それぞれの戦い/メイ
「エリサのパン」は、下町で人気のパン屋さんだ。
平民に毎日料理をする余裕はないから、ここら辺だと夜は近くの食堂で食べる人たちが多い。
逆に朝や昼は軽食を買ってきて、お腹に詰め込むようにちゃちゃっと済ませる。そういう人たちの嬉しい味方が「エリサのパン」である。
近くには他にもいくつか競合のパン屋さんがあって、正直なところそれらと味や値段の差異はあまりない。
だけど、下町で一番人気のパン屋は? と訊かれたらそれは明確に「エリサのパン」だ。
ただ店主の人当たりが良い、という一点において人気のパン屋さんなのである。
「人当たりが良い」というか、「人がいい」のだと思う。親切で、親身で、誠実で、包容力がある。じゃなかったら私みたいな貴族から追放された厄介者の小娘を誰が受け入れるだろうか。
「いいかい、メイちゃん。味っていうのは、味だけじゃあないんだよ。匂いがいいパンの方が美味しく感じるし、見た目にも左右される。それであたしが思うには、どういう風に手に入れたかっていうのも重要な要素なんだよな。おんなじパンでもさ、貴族様が投げてよこしたパンに味なんかないだろう? だからパンを買う時の体験って大きいの。そもそも、うちはそれでしか勝負できないからね。がはは」
とても美しい考え方だと思った。
要するにこれはパンに限った話ではなくて、いかに広い視野で物事の評価軸を取ることができるか、ということなのである。
私が将来影響を受けた人間を聞かれたなら、私はきっとライカと先輩と、あとはエリサさんの名を挙げるだろう。
「あ…………」
そんな私の視野を広げてくれた、清掃の行き届いた、買う人々を笑顔にさせてくれるパン屋さんが、いま魔物に壊された。
「わ、ごめん、エリサさん……」
水と風と土魔法のミックスで魔物を消し飛ばす。
一帯の人々の避難は済んでいる。
防衛で破壊された建物に付随するあらゆる補償をグランス公爵家がしてくださると聞いている。しかも色を付けてお金をくれるらしい。事前に各居住者から聞き取りを行い、壊されたくない家には、印がつけられているけれど、思っていたよりもずっと少なかった。みんなこの機会に自分の家が新しくなることを望んでいる。エリサさんも避難前に「うちの窯はだいぶガタが来ているんだわな」なんてぼやいてもいたけれど、それはそれとして……。
「うーん……」
気になることが一つ。
エルミナ様の計画では、見た目強そうだけど実はそうでもないただ目立つだけの被害の出にくい魔物を街に放つということだった。
だけど実際はどうだろう。
魔物が多すぎる。
加えて、どうみても殺傷力が高いものがたくさんいる。
私も最近聖女ごっこをしているから分かるけれど、こんな強い魔物が複数自然発生することはまずあり得ない。
だけど一方で、人とその営みを愛するエルミナ様がここまで振り切った破壊的な采配をするとも考え難い。
ということは推測される可能性は――。
「たぶんだけどハメられてますよ、エルミナ様」
他の誰かの計画が混ざっている。便乗して魔物を放ち、責任をエルミナ様に押し付けようとしている?
頭上に展開した十二の魔法陣から全方向に魔法を放ち、魔物を消し去る。
そもそも全方位に撃たないといけないところがおかしい。
私の背後、すなわち貴族門方向からも魔物が来ていることになるのだ。
王宮魔術師はともかく、想定に反してこの事態に騎士団が来ていないのは、そちら側を対応しているからなのだろう。あとなぜか向こうのほうで魔術師団長とロス先生がバチバチにやりあっていた。
情報量が不足してるからなんともだけど、たぶんエルミナ様の方も相当厄介なことになっているだろうな。
首の横を雷が抜けていく。
私が撃ちもらしていた魔鳥を、ライカが片付けてくれた。
「ねえ、ライカ。ここは私がやるから、エルミナ様の方をお願いしていい? たぶんだけど、ライカがいたら先輩たちは嬉しいと思う」
「この数……メイは平気?」
「私が平気じゃなかったことある?」
「……いっぱい、あった」
「……そうだね。うん。いつもありがとう、ライカ。大好きよ」
「ん」
雷と共に、ライカが貴族門の方へ坂を上っていくのを見送った。
そのまま視線を上にあげて、
「うげえ……」
なんか嫌なのと目が合った。
魔鳥……というよりはあのサイズはもう魔竜じゃない?
空を飛ぶために表面積のわりに体重が軽いものを鳥とするならば、あれは絶対に鳥ではない。なんというか、太くて、重たくて、身がしっかりと詰まっていそうな見た目をしている。
火魔法を細く絞って火柱を上げる。
魔竜のようなものがこちらに気付き、向かってくる。
体当たりをするように、私の頭目掛けて降ってきた。
「あわわ」
防壁に作った土魔法四枚が破壊され、慌てて避ける。
それが地面を擦るように着地と墜落の中間のような形で地に降り立つ。
竜……でもないな。正面から見ると、鳥の骨格に見える。
頭が三つあって、肉付きもよく、体躯が家五軒分くらいある、巨大なだけのただの鳥の魔物だ。……よし!
「なにがよしじゃい」
思わず独り言ちる。
これが降り立つ場所は、その場所に関わらず悲惨なことになるだろう。
そういう意味では、私がこいつと対峙できることは、たぶん「よし」だ。
魔物である以上、核を露出させて砕く、それだけだ。
竜のウロコでできた防具を先輩に見せてもらったことがあるけれど、少なくともあれよりは装甲は薄いはず。
通りのいい魔法を捜して、ひたすら撃ちまくるか。
幸いにして、私には四属性の魔法がある。
つまりは十五種類の魔法の組み合わせを作れるということ。どれか一つくらいは効くのがあるだろう。
まずは四種四つの魔法陣を展開する。
無駄撃ちは避け、一発一発の質を重視する方向で行こう。
「あ、パン屋さんになりたいな」
三つの頭を目掛けて、魔法を射出した。




