〝不幸な事故〟としてウォルツ家が死亡を発表するだろう。ウォルツ家としても、余所から暴かれる前にさっさと終わらせたいはずだ。水面下では探り合いが行われるかもしれないが、その他大勢にとっては関係のない話である。過去の私がそうであったように。
私たちにとってはどうだろうか。第一王子の婚約者枠を失ったウォルツ家と、敵対公爵が弱まったことで相対的に力をつけるグルナート家。どちらも打倒すべき相手だから、相殺で損得なし、といったところか。
「エルミナ様、ご相談があるのですが」
と馬車で向かいに座っていたご令嬢が声を出した。エディング第二王子に気に入られている伯爵令嬢だ。確か名前は、リーズ様。
「ここでよろしくてよ」
いいのですか、とリーズ様が私の方に視線を送る。
「あなたがよろしければ、わたくしは構いません」
とエルミナが逃げ道を塞いだので、観念したようだ。
「まずは謝罪を。婚約者であるエルミナ様を差し置いて、私はエディング殿下と同じ班になってしまいました」
「私もです」と隣のネリー様も頭を下げる。
「いいえ、気にすることはないわ。本来ならわたくしが手綱を握っておくべきですのに、あなたたちに押し付けて、こちらこそ申し訳ありませんわ」
「いえ、そんな、エルミナ様が謝らないでくださいませ」
「それであなた方は、エディング殿下に思慕のようなものはございますの?」
「いえ。全然! 本当に、ぜーんぜんないです! ただ殿下からのご指名でしたので無下にするわけにもいかず……」
「そう、そうよね。お察ししますわ」
「私は殿下のことをかわいいなと思うことがあるのですが」とネリー様が言う。「それは子どもや小動物に対する気持ちのそれのように感じられます」
「でしたら、ご迷惑をおかけしますが、殿下のお守りをして差し上げてくださいませ」
「「かしこまりました」」
「あの、万が一殿下が迫ってこられた場合、どうすればよろしいのでしょうか?」
「将来のこと、金銭的なこと、家のこと、ご自身のこと、諸々を考慮されて、ご判断なさってね。そしてそれがどのような選択であっても、わたくしはそれを非難しません。仮にわたくしの気持ちを勝手に代弁してくるような輩がいらっしゃったら、わたくしに教えてくださいね。それは貴重な情報です。だけど、あなたたちが側室に入るとしたら、わたくし嬉しいわ。王宮は退屈なところです。たくさんお茶会を開きましょうね」
「「はい!」」
何度もの休憩とフェイントを挟んで、馬車が本当に止まった。合宿所に到着したらしい。
「それじゃあまたね、ステラ様」
「ええ、ごきげんよう。ネリー様、リーズ様」
エルミナがちょくちょく話を振ってくれたおかげで、なんだか普通に打ち解けてしまった。たぶんエルミナも彼女たちを信用しているのだろう。私よりもエルミナの方が人を見る目はあるはずなので、彼女が信用している人間に関しては、私も信用していく方向でいこうと思った。
合宿所は二人部屋だった。私は当然、同じ班のエルミナと同室だ。つい先日、一緒に犬たちと同じベッドで眠ったばかりだから意外と特別感はない。でも特別感がないことそれ自体が、ちょっと不思議な感覚だ。
準備を終えた後、ホールに集まった。
今いるナクラ地区の保護観察官が、一帯の地理や歴史を説明してくれたので、みんなで話を聞いた。
曰く、洞窟や谷間のような、暗くてじめっとした場所を魔物は好むらしい。今の私は魔阻の知識があるから、風通しの悪い窪んだ場所に魔阻が溜まりやすいのだという理屈が分かる。そういえばユナちゃんに魔阻が溜まる地形の話をしたら、雨が降る仕組みに似ていると言われた。難しかったから全部忘れたけど……。
観察官は地図を三つの部分に分けて、三番の地区には絶対に立ち入らないようにと警告した。谷を挟んで、その先は山の向こうまで森が続いている。そこに近いのが二番地区で、ここはロス先生と観察官が認めたグループだけが入れる。他はみんな一番地区をうろつく形だ。
その後、夕方まで班ごとに連携確認や非常時の動き方、怪我をした場合の対処法などを学習した。過去の人生で実践したことのあるものばかりだったけれど、こうやってきちんと習うのは初めてだった。いつもはなにも教えてもらえずに前線に放り出されるだけだったから、なんだかすごく楽しかった。
「ステラは光魔法は使わないの?」
と合宿所への帰り道でリュカに尋ねられる。
「ええ。それだとあまり練習にならないからね」
この面子には知られているから、今回の私は闇魔法縛りをすることにしている。もっとも、魔物に闇魔法は効かないから、私はもっぱらサポート係だ。マユナは現在魔の森だし。カイが前衛、リュカがその後ろから魔法で魔物を足止めし、エルミナが光魔法でとどめを刺す、というのが、今回二番地区への入場許可をもらえた私たちの戦法だ。
「カイは火剣の発動が早くなったね」
「ステラの魔剣を見ているおかげだ」
「カイって剣が綺麗だから、異物が交じるのを嫌がるかもって思ってたんだけど、そんなことはなかったね」
「ステラが言ったんだ。単なる出力の差だと。オレは綺麗な剣を振るうためでなく、守りたいものを守るために剣を学んだのだと思い出した」
「それ僕が言われたやつなんですけどー。カイってば都合よく記憶を改ざんしてない?」
「ステラなら誰が相手でもそう言いますわよ、きっと」
「あー。言ってそう」
「そうかな?」
夕食は、現地の料理人が一律で作ってくれていたものをみんなで食べた。ここにいる多くの貴族たちにとっては、貧相な食事だったかもしれないが、そういった非日常感も含めてみんな楽しんでいた。献立にシチューがあったせいか、なぜだかこちらにチラチラと視線を感じたけれど、幸いにして誰のシチューも床には零れなかった。偉い!
最近気づいたのだけど、影で「シチュー」と呼ばれることはあれ、今のクラスメイトから嫌がらせを受けたことはない。私が平民であることを理由に嫌がらせをされるのは、たいてい合同授業のときで、みんな下位クラスの貴族たちだ。上位クラスの人たちは心に余裕があるから逆に寛容、みたいなのがあったりするのだろうか。でもこういうのって逆差別的でよくないな。
「単にあなたを認めている、ということではなくて?」とベッドに座ったエルミナが応える。
「だったら嬉しいけど。なんか拍子抜けっていうか、こう、嫌がらせをされていない分逆に不安っていうか、罠にかけるために甘い汁を吸わせておこう、みたいな?」
「あなたって一体どんな人生を送ってきたのよ」
「それはまあ、色々、嫌な目にも」
「確かに、色々なければあなたのような人格には至らないかもしれませんわね。あなたは自分のことがお好き?」
「どうかな。今の自分のことは嫌いではない、と思います」
「ならそれでいいじゃない。もし仮に人々があなたを裏切ったとしても、あなたがあなたを裏切らなければ、きっと孤独ではないわ。だから今、あなたはここにいるのでしょう?」
「……私は結構難しい話が得意なタイプだけど、今のは中々難しいですね」
「奇遇ですわね。わたくしも終盤、何を言ってるのかしらって思っていましたもの」
「素直だ」
「わたくしの美徳の一つが出てしまいましたわ」
なんてなんの実もない馬鹿話をしながら、楽しく夜は更けていった。




