117話 陰鬱とした一日
今年も8月24日が来た……
俺と姉貴にとって決して忘れられない日……親父殿と母ちゃんを失った日……
俺、雪乃ちゃん、彩音、美優先生は早朝の特訓を終えると、JSAの訓練所で手早くシャワーを浴びて皆川さんの家に向かった。
「隆善さんと美和さんが亡くなって6年経つのか……
あの隆善さんが亡くなったなんて未だに信じられないな……」
皆川さん宅へ向かう上位探索者専用タクシーの車内で、美優先生が眉に皺を寄せて呟いた。
「あ、美優先生は親父殿も母ちゃんも知ってるよね。
……俺も桐斗が産まれる頃までは実感が湧かなかったよ……いや、信じたくなかったが正しいのか……」
車内に微妙な沈黙が流れた。
いつもなら軽口の一つでも叩いて空気を変えたい所だけど、この日だけは毎年元気が出ない。
暗い雰囲気のままタクシーは皆川さん宅に到着。
SSランク探索者カードでのタッチ決済を終えて車外に出ると……
「パパァ、パパァ、きょうねぇ、んとねぇ、ママといっちょにじぃじとばぁばになむなむちにいくんらよ!」
瑠奈に抱かれてテンション爆上がりの桐斗がニコニコしながら話しかけてきた。
うむ…桐斗の顔を見ると少し気分が晴れて来るな。
やはり桐斗は天使で決まりだ。
因みに、瑠奈は順調に回復しているので、今日から4日間の外出を許されている。
俺達が朝の訓練をしている間に、義兄さんと姉貴が桐斗を連れて迎えに行ってくれたのだ。
「そうだな。ママと一緒にじぃじとばぁばになむなむしに行こうな」
「うん!ママとユキママとミユママとピンクママもいっちょ!
パパもいっちょ!」
「ふふふ。桐斗ったら朝からずっとはしゃいじゃって、おうちの前でパパにおかえりなさいするって聞かないの」
「ははは、そうかそうか。
ホラ、パパが抱っこしてあげるからおいで」
俺は太陽のような笑顔を見せてくれる桐斗を抱っこする。
この子には俺や姉貴と同じ思いは絶対にさせない。
瑠奈の事も絶対におざなりにはしない。
嫁が4人いる生活がどうなるかは分からないし、子供も増えるだろうけど、桐斗も含めて俺の子供には父親と母親どちらも欠ける事なく惜しみない愛情をかけて行こう。
俺はそんな決意を抱きつつ、抱っこされてすぐにママの腕の中に戻りたがって凄まじい力でジタバタと暴れだした愛息を、そっと瑠奈に返すのだった。
◆◇◆◇◆
「あの……雄貴さんのお父さんってどんな人だったんですか?」
皆川さんの手配してくれた『ハンマー』のリムジンで移動中、雪乃ちゃんが姉貴に親父殿の事を尋ねた。
「う〜ん、パパかぁ……私にとっては父親っていうよりもムエタイの先生っていう感じかなぁ。
めちゃくちゃ厳しくて、めちゃくちゃ怖かった印象しか無いわ」
「そうか?
俺は優しくも厳しい父親って感じだけどな」
姉貴が俺とは違う印象を親父殿に抱いていたのが意外で、自然と俺も会話に入ってしまった。
今まで俺は誰かに進んで親父殿の話をする事に躊躇いがあったんだが、話してしまうと意外とすんなり話せてしまうものだ。
「そりゃあ、アンタはパパにムエタイ習ってないから優しい思い出しかないでしょうよ。
私は小4までパパが先生で、毎日泣かされてたわ」
「え?お義父様って娘にはムエタイを教えていたのに、息子には教えなかったんですか?
普通は男の子に教えません?」
雪乃ちゃんが至極真っ当な質問をした。
確かにな……っていうか、俺はガキ過ぎて姉貴が親父殿にムエタイを習っていた記憶があまり無い。
覚えているのは姉貴が俺に首相撲からの膝蹴り連打を浴びせていると、凄い剣幕で姉貴を怒鳴っていたくらいだ。
「ああ……雄貴はね、身体が強過ぎたの。
『雄貴にムエタイを教えてしまうと対戦相手を殺しかねない』って言って、寧ろ格闘技から雄貴を遠ざけてたわ。
だから偶に私が雄貴を練習相手にムエタイの技を試すと、メチャクチャ怒られたの」
「そ、そうなのか……そんな事とは知らずに、私は弟クンにムエタイを……」
先程から聞き耳を立てていた美優先生まで話に加わって来た。
まぁ、親父殿の思い出話をしても思ったより心が暗くならないし、嫌な気分にもならないから偶には生前の頃の話も悪くないかな。
「あ、別に美優先生は気にする必要ないの。
ただ、パパって現役時代にタイのルンパニオンのリングで当時のジムメイトを殺してしまって、その罪悪感で現役を引退しちゃったから、自分の技術を雄貴に教えるのが怖かったのよ」
「え!?お義父様って、ムエタイ選手だったんですか!?」
「雪乃ちゃんは知らなかったのか?
弟クンのパパはRYU-ZENというリングネームで一世を風靡したプロのムエタイファイターなんだ。
殆どタイで試合をしていたから日本ではあまり知られていないが、52戦52勝52KOのパーフェクトレコードで引退したムエタイ界では知る人ぞ知るレジェンドさ」
「え!?そんなに強い人なのにどうして日本で試合をしなかったんですか?」
雪乃ちゃんから信じられない質問が飛び出した。
まさかそんな常識を知らないとは……
「本場のムエタイスタイルの試合って日本のプロキックの興行では敬遠されるんよ。
ホラ、ムエタイって首相撲対策やら肘の対策やらでガッツリタイオイルを塗り込むから、リングにオイルが付いて滑りやすくなったり、匂いが独特でキックの選手から苦情が来るんよね。
何より、ムエタイは肘で額が割れるとかも尽あるから、流血が多くて日本の興行には適さない。
タイの試合だと余程酷い流血じゃないとレフェリーストップしないけど、健全な日本だと血が流れると直ぐにストップするじゃん?
本場のムエタイに強い拘りがあった親父殿は日本ルールで戦いたくなかったらしいよ」
「へ、へぇ、そ、そうなんですか…」
俺が雪乃ちゃんに分かりやすく説明すると、流石の雪乃ちゃんも自分の常識の無さが恥ずかしくなったのだろう。
困り顔で俯いてしまった。
「常識を知らなかったからって恥じる事は無いさ。
今学べたというのが大切な事なのだからね」
「それの何処が常識なのですか!?
格闘技脳過ぎて常識を履き違えているのですわ!
雪乃さんは恥じているのでは無くて、ドン引きしているだけですわ!」
くぅ、彩音が大声でツッコミを入れて来た……
チクショウ……何故か彩音には言い返す事が出来ない……
「ふむ、そうか?
私は弟クンの言っている事が常識だと思うが?
彩音ちゃんの方がアイドル業界に浸かり過ぎて常識を履き違えているのではないか?」
「私も美優先生と雄貴の言う通りだと思うなぁ。
芸能人って一般人とは常識が違うと思う」
俺が口篭っていると、美優先生と姉貴が援護射撃をしてくれた。
うむ!やはり俺は間違ってはいなかったようだ。
「くっ、ここは非常識な格闘技脳の持ち主が多いのですわ……
る、瑠奈さん!瑠奈さんなら…」
「♫グゥ、チョキ、パッパ♫グゥ、チョキ、パッパ♫
パッパでお目目を隠しちゃえ〜♬」
「きゃははは!パッパれママのおめめもかくしゅよ!」
彩音は瑠奈に賛同を求めようとしたようだが、残念ながら瑠奈は桐斗とお歌の時間だ。
それにしても、瑠奈は桐斗と遊ぶのが上手いな…
俺はどうしてもかけっことか絵本とか安直なものに走りがちだが、瑠奈は歌で手遊びをさせたり簡単な踊りを見せて桐斗を楽しませている。
俺には引き出せないキラキラした表情を瑠奈はさらっと引き出してみせる。
知育絵本や知育玩具だけでは養えないものがママとの触れ合いにはあるのだろう。
やはり、瑠奈との復縁は桐斗の為にも良い選択だった……そして、瑠奈は母性に溢れた素晴らしい妻だという事を改めて思い知ったな…
俺はほっこりした気持ちで母子の触れ合いを眺めたのだった。
◆◇◆◇◆
「ボクねぇ、じぃじとばぁばになむなむちたよ!」
「ははは、桐斗がお利口さんだから、じぃじとばぁばも喜んでるぞ」
車で走る事1時間。墓所に着いた俺達は親父殿と母ちゃんが眠るお墓の掃除をして、花尺に仏花を刺して線香を上げた。
桐斗も瑠奈と一緒に墓石に手を合わせて、何事も無く墓参りを終えた。
今は墓所に隣接する庭園に蓙を敷いて、姉貴お手製のお弁当を皆んなで頂いている。
ちゃんとお参りが出来た桐斗はすっかりご満悦だ。
去年のお参りの時は瑠奈がいなかったからゴネてギャン泣きしてたからなぁ……
「パパもママもアンタが探索者になった事に怒ってるんじゃない?」
「あ、ああ……そうだろうな……
最初に探索者になるって言った時、姉貴にもめっちゃ反対されたよな」
食事も終わってひと段落した所で、姉貴が痛い所を付いて来た……
今日のお参りに僅かな後ろめたさを感じていたのは、今姉貴が指摘した俺が探索者になった事だ。
「それは当然でしょ……」
「……やっぱり家族は心配ですよね……
探索者なんて命懸けの職業ですし」
雪乃ちゃんがテンションだだ下がりで呟いた。
恐らく、雪乃ちゃんパパとママも最初は反対したのだろう。
だが、姉貴の反対は雪乃ちゃんのご両親とは色合いが違う。
「うん…それもそうなんだけど…
ウチのパパとママはね…旅行先で…オーバーフローに巻き込まれて亡くなったの…
だから…」
「そ、そうなんですか…
何かゴメンなさい…」
「ああ、謝らないで!
もう、このバカ弟の事は心配してないから!
アホみたいに強くなってるし、パパとママみたいな事にはならないでしょ」
姉貴は平然を取り繕ったけど、思っくそ無理をしているのは痛い程伝わってくる。
皆それが分かっているから、場は再びしんみりしてしまった。
それから20分程で、はしゃぎ疲れた桐斗が瑠奈の腕の中で眠ってしまった。
この後、装備品の件で『巌窟堂』に行く予定が入っているので、桐斗が眠ったタイミングで俺達は墓所を後にした……
唯一残された遺体の一部……親父殿の左腕が眠る墓所を……