ユナ/転生したら聖女の姉が死に戻りを繰り返していたのでがんばります!
姉さんに天体の課題で泣きつかれたとき、私はすぐに「無理」と断った。
なぜならこの世界には月(のように私に認識されるもの)が二つあるし、一日もおそらく私の世界の二十四時間ではない。時間に関しては振り子時計もあるけれど、精度の問題として砂時計の方がよっぽど正確だ。教会の鐘は砂時計を基準として運用されているが、それだって日の出と日の入りで都度修正されている。「週」や「月」の概念も文脈によって経過時間が変わってくる。
重力が物体に及ぼす加速度も恐らく違うけれど、私には認識できない。そもそもこの世界には魔法があり、魔素がある。もうなにも分からない。この世界でやっていくコツがあるとすれば、「囚われないこと」「受け入れる」ことだ。
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気づいたらこの世界にいたとき、絶望しかなかった。
児童労働は当たり前で、発熱に寝込む姉はネグレクトされていた。
不思議な記憶のおかげで言葉は喋れたものの、それらを頭の中で文字にすることはできなかった。元々の身体が文字を知らなかったのだ。
身体は小さく、やせ細っていた。
髪は小枝のようにパサつき、皮膚は荒れ、漫然と全身がかゆかった。
鏡を見ずとも、血色の悪い顔だろうと確信できた。
やがて姉が目を覚ますと、私が転生者であると言い当てた。
慌てて本能的に言い訳を探そうとする私を彼女はぎゅっと抱きしめた。曰く、彼女は死ぬたびに人生を――「私」との出会いを――繰り返しているらしい。フィクションの文脈だと思ったけれど、不思議と信じられた。なぜなら私が世界を移動して、〈私〉の意識をもってここにいるから。
急に発生したこの姉に何かを言おうとして、一瞬ためらってしまい、頭の中で十二面ダイスを振った。
私がこの場で咄嗟に言おうとすることは、すでに過去の私が口にしてしまっている可能性がある。なんとなく、この気の良さそうな姉にそういう気を遣わせたくなかった。
結果、
「今、ダイスで8が出た?」と訊かれた。
一周まわって笑ってしまった。そしてその緊張の緩和こそ姉の目的だった。
彼女の方が一枚上手だと受け入れた瞬間だった。あと脳内のランダム性なんて信用できないことを学んだ。おそらく他ループの私も同じように学んだことだろう(あるいは他ループの「私」が〈私〉に学ばせたかったことだろう)。これからはダイスなんて振らずに、思いついたことを気にせずどんどん口にしていこう。
面白いのは、私が姉から学ぶことを、姉は過去の私から学んでいるという点だ。時間を超えたネットワークが私の思考と姉の思考との間に形成されていて、螺旋的にドライヴしている。
よって、過去の私がこの姉を助けられなかったかといって、今回の私が彼女を助けられない理由にはならない。私の試行錯誤は、姉の脳を通じて何世代分も継承されているのだ。どこかで必ずブレイクスルーがくる。この〈私〉の代でそこに至りたい。
過去何度かの私は、この世界を「乙女ゲーム風」的に解釈したようだった。
今の〈私〉目線の情報では全然そんな風には見えないのだけど、きっと過去にはそのように見える情報の層があったのだろう。さもなくば、適当なことを言ってごめん。
姉は破天荒な人だった。
いきなり人を拾ってくるだけならまだしも、魔獣と友だちになって帰ってきた。
恐ろしいのは「過去の人生でもそうだったんですけど?」というような顔で、どんどん「初めて」をこなしていくところだった。タガが外れているわけでも、自暴自棄になっているわけでもない。ただちょっと変というか……、決断と実行力のある不思議な人で、そこが魅力的だった。
彼女が魅力的だったのは、「今」を楽しく生きようとしているからだと思った。何度も無残に死んでいるはずなのに、あるいは何度も無残に死んでいるからこそ、彼女は目的達成までの道のりを楽しく生きようとしていた。その様を見て、私も「この世界」を楽しもうと思えるようになった。
色々な後悔はあるものの、今の私はこの人と、この世界を面白がって、一生懸命に生きていきたい。
転生云々を抜きにしても、なかなかな人生を送れていると思う。
姉の侍女として魔法学園に潜入した。
公爵家の人と面識ができた。
いろんな街を馬車で旅した。
エルフの里でエルフ料理を食べた。
ドラゴンに乗った。
古典エルフ語を教えてもらった。
魔竜と戦った。
竜騎士になった。
魔石の代替品を見つけた。
剣聖と仲良しになった。
大学みたいなところで研究室においてもらえた。
皇女様とペンフレンドになった。
策謀に巻き込まれた友人の余波で、姉に王都を追い出された。
最後だけちょっとあれだけど、たくさんの人に親切にしてもらって、友達と呼べる人も何人かできて、とても恵まれていると感じる。
特にステラとエルミナさまとセイラは、本当に良くしてくれた。この三人がいなければ、私は物理的に何度死んでいたか分からないし、それ以上に精神的に助けられている。
いや、助けてもらっているかどうかは別問題に私はこの人たちのことが好きで、少しでも力になれたらと感じている。
だからこそ、危ないからとステラに王都を追い出されたときは頭に来た。
〝怒り〟とは、「かくあるべし」と自分が思っている理想と目の前で起こった現実がズレていたときに生じる感情的な摩擦だ。すなわち、私はステラたちと一緒にこの策謀に立ち向かいたいと感じていたのだ。
だけど一方で、姉の気持ちも本当に良く分かる。私が死んで精神的なダメージを受けるのはその構造上〈私〉ではなく、その後も生きる姉の方なので、それだけは是が非でも避けたいところだろう。逆の立場だったら私も同じように考えるだろうから、素直にステラに従った。
要するに、各要素で感情の天秤をとったときに、客観的な私の物理的非戦力性によって、私は王都に残れなかった。つまり、このギャップを埋めるためには、私が物理的に戦力であるほかない。
私に刀は使えないし、魔法もまだ習っていない(過去の私の蓄積の上に今の〈私〉があるので、ステラの魔法暴走の話から、無理に魔法を使おうとすることはなにもしないことよりも高リスクだと認識している)。
だけど一つだけ役に立てるかもしれない方法がある。
私は竜騎士のメダルを持っている。
この世界に魔法はあるけれど、人は空を飛ばない。おそらくだけど、その発想自体がまだない。
であるならば、戦い方に「高さ」の軸を持ち込めるというのは、戦いを圧倒的に有利にするはずだ。
セイラに付き添ってもらって、エルフの里へと向かった。
エルフの里は想像していたよりも随分と好意的に私たちを受け入れてくれた。
私が竜騎士のメダルを持っていたこと、私たちの行った対魔竜戦がエルフの里内で詩として流行っていたこと、シエラが里の要職に就いていたこと、ミューに子供ができてドラゴンの総数が増えていたことなど、複数の好材料があり、いくつかの条件を守るのならばと、ミューを貸してもらえることになった。
「竜について一つ伺ってもいいですか?」
私の問いに、新しく就いた里長が答える。
「なんでしょうか」
「竜は空間を、私たちからは非連続的に見える形で移動することができますか?」
長い長い沈黙ののち、里長が「可能です」と答えた。
「……この事実は、決して人間に話してはならないという〈掟〉があります。仮にユナさんが竜騎士の証を持っていたとしても、あなたがエルフでない以上、それは決して覆らない。つまり、あなたは自力でその事実にたどり着いたということになる。後学のために思考手順を伺っても?」
思考手順、というほど大仰なものではないけれど、私にはこの世界で見聞きしたいくつかの知識があった。
一つは、姉がマユナ(このネーミングなんなの?)を出し入れできること。初めて違和感を覚えたのは、トーレスからの帰りに人攫いの馬車で私が人質に取られてしまったとき。王都で闇に還したマユナが魔力となってステラの手元に戻ってくるまでに数秒のラグがあった。そのことに違和感があった。近くのマユナを還すとき、魔力はすぐに戻っていた。つまりはかかる時間が距離に比例しているということ。それは光よりも遅く、音よりもずっと早い。仮説の一つとして、闇魔法が通る亜空間のトンネルのようなものがあるのではないかと想像した。その理屈があれば、闇魔法に触れたものが〝消失〟することも、一般の魔法陣の理屈もそれなりに理解できる。魔法陣とは魔法的亜空間をつなぐゲートなのだ。
二つ目は竜のウロコだ。
なんのために竜のウロコは闇魔法だけを通さないのだろう。
たとえば闇魔法を使う天敵がいて、それから生き残った種だけが繫栄した、とかだったら結構分かる。でもかつてそんな種がいて、しかもそれが絶滅したというのは隕石で恐竜が滅んだのと同じくらい想像しにくい。だって闇魔法は生物的な闘争において強すぎる。
それよりはウロコには別の機能があって、結果的に闇魔法を通さない、と考えた方が自然なのではないだろうか。
姉の言葉を借りると、魔法演習の合宿中に遭遇した竜は「なんかいた」そうである。であれば、飛来したのではなく、「突然現れた」可能性もあるのではないか。
これら二つを組み合わせた仮説として、竜のウロコは闇魔法が奔る亜空間を飛行するための防護服的な役割として存在するのではないか、という考え。
これにはそれなりの整合性があるように感じられた。
それでも大層な与太だけど、尋ねるだけなら無料だ。違ったなら笑われればいい。おそらくステラならそういう考え方をする――と思って聞いてみたら、なんと当たってしまった。
エルミナさまはステラの「覚悟までの速さ」を高く評価しているけれど、魔法大会でロス先生が言っていたように「勘の良さ」も中々だ。
そしてその勘は、恥や外聞を気にしない躊躇いのなさから来ているように思われる。そう考えると、ステラの強みは〈貴族でない〉ことにあるかもしれない。今度メイに話してみたい。
……話を戻すと(エルミナさまと話しているときもすぐに二人ともステラの話題を出してしまう)、セイラと二人、ミューに乗って王都に戻ることができた。
もちろん私たち人間は亜空間入ったら〝削り取られて〟しまうから、普通に空を飛んだ。〈掟〉を必ず守ること。地表から見えないように雲の上の高さで飛ぶことが条件だった。
王都に近づくと雲が真っ赤だった。
街全体が燃えている。
エーデルの街で大量発生したときよりも多いかもしれない数の魔物が街中に溢れていた。
魔鳥がいたので、紛れて街に近づくことができた。
レッカさまやメイ、リュカやカイ、ほかに騎士団や魔術師団と思われる人たちが総出で対応していた。
「セイラ、あそこ」
魔物に圧され、今にも防衛網が崩れそうな箇所があった。
「大丈夫ですか?」
「うん、お願い。姉さんだったらそうすると思う。私は王宮の方まで行くから、そこで合流しよう」
「お気をつけて」
「セイラもね」
「承知」
セイラが背中から飛び降り、斬った魔鳥の背に乗って滑空していく。
街の方はセイラに任せるとして、問題はステラたちが今どこにいるかだ。
この状況にステラがいないということは、別のところで戦っているはずだ――そう思っていたら穴に落ちていただけのことがあったけど、流石に二度はないだろう。
「……いた!」
王宮から打ちあがる聖魔法の光が見えた。
光のもとへ急行する。
軌道から見て、上空にいる相手を狙っているようにも見える。
もしかして、別の里の竜使いがいる……?
いや、違う、人間が空を飛んでいる。
闇に溶けるようなその黒い翼に、「魔王」を直観する。
同時に、魔王が既存の人間に憑依する仕組みを直感した。「憑依」――それはつまり、「ユナ」という人間の続きとしてこの肉体を借りている私でもある。
〈魔王〉が〈聖女〉と対を為す存在であるとするならば、〈魔王〉と〈転生者〉にもまた別の同軸が存在するのだ。
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里で与えられた竜騎士の〈掟〉:竜騎士は竜自身とそのパートナーの同意のもと、その竜を召喚することができる。ただしそれは〈予言〉にうたわれた宿命でなくてはならない。
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学園一年生の授業でステラが得た予言:
【終わりなき夜のように星屑となって消えよ闇にかの者の栄華の翼】
当然、ステラはこんな事態を想定して天体の授業に出ていたわけではない。だけど積み重ねてきたものがあったことで、偶然にも運用条件が揃った。揃えた。
この〈予言〉は私ではなく姉が出したものではないか?
うるさい。対象を指定していない方が悪い。
「宿命」かどうかは私が決める。
思うに、予言とは道しるべなのだ。
運命ではない。
選び取りたいその光景を実現させるために、自分たちががんばる。
宿命として自ら選択し、その責任を背負う。
そうして、予言が〝当たる〟。
エルフの里で出発までに私が同意を得た竜は三十六体。
竜を召喚するのなんてもちろん初めてだけど、どう扱えばいいかは分かる。
「メテオライト!」
亜空間を渉り上空に現れた竜たちが、流星となって魔王に降り注ぐ。
竜の外皮は闇魔法を一切通さない。
質量と物量による、防御不能の体当たり攻撃。
ドラゴンとはすなわち――対魔王決戦兵器。
星屑が、かの者の栄華の翼を打ち砕く。
「ユナちゃん!」
「おまたせ、姉さん」




