手紙が届いた 4
強い日差しと潮の匂いで目が覚める。髪はべたつき始めていた。
車は海岸から少し離れた駐車場に止めてあった。窓は全開にしてあり、風が吹き抜けていく。
「母さんもう適当に歩いている。飲む?」
途中で店に寄ったらしく、聡の膝の上にビニール袋が置いてあった。
助手席から差し出された炭酸ジュースを一気に飲むと、体が火照っていたことに気づく。
冷たい液体が喉を抜けると周囲の気温も下がった。
視線を回らせると、見慣れた景色だった。大地を削って出来た溝に海が流れ込んできている。
もっと広い海岸はいくらでもあるが、山との境目のような風情があるこの海岸が結人にとって馴染みの場所だった。
夏になれば屋台と海の家が開くけれど今の時期は閑散としていて人もいない。
波打ち際に白い人影が見えた。下を向いたまま歩いたかと思えば、突然屈み込み、ついに海に突入していった。
「帰り、どうするんだかな。行く?」
首を振って提案を拒否する。海は好きだが、嫌いでもあった。
緑と青と白の三色で作られた風景に、結人は入っていく事が怖かった。
それでも機会があれば結人は海に来ていた。砂浜を踏む音、波打ち際の冷たさ。もう何年も近寄りつつも触れていない。
「話、した方が良いのかな。」
聡は自分の分のジュースを飲み干した。透明な容器が軽い音を立てて車のケースに収められる。
中身のなくなったビニール袋を結んでダッシュボードに仕舞い、首を軽く叩いた。
結人は残り少ないジュースを飲んだ。もう温くなってしまっていた。
車の中に海の音が流れ込んで来る。フロントガラスは青空で一杯だ。
「誰と?叔母さん?」
「それもある。けど、それより。水城って人と会話をして見たい。」
「そっか。」
あっさりした返事に、肩の力が抜けていった。潮の匂いを纏った風も先ほどと少し違った。
ふと、ドアを開けてみた。聡の驚いた顔を横目に、思い切り開ききる。
濁流のような緑の風の後に、潮の匂いが待っていた。古い友人に再会したような気分だった。
一歩足を踏み出すとそこはもう見知った場所だった。一瞬の感動に、二歩目で冒険は止まった。
「ちょっと、結人!」
焦った声が我に帰させる。聡が力強く腕を掴んできた。とても暑かった。
「気持ち悪くなったりしてないよな。なんで、お前。」
言われても、結人も分からなかった。ただドアを開けてみようと思ったから開けただけだ。
「海岸まで行ってみる。」
「お、おう。うん。」
駐車場の雑草まみれの砂利。所々ヒビの入った道路。ざらざらとした防波堤。
それを抜けると、白い砂浜が待っていた。大きな流木と貝殻の欠片で飾られた額縁。
そしてその奥に、額縁を塗りつぶす青と白の世界が広がった。
ビーチサンダルを脱いで、波に足を入れる。砂が浮いて色が濁る。
まだ冷たい水が肌に馴染んでいく。
不規則な波の音に混じって、遠い日の音が小さく響いていた。
「僕、泳げないんだよね。」
「そうなんだ。」
「だからプール嫌い。ぶっちゃけ今の高校、プールの授業ないから妥協した。」
「え!そんな理由でこの学校選んだ!?嘘だろ。」
波打ち際で自分だけ海から逃げている聡が憎たらしく見えた。
蹲ったところで思い切り波を蹴り上げる。人工的な波だが、聡には災害のような威力を発揮した。
頭からかかった海水で聡の目が潰れかけているが、それより結人は自分の足元の方が気になった。
「シーグラス、見つけた。いる?」
「待って見えない。」
上がってこない聡の頭に旋毛が二つあった。同時に押してみると、聡の体は海の中に落ちた。
「・・・・・・綺麗なガラスですね。」
「だろう。」
太陽にかかげたガラスから落ちてくる水滴が宝石のように見えた。
「お父さんもさ、泳げないんだって。」
聡からの返事はなかった。返事のお礼に、結人はまだ水の中の聡に向かって波をぶつけた。
もう車に乗れるような状態ではなかった。無事な部分は一つもない。
「でも海が好きで。たぶんよく、来てた。」
遠い日の記憶と今の風景が重なった。聡よりも大きくて、見知らぬ人がそこに居た。
「帰ろう、結人。」
もういつもの聡だった。いつの間にかビーチサンダルの片方を無くしていた。
「それで車乗れるの?」
反論の声より先に、結人は頭から海に沈んでいた。