ミーティング
「今作戦の主たる目的は、ズィーラーの秘密研究所の制圧もしくは破壊となります」
ペルシャ猫の姿をしたラ・ロシェルのフランス事務局長ミレーヌの発言に、会議室に集まった面々からはざわめきが起こった。彼らも自分たちが戦っている相手がズィーラーと呼ばれていることは承知している。だがズィーラーはこれまで混沌獣によるテロを繰り返すばかりで、地球に拠点や橋頭堡のようなものは持ってこなかった。それがいきなり秘密研究所である。困惑するのも無理はない。
「……失礼。質問、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます。その秘密研究所というのは、どこにあって何をしているのですか?」
「ではまず『何をしているのか?』ですが、この研究所では地球人を混沌獣に変える研究が行われています」
ミレーヌがそう答えると、先ほどの十倍になろうかというざわめきが起こった。「地球人を混沌獣に変える研究」。詳細は分からなくても、それが地球人にとって忌むべきものであることだけはハッキリしていた。
「静粛に願います。……どうも。それで、『どこに?』ですが、場所はココになります」
モニターに地図が表示されると、室内はまたざわついた。示されたのは某遊園地。その地下に秘密研究所があるという。
「言うまでもなく遊園地には人が集まります。そして去年の中頃からこの遊園地に遊びに行った人たちの中から、チラホラと行方不明者が現われるようになりました。今にして思えば、遊園地で拉致され、何かしらの方法で入れ替わっていたのでしょう」
そして少ししてから姿を消すのだ。遊園地で行方不明になったわけではないため、気付くのが遅れたというわけである。事務局長の言葉には口惜しさが滲んでいた。
「……ズィーラーの秘密研究所をこのままにしておくことはできません。可及的速やかに制圧する必要があります」
ミレーヌは重々しくそう言った。反対の意見はない。事務局長は一つ頷いてから、作戦内容についての説明を始めた。フランス軍が全面協力することになってはいるが、やはり主力は魔法士である。
今作戦には魔法士が全部で六名参加する。地元フランスの魔法士ヴィンセントを筆頭に、イタリア、ノルウェー、ギリシャの魔法士が加わっている。そこへ日本の魔法士二名が加わり、全六名である。
ちなみにこれとは別に、日本人魔法士がさらに二名派遣されてオーストリアに待機している。これは作戦中に別の場所に混沌獣が現われた際に対処するためで、派遣された二名もいつもは国内で活動しており、今回はあくまでも特例という位置づけだった。
陽菜と凪も、実のところ今作戦においては予備戦力扱い。主力はあくまでも欧州の魔法士四人だった。こうなった背景には水面下で政治的なアレコレがあったというが、そのあたりは割愛する。そして作戦の説明が終わると、ミレーヌは最後にこう切り出した。
「それと、これは参考情報として留意しておいて欲しいのですが、ズィーラーの秘密研究所は罠の可能性があります」
「その、罠というのは?」
「つまり敵の目的はそもそもこちらの魔法士戦力を削ることかもしれない、ということです」
ミレーヌがそう答えると、室内のあちこちから「ぬう」という唸り声が上がった。作戦の主力とされている四人の魔法士は険しい顔をしているし、陽菜と凪も顔をしかめている。そしてフランスの軍人の一人が手を上げてこう質問した。
「失礼。罠の可能性があると判断した理由を教えてもらいたい」
「我が軍、失礼、これはアーヴル軍のことですが、ズィーラーとの戦争中に似たような状況に直面し、大きな損害を被ったことがあります」
それはズィーラー軍に防衛線を突破された後のことだ。アーヴル軍はゲリラ戦による後方攪乱よって敵軍を苦しめていたのだが、ある時ズィーラー軍の大規模な物資集積所についての情報を掴んだ。
その物資が丸ごとなくなれば、ズィーラー軍の侵攻計画は大幅に狂うに違いない。アーヴル軍はそう考え、件の物資集積所を攻撃。しかしその物資集積所は罠であり、アーヴル軍は攻撃を仕掛けた精鋭部隊を失うことになった。またこの失敗を契機にしてゲリラ戦も低調になっていき、結果としてアーヴル軍はまた一つ追い込まれる事になったのである。
「これは言い訳になるかも知れませんが、物資集積所には確かに大量の軍需物資がありました。敵はそれもろとも我が軍の精鋭部隊をなぎ払ったのです。……その作戦を指揮したのはマルガレーテ将軍。彼女の姿が例の遊園地で確認されています。さすがに三ツ目は隠していますが、まず間違いないでしょう」
室内が静まり返った。「罠の可能性は確かにある」と誰もが思ったのである。だがそれでも、人を混沌獣に変えるなどと言う悪魔の如き所業を行う秘密研究所を、そのままにしておくことはできない。
「つまりズィーラーの目的は表向き地球人を混沌獣に変えることによる戦力の拡充だが、邪魔な魔法士をおびき寄せて叩くことを裏の目的としている、と言うことですな」
「あくまで可能性の話です。ズィーラーは研究所にそれなりのリソースをつぎ込んでいるはず。それを使い捨てにするのは今の彼らにとっては痛手のはずですから」
「いえ、あり得る話です。気を引き締めていくことにしましょう」
ヴィンセントがそう言うと、他の魔法士たちも揃って頷いた。ミーティングはこれで終わったのだが、人々が解散していく中、ミレーヌはユーグとイネスを呼び止めた。二人は陽菜と凪の肩から飛び降りて会議室に残る。室内が三人だけになると、彼らはテーブルの上に集まって話し始めた。まず口火を切ったのは事務局長。彼女はこう切り出した。
「……それで、彼女のほうはどうですか?」
「進展なし、です」
「国内残留組が時間を見つけては渋谷を中心に探していますが、なんとも……」
ユーグが険しい顔を、イネスが困ったような顔をしながらそう答える。ただそれを聞いてもミレーヌに落胆した様子はない。「分かっていた事だ」と言わんばかりに一つ頷いた。
「仕方のないことです。そもそも彼女が本気で隠れたら、我々がそれを見つけるのは不可能です」
ミレーヌの言葉にユーグとイネスは揃って頷く。彼らが探しているのは、渋谷に最初に現われた混沌獣を討伐した存在である。表向き、これを成したのは秘密裏に地球で活動していたアーヴル人、と言うことになっている。だがそうではないことを彼ら自身が良く知っている。そして真犯人の心当たりもあった。
「アンジェ……」
小さくそう呟いたイタチに、ペルシャ猫とハムスターが鋭い視線を向ける。イタチが俯き小声で「ごめん」というと、二匹はようやく彼から視線を外した。
アンジェ。それは聖樹の神子の名前である。本名は別にあるのだが、本人がそれを嫌ったので仮称のつもりで「アンジェ」と呼び始め、そのまま定着してしまったのである。
今の情勢下、聖樹の神子は最重要人物と言って良い。アーヴルにとっても、そしてズィーラーにとっても。そしてズィーラーは彼女が地球にいるらしいことを、どうやらまだ掴んではいないらしい。
『ズィーラーに悟られないことを最優先とする』
それが今のところのアーヴルの方針だった。日本に残留しているアーヴル人たちが度々渋谷を探索、いや散歩しているのは彼女を見つける為ではない。彼女に見つけてもらい、向こうが接触してくるのを待っているのだ。ただし今のところ、その気配は全くない。
「お散歩はそのまま継続してください。釣果を得るには根気強くなければ」
そう言うミレーヌにユーグとイネスは揃って頷いた。ただユーグの内心について言えば、彼はこの方法で上手くいくとは思っていない。もしもアンジェが渋谷にいるなら、すでにアーヴル人の散歩には気付いているはず。それなのに無視を決め込んでいるのは、彼女の怒りが収まっていないことの証に思えた。
(無理もない……)
ユーグは内心でうなだれる。自分たちは彼女を裏切ったのだ。むしろ敵対しないでいてくれるだけ、彼女は理性的で友好的だろう。そして自分たちはまたそれに甘えようとしている。彼はそのことが情けなかった。
それから三人は適当に時間を潰すための雑談に興じた。話題の中心は「小動物の身体で困ったこと」で、現在地球で活動しているアーヴル人のあるあるネタだ。あと、どうでもいいが、ペルシャ猫とイタチとハムスターが雁首揃えて話し合っている様子はなかなかシュールだった。
ミレーヌ「あなた、おいしそう……」
イネス「……っ!」