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犬のいる生活

 温もりで目が覚めた。

 知らない寝台。大きな天蓋。

 温もりだと思ったものは、隣で眠る大きな犬だった。

 魔犬ではなく、普通の犬。

 パラ、とページを捲る音。

 少し離れた壁際で、エルミナ様が本を読んでいた。

「気が付きまして?」と彼女が椅子を引き寄せてくる。

「私は十四歳ですか?」

「さあ。詐称していなければそうなんじゃないですの?」

「エルミナ様はお友だちですか?」

「ま、まあ。そう言えないこともないかもしれませんわね」

「良かった」

 十二歳に戻っていない。私は死ななかったのだ。

「ここはどこですか?」

「わたくしの屋敷の犬部屋です。安心なさって。家族とは別の屋敷ですわ」

 よく見ると、犬が十五匹ほど思い思いの寛ぎ方をしている。

「つまりこのベッドは犬用ということ?」

「お似合いでしたわ」

「そうですね。温かい」


 近くで寝ていた犬の尾がぺしぺしと私の脚を叩いていたので、横になったままぎゅーっと抱きしめる。温かい。

「あれ、薬指が引っ付いてる」

「わたくしの光魔法ではそれが限界ですから、ご自分できれいにお繋げになって」

 見ると、付け根のあたりで、ギザギザの接合面が一周していた。

「いや、いいです。このままにしておきます。全然動くし」

「そう? なら他のところを治しなさいな」

 ベッドの上を転がって犬との距離を取ってから、

「癒せ」

 全身に光魔法が回っていく。飢えた身体に水が染みわたるような感覚。私は餓死もしたことがあるから、この感覚は結構正確だと思う。


「驚きましたわ。本物の光魔法というのは、そこまで治るものなのね」

「エルミナ様、その右手は治してもいいものですか?」

「それはええ、そうですけれど」

「でしたら失礼しますね」

 エルミナ様の右手を両手で包み込むように握る。

「癒せ」

 基本的に光魔法で治せるのは術者自身だけだ。他者を治せる例外があるとすれば、それは身体的に接触している相手を自分の一部のように心から慈しんでいるとき。何回も検証しているからたぶん正しいはず。だからこそ、エルミナ様が私の小指を治せていたことが、とてもとても嬉しかった。

 エルミナ様の硬直して固まっていた指がほどけ、黒ずんでいた皮膚が再生していく。


「すごいのね、魔法って」

 彼女が手を握ったり開いたりしながら、その動きを確かめる。

「でもこれは互いに光属性を持っているからできることです。私は自分とエルミナ様以外の治療はおそらくできません。だからあんまり当てにしないでくださいね。勝手に期待されて失望されるだけなので、他の人には治癒能力自体を秘密にしておいた方がいいです。あと疲れたので半日くらいまた寝ます。治癒魔法って本当に魔力効率が悪いんです。そんな魔力があるのなら、怪我をしないことに使うのが一番です。少なくとも戦闘向きではありません。ご注意を。おやすみなさい」

 まぶたがおりてくる前に、ぎりぎり全部言えた。

「おやすみなさい」

 と優しい声が聞こえた気がした。


 次に目が覚めたのも、犬の温もりだった。

 半数以上の犬たちが、ベッドの上に乗っている。もっとも、私の方が邪魔者なのだけど。

「……暇なんですか?」

 エルミナ様が昼間にはなかった机を持ち込んで、優雅に食事をしていた。

「あなた、お腹は?」

「ものすごく空腹です」

「同じものでよろしくて?」

「よろしいです」

 エルミナ様がベルを鳴らすと、使用人がやってきた。

「これと同じものを。大きなお皿で。あとお水も」

「かしこまりました」

「あれ? アル?」

 背が伸びて、声も変わっていたけれど、犬からの連想だろうか。彼がすぐにジルの友だちだったアルだと分かった。

「お久しぶりです、ステラ様」

「この犬たちってアルのですの? あれ、私アルとしゃべるときどんな口調だったっけ?」

「そんな感じですよ。こいつらご主人は、エルミナ様ですが。俺よりいいもん食ってますよ」

「わたくしはね、犬にだけは優しいのよ」

「私も犬みたいなもの、ということですか?」

「違いありませんわね」

「なんかこの部屋しっくりくると思ったんですよね」

「お似合いですよ、ステラ様」

「アルベルト、お食事を」

「はいはい。すぐにお持ちしますよ」


 食事をとりながら、エルミナ様と色々お話をした。

 ソフィ会長のこと、魔素と魔阻の関係、魔物の発生要因、スラムの存在理由、貴族主義的に組み上げられた王都のシステム、互いの思想。


「エルミナはどうしたいんですか?」

 食事も終わり、二人でベッドに上がって、犬を撫でながら尋ねる。

 様々な交渉の結果、犬を触っている間は敬称を付けない、という謎ルールができあがっていた。

「そうね。端的にいうと、わたくしは『貴族であること』を理由に傲慢である人間の鼻っ柱をへし折ってやりたいのだと思いますわ」

「お父様である宰相様を筆頭に」

「ですわね。別に貴族全体を憎悪しているわけではありません。その地位と責任に値するための努力をしている人々も大勢いますから。だからきっとわたくしが嫌うのは、浪費、停滞、退廃といったものなのでしょうね」

「王族批判かな」

「まあ、不敬ですわ。一体どなたが?」

 なんて冗談を挟んで笑う。

「エルミナは第二王子の婚約者でしょう? 実際のところどう思っていますか?」

「あれは、なんの主体性も高潔さもないカスですわね。とても同じ年齢だとは思えません。もっとも『第二王子』として意見を持たないように周到に教育されてきた結果ですから、殿下に対して憐れみの念がないわけでもありませんけれど。殿下が熱をあげている伯爵令嬢の方に押し付けようかとも考えていますわ。でもあの子、ちゃんと相談しに来てくれるいい子なのよね。やっぱり殿下にはもったいないですわ。なにを笑ってますの?」

「いや、なんかもっと完全無比に、理路整然と物事を決めているのかと思ってました」

「決めたら迷わないようにしているだけで、決めるまでは普通に悩むのよ。私はステラに対してその印象を持っているけれど。あなた、きっと覚悟までの時間が短いでしょう?」

「それは単に、死にそうになった回数の差じゃないかな。反射神経みたいなものです。私の家は平民地区の下層ですから」

「そういえばそうでしたわね」

「でもたまに方向性を失敗します」

「シチューを食べた話ね」

「そんなに瞬時に失敗と決めなくても。まあ、それですけど」

「でも結果的には良かったと思いますわ。その話を聞いて、殿下が露骨に嫌そうな顔をされていたから。そうじゃなかったら、今頃は殿下に熱をあげられているのはあなただったかもしれませんもの」

「えっ!?」

「でもわたくしにとってもあなたがシチューを食べたのは幸運でした。もし殿下のお気に入りになっていたら、わたくしはあなたに殿下を押し付けて、きっとこんな間柄になることはなかったでしょうから」

「それは、本当にそうですね」

「ステラはこれからどうなさりたいの?」

「色々あるんですけど、先に強くなりたいです。今回あと一体でも魔人がいたら、おそらく終わっていました。聖女が魔物に負けるって本当にダサいなと思ったので。何か月か魔の森にでも籠ろうかな」

「学園はどうしますの?」

「なんか意外ともう行かなくていい気もするんですよね。魔力制御もできるようになったし」

「ご存じないかもしれませんけど、あなたって聖女なのよ。あなたが学園に通うのは権利ではなくて義務という扱いでしてよ」

「まあ! 存じ上げておりませんでしたわ」

「本当に知らなかったみたいですわね……。なのでわたくしから代替のご提案です。今度の魔法演習の校外授業で、特訓しますわよ!」

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