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夜に光を見る①

 遠くから聞こえる鐘の音で目を覚ましたのは、その日の夜だった。


「姉さん」とユナちゃんも侍女用の小部屋から出てくる。


 寮内の様子を窺ったが、騒ぎになる様子はない。貴族の皆さんにとってこの鐘の音は、自身に危害の恐れがあるわけでもない、ただの遠い鐘の音なのだろう。


 これはスラムまたは平民地区下層に魔物が出たときの警鐘だ。


 部屋を抜け出して屋根に上がってみる。貴族地区が高台にあるから、境界の壁の高ささえ超えれば、下層まで見渡すことができる。

 遠くで火の手が上がり、雲が光を返して赤く染まっていた。


 馬に乗った騎士団が貴族門を出て駆けていくのが見えた。街の警備で各所に詰めている兵士たちも先に向かっているだろうけど、戦力としては騎士団の方がはるかに大きいはずだ。


 問題はどれくらい戦力が必要かということ。小さい魔獣の三匹や四匹だったら、魔の森に置いてるマユナが狩ってくれているはずだ。それが橋を越えて下町まで炎が来ている。数が多かったか、もしかしてマユナがやられた?


 影に戻さないとマユナの状態が分からないが、影に戻すと私が魔の森に行かない限り、マユナを再配置できなくなる。今もしマユナが戦力として戦ってくれているとすれば、それは大きな失策となりうる。


「姉さん」

 とユナちゃんが指さす方を見ると、ロス先生が騎馬で寮の方に向かってきているのが見えた。たぶん私に用なので、入り口まで迎えに行く。


「状況は把握してそうですね。あなたの聖魔法が必要です。授業はまだ一度しかしていませんが、私はその一回で、あなたが正しくその力を使えることを強く確信していますよ」

「先生のお墨付きほど心強いものはありませんね」

「ただ一つ、今のあなたはまだ、『聖女』という肩書を配られただけの学生です。ですがここで魔物を払えば、否応なく本物の『聖女』への道が開かれます。あなたを排斥したり、取り込もうとする人間が現れるでしょう。人間はある種、魔物よりも恐ろしい。ですから、魔物に対する覚悟よりも、人間に対する覚悟が必要となります。いかがでしょうか?」

「大丈夫ですよ、先生。そのための闇魔法ですから」

「非常にいいですね。聖なる者に最も必要なものは、闇魔法なのかもしれない。私の後ろに乗ってください。下まで駆け下ります」

「馬を貸していただけたら、自分で行けますけど」

「この馬は訓練していますから。風魔法でぶっ飛びますよ」


 と強引に背中に乗せられるや否や、ちょっと信じられないスピードで風景が駆け抜けていった。


 川沿いに着いたころには、だいぶ先行していたはずの騎士団を追い抜いていた。


 背中から滑るように馬を降りて、ぜえぜえと肩で息をする。

 私に必要なものは、魔物を相手にする覚悟でも、人間を相手にする覚悟でもなくて、ロス先生の馬に乗る覚悟だったのだ。


「大丈夫ですか?」

「晩ご飯がシチューでなくてよかったです」

「あなたに足りないものがあるとすれば、それは品性と呼ばれるものかもしれませんねえ」

「まあ、ひどい」


 なんて言いながら辺りを観察する。

 川を渡す唯一の橋が、これ以上の魔物の侵入を防ぐために、意図的に落とされている。にも関わらず、こちら側にはすでに小さな魔獣があふれている。

 兵士たちが剣や魔法で応戦している。


「アカリ」


 聖魔法を灯す。

 手のひらから小さな輪郭のない光球が立ち上り、頭上で爆ぜる。

 聖魔法は人間に害を与えない。その本領は人間と魔物が入り混じった乱戦の中にこそある。

 聖光粒子に触れた魔獣が形なく消滅していく。


「光魔法だ」「魔獣が消えた」「聖女……?」といった声が辺りから聞こえる。


 目立ちたいわけではないのでローブのフードを被っておく。

 川の向こうから耳障りな鳴き声が聞こえる。


「なっ」


 大きな鳥を模した魔鳥が群れを成して川を渡って飛んでくる。


「先生はああいうの撃ち落せますか?」

「当然ですが」

 まさかこの私に問うているのですか? というようなトーンで返された。


「じゃあこっちはお願いします。元を絶たないとキリがない。風魔法で私を対岸まで吹っ飛ばしてください」

「いいですね。楽しそうです。行きますよ」


 この人、一瞬も悩まないな。

 ぐいと背中を押された感覚があったかと思ったら、次の瞬間には天地が逆転していた。


「あわ、あわわわわ~」


 と情けなく叫んでいる間に、気づいたら目の前に地面があった。

 地面にぐちゃりと落ちる。私が今日死にそうになったの全部ロス先生が原因だぞ。


「アカリ」


 光球で浄化をしながら、辺りを把握する。


 魔物の発生源が分からないけど、とりあえず魔の森の中心を目指せばいいことは分かる。

 昼に会ったときになにか言っていたから、もしかしたらジルもこっち側にいるかもしれない。だとしたらきっと人々を避難させているだろう。


 道中で五人を助けて四十体以上の魔獣を消滅させながら、森の入り口にたどり着く。小さい魔獣とはいえ、これだけ出てくるのは尋常じゃない。なにか原因があるはずだ。


 森を進むと、マユナの気配を感じた。気配が強くなる方に向かって走っていく。

 いた!

 と同時にゾクリと身が竦む。


 人型の魔物……!


 しかも縦に二倍、横と奥行きに数倍、人間よりも大きい。つまりは人間の三十二倍くらいの体積がありそうだ。マユナと比べても、数段大きい。こんなのどう見てもちょろっとした聖魔法でどうにかなるものではない。


「アカリ」


 とりあえず辺りを照らして、周りの小物を滅しておく。

 うっかりマユナに当てないように安全マージンを多く取ったので、ややうち漏らしがある。

 加えて同時に、魔人に明確にターゲティングされてしまったのを感じた。失敗しましたわね。


 あと照らしたタイミングで気づいたことがある。

 マユナの裏に人影があった。フードで見えなかったけどジルではない。もっと小柄で線が細い。マユナに守られているわけではなく、誰かが共闘している。うちのマユナちゃんと……!


「ちょっとあなた! ボケっとしてないで手伝ってくださるぅ!?」

「あ、はい!」

「ヒカリ」


 聖光粒子を打ち上げるのではなく、内向きに集束させてから、光線上に魔人を撃ち貫く。聖女人生の後半で覚えるようなかなり強力な技だ。


 ほとんど効いてないないし……!


 この女性はどうやってこんなのと戦ってたんだ、と横目でちらりと観察すると、剣が闇夜に輝いている。刀身に聖魔法を付与しているのだ。なるほど、先日、カイのところでやった魔剣の聖剣版か。


「……………………」


 ……全然なるほどじゃないんですけど!


 魔人と戦えるレベルで聖魔法を使えるってそれはもう「聖女」の役割だ。魔人よりもこっちの方が気になる!


 マユナを影に引っ込める。


「アカリ」


 全開で闇夜を照らす。魔物を倒すためではない。彼女の顔を見るために。


「…………あはっ」


 思わず変な声が出た。


 エルミナ・ファスタ・ツー・グルナートその人が、聖女の力を以って魔人と対峙していた。

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